非国民通信

ノーモア・コイズミ

山本太郎に共感している人は頭を冷やすべきだと思う

2011-05-30 22:51:44 | ニュース

学者は「ゼロではない」よく使う…班目委員長(読売新聞)

 東京電力福島第一原子力発電所1号機で、東日本大震災発生翌日に冷却用の海水注入が一時中断した問題で、内閣府原子力安全委員会の班目春樹委員長(元東大教授)は25日、「再臨界の可能性はゼロではない」という自らの発言に関し、「学者は、可能性が全くない時以外は『ゼロではない』という表現はよく使う」と述べた。

 同日の委員会後の記者会見で答えた。一方、「ゼロではない」という発言を、その場で聞いた人たちが驚いたとされることについては、「周りが大変驚かれたという印象は全然もってない」と、再臨界を巡る解釈に温度差があったことを認めた。

 何でもこの班目氏が「(海水注入による)再臨界の可能性はゼロではない」と発言したために福島第一原発への海水注入が一時停止と判断されたとかで、色々と取り沙汰されています。まぁ、その可能性がいかに低かろうとも0ではないという意味で「ゼロではない」と述べるのは誤ってはいないのでしょう。あなたが明日、隕石に当たって死ぬ確率だって0ではありません、極限まで0に近い確率であろうとも、決して0ではないのです。60億を超える地球人の中には隕石に当たって死ぬ人だっています。だからといってヘルメットを常備して外出しなければならないとしたら馬鹿げた話ですが、しかるに班目氏の「ゼロではない」発言を耳にした政府関係者は「再臨界する!」と解釈してしまったようです。

 概ね日本では曖昧さは嫌われます。常に二元論に沿って行動しながら、まだまだ日本人は曖昧だから良くない、と自らを戒め続けてきた文化なのです。「ゼロではない」とか「直ちに影響はない」みたいな曖昧さを残した説明は、それが実態を正確に伝えるものであったとしても日本社会では受け入れられません。日本人にとっては「ある」のか「ない」のか、あるいは「危険」なのか「安全」なのか、その二者択一しかないのでしょう。だから「ゼロではない」などと語ろうものなら、班目氏の発言がそう解釈されたように、直ちに危険があるかのごとく受け止められてしまうわけです。こういう社会では「絶対に安全」と言い切るか、「絶対に危険」と叫ぶか、そのどちらかを選ぶしかなさそうです。


山本太郎、出演予定のドラマ降板に 反原発発言が原因か ツイッターで大反響(シネマトゥデイ)

 原発問題に関する発言を問題視され、決まっていたドラマを降板させられたことを自身のツイッターで告白した山本太郎に、心配の声が寄せられている。

 25日夜、山本は自身のツイッターに、「今日、マネージャーからmailがあった。『7月8月に予定されていたドラマですが、原発発言が問題になっており、なくなりました。』だって。マネージャーには申し訳ない事をした。僕をブッキングする為に追い続けた企画だったろうに。ごめんね」とツイート。山本は23日に、福島から来た子を持つ親たち100人を含む多くの人たちと共に文部科学省前に集結し、文科省が定めた学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的な目安「放射線量年間20ミリシーベルト」の撤回を訴えたばかり。わずか2日後のことだった。

(中略)

 23日、シネマトゥデイの取材に応えた山本は、「電力会社はメディアの最大のスポンサーですし、さまざまな事情はあります」と言っていたが、言葉どおりの現実が彼を待ち構えていた。たったひとりで立ち上がり、デモにも堂々と参加を続けてきた山本に、ネット上では、「やっぱり干されてしまった!」「ひどすぎる!」「これが現実かよ……」と、同情の声が次々に上がっている。心配するフォロワーたちに向け、山本は「抗議するからTV局、プロデューサー教えて、などなど励まし有難う! 外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない。一俳優の終わりの始まりなんて大した事じゃない。そんな事より皆さんの正義感溢れるエネルギー、20mSV撤回、子供達の疎開、脱原発へ! 皆で日本の崩壊食い止めよう!」と、今後も変わらず、声を上げ続けていく覚悟を伝えている。

 …で、こういう人もいるようです。山本太郎は行動に先だって「芸能界で仕事干される」などと宣言していたそうで、まぁブログをやっているとよく見かけるタイプですかね。「どうせ消されるんだろうけれど」とか「どうせ公開されないんだろうけど」とか前置きしてコメントを書き込むタイプと同じ匂いがします。それはさておくにせよ、山本が要求しているという「20mSV撤回、子供達の疎開」なんかはいかがでしょうか。どうも20mSVという数値に反応している人の大半は、これが「夏までの暫定基準」でしかないことを無視している気がします。ましてや全地域で基準上最大の放射線量が観測されるわけでもなし、実際に浴びる放射線量は20mSVを格段に下回ることでしょう。そうでなくとも、単に20mSVという基準を撤回するなり引き下げるなりすることに意味があるのかを問いたいところです。

 飲酒や喫煙、睡眠不足に運動不足、偏った食生活や肥満に過労等々、生活習慣に起因する健康リスクは20mSV程度の放射線の影響なんかとは比べものにならないほど大きいわけです。だからといって、政府が国民に「健康で規則正しい生活」を強制するとしたら、それは大きなお世話ではないでしょうか。それで寿命が延びるとしても、国民の自由への干渉は極力避けてしかるべきです。政府なり自治体が定める「正しさ」を押しつけられる謂われはありません。退去や疎開が当事者にとってどれだけ重い負担であるかも少しは考えてほしいものですし、ましてやそれが強制的に行われるとあらば、これこそ声を上げて反対すべきところでしょう。自らの意志で避難したい住民を支援しようというのなら理解できる範囲ですけれど、住民の意思を無視して「ここは危険だから早く立ち退け」と自らの信じる善意を押しつけ強要するような振る舞いは、まさしく橋下や石原が好む国旗/国歌の強制と何ら変わるものではありません。世の中には自分の気に入らないものが強制されれば反対する一方で、自分が共感するものが強制されようとしているときにはそれを賛美する人もいます。でも私は、公権力を個人の領域に踏み込ませようとする動きそのものこそ危惧すべきだと思うのです。

 山本太郎の主張するところでは、反原発発言が問題となってドラマを降板させられたそうです。へー。ちなみに「外されたドラマでも、現場には迷惑掛けられないから言えない」とか。「現場には迷惑掛けられないから言えない」ではなく、ドラマを降板させられたというエピソードが捏造だから言えない、じゃなくて? だってテレビを点けてみれば、盛んに電波芸者が公務員叩きと同じようなノリで原発叩き、東電叩きに明け暮れているわけです。橋下を筆頭とする機を見るに敏な若く軽薄なポピュリスト達は挙って反原発の旗を掲げるようにもなりました。お笑いダイヤモンドや毎日ブルジョワ新聞などのメディアも反原発一色、今や反原発は「乗るしかない このビックウエーブに」と言った風情です。似たような立場を取る他の電波芸者が喝采を浴びる中、あくまで流行に沿っている言動を取った山本だけが外されるなんて、とても考えられません。

 ちなみに山本太郎によると「電力会社はメディアの最大のスポンサー」なのだそうです。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェーヘェーヘェー だけど電力会社のCMって、そんなに目にしますかね? 最大のスポンサーならCMの流れる頻度も最大であってしかるべきですが、実際はどれほどのものでしょう。ましてや電力会社のCMといったら「電気を大切にね」みたいな営利目的の広告というより啓発活動みたいな代物が大半です。原発の安全性を主張するCMなんて、それこそ地元住民に向けたものを別とすれば、よほどの物好きが自分から探しに行かないとお目にかかれるものではなかったはずです。電力会社のCMが流れる番組なんてたかが知れているのに、「電力会社はメディアの最大のスポンサー」みたいなネット上で流れたヨタを真に受けている人は反省した方がいいと思います。寧ろオーナーが脱原発に熱心な、被災地で最も繋がらなかった携帯電話の会社の方が、そのCM頻度からして間違いなくスポンサーとして多額の金をつぎ込んでいることでしょうに。

 かつて「ソ連政府に睨まれる」ということこそロシア人にとって最高の国際的ステータスだった時代がありました。「ソ連政府の弾圧を受けた」という肩書きがあれば、どう見ても三流としか思えない学者でも結構な評価を受けたものです。中には狙ってその地位を手に入れたと思われる人もいて、当初は反体制的な詩で国際的な名声を高め、しかる後に転向してソビエト連邦国家賞を受賞したエフトゥシェンコなんて詩人もいます。山本太郎も、寧ろこの一件で知名度上昇、将来的には売れるのではないでしょうか。当人は「圧力にも屈せず巨悪に立ち向かう俺カコイイ」と自分に酔いしれているだけではないかという気もしますが、周りのマネージャーなりはある程度、狙っているようにも思います。山本太郎の「痛さ」もさることながら、それを賞賛する人々にも私は肩をすくめずにはいられません。

 

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