非国民通信

ノーモア・コイズミ

文明災w

2011-04-20 23:09:11 | ニュース

梅原猛・哲学者――原発事故は「文明災」、復興を通じて新文明を築き世界の模範に(東洋経済)

 今回の東日本大震災で、被災した方々の道徳心の高さ、生きていることを喜んで、互いに助け合って生きている姿を知り、日本の将来に希望を感じている。

 ここ数年、一部の日本人の道徳心が堕落したことにより、動機のはっきりしない凶悪犯罪も起きていた。しかし、ほとんどの人々は、非常にしっかりとした道徳心を持っている。

 仏教の徳が、日本の人々の心のどこかでいきづいているように思う。たとえば、思うようにならない天災を、「仕方がない」と受け入れ、逆に前向きに生きていこうとする。こうした姿勢は、大乗仏教の忍辱、つまり、精神的な屈辱や苦難に耐え、自分の道を貫くという考えからきている。日本のようなモンスーン地域では、しょっちゅう天災がある。このような地域で、自然とともに生きていくための知恵だ。一種のあきらめの精神ではあるが、日本の優れた文化でもある。

道徳心を失った政治家、企業の罪

 このように一般の人々の道徳心が高い一方で、政治家、実業家、学者、芸術家などの多くが、道徳心を失っている。特に政治家は、金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている。

(中略)

 原発の事故は、近代文明の悪をあぶりだした。これは天災であり、人災であり、「文明災」でもある。

 今回の震災について、石原慎太郎さんが「天罰」という発言をされたが、何の罪もない一般の人々が被害にあわれたこの災害に対して、「天罰」という表現は間違っている。もし「天罰」があるとすれば、それは道徳心を失った政治家、実業家に対して下らねばならない。

 今も原発の現場では、自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる。日本人には、本当に立派な人がいると感じる。こういう心を皆が持って、新しい国づくりをしていかなくてはいけない。そして、新しい日本が模範となれば、世界をも変えていけるのではないか。今こそ、経済力だけでなく、新しい価値観で世界に範を垂れる国をつくるときだ。

 さて「復興構想会議」なるものが発足しているようですが、梅原猛といういかにも国語の先生(もしくは現代文の先生、文学の先生ではない)が好みそうな宗教家が混じり込んでいます。この手の輩が蔓延った分だけ復興が遅れるんだぜと思わないでもありませんが、石原慎太郎的な世界観がそうであるように、この梅原猛の世界観もまた左右問わず幅広く共有されているのではないでしょうか。とりあえず出だしの「一部の日本人の道徳心が堕落したことにより、動機のはっきりしない凶悪犯罪も~」という行は治安悪化神話に阿っているだけですし、続く「仏教の徳~」は日本人を単一の鋳型にはめたがる俗流日本人論の典型と言ったところで、この辺には与さない人も少なからずいると思います。しかし、そこから先の道徳論となるとどうでしょう?

 石原慎太郎の「津波は天罰、我欲を洗い流せ」発言が露わにしたのは、石原に反発する層もまた「日本人は欲にまみれている」と信じていることでした。そこでは「欲にまみれているのはおまえだ」みたいな、あくまで石原と同じ土俵に立った上での反論が繰り返されたものです。この梅原猛もまた同様に「道徳心を失っている」「金銭欲、権力欲にとらわれ、私的利益ばかり追っている」云々と語ります。だけど本当に、普通の人々、あるいは被災した人々は梅原氏の挙げた「政治家、実業家、学者、芸術家」とは異なり欲のない道徳的な生き方をしてきたのでしょうか。自分の欲を満たす手段に事欠く人が多いだけで、誰しも少なからず欲を抱えながら生きているはずです。欲のある人になら「天罰」が下っても良いというのなら、この世は「道徳心が高い」人しか生きる資格がないということになってしまうでしょう。「自らの身の危険を顧みずに復旧作業にあたっている作業員の方もいらっしゃる」「こういう心を皆が持って」とも梅原氏は語りますが、そんな自己犠牲を「皆」が要求される社会など、私は御免被りたいところです。

 で、「文明災」なる言葉が出てきました。文明災wといった感じですが、文明は悪である、発展した文明は必ず人間に災いをもたらす――そう信じている人は少なくない気がします。この辺は経済に関しても同様で、経済的(物質的)豊かさは人間に精神的な堕落をもたらすものと考えたがる人は多いのではないでしょうか。正直、この十数年来の日本の経済的凋落を見るに「いったい日本人はどこまで貧しくなれば気が済むのか」と嘆息せずにはいられないのですが、それでもなお経済発展や文明の発展を道徳的な衰退のごとくに捉え、忌避し続ける人がいるものです。

 日本人が「経済発展の時代は終わった(キリッ」と自己満足に浸っている間にも世界経済は発展を続けてきました。文明、もしくは科学技術も然りです。しかるに日本では、何かに連れ科学技術の「限界」を語りたがる人が多いように思われます。科学や技術はは無限に発達するものではない(キリッと、コピペのような文明批判論を得意気に語る人は枚挙に暇がありません。そう言って科学の匂いがするものを全否定し出すもので、昨今では原発がそのターゲットにされ易かったりするのですが、言うまでもなく科学技術は進歩を続けている、日本に置いてすら進歩を続けてきたわけです(今後、日本だけが進歩を止める可能性までは否定しませんが)。

 文明災wとか言い出す連中は、たぶん自分が到達点にいると思い上がっているのでしょう。きっと未来の人間からバカにされるに違いありません。未来の人間は必ずや我々よりも前に進む、色々な解決手段を発明するであろうと私は思うのですが、逆に未来の人間が自分よりも先に進めるはずがない、文明には限界がある、発展の時代は既に(すなわち自分の代で!)終わっているのだと、傲慢にもそう信じ込んでいる人がいるのです。

 そして自らが頂点に立っていると思い上がった人々は、将来の発展を否定します。これ以上の発展は文明災wを招くだけだとして、先に進むことを戒めるわけです。彼らの頭の中では、経済と同様に文明(科学技術)の発展の時代は終わっており、良くても現状維持、往々にして現状からの一歩以上の交代を迫る傾向にあると言えます。そして時計の針が止まった人間にとっては築40年の老朽化した原発も仕組みが大きく異なる最新世代の原発も同じ扱いになっているようで、必然的に議論は野蛮な全否定になりがちですし、加えて将来の発展を否定する以上、(例えば再生可能エネルギーなど)「将来的には実現できるかも知れないこと」という発想が出来なくなってしまい、一足飛びに「今すぐ出来ること」のように信じ込んでしまうわけです。いずれにせよ、現実から乖離した道徳論ばかりが吹き出すことにしかなっていません。

 現代を発展の途上と見れば、過渡的な段階として何が可能かを考えるところですが、自分が文明の到達点に立っていると信じている人にとっては、既に過渡期は過ぎているわけです。そこで選択されるものは全てファイナルアンサーであって、過渡期に選択される暫定手段ではなくなってしまうのでしょう。だから将来的には再生可能エネルギーへの転換を視野に入れつつも、現時点では実現可能な選択肢の中にあるもので凌ごう、いずれもっと良い選択肢も出てくるだろうという考え方は出来なくなってしまいます。今、原発を選ぶのなら、これ以上の文明の発展が望めない以上、永遠に原発を使い続けるしかなくなってしまう――そういう凝り固まった考え方が、昨今の子供が駄々をこねるが如き脱原発論の隆盛にも繋がっているのではないでしょうかね。

 

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9 コメント

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Unknown (ノエルザブレイヴ)
2011-04-21 22:33:44
今日某スポーツ新聞を読んだのですが、そこの記者コラムに「友人が石巻へボランティアに行った」「人手不足」「就職活動を止めてきた若者もいた」ということが紹介された最後にこんな一節がありました。「疲れ果てて帰京。そして彼は違和感を覚える。目の前にいるのは着飾った若者とアベック。「君達には力があるのに…」ゆがんで見えるありふれた日常。ため息をつく日々はしばらく続くかもしれない。」
なにやら今にも「強制奉仕活動」的なことを言い出しかねない勢いを感じましたが、その「着飾った若者やアベック」とやらも東京で自分のやるべき仕事をして、その後に息抜きをしていただけかもしれないではありませんか。管理人さんの受け売りになってしまいますが24時間365日皆が奉仕を強いられるのはさすがに勘弁してもらいたいです。せめて夜くらい寝たいのですが。

あと、欲を否定する人は自分の欲についてどう思うのかな、と思うことはありますがもしかしたら自分の欲を過小評価し(あるいは自分の我慢を過大評価し)、他人の欲を過大評価しているだけなのかもしれないですね。

>きっと未来の人間からバカにされるに違いありません。
ドラえもんの映画に確かそんなシーンがあったような。
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文明を否定する愚 (唐揚げ)
2011-04-22 05:28:48
梅原氏の発言には苦笑いせずにはいられのせんね。この方の発言には端から端まで全く共感できません。おそらく自分とは180度考え方の違う方なんだと思います。

いちいち突っ込むとキリがないのですけど、結局文明って人間が楽をするためのものと思うんですよね。

>>自己犠牲を「皆」が要求される社会など、私は御免被りたいところです
昨今のパチンコ叩きもこういう一面があるのだと思います。
好きなことを我慢しろ!と言われ続けるとストレスが溜まって余計に精神を貧しくするだけだと思うんですけどね。
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Unknown (24)
2011-04-22 08:04:20
脚気(かっけ)という病気があります。いまじゃ単なるビタミンB不足ということが分かっていて、肉や牛乳、あるいは豆や穀物を食べるか、タケダのアリナミン飲んで入ればかかることのない病気です。

しかし、日本人を長らく苦しめてきたわけですよね。古くは江戸時代に「江戸患い」と呼ばれ、明治には毎年数千人も死んでいたわけです。原因が突き止められた後も栄養状態の悪さから脚気は流行り続け、結局アリナミンが出るまで国民病でした。

おそらく、江戸時代の人々は脚気のことを恐ろしい病だと感じていたでしょう。治ることのない恐ろしい病だと。江戸という都で起る病気だと。白米の増加が原因でしたので、もしかしたら当時の「文明災」だったかもしれませんね。しかしいまでは全く気にすることのない病気です。

原子力が克服できるかどうかは分かりませんが、文明災といって思考停止はしたくないものです。ブンメイガキバヲムイタ!というのは未来から見たら、お笑い者ですよ。


しかし梅原猛、86歳ですか。私の祖父母を見ていると80を過ぎた頃から思考力が低下し始めていましたので、いかに博学の梅原猛といえども、相当ガタが来ていると思います。同じことしか言わない、記憶力が衰える、頑固になる・・・と超高齢化するといいことがありません。石原もしかりで78歳。長寿はめでたいことですが、さすがに80近くなったらどうもダメですね。肉体も精神も相当衰えている。

ジーサンの世迷い言と思っておくのが良いと思いますね、私は。
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梅原なんぞは全然信用しませんが (あるみさん)
2011-04-23 00:28:32
科学の発展によって、「錬金術」は否定されております。永久機関も否定されております(おそらく心霊やUFOも否定されるでしょう、ほぼ確実にw)

管理人さんの「差別」や「権利の主張」に関する見識には一目おきますが、昨今の主張は梅原氏の真逆のベクトルで、現在の問題を「解決できない」主張に陥っていると思います。

「原発の火を化消すな!3人デモ」でも企画していただければと…
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-04-23 01:35:04
>ノエルザブレイヴさん

 そうなんですよね、「君達には力があるのに…」云々と、個人が楽しむこと、自分のために時間を使うことすらが、被災地支援などの美名の元で抑圧の対象とされてしまうわけです。元より私的な欲を否定して「公」のために尽くさせようとする思惑は右派に強かった気がしますが、それが左右問わない方向に広がっている気がします。

>唐揚げさん

 何かに連れ、自分の嫌いなもの、理解できないものを道徳的ではないと見なして「我慢しろ」「浪費だ」「ムダ使いだ」と叩く人が増えている気がしますが、そういうのが巡り巡ってお互いの首を絞めあうわけでもありますしね。道徳を強いる独善こそ、警戒されてしかるべきものだと思います。

>24さん

 その当時の人間には克服不可能に思えたことでも、その後の世代では容易く乗り越えていたりする、その繰り返しが今に至るんですよね。文明災と言って前に進むことを放棄してしまえば、本人が自己満足するだけで問題は放置されたままです。倒れても立ち上がって前を向いてこそ、克服できるものもあるはずですから。

>あるみさん

 とにかく原発を全否定しない主張は受け入れたくない、というあるみさんの意思は何となく伝わりますが、具体的に何を言おうとしているのか判然としない文章ですね。とりあえず、あるみさんが共感されている類のオカルト(放射能の脅威)もまた科学によって否定されるところでしょうか。あるいは電力は余っている、みたいなヨタは科学の発展を待つまでもなく詭弁だとわかりますが。
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Unknown (シトラス)
2011-04-23 13:07:02
「未来の人間は必ず前に進み、解決法を見つけだす」、結構前向きな考え方ですね。
ただ私は脱原発派なので、この言葉を「原発をなくしたら我々の生活が昭和時代まで退行するぞ」(論者の世界観により、江戸、石器時代まで遡ることもあります)という発言に対して使いたいと思います。
つまり短期的にはともかく、将来は原発を全廃しても、何とか解決できるのではないかということです。
しかし上記の発言の反論として、「原発がなければ我欲を抑えて昭和ライフを送ればいいじゃない」という人もいます。
この二つの発言を比べると、確かに「これ以上技術は発展しない」という世界観は共有しているように見えます。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-04-23 15:36:19
>シトラスさん

 昭和と言っても範囲が広いですので、昭和末期なら今よりも豊かな部分が少なくないですが、それはさておき何に対する反論として「原発をなくしたら~」という言葉が出てくるのか、それを考えないとフェアとは言えないでしょう。解決法を見つけ出す時間を与えずに原発を潰してしまえば、それは必然的に多大な犠牲を生む退行にしか結びつかないですから。原発を全廃するにしても、それは未来の人間が解決法を見つけ出すまでの猶予が必要です。しかるに隆盛を極めている原発否定論は……
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Unknown ()
2011-04-23 16:32:14
「原発を全廃すると~」という話も「原発は全廃すべし」という話も、どちらも「今すぐに」なのか「長期的に」なのかによって全然意味合いが変わってきますからね。この両者は一見絶対に両立しないように見えますが、前者には「今すぐに」をつければ賛成で、かつ後者にも「長期的に」をつければ賛成という人は少なくないでしょう。昨今の急進的な反原発論は「(今すぐ)原発を全廃しても問題は起きない」&「(今すぐ)原発は全廃すべし」という感じで、例に挙げたような立場すら原発推進論扱いされるような勢いですからね。
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Unknown (非国民通信管理人)
2011-04-23 23:34:28
>毛さん

 昨今の潮流の中では、私なんかでもガチガチの原発推進論者扱いになってしまうのでしょうね。今すぐに脱原発は無理と語ることすらも非難の対象になるようであれば、もはや危機的状況にあるのは原発でもエネルギー供給である以上に理性の方ではないかと思えてきます。
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