非国民通信

ノーモア・コイズミ

(東京への)ギリ(ギリ通勤)圏のリアル 其の二

2023-05-14 22:57:24 | 社会

 さて先週もお伝えしましたとおり、私は東京へのギリギリ通勤圏に住んでおりまして、これを心の中で「ギリ圏」と呼んでいるわけです。そんなギリ圏の特徴として子育て世帯の流入を紹介したところですが、これと少なからず関連する形でもう一つの特徴が形成されていたりします。結論として職住分離ならぬ「商住分離」と、これまで他では使われない言葉になってしまうのですけれど、少し詳しく見ていきましょう。

 先週ご紹介した通りギリ圏には子供が溢れており、その結果として保育園だけではなく小中学校まで新設されたりと少子化とは真逆の動きが見られます。そこでは当然ながら、子供達の親が住む家だって必要です。では流入した子育て世代の住処はどうなっているのかと言えば、住人が転出や死亡した跡地というよりもむしろ、商業施設の撤退した跡地に住むケースが目立ちます。

 つまりギリ圏でも少し栄えているところですとショッピングモールやデパートが閉鎖されたその跡地に建設されたマンションへ転居してくる、私の住むような地域ならば個人商店や診療所が閉鎖された跡地の建売住宅に子育て世代の若い夫婦が転居してくるわけです。結果として駅近でもマンションばかり、駅から遠いと住宅の他には小中学校と保育園、児童公園しか存在しない買い物難民エリアが出来上がったりしています。

 住宅需要が商業需要を圧倒的に凌駕しているのがギリ圏の特徴の一つですが、しかし人口増の続く地域ならば商業面で栄えても良さそうな気はします。ただ住宅と商業の両輪で栄えてしまうと必然的に地価も上がって不動産価格も高騰し、若い夫婦が住宅を取得するのは難しくなることでしょう。ひたすら住宅だけが増え続ける歪な地域であるからこそ不動産価格が子育て世帯に手の届くレンジに収まる、そうして成り立っているのがギリ圏なのだと言えます。

 私の住居から最寄りの保育園や小学校までは徒歩5分圏内ですが、最寄りのスーパーマーケットは徒歩30分の駅前まで行かなければ存在しません。かつてはgoogleマップ上でスーパーマーケットと表示されていた個人商店もあったのですが、今は廃業し跡地には間違い探しのようなデザインの建売住宅が立ち並んでいます。お世辞にも生活に便利な立地とは言えませんけれど一応は都心まで通勤可能であるせいか、出来上がった小さな建売住宅は飛ぶように売れている、それがギリ圏のリアルです。

 日本全体の人口が減少に向かう中で市の人口は増加している、少子化が叫ばれて久しいにも拘わらず小学校のクラスが増えたり小学校の新設が始まったりと子供の増加が止まらない、しかし商業施設は減少傾向で潰れた跡地にはマンションか建売住宅が建つ──私の住む類いの街は成功しているのか失敗しているのか、いったいどちらでしょう? 自分は今の街から出て行きたいですが、もっと暮らしやすい街の不動産を取得できるだけの収入はありません。

 ひたすら住宅ばかりが建ち並び商業施設から切り離された「商住分離」の街は不動産価格も抑えられる傾向にあり、私の手が届きそうなのはそういうエリアが限界になるのですけれど、これが社会的に改善される未来はあるのでしょうか。バランス良く発展した住みやすい街は不動産価格も必然的に高騰する、結局は自身の収入を増やす以外に解決策はないにせよ、しかし子育て世帯が流入する一方で商業施設の撤退が続く、そんな歪な発展は行政上の課題でもあるはずです。

 人口が増えても商業施設の売上が伸びない原因としてはネット通販の拡大や娯楽の分散化あたりが挙げられます。しかし生鮮食料品などは実店舗での販売が今でも主流のはずで、地域住民の生活インフラでもあるスーパーマーケットぐらいは住宅地の中にも存在して良いと私は思うわけです。勿論スーパーすら駅前にしかないような地域だからこそ地価も低くて私が住んでいられるのだ、という堂々巡りにはなってしまうのですが、他の地域住民がどう暮らしているのかは気になるところです。

 結局のところ、自家用車を中心としたライフスタイルがギリ圏の生活を成り立たせているのかも知れません。どんな小さな建売住宅でも駐車スペースだけは完備している、価格帯は控えめのマンションでも駐車場だけは立派、それがギリ圏です。自宅周辺に日用品を買える店はないけれど、自家用車に乗って国道沿いまで出て行く、沿岸部の大型ショッピングモールまで足を伸ばす、それが当たり前の生活として定着していれば、ギリ圏の暮らしも悪いものではないのでしょう。

 ただ駐車スペースを確保するために居住面積が寂しいことになっているのでは?と私などは疑問に思うことが多いです。駐車場をなくせば土地代はそのままに居住面積を確保することが出来ますし、自家用車の利用が減れば慢性的な生活道路の渋滞も緩和され、バスだって定時運行に少しは近づけることでしょう。私の家から駅までは徒歩30分ですが、荒天時ともなると道路は自家用車で溢れ、バスでは1時間近くかかることすらあります。しかるに自家用車で道路が塞がれていなければ、家から駅までバスならば10分もあれば十分なはずです。

 そして住民が自家用車で国道沿いまで買い物に出かけるのではなく、徒歩圏内で日用品を調達するようにあれば、住宅地内のスーパーマーケットの経営だって成り立つことでしょう。そうなれば格段に私の住む街は暮らしやすくなります。しかし地域住民が自家用車中心の生活を望んでいる限りは何も変わらない、年を取って足腰が弱るほどに自家用車を必要とするような地域だって増えていくわけです。

 コンパクトシティを目指して失敗した事例は少なからずあります。住宅エリアの徒歩圏内に商業施設を作っても、住人には徒歩圏内の店よりも国道沿いの店へ車で出かける習慣が染みついており、目玉だったはずの商業施設が倒産してしまった──そんな事例は少なくありません。コンパクトシティの構想自体は正しいものと思いますが、それを実現させるには住民の生活スタイルを変えること、すなわち自家用車中心の生活を放棄させる措置が必要ではなかったか、というのが私の見解です。

 高齢ドライバーが事故を起こすと、囂々たる非難が巻き起こります。しかし私の住むような地域ですと、最寄りのスーパーマーケットまで徒歩では30分かかります。今はまだ歩くことが出来る、自転車にも乗れますけれど、年老いて足腰が弱ってきたらどうしたら良いのでしょうか? 自宅の徒歩圏内で日用品を購入することが出来ない地域こそが日本のボリュームゾーンです。むしろ高齢化するほどに自家用車という移動手段が必要になるのが現状だと思います。

 だからこそ自家用車の保有や利用を全世代で制限すべき、というが私の立場です。自家用車を禁止すれば国道沿いの店ではなく徒歩圏内の店を利用する人だって増えることでしょう。そうして日用品を歩いて買いに行けるような街を作る、駐車スペースを削って居住面積を確保する、自家用車をなくして道路渋滞を緩和し、バスが定時運行する街──そういう方向に舵を切って行くべきだと私は考えています。戦争のない世界を夢見る人もいるわけですが、私の夢は自家用車のない世界ですね。どうしても車を運転したい人がいるのなら、職業としてドライバーをやってもらえば人手不足解消に繋がって一石二鳥ですし。

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