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非国民通信

ノーモア・コイズミ

穴を掘って、それを埋めれば実績ができる

2019-09-22 22:47:40 | 雇用・経済

 さて私の勤務先では、これまで外注していた業務を内製化する「改革」が進められています。事業部における今期の最重要課題として部門長肝いりのプロジェクトではあるのですが――同時に前年度からは、これまで内製していた業務を外注化する改革もまた進行中だったりします。

 外注と内製、どちらが有利かは状況により変わるものですから、内製化と外注化が並行して進められるのは、必ずしも笑い話ではないのかも知れません。もっとも、内製していた業務を外注化するのも、外注していた業務を内製化するのも、その移行のプロセスは簡単なものではないわけです。

 いずれにせよ、本当に必要なことであるならば、内製化であろうと外注化であろうと、それは進められるべきと言えます。ただ、この「必要」というのがどこから発しているのか、往々にして現場とは遠いところからのニーズが起点になっているのは、決して私の勤務先に限ったことではないように思います。

 現場に近い人間ほど当然ながら、それが不可能である理由を知っています。しかし会社で偉くなる人ほど、「できない理由を言うな」と、アメリカとの開戦に突入した軍首脳のごとき勢いで否定的な意見を一蹴するわけです。そして毛沢東の農業指導を彷彿させる専門知識を駆使し、こうすれば上手くいくのだと指令が飛ぶのですね。

 現場は「いらない」と思っていても、偉い人は「こういうのが必要だろう」と思い込んでいる、それはよくあることです。現場は「今まで通りのやり方で十分」と考えていても、偉い人は「こうすればもっと上手くいくのだ」と独自理論を持っている、実によくあることではないでしょうか。かくして私の勤務先では内製していたものを外注へ、外注していたものを内製へ切り替えようとしているのですが……

 諸悪の根源として、改革や変革そのものが評価の対象になりがちなところがあるように思います。結果として好転するか悪化するかは別問題、とにもかくにも変化こそが評価に繋がる、とりあえず私の勤め先は、そういう会社です。皆様のお勤め先は、いかがなものでしょうか。隣の芝生は青く見えがちですが、ヨソも大差ないのではないかとも。

 現状が上手く回っていたとしても、そのやり方を「変えよう」と声を上げれば、偉い人からは評価されます。反対に今までのやり方を続けようとすれば、偉い人からダメ出しを食うものです。結果がどうなろうと、変革に反対した人は「やる気がない」と烙印を押され、現場を引っかき回した人は「変革した」という実績が認められる、よくある話ではないでしょうか?

 現代日本の能力主義・成果主義が悲惨な結果しかもたらしていない理由としては、改革・変革ばかりを重視し、業務を「維持する」ことを軽視する風潮も大きいように思います。世の中そう都合良く右肩上がりで進んでいくことはできないもの、むしろ日本のような経済情勢では、現状を維持するのだって本来は大変なことなのですが。

 しかし、現状を維持する働きを、我々の社会と会社は、どれだけ評価しているのでしょうか。現状をキープする上で重要な役割を果たしている人を「ただ会社にいるだけ」みたいに軽んじ、あれやこれやと単に「今までとは違うだけ」のことを唱える人をチヤホヤし昇進させる、そういう組織は己の屋台骨を自ら脆くしていくものです。

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ある意味どうしようもない

2019-09-15 21:57:49 | 雇用・経済

日立会長、実習生問題で釈明 「ある意味申し訳ない」(朝日新聞)

 外国人の技能実習生の受け入れをめぐって、日立製作所が法務省と厚生労働省から改善命令を受けたことについて、日立の中西宏明会長は、9日の経団連会長としての記者会見で「謙虚に受け止めたい。ある意味では申し訳ない話だった」と述べた。

 中西氏はこれまで「違法性はないと信じている」と話してきた。この日は見解を問う質問を受けて「行政と日立側に意見の相違があった」。加えて「法令を順守する観点から指摘をいただき、改善を積み重ねてきた。外国人が活躍できる環境づくりを進めたい」と語った。

 命令の詳細を、法務省や厚労省は明らかにしていない。法務省の関係者によると、日立は山口県下松市にある笠戸事業所に2018年4~7月、フィリピン人男性43人の実習生を受け入れたが、必須の業務を十分にさせない一方、新幹線の車両に洗面台を取り付ける作業などをさせていたという。

 

 日立製作所が技能実習に関する違反を指摘されたわけですが、これを受けてのコメントが上記です。会長ともなれば現場で行われていることなど何一つ知らないのが普通でしょうから、とりあえず「信じる」ぐらいしかできないのかも知れません。仕事ごっこで報酬を受け取るだけの役職からすれば、「ある意味では申し訳ない」となってしまうのも無理からぬ話と言えます。

 それはさておき、「技能実習生」という呼称はいい加減にどうなのかと思わないでもありません。届け出された正規の業務ではなく単純労働を強要されているケースは日立に限ったことでもないはずです。初めから「技能実習」という概念に無理があった、あくまで外国人を欺いて安価な労働力として調達するものであるという実態に沿った名称に改めることも必要ではないでしょうか。例えば「徴用工」などは、ピッタリくると思いますね。

 ただ世間的な評価の高低はさておき、何からでも学べることはあります。単純に技術力を問うなら今は日本よりも中国や韓国からの方が学べることは多いでしょうけれど、日本には――搾取のメソッドがあります。いかに法律を蔑ろにするか、いかに外国人を欺いて労働力とするか、いかに従業員の給与を抑制するか――GDPが横ばいの中でも企業の利益だけは増やし続けてきた日本には、世界に類を見ない独自の方法論があるのです。

 技能実習生の中には、現代の徴用工として日本への恨み辛みを抱えて帰国する人もいれば、闇に消える人もいる、一方で自国民を騙して日本に送り込むことで利益を得るブローカー即ち「親日派」への転身を図る人もいます。日本の悪いやり方を覚えて、今度は騙す側に回る人もいるわけです。これもまた「日本に学んだ」結果と言えますが、それを誇らしく感じる人はいないと思いたいです。

 

経団連会長ら9人で調整 社保改革会議の民間代表(共同通信)

 政府が社会保障改革の司令塔として来週に新設する検討会議の民間メンバーに中西宏明経団連会長や新浪剛史サントリーホールディングス社長、清家篤前慶応義塾長、増田寛也元総務相ら9人を起用する方向で調整していることが13日、分かった。企業経営者や学識経験者など幅広い人材を集め、急速に進む少子高齢化社会に対応した社会保障制度の在り方を議論する。初会合は20日の開催が有力だ。

 9人はいずれも既存の政府会議のメンバー。中西氏、新浪氏は経済財政諮問会議の民間議員、清家氏は社会保障制度改革推進会議の議長、増田氏は議長代理を務める。

 

 なお共同通信によれば「幅広い人材」として「いずれも既存の政府会議のメンバー」9名が集められたそうです。そして当然のように、経団連会長兼日立会長の中西氏が入っています。なんともまぁ代わり映えがしない、相も変わらず「奪う側」の人間で構成されていると言う他ありません。ここに「奪われる側」の人間が加われば、多少なりとも幅が広くも見えるのですが。

 ただ政府の立場を擁護するなら、日本国民も相応に支配者目線であるわけです。自身の生活状況を無視して、経営者の立場でモノを言いたがる人は少なくありません。ボロを着てても心は錦、薄給でも心はエグゼクティヴ、それこそが大和魂でしょう。為政者・経営者の立場に立って社会保障費の抑制に努める、その路線は案外、民意に沿ってはいると思います(国民の生活はさておき)。

 とはいえ、外国人を騙して日本に連れ込み、薄給で単純労働に従事させる、そんな組織の親玉ばかりを政府会議に据えていて良いのでしょうか。本当に物事を改革したいのなら、反対の立場の人も必要です。ある意味では先駆的な存在である韓国の元・徴用工(及び原告団)辺りを、搾取経験者として政府会議に参加させれば、バランスは取れそうですね。そうすれば、日本がやり方を改めようとしている意思表明にもなるでしょうし。

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パワハラしてこそ出世する

2019-09-01 21:50:24 | 雇用・経済

厚労省職員4割超、ハラスメント被害 「加害者が昇進」(朝日新聞)

 ハラスメント撲滅や働き方改革の旗を振る厚生労働省で、セクハラ・パワハラ被害に遭った職員が4割超おり、仕事が多いと感じている職員は6割を超える――。そんな実態が、厚労省の若手チームが26日に根本匠厚労相に手渡した緊急の改革提言で明らかになった。統計不正問題などが相次ぐ現状を踏まえ、「不祥事対応ではなく、政策の検討に人や時間が投入されるべきだ」などと指摘した。

 20~30代が中心の職員38人による「厚労省改革若手チーム」は4月に発足。職員約3800人にアンケート(有効回答1202人)を実施した。

 「パワハラやセクハラ等を受けたことがある」と答えた人は46%おり、このうち54%が「人事上の不利益等を考慮して相談せず」「部局の相談員に相談しづらい」などとした。人事異動などが「適切になされていると思わない」は37%で、うち38%が「セクハラやパワハラを行っている幹部・職員が昇進を続けている」を理由に挙げた。

 

 とかく他人に迷惑を掛ける側の人間ほど「世の中が狭量になった」みたいなことを言いがちですが、厚労省で地位を得ている人はどうなのでしょう。厚労省幹部にしてみれば「この頃は何でもかんでもパワハラ、セクハラ扱いされる」と、嘆き節が絶えないところではないかと思われます。加害者サイドからすれば、そういうものですから。

 この厚労省の若手チームによるアンケートの結果、「セクハラやパワハラを行っている幹部・職員が昇進を続けている」との回答が結構な割合を占めたと伝えられています。せっかくですから、厚労省内部だけではなく全国企業でも同様の調査を行い、民間企業と厚労省の調査結果に優位な差があるかどうか調べてみたら有意義ではないでしょうかね。

 皆様がお勤めの職場は、厚労省に比べてどうでしょう? パワハラやセクハラを受けたことがある人の割合は46%を上回るか下回るか、その上で相談できる環境があるかどうか、人事異動が適切に行われているかどうか、セクハラやパワハラを行っている人が昇進を続けている割合はどれほどのものか、厚労省と自分の職場、マトモなのはどっちなのやら。

 個人的には、厚労省が特にダメと言うこともないかなと思います。日本の職場なら、これぐらいは普通でしょう。問題があっても死者が出るまで注目されない無名の中小零細企業と違って、中央官庁であるからこそ先んじて問題視されているだけの話です。ただまぁ、民間企業を指導すべき立場として、範を示せていないとは言えるのかも知れません。

 以前にも少し書きましたが、パワハラは自身が昇進する上では強みです。パワハラの被害に遭うのは同僚や部下であって、少なくとも「評価する立場の人」ではありませんし、むしろ周りの人間のパフォーマンスを落とすことができれば、相対的には自分の働きを大きく見せかけることができますから。

参考、「会社でキレる人」が評価を上げる根拠みたいなもの

 使い古されたゲーム理論の一つに、囚人のジレンマと呼ばれるものがあります。これについては今さら説明しませんが、企業(そして官公庁)における昇進と生産性には、よく当てはまるようにも思います。即ち、相手を裏切る者が利益を得て、相手を信じた者は損をする、そして組織全体では今ひとつの成果しか上がらないわけです。

 誠実な人間だけで組織を構成することができれば全体として最高の成果を上げられますが、組織の中で個人として最高の評価を得るためには、他人を貶める必要があります。そうした囚人のジレンマが成り立つ組織において、パワハラはむしろ積極的に行う人の方こそが、評価を得て昇進を重ねやすいものではないでしょうか。

 現代における日本社会の評価基準が成功を収めているのかどうか、そこに私は疑問があります。現代日本の成果主義や能力主義によって選別された幹部社員もしくは幹部職員が組織を牽引し、国際社会における日本の地位を高めていったかと言えば、この点は議論の余地なく真逆です。むしろ、間違った人を選別して昇進させてる仕組みになっていないかと、いい加減に自省が求められるところでしょう。

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新卒一括採用「しない」会社は星の数ほどありますが

2019-08-18 22:22:45 | 雇用・経済

(経済気象台)辞退率提供サービスに思う(朝日新聞)

 学生の内定辞退の可能性を数値化して企業に提供していたサービスが問題となっている。詳細は不明だが、学生による企業ページの閲覧履歴などをもとにAI(人工知能)を使って推測していたようだ。38社がこのサービスを購入していたという。個人情報保護の観点で大きな問題だが、そこから推測される現在の採用活動にも課題は多い。

(中略)

 来年度からは、企業による採用活動の自由度が増すことになる。「今さら感」はあるが、企業もそろそろ目を覚まし、新卒一括採用の呪縛から解き放たれる時期が来ているのではないだろうか? いち早くそこに気づき、新しい取り組みを始めたものにこそ、大きなメリットがもたらされるはずである。

 

 さてリクナビが学生に隠して販売していた内定辞退率の予測データですが、トヨタやホンダ、りそなホールディングスなど少なからぬ企業へ販売されていたことが伝えられています。トヨタなどは過去に地名総鑑も購入していたと聞きますけれど、意外にこういうことでは、ブランドイメージに傷は付かないものなのかも知れませんね。

 さて、朝日新聞曰く第一線(どこの?)で活躍している経済人、学者ら社外筆者が執筆しているという触れ込みの作文コーナーで、問題の辞退率データを枕にアレコレと語られているわけです。結論としては新卒一括採用批判に落ち着くのですが、この新卒一括採用批判も随分と歴史が長いですよね。新卒一括採用はダメだと、そういう社会的合意が掲載されてから長い年月が経ちましたが、その結果はいかがなものでしょう。

 ちなみに私の勤める会社では、一括採用以前に新卒者自体、採用していません。採用は通年、中途だけです。ただし親会社は逆で、新卒一括採用が原則となり、基本的に中途では入社できません。読者の皆様がお勤めの会社の採用事情はいかがでしょうか。ヨソでも、似たようなところは多いのではないかと思います。

 新卒一括採用が成り立つには、条件があります。一つには、従業員を「0から」教育できる環境が整っていることです。当たり前ですが新卒者は右も左も分からない赤ん坊のようなものですから、それを辛抱強く育てる環境がなければ、新卒を採用しても腐らせてしまいます。本当に0から社員を教育できる企業だけが新卒を活かせるわけです。

 そしてもう一つは、離職率が低いことです。離職率が低いからこそ、入社時期が年に一度でも業務が回るもので、逆に離職率が高い企業の場合は当然、年間通して人員補充の必要性に迫られます。定期的な人員補充が必要な会社は、好むと好まざると通年採用せざるを得ません。しかし人が辞めないならば、人員配置は計画通り、補充は4月の一斉入社だけでもなんとかなるのです。

 新卒一括採用は、それ自体が何かを産むものではありません。しかし、一つの目安にはなります。新卒者を0から育てる環境があり、4月の一斉入社以外に人員補充の必要に迫られていない会社かどうか、それを判別する尺度になるわけです。好待遇の親会社は新卒一括採用で、待遇面で大幅に劣る子会社は通年中途採用だったり、そんなケースもありますけれど、まぁ察してください。

 楽な道があると、楽な道しか進めない事業者も生き延びることができます。反対に険しい道ばかりなら、険しい道を突破できる強い事業者を選別することができる、と言えます。例えば規制緩和によって人件費削減が容易になると、売り上げを伸ばせなくても人件費を削ることで、企業の延命が可能になるわけです。経済発展に貢献できようはずもない不採算企業でも、人を安く長く働かせることで、存続が可能になるのですね。

 逆に規制が厳しくなれば、その中でも利益を上げられる、イノベーションを起こせる企業しか生き残ることはできません。人件費が高くなれば機械化・自動化を成し遂げる企業だけが存続できますが、人件費が下がれば従業員を酷使することで誰でも生き延びることができてしまう等々。日本が選んだ道は後者と言えますが、さて世界経済における日本の立ち位置はどうなったでしょう?

 「新卒一括採用」とは、大企業の「自主規制」なのかも知れません。上述の通り、新卒一括採用を維持するためには、0から教育できる体制と、離職率の低さが前提条件となります。この条件を満たせない中小・零細・ブラック企業は、昔から通年・中途採用を続けてきたわけです。そして世の識者が訳知り顔で語るように新卒一括採用が悪しきものであるのならば、大企業と中小企業の力関係は逆転していそうなものですが……

 社員を0から教育できないので中途採用、離職率が高く絶えず人員補充の必要に迫られているので通年採用、そんな中小以下の会社は、実のところ多数派でもあります。しかし、否定されているはずの新卒一括採用からは無縁の中小以下の企業が日本経済の牽引役になっているかと言えば、全くそんなことはないわけです。

 むしろ今なお強いのは、新卒一括採用を維持できている会社の方ですよね。新卒一括採用の条件たる教育体制と離職率の低さを維持している会社が、結局は成長しているのです。したり顔で新卒一括採用にダメ出しすれば、ちょっと「分かっている」風に見えるかも知れません。しかし新卒一括採用「できない」会社こそが、本当のところはダメな会社なのです。

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賃金の高い自治体は発展し、その逆は衰退した

2019-08-11 22:27:33 | 雇用・経済

最低賃金の格差、18年度から1円縮小 改善16年ぶり(朝日新聞)

 2019年度の最低賃金(時給)の改定額が9日、全都道府県で出そろった。最高は東京の1013円で、神奈川とともに初めて1千円を超え、最低額は790円で15県が並ぶ。東京と最低県の地域間の格差は223円で、18年度の224円から1円縮小する。金額差の改善は16年ぶり。

 厚生労働省の審議会は7月下旬、都道府県をA~Dのランクに分け、28~26円の引き上げ目安額を示し、これをもとに各地の審議会が改定額を議論してきた。

 引き上げ目安を上回る改定額を出したのは19県。700~800円台の地域が目立ち、東京との金額差をわずかに縮めることになった。厚労省は「最低賃金が高い都市部への人口流出を懸念した地方の実情が表れた」としている。18年度、最も低い鹿児島(761円)は目安の26円を3円上回る29円の引き上げで単独の最下位を脱出する。29円の引き上げ額は28円上げた東京などを超えて全国で最も高い。

 

 

 さて「日本最低」だった鹿児島を筆頭に奇妙な横並び意識が現れたのか、2019年度の最低賃金を790円とする県が続出したようです。この結果、地域による最低賃金の差は16年ぶりに縮小されたとのこと。今から16年前と言いますと第一次小泉内閣の時代ですね。この歴代最悪の総理大臣の時代から日本は意図的な格差拡大へと舵を切ったわけですが、ようやく僅かに踏みとどまったところでしょうか。

 しかし、横並びチキンレース各県の最低賃金が790円、一方の東京は1013円です。まだまだ格差は大きく、地方在住者にとっての最高の努力は「上京する」に尽きる状況と言わざるを得ません。結局のところ最低賃金は、まさしく最低賃金で働く人だけに関わる話ではなく、「最低ではない賃金」を決める際の基準でもあります。最低賃金の低い地域は、その平均賃金もまた低いですから。

 同系列の店舗でバイトするにしても、都内の店舗と地方の店舗では、時給が全く違うのが当たり前です。正社員として働くにしても、勤務地により地域加算手当や、それに準じるもので結構な差がある会社も多いことでしょう。仕事は同じでも、住むところによって給与は大きく異なります。そしてこの格差は――働く人、本人の努力の埒外で生まれるのです。

 家賃は、確かに東京近郊と地方では差があります。一方で、公共交通機関が整い気候も安定した首都圏と、自動車が必須で自然災害に振り回されがちな地方とでは、当然ながら後者の方が生活コストは高く付きます。ましてや安売り店が激しい競争を繰り広げる首都圏と、そうでない地域とでは、いざ節約しようとしたときに有利なのがどちらであるか、比べるまでもないでしょう。

 賃金が上がると雇用が失われると、そう強弁して憚らない人もいます。一方で、東京の高い人件費を嫌って雇用が流出したという事例は、この格差が広がり続けた16年間の間で一度たりともないわけです。逆に地方の安い賃金を目当てに事業者の進出があったかと言えば、挙げられるのは苦し紛れの例外や失敗例ばかりでしょう。どれほど東京の人件費が他県以上に上がっても、雇用は東京に集中したのです。

 製造業は、概ねどこでも成り立ちます。だから自治体が莫大な補助金を献上して工場を誘致しても、吸われるだけ吸われて早期に撤退される事例が後を絶ちません。ただ、そうであるからこそ30年ばかり昔の、夢物語ではなく事実として製造業が強かった時代の日本は、東京以外の繁栄が成り立ったとも言えます。製造業は都会であることを必要としないからこそ、地方への展開があり得た、と。

 一方で、より遅く生まれた産業――典型的にはIT産業などは、製造業とは違って地域に縛られる存在です。IT化は地域要因を解消するかと問えば、結果は真逆なのです。IT化が進めば世界とは言わないまでも、日本中どこでも同じように仕事ができるようになるのだと、そうした思いつきを語る人は少なくありません。ところが奇妙なことに、IT系の産業ほど東京に集中しているのが実態ではないでしょうか。

 この理由はともかくとして、新しい産業ほど首都圏に固まっているわけです。地方経済が衰退し、日本全体の人口が減少に向かう中で、東京だけが発展を続けてきたのは、地域に縛られる=地方には移転できない産業の勃興に依るところも大きいと言えます。そこで行政が「日本全国」のためにできることは、果たして何があるのでしょう。東京ばかりが栄えても、日本全国でマイナスなら意味はありませんので。

 昔ながらの「都会に縛られない=移転可能な」産業である製造業へのノスタルジーを持ち続ける人もいますが、それは新興国との「下向きの」競争への道であり、90年代以降の日本が失敗してきた道でもあります。しかしIT産業が特定地域に集中する傾向は、必ずしも日本に限ったことではないようで、これが衰退する地域経済の起爆剤になる可能性は考えにくいところです。そして緩和策としては税金による分配ですが、これに背を向けたがるのが格差拡大を続けた16年でもあったと言えます。まぁ、そうそう都合の良い特効薬などありはしないでしょうけれど、16年前から良い方向に向かっていないのは確かです。

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通勤時間の謎

2019-06-30 21:32:18 | 雇用・経済

 さて関西方面では偉い人々の会合で色々と規制もあったかと思われますが、来年は東京で大規模イベント開催のため、一層の混乱が予想されるわけです。この辺を見越してか、企業の中にはフレックスタイムや在宅勤務、リモートオフィスなどの制度を拡充して備えとしているところも多いのではないでしょうか。私の勤務先でも、俄に動きが出てきたりしています。

 さて勤め先で在宅勤務制度の試験的運用が始まるのですけれど、状況に応じて在宅勤務者を出社させることも認められています。それは致し方ないことである一方、勤務時間を巡って今までの運用との矛盾が生まれたように思えるフシもありました。例えば「在宅で9時から業務を開始し、会議参加のため14時から出社」みたいなこともあるのですが、そこで生じた通勤時間はどうなるのでしょう?

 在宅で9時から業務を開始し、13時に家を出て、14時に出社、18時に退社――こういうこともあるわけですが、制度上は9時から18時まで働いたことになります。まぁ、業務命令を受けて出社しているわけですから、その出社に要した時間も勤務時間に数えられるのは当然と言うべきです。これに異論などは、あろうはずがありません。

 ところが8時に家を出て9時に出社、18時に退社して19時に帰宅した場合――この場合もまた制度上は9時から18時まで働いたことになるわけです。慣例として通勤時間は勤務時間にカウントされないので、それが当たり前のこととして受け入れられているところですけれど、在宅勤務制度との整合性はどうなのでしょうか。

 「毎週一回、○○の倉庫への出社となります」という条件の求人を紹介されたことがあります。自宅から「○○の倉庫」へ移動するには3時間程度を要するのですが、ただ朝の6時に家を出て9時に倉庫に出社して、18時に退社して21時に家に帰った場合でも、当然ながら勤務時間は9時から18時までの8時間+休憩1時間の扱いとのことでした。それは普通かも知れませんが……

 あるときは7時半に家を出て9時に出社、9時半に会社を出て10時に東京駅から新幹線で仙台へ移動、13時から東北営業所の会議に参加、15時に営業所を出て17時半に東京駅着、(17時半が定時なので)そのまま帰宅しました。制度上は、普通に9時から17時半までの勤務です。こういうのはただ電車に乗るだけの仕事みたいなものですが、逆もあります。

 別の日は、6時に家を出て8時の飛行機で広島へ飛び、13時から中国営業所の会議に参加しました。この日は偉い人のお説教が盛り上がり会議は17時半で中締めとなりました。そこから飲み会の出席を固辞して帰路に就きます。とはいえアクセスの悪さに定評のある広島空港ですし、飛行機は空港に着いたら5分で乗り込めるというものでもありません、羽田に着いたのは21時過ぎ、家に着くのは23時近くとなりました。この場合の勤務時間は――9時から17時半までです。

 通勤時間を勤務時間にカウントしないのは組合なども認めているところかも知れませんが、実際のところはどうなのでしょうね。それが在宅勤務を前後に挟むと、出社に要した時間は勤務時間として扱われるのですから不思議です。もちろん、在宅勤務中に呼び出されて、そこから出社するまでの移動時間を勤務時間から差し引くとなれば、誰が見てもおかしな話です。しかし……

 先の例に戻りますと、在宅で9時から業務を開始し、13時に家を出て、14時に出社、18時に退社――この場合に13時から14時までの移動時間は勤務時間としてカウントされます。それは業務命令に応じた結果だから当然なのですが、しかし18時に退社してから家に帰るまでに要した時間は、いったい何処に消えるのでしょうか? 在宅勤務者の場合でも、矛盾は残ります。

 そして在宅勤務が絡まなければ当たり前のように、勤務時間は通勤時間を考慮しません。普通に受け入れられてきたことですけれど、ある意味では常識を疑うことも必要なのかと思えてきます。これまで勤務時間から都合良く除外されてきた通勤時間が、在宅勤務を挟むと勤務時間にカウントされたり、されなかったりする、実は結構、労働者の権利を考える上で重要なのではという気もしています。

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「会社でキレる人」が評価を上げる根拠みたいなもの

2019-06-23 21:51:15 | 雇用・経済

「会社でキレる人」が生産性を下げる科学的根拠(東洋経済)

本書で著者は、無礼な人間がいかに企業の業績に悪い影響を及ぼすかを述べている。また反対に皆が礼節ある態度を取ると、企業の業績が向上するとも言っている。これは単に著者の個人的な体験に基づく意見ではない。

著者は、長年にわたり、多数の企業を対象に綿密な調査を続けてきたからだ。それで礼節と企業業績に強い関係があることを確かめた。

「無礼さ」はウイルスのようなものだと著者は言う。例えば、ある企業でAという人がBという人に対して無礼な態度を取ったとする。Bは当然、精神的にダメージを受ける。仮にその後、普段どおりに仕事を続けることができたとしても、ダメージを克服するために普段は必要ではない余分なエネルギーを費やすことになる。

それだけではない。ストレスをためたBは、自分の周囲の人たちに無礼な態度を取りやすくなる。すると、周囲の人たちもダメージを受ける。同じ職場の人たち、家族や友人、皆がダメージを受け、ストレスをためてまた、その周囲の人たちに対して無礼な態度を取る……。

こういう負の連鎖が起きるのである。負の連鎖に取り込まれた人たちは、ストレスに対処するために余分なエネルギーを費やし、すべき仕事が思うように進まなくなってしまうだろう。

 

 「会社でキレる人」が生産性を下げることについては、特に異論のないところではあります。では何故「会社でキレる人」が淘汰されないかは、もう少し考えられてしかるべきでしょう。引用元ではマキャベリの言葉が持ち出されて「そういう時代」もあったと書かれているのですが、この辺は少し違うような気もします。

 一昔前には「合成の誤謬」という言葉が局所的に流行しました。ミクロの視点では利があるはずのことが、マクロの領域では負の効果を呼んでしまうことを指すものです。よく例として挙げられるのは家計の貯蓄で、個人レベルでは貯蓄を増やすのは好ましく見える一方、社会全体が貯蓄志向で消費を控えると当然ながら不況を呼ぶ(ひいてはそれが家計を直撃)等々。

 より象徴的なのは、従業員の低賃金長時間労働によって支えられるブラック企業でしょうか。こうしたブラック企業は「デフレの雄」として一時は大いに栄えたところですが――こうした企業が伸びれば伸びるほど、日本で働く人の所得は減る、所得が減れば消費も減り、日本社会は衰退へと向かいました。個別の企業は栄えても、社会全体では真逆の方向に進んだわけです。

 そして「会社でキレる人」も然り、マクロ即ち会社全体の生産性を下げる人々ではありますが、反対にミクロ即ち個人の評価の面では、デフレ時代のブラック企業のように有利な要素であるからこそ、決して淘汰されることなく生き延びているのではないでしょうか。皆様の職場にもキレる人はいると思いますが、そういう人の「上からの」評価はいかがですか?

 無礼な人は、周りに強いストレスを与えます。故に組織の生産性を落とすわけですが、加害者本人は居心地の良さを感じていることでしょう。そうなると、無礼な人の周りの人はパフォーマンスを落とす一方で、問題の人は気分よく仕事を進められる――個人として相対的に成果を出しやすいのが、加害者サイドであることは言うまでもありません。

 同じポジション内で誰に高い評価を付けるか、それはしばしば想定的なものになりがちです。同部署で仕事をしている他の社員と比べてどうなのか、これが基準になるのは致し方ないところです。ただ、そうなるほどに「他人の足を引っ張っている人」と「他人に足を引っ張られている人」のどちらが輝いて見えるか、という問題が生まれます。

 協力的な同僚に囲まれたワガママな人は「他人の協力を得られている人」となり、ワガママな同僚に囲まれた協力的な人は「他人の協力を得られていない人」にもなります。えてして横柄に他人を振り回しているだけの人の方が、「上から」見た限りでは職場の中心にいるように見えてしまう、「リーダシップを発揮している」と評価されがちではないでしょうか。

 「会社でキレる人」は業務上の障害です。だからこそ、このキレる人への対処が円滑に仕事を進める上で重要になるわけですが、そこで何をするにしてもキレる人のご機嫌を伺う、みたいな対処が取られると、キレる人が事実上の「キーマン」になります。かくして「会社でキレる人」は組織の生産性を落としつつも、重要人物として扱われ評価を高めていく、という一連の流れが――とりあえず私の職場にはあります。

 「会社でキレる人」の顔色を見ながら、その人に仕事を止められないように進めていくのが我が社の当たり前になっているところもあるのですけれど、たぶん本当にやるべきは、キレる人への配慮ではなく、解雇でしょうね。ただし偉い人はいつだって見ている世界が違います。パワハラや暴力事件の類で告発されるまで、往々にして「手遅れになるまで」、実態には気づかれないのが普通なのです。

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年功序列でないことだけは確かだ

2019-05-19 20:58:33 | 雇用・経済

 さて先日は旧友と今の仕事について話す機会がありまして、それで私の勤務先をネットで検索してみましたところ、ある転職口コミサイトに辿り着いたわけです。せっかくですから現役社員として口コミの一つも投稿してやろうかと思ったところ、「実力主義」か「年功序列」かを問われ、出だしから答えに迷いました。5段階評価で、どっち寄りかを答える必要があるのですが、どうにも答えづらいのです。

 「年功序列でないことだけは確かだ」と、もし自由に記述して良いのなら、そう答えます。ただ私は、今の勤務先に限らず年功序列というものを見たことはありません。子供の頃から、年功序列とは悪いものだと、至る所に書かれているのを目にしてきました。しかるに、諸悪の根源として昔から語り継がれてきた年功序列とやらに遭遇したことは、一度もないのです。

 まぁ、定年手前の人が社内で重んじられているわけでもないのに多少の肩書きを持っているのを見ますと、もしかしたら30年くらい前には年功序列が実在しており、その当時に一定の勤務年数のあった人は、年功によって職位を与えられていたのかも知れない、という推測はできます。ただ、実際に「長年勤めているから」という理由で他人が昇進したのを見たことはありません。

 年功序列が過去に実在したかどうかは歴史家の研究に委ねるとして、とりあえず私の知りうる限りの職場に年功序列は存在しません。何処に行っても、年下の上司、年上の部下、若いというより幼い管理職と年老いた平社員は、普通に存在します。地道に長年、勤め上げていれば昇進できるものではない、逆に至って短いキャリアでも昇格する人は昇格する、そういうものなのでしょう。

 だから「年功序列でない」ことは断言できるのですが、一方で「実力主義」かと言えば、それもまた違う気がするわけです。どう見てもヤバイ人が昇進していたりする、営業として抜きん出た成績を継続している人が昇格の対象から外されていたりもする、ただ騒いでいるだけで出世する人もいれば、実務の主力であるにもかかわらずヒラ社員として留め置かれていたりもしますから。

 「問題社員の特徴は~」みたいな言説は定期的に目にするところですが、私の経験上、問題社員の第一の特徴は「幹部からの評価が高い」ことに尽きますね。「あいつはヤバイ」と相応の権限のある人から危険視されていれば、問題は個人の範疇に収まります。対して幹部からの評価が高いと、止める人がいなくなる、むしろ幹部からの評価によって自信を深め、問題行動をエスカレートさせるものです。

 結局のところ、人を昇進させるかさせないかは、相応の立場にある人が決めます。権限のある人から気に入られていれば昇格しますし、そうでなければ年功を重ねても序列は上がりません。では何を理由に幹部社員は人を評価するのでしょうか。かつて毛沢東は大躍進と称し、雀の駆除や稲を深く密集して植えることを国策として進めました。結果として3,000万人を上回る餓死者が出たとか。しかし、この毛沢東の愚かな政策に反対した人は、どう扱われていたのでしょう。

 往々にして会社の役員層ともなりますと、現場のことは何も分からないものです。それこそ、毛沢東の農業知識と同レベルです。それでもなお、何が正しく誤っているかを決めるのは、権力の座にある人です。人を評価する立場にある人が指し示した方向に忠実であるか、それとも背くのか――これは独裁国家ならずとも何処でも問われる気がします。

 会社の幹部が決めた経営方針に基づき、その計画実現のため情熱的に騒ぎ回る社員もいれば、馬鹿げた妄想には付き合っていられないと実務に専念する人もいるわけです。この中で若くして昇進すれば、いつまでもヒラのままの人も出てくるものですが、読者の皆様のお勤め先は、いかがなものでしょうか。

 経済面で国際的な競争力を高めている国では、もう少し違う基準で人が選ばれているのかも知れません。逆に国際的な経済的地位を低下させている国では、「選ばれて昇進した人」の実力に疑問を抱かれたとしても仕方ないと思います。とりあえず確かなのは、「年功序列」の反対が「実力主義」ではないことですね。年功序列を否定すれば実力のある人が地位を得るかと言えば、それは完全に別の問題ですから。

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目標未達

2019-05-12 21:40:29 | 雇用・経済

仕事の妨げ…味の素「労働7時間に短縮」やめた(読売新聞)

 味の素は、これまで段階的に進めてきた労働時間の短縮をストップする。2020年度の達成を目指していた「所定労働時間7時間」の目標を取り下げた。これ以上、短縮すれば、時間内に仕事を終えることだけにとらわれる社員が出てくるなどの弊害が生じかねないためだ。現在の労働時間7時間15分を続ける。

 味の素の西井孝明社長は、10日の決算記者会見で、「時間ありきの働き方を求める段階は過ぎた。今後はどれだけクリエイティブ(創造的)な仕事に時間を割けるか、実質的なテーマにかえる」と話した。味の素は所定労働時間を、17年度に、それまでの7時間35分から20分短縮させた。勤務時間は1時間の休憩を挟み朝8時15分から午後4時30分までとなっている。

 勤務時間の短縮は、効率的に働くという社員の意識改革につながった。ただ、その一方で勤務時間を気にして、新しいアイデアが浮かびづらくなるなど負の側面も生じてきたという。本社の管理部門に比べて、営業部門は勤務時間を減らすのが難しいなど、働く部署によって差も出た。

 

 さて労働時間の短縮を進めていたはずの味の素が、目標を放棄したそうです。営業であれば目標未達など許されないのが普通の会社ですけれど、どうなのでしょうか。味の素が目標未達を社内的に許容する組織であったなら、まぁ今回の判断もありなのかも知れません。しかし、自社の営業にはパワハラも辞さず目標達成を迫っておきながら、時短の目標は取り下げするとなれば、それは都合のいい話です。

 実際のところ「本社の管理部門に比べて、営業部門は勤務時間を減らすのが難しい」との実態があったそうです。旗を振るだけの「本社の管理部門」は時短目標に到達できても、その管理部門から身勝手な要求を突きつけられる側の営業部門には、色々と難しくなる事情があったのであろうと思われます。根本的には、管理部門と営業部門の仕事の重さの違いも、考えられるべきでしょうね。

 

 ~さぞアフター6を満喫しているかと思いきや、全員が楽しんでいるわけではありませんでした。残業ゼロの環境に適応できない者が現れ始めたのです。超集中して効率的に働かなくてはならない環境に耐えかねて、自分のペースでゆっくり仕事をしたい、残業したいと、今までとは逆の声が出始めました。(『完全残業ゼロのIT企業になったら何が起きたか』米村歩, 上原梓)

 

 まぁ世の中には、長く働きたがる無能も多いわけです。本当に(押しつけられた)業務量が多くて長時間労働している人もいれば、陰口と間食で時間を潰すばかりでロクに働きもしないまま深夜まで会社に居残っている人もいます。味の素なら大丈夫かも知れませんが、基本給が低すぎるので生計のために残業する人だって多いでしょう。勤務時間削減の前に立ちはだかる要因は、実に様々な種類があります。

 そこで時短に反対する人々の声にトップが怯んでしまうと、改革は頓挫してしまうわけです。時間内に効率的に仕事を終わらせようとする人もいれば、無駄なことを続けて時間を引き延ばすことに精神的な満足を覚える人もいる、一度でも後者の声に耳を傾けてしまえば、次に待っているのは後退のみです。味の素の社長が「I shall return」とでも言ったのならともかく、「時間ありきの働き方を求める段階は過ぎた」云々では、望み薄ですね。

 「今後はどれだけクリエイティブな仕事に時間を割けるか」とも味の素の社長は語ったそうですが、この「クリエイティブ」というのも「コミュニケーション」とか「グローバル」みたいに、日本の会社では好まれるけれど実は中身のない言葉のような気がします。ただ、そういう言葉を連発しておけばなんとなく「良いことを言った」感じを演出できるだけで、なんの解決にもなっていない等々。

 実際のところ「クリエイティブ」と持ち上げられているけれども実際はただの「余計なこと」「いらないこと」でしかない代物も多いように思います。とりわけ、本社の管理部門が考えるような類いには、ですね。闇雲に変革さえ訴えておけば活躍していると評価される組織は多いのではないでしょうか。そんな管理部門のクリエイティブな仕事ぶりの結果として業務負担が重くなるばかりの営業部門、というのは私の勤務先の話ですが。

 あるいは、真のイノベーションは必ずしも業務時間中に生まれるものではない、とも言えます。むしろ豊富な余暇の中で、生まれてくるものだって多いでしょう。または真のイノベーションを、大した給料をもらえるわけでもない日本の会社員に期待すべきなのか、とも言えます。給与水準を鑑みれば、そこまで会社に尽くす義理はない、やることだけやって速やかに退社した方が、普通の会社員として得るものと払うものの釣り合いは取れているでしょうから。

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忘れられないといいですね

2019-05-05 21:47:57 | 雇用・経済

自民、最低賃金を一律化 参院選 政策集に明記へ(産経新聞)

 地域間で異なる最低賃金(最賃)について、自民党が夏の参院選で公約とともに取りまとめる政策集に一律化の検討方針を明記する方向で調整していることが3日、分かった。相対的に低い地方の最賃を底上げすることで、人件費が増えても一定の利益を上げられるよう企業に努力を促し、日本全体の生産性向上などにつなげる狙いだ。

 経営への影響が大きい中小企業が、参院選で激戦の予想される地方に多い点にも配慮し、扱いは中長期的な課題にとどめる方針。

 安倍晋三首相は平成27年11月、最賃について、毎年度3%程度引き上げて、将来的に全国平均で千円を目指すと表明し、現在は874円まで達した。ただ、最高の東京都(985円)と最低の鹿児島県(761円)で224円の格差があり、外国人を含めた地方から都市への人材流出の一因となっている。一方で、労働力確保のコストが都市よりも抑えられることから、生産性の低い地方企業を温存することにつながっているとの指摘も出ている。

 自民党は今年2月、最賃の格差解消に向け、有志議員が「最低賃金一元化推進議員連盟」(会長・衛藤征士郎元衆院副議長)を設立。最賃一律化が持論で政権幹部とも親交のあるデービッド・アトキンソン小西美術工芸社社長らと意見交換し、必要な法整備を訴えている。議連では厚生労働省の担当課長が業種別の一律化を主張し菅義偉官房長官が全否定する騒動も起きた。

 ただ、党幹部も一律化の必要性自体は認めており、議連側の要望を受け入れ、選挙公約としての拘束力は弱い政策集「Jファイル」に地方の反発を招かない表現で一律化を盛り込む方向で調整することになった。実現に向けては、最賃の底上げを後押しするよう実効性のある補助金などの仕組みづくりも課題となりそうだ。

 

 さて公約はおろか政策集ともなりますと、自民党以外の党が与党になったときも含めて忘却の彼方に追いやられがちなイメージですが、これはどうなるのでしょうか。曰く「扱いは中長期的な課題にとどめる方針」とのことですから、インフレ目標よろしく掛け声だけで終わる可能性も高そうです。現に菅官房長官の全否定などもあるわけで、「ポスト安倍」が今回の方針を引き継ぐ見込みは乏しいような気もしますし。

 とは言え、最低賃金の一律化自体は好ましい政策です。例えば東京のコンビニ店員と鹿児島のコンビニ店員で能力に大きな違いはないはずですが、しかし賃金には大きな違いがあります。住むところに制約のない人であるならば、必然的に東京へと引き寄せられることでしょう。地方で頑張るよりも、上京する方が得なのですから。

 平成は、東京一極集中の進んだ時代でした。東京に収まりきらない富が地方に波及する時代から、企業や人材が東京へと流出する時代に移行したのが平成と言えます。東京都知事にとっては、くだらない妄言、暴言を連発していても勝手に足下が栄えていく良い時代であったかも知れませんが、日本全国にとっては決して繁栄の時代ではなかったわけです。

 そこで「日本全体の生産性向上」を考える上では、地方の給与水準を上げていくこと、地方で働く人の所得を増やし、地方在住者の購買力を上げていくことも当然ながら、求められるのでしょう。しかるに地方ほど低い賃金が法的に許されているために、マトモな賃金を払えない生産性の低い事業者が延命できてしまうのが現状です。

 平成は、規制緩和の時代でもありました。改革の旗の下、より広い範囲の職種を非正規で、かつ薄給で雇い続けられるようになった時代です。賃金を引き上げたら潰れてしまう、そんな生産性が低く競争力に欠ける企業でも、人件費を抑制することで事業を継続できるようになった時代なのです。そして、日本経済が発展した時代ではありませんでした。

 「経営への影響が大きい中小企業が~」とは、最低賃金引き上げ論議の際に出てくる決まり文句ですが、しかしマトモな賃金を支払えない企業は日本社会の寄生虫でしかないわけです。それは駆除されるべきであり、人権のように守られるべきものではないでしょう。賃金を引き上げたら潰れてしまうのなら、それは既に事業として破綻しているのです。

 そもそも安い人件費を唯一の武器に価格競争を仕掛けてくる事業者が国内に存在することは、他の優良事業者にとってもマイナスです。ちゃんと賃金を引き上げようとしても、(人件費を抑制することで)安売り攻勢を仕掛けてくる競合他社がいては、それへの対抗策も必要となってしまいます。悪貨は良貨を駆逐するものですから。

 従業員を安く長く働かせることでしか事業を継続できない、そんなゾンビ企業に対して毅然とした態度を取ること、それが国民にとって有益な政治家の在り方と言えます。しかし、とかく経営者目線の日本社会では、企業の保護ばかりが優先されがちです。そして与党に限らず野党もまた同様で、「弱い」企業を守ろうとして結果的にはゾンビ企業の延命に協力している等々。

 引用元では「実効性のある補助金などの仕組みづくり」と書かれていますが、この「補助金」とは、やはり企業――それも「マトモな賃金を払ったら潰れてしまう生産性の低い企業」――が対象となるのでしょうか。それ即ち企業への福祉を続けてしまっては、問題企業の延命にこそ繋がっても、地方の自立的な発展に繋がることは永遠にないと言わざるを得ません。

 やるべきとすれば、ゾンビ企業の駆除あるのみです。最低賃金を都市部と同水準に引き上げる、それで破綻する事業者には、速やかに市場から退場してもらう必要があります。これで失業者が出るのであれば、その時こそ補助金の出番であり、同様に地域サービスが不足するようになれば、これもまた補助金の出番でしょう。

 民間で(賃金を最低水準まで引き下げない限り)採算が取れないような事業こそ、「官」がやらなければいけないことであり、そこで適切な雇用を生むべきことでもあります。正しい道へ進むためには、まず誤った道を引き返さなければいけません。「官から民」の時代の過ちを修正するためには「民から官」への動きもまた考えられるべきであり、それはゾンビ企業延命のための福祉よりも、間違いなく有意義なことです。

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