goo blog サービス終了のお知らせ 

非国民通信

ノーモア・コイズミ

皆様の職場はどうでしょうか

2020-04-12 21:54:06 | 雇用・経済

 残念なことに新型コロナウィルスの感染拡大は止まらず、とうとう非常事態宣言が出るに至りました。「自分から手を挙げた人だけがテレワーク」だった私の勤め先も、感染拡大ではなく政府方針を受けて漸く、「上長から出社許可を得た人以外はテレワーク」へと方針が変わりました(一部の部門は旅券やホテルのキャンセルに大童……)。これが我が社の働き方改革に繋がるかどうかは目下のところ不明です。

 自宅にネットワーク環境のない社員が多いことや、会社のサーバーがリモートアクセスの増大に絶えられずに動作停止するなどインフラ面の課題が次々と浮かび上がる反面、別に職場へ出なくてもできることは少なくないこともまた、明らかになりつつあります。感染拡大が収まった後にリモートワークを続けられるかで、会社の姿勢が問われるでしょうか。

 なお4月からの人事異動で全国の社員を西から東へ北から南へと動かしまくったので、無症状感染者の一人や二人は東京から地方に送り込んでいるような気がします。かくいう私も組織変更への対応で残業続き、毎年のシャッフル人事こそ不要不急に当たるのではないかと首をかしげないでもありません。

 人事異動によって4月からは慣れない仕事、全くのゼロからのスタートとなる仕事を担当する人も多いわけです。自分の判断で物事を進められるならテレワークの対応範囲も拡がりますが、何事も初めてやる業務ばかり、何事も周囲に聞かざるを得ない異動者にとっては敷居が高いことでしょう。テレワーク導入の障害の一つは、何でもかんでも「変える」ことが大好きで組織をいじくり回す経営陣とも言えそうです。

 政府や自治体は繰り返し休業補償を否定しているところ、感染拡大を一日でも早く食い止めることが最大の経済対策と考えられるだけに、一部の事業者には「金を払ってでも休業してもらう」のも選択肢のはずですが、どうにも政治家には謎の信念があるようです。政治家は利益よりも理想で動くもの、今回もその路線なのかも知れません。

 そして利益よりも理想を追いがちなのは企業経営者も同じで、しばしば合理化よりも「(その人なりの)あるべき姿」を追求しがちです。今は政府の要請もあって出社人員を最低限に抑えているような会社も、事態が収束した先は「元通り」の仕事に戻ってしまうかも知れません。危機を契機に合理化を進める企業もあれば、何も変わらず無駄な文化を復活させる会社もある、本当に意味のある改革を志向しているのか、それとも単に「いじり回す」だけなのか、経営陣の姿勢が窺えるところです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

せめて転機となって欲しい

2020-03-15 22:09:50 | 雇用・経済

 金融は所詮ゼロサムゲームなのだ、と語る人もいます。多くの人が儲かっているように見えても、その裏では損をしている人もいるのだ、と。ならば金融市場の混乱で誰もが大損しているように見える局面では、その裏で儲かっている人もいる、ということなのでしょうか。ならば総合的にはリスクのない世界なのかも知れません。

 株式市場の動向についても、似たようなことを言う人は多々います。株価が上昇しても何の意味もない、国民には何の利益ももたらさないと、そう説いてきた人も少なくありません。ならば昨今、消費税増税からコロナウィルス蔓延の十字砲火で株価も急落しつつあるわけですが、株価の上昇に何の意味もないのなら、同様に下落にも意味はないと考えられます。株価の上昇が何の恩恵ももたらさないのなら、下落もまた同様のはずですから。

 第二次安倍政権の発足直後は、4つの車輪の内2つは駆動していると呼べる状況でした。金融緩和と、財政出動の2輪で久々に日本経済が前に動き出したかに見えたのですが――消費税増税という逆回転と財政出動の実質的なストップで景気回復は再び遠ざかり、今は金融政策という車輪を一つだけ回している状態と言えます。

 完全に逆走だった橋本龍太郎や小泉純一郎時代、狂ったような円高にも断固として静観を貫いた民主党政権時時代に比べればまだしもマシな気がしないでもありません。とは言え、そろそろタイヤを一つだけ回していても同じ場所をグルグル巡るのが関の山と流石に気づいて欲しい気もします。

 ただ金融政策というタイヤを一つだけ回していても効果は期待できないのですが、勢い余って金融緩和そのものまで否定する人の主張には首をかしげるところです。金融政策「だけ」しか十分に行っていないのが問題であって、それを止めれば何かが改善するということもありませんし、逆に金融政策を抜いて財政出動「だけ」にしても効果は期待できないですから。

 さて災い転じてなんとやら、コロナウィルス対策でテレワーク導入が進めば良いなと以前に書きましたが、会社はさておき私の配属されている部署には何の変化もない様子です。ただ少しだけ通勤ラッシュが緩和されたぐらいでしょうか。満員電車が感染拡大の温床となることなど今さら言うまでもなく、この辺の問題に意識が向けられて欲しいところですが、本気で取り組む人(部署/会社)もあれば、我関せずという人もいる、どうしたものでしょう。

 とりあえず私の周りには、何かと理由を付けて「出社すべき」「9時から会社にいるべき」と主張する人が専らです。事業部全体でテレワークに取り組み出社する人を半分以下に抑えている部署もあれば、一切変わることなく通常勤務を続ける部署もある、同じ会社でも配属次第で対応が全く異なっているのはどうかと私は疑問に思っていますが、皆様の職場はいかがですか?

 本当に理由があってテレワークを「できない」人もいれば、何かと口実を並べてテレワークを「しない」人もいる、世間的にも課題は浮かび上がっているところです。コロナウィルスの問題がなくとも首都圏の通勤事情は限界を迎えて久しく非効率きわまりないものとなっていただけに、今回の経験を糧に日本社会の働き方が見直されればと思わないでもありません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは解決にならない

2020-02-23 23:11:05 | 雇用・経済

「給料が高くて社員が辞めない中堅企業」169社(東洋経済)

大手企業ばかり考えている就活生は、志望業界の中堅、中小企業にも目を向けてほしい。今回、『就職四季報2021年版』(優良・中堅企業版)から、従業員数が1000人未満の中堅企業を対象に、平均年収700万円以上、かつ新卒3年後定着率80%超の企業を抽出。「平均年収が高く離職者が少ない中堅企業」として紹介したい。

(中略)

ランキングに掲載した会社の新卒採用数は少なく、2016年の同平均は11.8人だった。採用が1人の会社も4社ある。新卒採用や入社後の教育は、一般的に負担のかかるもので定着率も大手企業に比べて低い。その中で、3年後定着率が高い会社は、働きやすい職場環境を整備するとともに、人材育成を行っているものと推察される。

ランキングに掲載した会社のうち、上場していない会社は73社あり、未上場企業でも定着率の高い会社はある。大手企業ばかりにエントリーするのではなく、中堅企業まで視野を広げ、キラリと光る会社を見つけてほしい。

 

 こちらは「就職四季報」なる情報誌の編集長が書いたという記事ですが、いかがでしょうか。曰く「就活生は~中堅、中小企業にも目を向けてほしい」とのこと、就活業界では決まり文句の一つですけれど、それが就活生の役に立つかどうか疑問に感じないでもありません。中小企業に人を押し込みたい人の立場からはともかく、実際に働く人にとっては……

 そもそも引用元で挙げられている「中堅、中小企業」は規模こそ大企業でないかも知れませんが、中途採用を目指すような人にとっては完全に高嶺の花、というレベルです。名前が出ているのは例外的な優良企業揃いで、この辺のクラスの企業を看板に掲げて「中堅、中小企業にも目を向けて」と説くのは、それこそ典型的な羊頭狗肉と言えますし。

 根本的な問題は、こうした「中小でも優良」な会社は引用元でも認められているとおり、「採用数が少ない」ことです。「大手企業は狭き門、狙いは好条件の中小・中堅」と、訳知り顔で語る就活評論家は枚挙にいとまがありませんけれど、では中小に目を転じればどうなのか、少なくとも「中小でも優良」な企業に限れば、それもまた大企業同様の狭き門です。

 当たり前のことですが、離職率の低い会社とは、人員補充の必要性に迫られることがない会社でもあります。逆に離職率の高い会社であれば必然的に、継続的な人員補充を必要とします。単純に企業規模が大きければ、相応に人員補充=採用の機会も大きいことでしょう。しかし企業規模が小さいにも関わらず採用数が多いとしたら、そこには何があるのでしょうか?

 3年後定着率が高い――要するに辞める人が少ない会社であれば、代わりの人を新たに採用する必要はありません。それは企業規模に関わらず優良企業の条件の一つと言えますが、やはり企業規模に限らず「狭き門」へ繋がるわけです。反対に辞める人が多ければ、その分だけ代わりの人員募集も多い、「採用意欲が高い」会社となりますけれど、そういう会社を勧める人がいるならば、ちょっと警戒した方がいいと思いますね。

 前にも書きましたけれど、ウチの会社の親会社は新卒一括採用ですが、私の勤める子会社の方は通年・中途採用です。親会社の方は離職率が低いので4月の一斉入社でも困らない一方、子会社は離職率が高いので、年間を通して人員補充を行っています。そして親会社は教育体制も整っているので新卒を一から育成していますが、子会社の方は経験者採用が専らです。

 当然ながら親会社の方が「狭き門」であり、子会社の方は私のような氷河期世代のあぶれ組でも中途では入れたりするわけです。じゃぁ、子会社の方が狙い目かと言えば、そうでないことは誰にでも分かることでしょう。入社難易度の差は、会社の質の差でもあります。中堅・中小に目を向ければ解決するような問題は何一つありません。

 優良でもマイナーな会社や小規模な会社なら簡単に就職できるというのであれば、話は簡単です。そういう会社を探すのも学生にとっては一苦労かも知れませんが、結局のところ優良な会社とは離職率の低い会社であり、離職率の低い会社である以上は採用数も少なくなる、企業の規模が小さいほどかえって「狭き門」となるわけです。中小に目を向けることでは、何も解決しません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毅然と退けるべき意見

2020-02-16 21:44:14 | 雇用・経済

「残業好き」の人たちにとって働き方改革とは何なのか?(Yahoo!ニュース)

現場に入ってコンサルティングをしていると、定時後になった途端に生き生きしてくる連中を見る。「定時を過ぎた。10分でも20分でも早く仕事を終わらせて帰りたい」と焦って仕事をするのもいるが、「夕方6時を過ぎたので、そろそろエンジンかけるか」的な感じで、腕まくりをする者もいる。

「残業好き」な人の味方をするわけではないが、よく考えると不思議な話である。

働き方の多様化、柔軟化を進める時代なのだから、定時後、人気(ひとけ)がなくなったオフィスで、気楽に仕事をするのが好き。

休日に、ほとんど誰もいないオフィスに昼から出社し、コンビニで買ったコーヒーとチョコレートを口にしながら、ダラダラと作業をするのが、意外と嫌いじゃないんだよな。

――こういった感覚を、本当に否定していいものか、と思ったりする。他人に強要するのはよくないが、そういう働き方の「嗜好」なのだと言われたら、どう反論すればいいのだろうか。

 

 世の中には介護福祉関係など「必要とされているけれども薄給」というポジションがありますが、反対に「世の中には必要ないけれど高給取り」の職業もありまして、例えば新聞の論説委員やコンサルタントが該当するわけです。そんな害悪の化身であるコンサルタントに言わせれば、残業削減も上記のような扱いになることが分かります。

 振り返れば非正規社員の待遇改善を巡っても、似たような論調は少なからずありました。正規雇用を望む人ばかりではなく、永遠に非正規のまま働き続けたい人も多いのだと、そう説く人もいたものです。勿論やむなく非正規で働く人もいれば、あくまで家計の担い手は亭主で自身は補助的に働くだけ、という人も多いですから、その説も嘘ではないのでしょう。

 もっとも、自らが家計の担い手になっている非正規労働者の収入を安定させることと、あくまで家計の担い手たる亭主の補助として働くだけの非正規労働者を非正規のまま働かせることとでは、重みも緊急性も全く別次元です。家計の補助として働く人の失業は深刻ではありませんが、前者は違うわけで、どちらを優先すべきかは議論を待つまでもないと言えます。

 そして今回の残業を巡る話も然り、確かに残業好きは少なくありません。私の勤務先でも、定時(あるいは昼休み)のチャイムが鳴ってから仕事を始める人も多いです。時間外の仕事への取り組み姿勢を評価されて昇進を重ねた人もまた少なくないのですが、ただそうした人々が会社に何をもたらしているかを思うと、首を捻らざるを得なかったりします。

 

 ~さぞアフター6を満喫しているかと思いきや、全員が楽しんでいるわけではありませんでした。残業ゼロの環境に適応できない者が現れ始めたのです。超集中して効率的に働かなくてはならない環境に耐えかねて、自分のペースでゆっくり仕事をしたい、残業したいと、今までとは逆の声が出始めました。(『完全残業ゼロのIT企業になったら何が起きたか』米村歩, 上原梓)

 

 上記は残業ゼロを達成したという会社の社長の話ですが、必ずしも残業がなくなったことを喜ぶ人ばかりではなかったことが伝えられています。世の中、そういうものなのでしょう。SM好きもいれば、生レバーやアンモニア臭のキツイ食品が好きな人もいる、人の好みはそれぞれです。ただし、そんな人の好みを何もかも認めていくことが多様性かと言えば、これは別の話です。

 職場の昼休みに、くさややホンオフェ、シュールストレミングを食べる人がいたとして、そういう食べ物の「嗜好」なのだと言われたら、どう反論すればいいのでしょうか? あまり考えるまでもないように思います。そして「残業好き」も同じような物だと言えます。何かを認めることが多様化、柔軟化を進めることではないのです。

 定時までに仕事を終わらせるという意識を持たず、残業を前提にダラダラ仕事をする人を認めるべきでない理由は、それがコンサル同様の害悪だからです。時間を意識しない行動で周囲の足を引っ張る人、時間外の残業で評価を得て昇進する人、そういう人の存在は必然的に、「残業しなければ」ならない空気を組織内に生み出します。

 チームで仕事をする以上、なんとかして時間内に終わらせようと頑張る人がいても、残業して対処するからとノンビリ構えている人がいれば、結局は業務が滞ってしまいます。あるいはいつも遅くまで会社に残る人がいれば、定時で帰ろうとする人が逆に「なぜ同僚が仕事を終えていないのに手伝おうとしないのか?」と問われる等々、仕事を時間内に終えた人が評価を下げられることだってあるわけです。

 不寛容に寛容な社会では、寛容な人々は不寛容な人々によって強い制約を受けることになります。ヘイトスピーチやレイシズムを多様性の旗によって許容すれば、当然ながらそれによって抑圧される人々が生まれるわけです。残業好きも、同じようなものではないでしょうか。残業好きの自由を認めれば、定時までに仕事を終わらせて帰りたい人には足枷がはめられることになります。

 唯一、許される残業好きがあるとすれば、それは低すぎる賃金を補うための生活残業だけですね。これは当然ながら、「残業したい」という要望を認めることではなく、残業無しで生活設計が成り立つよう賃金を国際水準まで上げることによって解決されるべき問題です。逆に十分な給与を与えられているにもかかわらず残業したがる人がいるのなら、それは愚行権の範囲に制限されるべきものと言えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

研修と目的

2020-02-02 22:30:14 | 雇用・経済

ナメた態度で「社員研修」に臨んだ社員の末路 人事にマイナス評価を下される可能性も(東洋経済)

しかし、人事の立場から助言させていただくと、たとえ意味がないと思った研修であっても、誠実な態度で、真摯に受講すべきです。

なぜなら、研修における態度も、「評価」の対象になっているからです。

高い業績をあげているのに、評価が上がらない。給与が上がらない。昇進できない。

こうした不満や悩みを持っている人は、自分では気がついていない意外な盲点があるものです。その代表的な盲点の1つが、「社員研修における態度」です。

 

 皆様、会社の「研修」を受けたことはありますでしょうか。世の中には社員教育などとは無縁の中小零細企業も少なくありませんが、企業規模に見合わぬレベルで「教育」に力を入れている会社も多いように思います。もっとも、その研修の中身、教育の内容はどれほどのものかは別問題だったりしますけれど。

 「研修」を受けたことのある人は多いと考えられる一方、研修の中身が実務に関わることであったという経験を持っている人は、相当に少ないような気がします。勿論ポジションによって機会は異なりますが、とりあえず私が渡り歩いてきた諸々の会社では、いかに研修機会は多くとも実務に関わることは全く教えないのが一般的でした。

 ある意味で単一の組織として日本最大の研修機関は、自衛隊とすら言えるのが実態です。コンサルタントと称する占い師グループに委託されることもあれば、自衛隊に体験入隊させる会社もある、無人島で生活させたり、山中を行軍させて穴を掘らせたり、社訓を制限時間付きで暗唱させたり、それが日本企業における研修ですが、どうしたものでしょうね。

 当然ながらマトモな頭脳の持ち主からは「時間の無駄」と目されがちなのが会社の研修だったりしますけれど、そうした振る舞いは「人事にマイナス評価を下される可能性も」あると、東洋経済誌は警鐘を鳴らすわけです。まぁ、確かにそういうものなのかも知れません。私自身の経験としても、「この研修も評価の対象です」と明言されて来ました。実態として、この引用元の伝えるところは外れていないでしょう。

 日本を代表するブラック企業として名高いワタミも研修には熱心で、月1で早朝研修会などが開かれていたと聞きます。その他には創業者の著書やビデオレターを読んでの感想文提出が定期的に求められることなどでも話題を呼びました。渡邉美樹の説法を聞いても得るものはないですし、それで会社の売上が伸びることはありませんけれど、しかし人事評価との関係はいかがでしょうか。

 もし利益だけを追うならば、ワタミのような経営はあり得ないわけです。会社の収益を増やす上では、明らかに無駄なことばかりをやっています。しかし、「理想」を追うという視点で見れば、理に適っていると言えるでしょう。経営者の理想を追求するという意味では、ワタミの社員教育もまた目標に向かう一歩として間違っていない方法です。

 ワタミに限らずとも似たようなもので、それが会社の利益に繋がるかはさておき、会社の偉い人から見た理想に繋げるならば、それは有意義と見なされると言えます。会社の偉い人が考える「あるべき姿」に社員を近づける、このためにはコストを掛けて研修する価値があり、ひいては研修への参加姿勢が人事評価に繋がるのも当然なのだ、と。

 「成果」とは曖昧なものです。営業ならば売上の数値はあるかも知れませんが、数値化できない職種の人も少なからず存在します。では成果主義が称揚される時代の「成果」とは何なのでしょうか。一つには、会社の偉い人を「喜ばせる」ことが成果なのかも知れません。会社の偉い人が好む人間像を作り上げるための研修があり、その講師の言葉を真に受けて「良い子」になろうとする、そうした姿勢もまた成果であり、評価に結びつくものである、と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場からはどうすることもできなくて

2020-01-13 00:25:37 | 雇用・経済

 青菜は男に見せるな――これは私が会社で働く上での座右の銘です。茹でる前の青菜は嵩張って大きく見えるが、茹でると嵩が減ってしまう、この事を知らぬ男には、無用の疑問を抱かれてしまうため、茹でる前の青菜は見せない方が良い、そういう意味のことわざですね。青菜も仕事も同じ、男も会社の偉い人も同じですから、今なお現代に通用する言葉だと思います。

 もう一つ、大事にしている格言があるとすれば「見切り千両」辺りでしょうか。早期に手放すことで損失を最小限に抑えることの価値を説く言葉ですけれど、残念ながらこちらの方は、自分自身で実践する機会に恵まれません。私の判断で損切りすることができたならば、ずっと良い結果に至ったであろうと確信する場面は数え切れないほどあるのですが……

 少なからぬ職場では、ダメ出しや撤退の判断が、上位役職者の専権事項とはなっていないでしょうか。「下」あるいは「実務者」「現場」からの提言が上長や役員に一蹴される一方で、「上」からの馬鹿げた提案を「不可能です」「全く現実的ではありません」と断ることは許されない、それが組織の当たり前として受け入れられているところもあるように思います。

 何故「上」の言っていることが実現不可能であるか、これを実務者がいかに詳細に説明したところで、多くは受け入れられません。だいたいの場合は「それをなんとかするのが仕事だろうが」「できない理由を言うな」で済んでしまうわけです。だから結局は決定権を持たない側が折れ、「できます」「やります」と回答して終わります。結果は知りません。

 ダメ出しが上位役職者の専権事項になっている限り、例えば組織の偉い人が「アメリカと開戦する」と決めれば、それはもう実行されるしかなくなってしまいます。「下」から何を言っても意味はなく、いかにしてアメリカに勝つかを考える他ない、「やります」「できます」と言うだけが選択肢となる――まぁ昔も今も根本的な違いはないのでしょう。

 相手よりも強い立場にあるならば、根気よくダメ出しを続けていくことで、都合の良い報告を引き出すことは可能です。実態通りの絶望的な報告にも、粘り強く「なぜできないんだ」と結果が出ない理由を一つ一つ否定していくことで、最終的には「できます」という回答を引き出す、そういうのに長けた人も多いことでしょう。ただ、それで評価を高めることは可能でも、組織に利をもたらせるかは全く別問題ですが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

労組を見たことはありますか?

2019-12-29 22:01:53 | 雇用・経済

労組の組織率、過去最低の16%台に パート推定組織率8.1%で変わらず(毎日新聞)

 労働組合の組織率が今年の推計で16.7%になり、9年連続で過去最低を更新した。厚生労働省が19日公表した労働組合基礎調査で明らかにされた。全国組織である連合は結成30年を迎えたが、労組の縮小が進む。

 組織率は全労働者に対する労働組合員の割合を示す数字で、2012年調査から17%台だったが、今年6月末現在の状況を全労組に聞いたところ、前年より0.3ポイント下がり、初めて16%に落ち込んだ。

 

 さて表題の通り労組の組織率が過去最低を記録したそうですが、残念でもないし当然と言ったところでしょうか。まぁ、日本の企業内労組はユニオン・ショップ制を基本としていますから、組織率=労組の存在する会社の割合みたいなものです。そうすると、8割超の人は組合のない会社に勤めている、組合なんて見たことがない方が普通と考えられます。ならば、この組織率の低さを評価する材料を持っていない人も多いのかも知れません。

 現代日本において、組合は存在しない方が普通です。組合とはどんなものか、現物に接したことがない人の方が圧倒的に多いと言えます。だから組合の実態よりも、経済誌やネット言論に書かれるような偏見まみれの組合イメージで物事が判断されがちなところもあるのではないでしょうか。なにせ下手をすれば組合員より外国人と接する機会の方が多そうなのが現代ですから。

 もっとも、労組のない企業において労使協定を結ぶ立場にある「(労働者の)過半数代表者」に比べれば、まだ実在が確認できる分だけマシな気はします。私自身が渡り歩いてきた勤め先もまた組合が存在しない方が一般的で、そうした会社に正社員として雇用されていたこともありますが、この「過半数代表者」というものを見たことは一度もありません。きっと、法律の条文にのみ存在する幻獣みたいなものなのでしょう。

 それはさておき、組合など存在しない会社の方が普通です。だいたいの人は、組合のない会社で働いています。組合とはどんなものか、直に接する機会がないまま生涯を終える人が多数派なのです。組合の組織率が高くあるべきか低くあるべきか――それを考えようにも、実物を見ることができない珍獣が相手では、難しいところもあるのではないでしょうか。

 ただ一口に組合と言っても、だいたい3種類くらいに分けられるように思います。特定企業に属さず個人加入を中心とする例外的な組合、企業との対決を辞さず「連合」から排除された少数派組合、民主党の支持母体として労使協調の理想を追う御用組合、最大勢力は3つめの連合であるわけですが、この連合にしてもあくまで組織率16%の中の最大勢力に過ぎない、と。

 意図して少数派あるいは例外的な組合へ加入しようとしない限り、遭遇する可能性が圧倒的に高いのは御用組合の連合です。私も今はそんな企業内労組に加入しているのですが、組合員として過ごして感じたのは、組合と町内会、あるいはPTAって似ているな、というものだったりします。まぁ私自身はPTAに加入したことはないので、そこは人づてに聞いた話を含めてですけれど。

 自分の勤務先の多数派労組の特徴として挙げられるのは、「事実上の強制加入」「会費が結構高い」「よく分からない組合費の使途」「一部で盛り上がっているだけのレクリエーション活動には熱心」「(民主党候補への)寄付金集めには熱心」「いつも役員の押し付け合いが起こる」「未加入者への嫌がらせに熱心な人がいる」「人事部から組合幹部へ定期的に『寸志』が渡されている」等々でしょうか。この辺、町内会やPTAでも似たようなものがあると思うわけです。

 町内会やPTAもそうであるように、企業内労組もまた本来の目的を忘れ、一部の人が張り切っては周りを振り回すだけの厄介者になっている印象は拭えないところです。企業内労組が存在すれば同業他社より給与水準が高いかと言えば、そんなことはありませんし、企業内労組があってもパワハラや退職強要はなくならない、企業内労組の存在意義ってなんなのでしょうね?

 今の勤務先は、転職エージェントの人から「組合の強い会社(の子会社)」として紹介されました。ただ、この「強い」とはどうやら、経営側に対して「強い」という意味ではないようです。何に対して「強い」かと言えば従業員に対して強い、人事部を後ろ盾に各部署にヤミ専従の組合役員が闊歩する姿は間違いなく「強い」組合ですが、じゃぁ従業員の不利益となる決定を会社が下したときに戦ってくれるかと言えば、労働者側の代表として合意するだけだったりします。こういうのを見ると、少なくとも多数派労組に関しては既に歴史的使命を終えているのだな、と感じるばかりですね。労組の組織率もさることながら、労組の世界の政権交代もまた意識されるべきだと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜祝日くらいは休ませろ

2019-12-15 22:06:34 | 雇用・経済

 さてコンビニ業界でもようやく、元日を休業とする動きが出てきたことが伝えられています。正月前後に色々なモノが壊れ急遽買い出しが必要になった経験はないでもありませんが、とはいえ元日の休業くらいは許容されてしかるべきでしょう。(実質的なものも含めて)従業員を支配することを重視する日本的経営の観点からすれば苦々しいことかも知れませんけれど、負担ばかり重く収益は小さい元日営業に合理性は乏しいですし。

 なお元日に限らず、もう少し休ませた方が良いのではないか、と思われる類は他にもあります。例えば、建設業ですね。とりわけビル等ではなく個人宅を建てるタイプの「職人」には、もうちょっと休日を与えるべきではないかと強く主張したいです。

 どうにも、そういう星の下に生まれついているのか私の住む周囲では工事が多いです。東西南北どこかで古い家が取り壊されては新しい家が建てられ、そこに若い夫婦が引っ越してきては夫の方が転勤になる――何はともあれ自分の住居の隣で家が建つまでを数限りなく眺めてきました。そして気づいたのは、家を建てる仕事は、決して土曜日を休みにしないことです……

 先月は勤労感謝の日という祝日が、土曜日にありました。現代では国家神道を由来としない祝日は専ら月曜日に移されていますが、新嘗祭の日は月曜日に移されることなく、今年は土曜日に重なったわけです。これほどの神聖な祝日にも関わらず、私の住居の隣で家を建てる人々が休むことはありませんでした。どうにも業界の掟で、土曜日は絶対に休まないようです。祝日である以前に、結構な雨でもあったのですが。

 江戸の職人は、やれ暑いから、やれ天気が悪いからと、ことある毎に仕事を休んだと伝えられます。それに比べて平成や令和の職人は、休むことを知りません。土曜日でも、祝日でも、荒天でも、建設現場は大賑わいです。しかも年内の引き渡しに向けたラストスパートなのか、今週は日曜日も威勢良く作業を続けています。なんとも、ご苦労なことですね。

 そして巷の会社は9時からの始業が多数派でもあるわけですが、家を建てる人々の朝は早いです。だいたい8時くらいからが多いですけれど、もう少し早くに現場に来て作業を始めるやる気に満ちた職人も多い、最近はやはり年内の引き渡しに向けた追い込みなのか、7時頃からバリバリ、ガンガンと作業を始める日すら増えてきました。そんな朝の早い時間から、何ともご苦労なことです。

 隣で家が建つのを眺める人生を送ってきた私としては、土日くらいは休ませて欲しいと思います。年内の引き渡しができなくても、別に構わないですよね? 週休2日にはほど遠い職場も多いですけれど、土曜と日曜はちゃんと休めるようにすべき、最低限、祝日ならば休めるようにすべきでしょう。それから、現場への出勤時間は9時くらいにしてやって欲しいところです。さらに加えて言うならば、私が体調を崩して寝込んでいるときは、平日でも休ませて欲しいと切に願います……

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本の縮図かどうかは分かりませんが

2019-12-01 21:43:02 | 雇用・経済

 私の勤務先ですが、営業社員の約3割が東京本社に勤務しています。そして残りの7割が、全国の地方拠点に勤務しています。一方で売上については東京エリアの伸びが突出しており、2019年度の上半期は東京の営業だけで全社の受注の70%に到達しました。東京の3割の営業が7割を稼ぎ出し、地方の7割の営業が3割を販売する――皆様のお勤め先はいかがでしょうか。

 もっとも私が入社した頃は、ここまでではありませんでした。東京本社に勤務する営業社員は2割程度で、その全社に占める売上比率も4割に届くかどうかという水準だったのです。そして当時から会社全体の人員はあまり増えていないのですけれど、東京に勤める営業社員の受注が伸びていくのに従って、全社の売上も順調に伸びているようです。

 人を増やさず業績を伸ばしているのですから、まぁ上手く行っているように見えるのかも知れません。ただし、地方の拠点は閉鎖が相次ぎ、地方拠点の営業社員一人当りの売上は伸びていなかったりします。ひたすら、東京の営業だけが会社を引っ張っている状態です。そうした面では一概に、上手く行っているとは言いがたいところもあります。

 東京本社に君臨する営業部門のトップは、東京エリアの傑出した伸びを「自分の指導の結果」と信じ、「東京のやり方を地方に展開する」と称して東京勤務の営業社員を次々と地方に転勤させています。しかし、東京で顕著な売上を達成したはずの営業社員が地方に行くと、会社の思惑とは裏腹に営業成績を大きく落としてしまうのが常だったりするわけです。

 そうして地方に移って数値を落とした営業の姿を見て、我らが部門長は肩をすくめて語ります――「○○はもう一度、こっちで指導してやらなきゃダメだな」と。実際のところ、地方で成績を悪化させた営業社員が東京に戻って再び大きな受注を取ってくることは珍しくありません。やはり部門長の直々の指導あってこそ、と会社では考えられているのですが、どうしたものでしょう。

 東京の営業ばかりが傑出した成果を上げ、地方の営業は低迷している、東京の営業を地方に送っても成果は乏しく、地方の営業を東京に連れてくると劇的に数値を伸ばす、この原因を会社では(東京の)トップ層による指導機会の差に求めています。ただ私には、東京本社の偉い人との接点ではなく、顧客層の違いにこそ原因があるように感じられるところです。

 比較的少額の商材を主力としていた過去の時代は、東京と地方の営業で極端な受注額の差はありませんでした。なぜなら手頃な価格の商材であれば「地方にしか拠点のない中小零細企業」も十分な顧客となっていましたし、「大企業の地方拠点が持っている決裁権の範囲」でも取引がまとまったわけです。これなら、地方と東京で大きな差は付きません。

 ところが会社の売上目標が引き上げられ、取り扱う商材も高額なものが増えるにつれ、「東京だけが伸びる」傾向は顕著となりました。「地方にしか拠点のない中小零細企業」にとって私の勤務先が重点商材と位置づけるサービスは完全にオーバースペックでしかなく、「大企業の地方拠点が持っている決裁権の範囲」では契約が難しい金額でもあったことから、地方の営業には重荷にしかならなかったのです。

 一方で「全国各地に拠点を持つ大企業の東京本社」を相手に営業をかけられる東京本社の営業社員にとって、商材の大型化は売上増大の絶好機でした。より規模の大きい顧客にアタックできるだけではなく、顧客企業の本社と契約できれば、当然ながら顧客企業の地方拠点の契約も同時に付いてくるわけです。これで東京エリアの営業の売上は倍増、しかし地方の営業は伸びが見られず……

 私の勤務先の例は、少し極端かも知れません。しかるに通信技術が発達し、情報化社会が進む中で、経済活動における地理的要素の重要性はむしろ高まり続けているのではないでしょうか。敢えて地方に進出するのは人件費の安さを当て込んだコールセンターみたいな代物くらいで、より成長性の高い産業ほどテナント料も人件費も高く付く東京に社屋を構えるものです。

 ただ現代の会社経営において東京に拠点を置くことが重要である反面、日本社会全体からすると東京への一極集中は既に限界を迎えています。上述の通り、通信技術の発達と情報化の進展は、この問題の解決とはなっていません。全国どこでも同じように仕事ができるようになるどころか、「東京にいないと」できないことの方が増えているわけです。

 この辺の解決方法に簡単なものはないのかも知れません。しかし最低限、現状に自覚的である必要はあろうと思います。東京の営業ばかりが大口受注を獲得し、地方の営業が売上を低迷させる姿を前に、「あいつ(地方の営業)は、やっぱり俺が直接指導してやらないとダメだな」みたいに語る会社の偉い人の姿を見ていると、頭が痛くなってきますね。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あなたは人事を信じますか?

2019-11-17 21:54:54 | 雇用・経済

 さて世の中には体罰容認の声も根強いものですが、こうした人々に共通しているのは何よりも「ナイーブさ」でしょうか。体罰が解禁されれば、自分たちが「悪」と感じている相手を、教員が体罰を以て制裁してくれると、そう無邪気に信じているわけです。もっとも私は、体罰容認論者のように教員を信じることはできません。体罰の禁止がなくなったところで、教師の暴力が向かう先は、本当に「力」で制圧する他ない人々ではなく、単に教員が嫌っている相手の方でしょう。

 同様に解雇待望論みたいなものもあるわけです。雇用維持が全ての悪である、会社のほしいままに従業員を解雇できるようになれば全てが良くなると、そう説いて恥じない人もいます。こうした類への賛同者も少なくありませんが――そこに共通しているのもまた、体罰容認論と同様の「ナイーブさ」だと言えます。

 ようするに解雇規制(そんなものが実在するかは疑わしいですが)さえ撤廃されれば、会社のお荷物になっている人がクビになり、懸命に働いている自分たちに利益が回ってくると、そう無邪気に信じているわけです。いずれもシンプルな勧善懲悪の世界に生きている人々の思考と言いますか、そんな風に世の中が単純であったらいいですね、としか言い様がありません。

 体罰を待望している人々が「殴って欲しい人」と、教師が「殴ってやりたい奴」が一致する可能性は、極めて低いことでしょう。もし「自分と○○先生は一心同体、○○先生なら必ず△△を罰してくれる」と確信できるのなら、体罰を求める心情も分かります。しかし、そんなに学校教師って、信用できるのでしょうか? そして同様に会社の役員や人事を、あなたは信じられますか?

 もし「働かないおじさん」が会社の要職にいて、働いているはずの「自分」が冷遇されているのなら、それは会社の人事評価基準に照らして、「あなた」の方が働いていないから、と言うことに他なりません。自分の目から見て「働いていない」人が、会社の目から見て「働いていない」とは限らない、むしろ真逆であることすら珍しくないわけです。そして会社がほしいままに従業員を解雇するなら、当然のごとく標的は「会社から見て」働いていない人の方です。

 自分の評価と会社の評価は完全に一致している、自分の評価が低いのは自分の働きが悪いから、◇◇さんの評価が高いのは◇◇さんの会社への貢献が著しいから――そう確信している人が解雇規制緩和論をヨイショするのであれば、まぁ筋は通っています。しかし、会社の下す評価に多少なりとも異論があるにもかかわらず解雇規制緩和に同調しているとしたら、その人の主張は完全に矛盾しています。

 とりあえず私の勤務先ですと、評価されるのは専ら「改革バカ」だったりします。営業であれば売り上げの数値で誤魔化しも効くのですが、非営業の場合はとにかく「変える」とことが評価に繋がります。逆にやることを「変えない」、日常の業務を運営することに関しては全く評価に繋がらないのが特徴です。誰も望んでいないことを改革と称して強行して周りを振り回せば昇進し、変える必要がないからと従来通りのやり方を維持すれば「やる気がない」と叱責される、そんな会社です。

 皆様のお勤め先は、いかがでしょうか。私の会社で恣意的な解雇が許されるようになったなら、中核的人材として会社に残されるのは業務を引っかき回すだけの改革バカばかりで、実務を支えてきた「改革ごっことは無縁の人々」は追いやられることが予想されます。即ち会社に必要な人材が解雇されて無用な人間が残ることになるわけですが――皆様の勤務先ではいかがでしょう。どういう人々が「会社から」働きを認められ、どういう人々が「会社から」疎まれているのか、会社にクビを切る刃物を持たせるのが適切かどうかを考える際には、まずそれを頭に入れておく必要があります。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする