非国民通信

ノーモア・コイズミ

「会社でキレる人」が評価を上げる根拠みたいなもの

2019-06-23 21:51:15 | 雇用・経済

「会社でキレる人」が生産性を下げる科学的根拠(東洋経済)

本書で著者は、無礼な人間がいかに企業の業績に悪い影響を及ぼすかを述べている。また反対に皆が礼節ある態度を取ると、企業の業績が向上するとも言っている。これは単に著者の個人的な体験に基づく意見ではない。

著者は、長年にわたり、多数の企業を対象に綿密な調査を続けてきたからだ。それで礼節と企業業績に強い関係があることを確かめた。

「無礼さ」はウイルスのようなものだと著者は言う。例えば、ある企業でAという人がBという人に対して無礼な態度を取ったとする。Bは当然、精神的にダメージを受ける。仮にその後、普段どおりに仕事を続けることができたとしても、ダメージを克服するために普段は必要ではない余分なエネルギーを費やすことになる。

それだけではない。ストレスをためたBは、自分の周囲の人たちに無礼な態度を取りやすくなる。すると、周囲の人たちもダメージを受ける。同じ職場の人たち、家族や友人、皆がダメージを受け、ストレスをためてまた、その周囲の人たちに対して無礼な態度を取る……。

こういう負の連鎖が起きるのである。負の連鎖に取り込まれた人たちは、ストレスに対処するために余分なエネルギーを費やし、すべき仕事が思うように進まなくなってしまうだろう。

 

 「会社でキレる人」が生産性を下げることについては、特に異論のないところではあります。では何故「会社でキレる人」が淘汰されないかは、もう少し考えられてしかるべきでしょう。引用元ではマキャベリの言葉が持ち出されて「そういう時代」もあったと書かれているのですが、この辺は少し違うような気もします。

 一昔前には「合成の誤謬」という言葉が局所的に流行しました。ミクロの視点では利があるはずのことが、マクロの領域では負の効果を呼んでしまうことを指すものです。よく例として挙げられるのは家計の貯蓄で、個人レベルでは貯蓄を増やすのは好ましく見える一方、社会全体が貯蓄志向で消費を控えると当然ながら不況を呼ぶ(ひいてはそれが家計を直撃)等々。

 より象徴的なのは、従業員の低賃金長時間労働によって支えられるブラック企業でしょうか。こうしたブラック企業は「デフレの雄」として一時は大いに栄えたところですが――こうした企業が伸びれば伸びるほど、日本で働く人の所得は減る、所得が減れば消費も減り、日本社会は衰退へと向かいました。個別の企業は栄えても、社会全体では真逆の方向に進んだわけです。

 そして「会社でキレる人」も然り、マクロ即ち会社全体の生産性を下げる人々ではありますが、反対にミクロ即ち個人の評価の面では、デフレ時代のブラック企業のように有利な要素であるからこそ、決して淘汰されることなく生き延びているのではないでしょうか。皆様の職場にもキレる人はいると思いますが、そういう人の「上からの」評価はいかがですか?

 無礼な人は、周りに強いストレスを与えます。故に組織の生産性を落とすわけですが、加害者本人は居心地の良さを感じていることでしょう。そうなると、無礼な人の周りの人はパフォーマンスを落とす一方で、問題の人は気分よく仕事を進められる――個人として相対的に成果を出しやすいのが、加害者サイドであることは言うまでもありません。

 同じポジション内で誰に高い評価を付けるか、それはしばしば想定的なものになりがちです。同部署で仕事をしている他の社員と比べてどうなのか、これが基準になるのは致し方ないところです。ただ、そうなるほどに「他人の足を引っ張っている人」と「他人に足を引っ張られている人」のどちらが輝いて見えるか、という問題が生まれます。

 協力的な同僚に囲まれたワガママな人は「他人の協力を得られている人」となり、ワガママな同僚に囲まれた協力的な人は「他人の協力を得られていない人」にもなります。えてして横柄に他人を振り回しているだけの人の方が、「上から」見た限りでは職場の中心にいるように見えてしまう、「リーダシップを発揮している」と評価されがちではないでしょうか。

 「会社でキレる人」は業務上の障害です。だからこそ、このキレる人への対処が円滑に仕事を進める上で重要になるわけですが、そこで何をするにしてもキレる人のご機嫌を伺う、みたいな対処が取られると、キレる人が事実上の「キーマン」になります。かくして「会社でキレる人」は組織の生産性を落としつつも、重要人物として扱われ評価を高めていく、という一連の流れが――とりあえず私の職場にはあります。

 「会社でキレる人」の顔色を見ながら、その人に仕事を止められないように進めていくのが我が社の当たり前になっているところもあるのですけれど、たぶん本当にやるべきは、キレる人への配慮ではなく、解雇でしょうね。ただし偉い人はいつだって見ている世界が違います。パワハラや暴力事件の類で告発されるまで、往々にして「手遅れになるまで」、実態には気づかれないのが普通なのです。

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