Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

時間とカネと自由,全部欲しい

2006-12-09 00:10:33 | Weblog
東京から強力助っ人2人を招いて演習の課題をオリエン。新しい技術をビジネス化するためのフィールド調査とプランを学生諸君に競ってもらう。非常に難しいテーマだが,それを乗り越える若者が続々出ることに期待したい。ググって想定内の解答を出すだけでは,MBA(あるいはMPP)としての将来が心許ない。

そのあと食事しながら,スーパー内での購買意思決定のモードが動的に変化するという研究について聞く。そういえば,7日のセミナーでも,それに関連する質問を受けたなあ・・・。ぼくが参画している研究ではそこまで踏み込んでいないが,認知科学あるいはエスノメソドロジー的な研究となると,当然そこが主戦場になる。小標本だがじっくり観察し,しっかり聞き取る・・・。

話はそのあと,米国の高級スーパーの素晴らしさへと及ぶ。行ったことがないので全くわからない。にしても,企業の研究開発もなかなかすごいと感心する。研究費は大学に比べはるかに大きいし,(管理職にならなければ)雑用は少ないはず。組織の内外に広がるネットワークも大きい。ほんの少しだけ,会社を辞めなければどうだったかを想像してみる。

もちろん企業の研究機関では基礎研究がやりにくいとか,企業の利害に反することは発表できないとか,いろいろ制約がある。研究費が潤沢で,雑用がなくて,しかも個人として自由でいられる,なんてのは虫がよすぎるかもしれない。だが,やりようはあるはずだ・・・もちろん,それに相応しい「価値」がある研究をしていなければ噴飯ものだが。

3日後のキス

2006-12-07 23:24:25 | Weblog
10年後の100万円より,明日もらう100万円の現在価値のほうが高い,というのが時間選好というものだ。だが行動経済学が示したのは,目の前に積まれた100万円は,標準的な時間選好理論から予測される以上に強く選好されるということだ。このような現在志向のバイアスのおかげで,本来なら将来をにらんで合理的に行動する人でさえ,「つい出来心で」賄賂を受け取ってしまうことを説明できる。

・・・と,ここまでは知っていたが,友野典男『行動経済学』は,さらに面白い研究をいくつか紹介している。たとえば,時間選好研究の第一人者,Loewenstein の行なった実験。憧れの映画スターといますぐキスできるのと,3日後にキスできるのとどちらを選ぶかと聞くと,多くの被験者は後者を選んだという。つまり,憧れの人とキスすることを想像して,期待に胸をふくらませる時間の効用もまた存在すると。人間にとって現在志向がすべてではなく,未来を夢想することを志向する文脈もあるのだ。

これまで,時間選好の研究にはさほど関心がなかったが,よく考えると,消費にとって時間というものは,きわめて重要である。人はみな,現在と未来の狭間に生きているのだから。この本は新書ながら,行動経済学の既存研究を幅広く紹介しており,大変勉強になった(ただ個々の実験を理解しながら読むためには,ふつうの新書以上に時間がかかる)。

巻末の文献リストも役に立ちそうだが,そこに日本人の論文がほとんどないのが残念に思える。しかし,心理学には世界的に活躍している研究者がいるし,最近では実験経済学を志す経済学者も増えてきているので,こうした状況は今後変わるかもしれない。

で,自分にとって「3日後のキス」とは何かを考えると・・・という話はいずれまた。

ハイダーの悪魔

2006-12-06 22:14:03 | Weblog
人間関係が複雑化するのは,三者関係が成立するときである。そのことを最も端的に示したのが,有名なハイダーのバランス理論であろう。ぼくが最初にそれを知ったのは,もはや廃刊となった仁科貞文『広告心理』であった(学生時代,金に困って友人に売ってしまったことを,いま痛切に後悔している)。

自分の好きな女性が阪神ファンであったとしたら,バランス理論によれば,自分も阪神ファンになるか,阪神ファンになれないので彼女をあきらめるしかない(大人の知恵としては,野球を知らないことにして,そもそも三者関係が生じないようにするという手もあろう)。

そう簡単にいかない場合もある。男女の三角関係・・・太郎も次郎も花子が好きならば,太郎と次郎はお互いに好きになるだろうか? 相手が手の届かないセレブであればともかく,身近な存在だとあり得ないのではないか。だが,別の経路でバランスがもたらされるという解釈も可能だ。いずれにしろ,三者関係から生じるジレンマを「ハイダーの悪魔」と呼んだらどうだろう。

研究室の学生が,卒論でハイダー的な関係を組み込んだシミュレーションに取り組んでいる。社会というものは,二人ではなく,三人揃ったときに生じる。友達の友達は友達かを問うクラスタ係数は,社会ネットワーク分析の重要な概念だ。ハイダーの悪魔が連鎖していくとどうなるのか,どう制御すべきなのか,非常に面白いテーマのはずなのだが・・・。

追記:調べてみると,最近でもこの原理を扱った研究は多数あるようだ。MATLABでの分析ツールまで公開されている。

「祈る」のはダメな証拠

2006-12-05 20:10:25 | Weblog
7日の実務家向けセミナーの資料を送る。JIMSで報告した店舗内回遊の研究を,小売業の意思決定支援を念頭にアレンジ。その間,いろいろな課題が思い浮かぶ。だが,目下最大の課題は15日,茗荷谷でのワークショップで何を報告できるかだ。すでに計算した結果がうまく出ていることを「祈る」。プロ野球で「祈る」監督はダメだという論を読んだことがある。「祈る」研究者もダメである。

15日を乗り切れば,次の週のスケジュールはほぼ真っ白…だがその週の水曜に「修士論文提出日」が来る。今回の修論はチャレンジングなだけに,ぎりぎりまで困難が襲いかかる。指導・助言する立場ながら,最後は「祈る」しかない。2-3と追い込まれ,次の一球は直球かフォークか…何とか塁に出てくれ…「祈る」教師もダメ教師だ。

役に立つマーケティング・サイエンス

2006-12-04 23:27:56 | Weblog
月曜は大岡山の非常勤の日。今日はゲストをお招きし,マーケティング・サイエンス(MS)が現場でいかに使われているかを語ってもらう。大手食品メーカーで長く商品開発やマーケティングの経験を積み,その後ID付POSデータのビジネスに成功,いまは,昨年IPOした「No.1サイト」企業の役員…。

数々の事例のなかで,たとえば,売上の時系列推移から常識的に予測される結果とは違う真実を,古典的なトライアル・リピート・モデルが予測してのける話など,しびれる思いで聞いた。これぞ,John Little のいう decision calculus のよき例だ。簡素にして,頑健にして,「使える」モデル。最近のMSが見失いつつあるものかもしれないが…。

ぼくが教えているMSが灰色だとしたら,彼が実践例を示すMSは原色である。学生たちに,ぼくのつまらないモデルの話の先には,こんなに豊かな世界があるんだよ,と伝わることを願う。それにしても,正直いうと,MSをここまできちんと使っているとは,それを教えて飯を食っている自分ですら予想外だった。企業との連携とか,社会人教育とか,もっとちゃんと考えねばならない。

そのあと,二人で大岡山でワインを飲み蟹を食い語らう。研究でも教育でも一方的に助けてもらっている。何か恩返しするとしたら,彼の経験や知識を社会に還元するような何かだろう,と思う。

大規模データのマイニング

2006-12-02 19:24:11 | Weblog
「大規模データの分類と解析技法」なるセミナーを聴きに行く。主催は横幹連合という団体。いろいろ刺激的な話が聞けた。マーケティングの立場から感心したのは「動的へテロデータからのマイニング」の報告だ。ウェブ上のテキストマイニングで人々の関心の流れを知る試みは多々あるが,用いられている個々の技術がさすがに山西さんという印象。この領域では,もう他にやることはないんじゃないかと思わせるほどだ。個人的には,動的な有限混合モデルに興味を引かれた。

統数研の樋口教授による「データ同化」(Data Assimilation)の話はけっこう衝撃的だった。これは大規模なシミュレーションモデルとデータの接合を図ることで,地球科学では前からある概念だという。それにしても,スパコンをばんばん回す世界はスケールが違いすぎる。だが,社会シミュレーションも大規模にすればいいとは必ずしも思えない…というか,想像を絶することをやってはいけない,という感じ。

マーケティングの世界でも数値データからテキストデータまで,データは大規模化する一方である。植野さんの膨大な数のノードを持つベイジアンネットや,鷲尾さんのグラフマイニングなど,組み合わせ爆発を避けるさまざまな取り組みも興味深い。その一方で,事前知識を使ってデータ自体に構造を持たせるような,人間の「恣意的な」介入は避けられないと感じる。

…ということで,そろそろ,採点という「主観的に大規模な」データの「人的」処理作業に移ろう。

なぜ忙しいのか

2006-12-01 23:32:48 | Weblog
12月15日のワークショップに向けてアクセルを踏み込もう・・・と思った矢先に,今日突然,その日の「学内重要業務」を命ぜられる。ワークショップでの自分の発表は遅い時間なので,ぎりぎり間に合わうかもしれない(そうするしかない)。だが,Allenby, Meyer 他の諸先生の発表を聞くことができない。

最近いろんな「業務」が増えてきた。「立会い」に加え「配送作業」「企業訪問」「イベント仕込み」・・・。組織が自らを維持するため生み出す諸々の仕事の量は,企業から大学に移って何も変わらない・・・どころか,むしろ増えている? それも給料のうち,というのなら,給料を何割か返上すれば解放されるのだろうか。

分業の効率性,比較優位の原理を説く経済学に従えば,さまざまな「業務」を機械的に成員に分担させるという組織のあり方は非効率なはずだ(追加的な報酬を出さないから,短期的には費用を節約できたように見えるとしても)。だが,経済学者や経営工学者を含む大学組織が何十年もこの形態をとっていることに,組織が持つ独自の「論理」の強さが現れている。もっとも米国では,入試業務などは専門部署が行なっているというから,より経済学に忠実だなのだろう(ただし給料は10ヶ月分とか)。

とはいえ,自分自身の問題もある。今日,研究室に来てくださった方から「研究分野が広いですなー」といわれる。先方に他意はないとしても,耳が痛い。各テーマが成果を挙げていればよいが,共倒れになってしまえば意味がない。ごく少数の天才を除き,成果をあげている研究者はみんな領域の絞込みが見事である。○○のナントカ,というラベルをちゃんと確立している。

リスク分散のためのポートフォリオ戦略,という理屈で対抗したいところだが,無理があるな・・・。結局,研究については,成果は関係なく,ともかくいろいろ全部やりたいだけだよ,好きにさせてくれよ,という個人のわがままで説明するしかない。しかし,組織もまた,同じように好きにいろいろやりたいだけなのだとしたら・・・いやーそれは勘弁してほしい。

Attention Please

2006-12-01 01:47:33 | Weblog
昨日(一昨日)のシンポジウムでWeb2.0時代の(?)集客の秘訣を聞かれ,橋本大也さんは最低限の方策として「毎日更新すること」「タイトル(ないし本文)が長文であること」などを挙げた。もちろん「中身が面白いこと」はいわずもがなとして。これからのマーケティングは Attention から始まるのではない,という思いが揺らいだ。

ブログを書く以上,アクセスが多いほうがうれしいのは間違いないだろう。講演にしろ講義にしろ,他の条件を一定にすると,聴衆が多いほどうれしい。「俺の話を聞いてくれ」という想い…だから安いギャラでも教壇に立つ。ただ,研究ということになれば,ぜひ聞いてほしい相手は不特定多数ではない。いや,極論すれば,たった一人であることも…。

自分の考える,ある意味「病気」ともいえる思考を聞いてくれる人がいることにに勝る悦びはない。しかし,それ以上の悦びは,自分が話を聞いてほしい相手から,自分が聞き手として指名されることだろう。