愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

南山、三陵渓谷の石仏-2

2010年10月28日 | 韓国 石仏:史跡他

前回紹介した石仏坐像辺りから道は険しくなり、ヒイヒイの思いで運転手ガイドに着いて歩くのが精一杯。

高さ10mばかりの岩山上半部に刻まれたちょっとユニークな磨崖石仏です。

顔つきもさることながら彫方もユニークで、顔面と体躯はレリーフ調薄肉彫り、他の台座や光背は線彫りで蓮台の上に坐す如来形石仏です。

世俗的な顔容で全体的に腫れぼったく丸顔、半眼で団子鼻、唇は厚くタラコ唇、いかにも親しげな石仏です。

石仏の前からはこんな景色、黄色く見えるのは刈り入れ前の田んぼです。

全般的な彫刻様式や世俗化された顔の表現などから、新羅末期または高麗初期の作品と推定されているようです。

ここより急な登となって上禅庵の庵へと続く・・。

こんな山奥の小さな庵にも法灯を守り続けている聖職者が住まいしていてちょうどハイカーの休憩場所にも成っている。

この三稜谷一番の石仏はさらにこの庵の背後岩山を登った上の岩壁に光背ごと彫り出し、その前面に高肉彫りの釈迦如来を刻んでいる。

頭部は鮮明に良く仕上げられているが体躯は荒削りで線彫り様式、像高7m、この三稜谷一番の大きさを誇る磨崖釈迦如来坐像です。

表情豊かな顔、丸い眉毛に半眼の目、口は強く閉じられ全体的な彫刻手法から見て、統一新羅時代の後期に造られたものと見られているようです。

ここから見る景色はさらに絶景、案内人運転手は優雅に携帯、こっちはヘトヘト休憩中。

しかしこの先頂上に着いてその先、やっぱりハングルが読めない,喋れない哀しさ、案内人はどんどん先へ、どうも最初に打ち合わせたのとは逆の方に向いてるような??

こっちは又、近くの石仏でも寄ってから目的地の葺長寺址に向かうものだと、たかを括っていたがその気配もなくどんどん逆方向に下って行く。

ここで言わなきゃと地図(日本語の)を指し示して言って見るがあとの祭り、もうここからでは遠くてダメだと言わんばかり、無理強いも出来ないのでケンチャナヨと引き下がった。

通り一遍のツアー旅行ならいざ知らず、マイナーな自由旅行では電子辞書か、せめて道路案内ハングルが読めるぐらいにはしておかないとどうにもならない事を痛感する。

仕方が無いのでそのまま幹線ハイキング道をトボトボ下る。

下り道でもう1箇所見つけた石仏、これでなんとか今回は我慢しよう。

この磨崖仏には最近に成って「太和九年乙卯」の銘が見つかり新羅時代の835年に造立されたものと判明した。

 

正面には、左手、薬師如来と右手、如来型坐像、右側の岩にはやはり薬壷を持つ薬師如来坐像、薄肉彫りの簡略化した彫方です。

この後,鮑亭横の登山入口まで下って南山登山はボチボチ、チンタラで約三時間半。

撮影日、MAP共に前回に同じ。