どの集落からも遥かに遠い山の中、いくら捨墓といえど、これほどの山中では葬列も大変だったろう??
旧加茂町北下出集落の東はずれからかなり山中に分け入った尾根の台地にある大きな郷墓。
石仏ファンに古い中世墓は欠かせないがここはどの集落からもかなり遠い距離にあり・・・、この地域の人が墓とどのようなかかわり方をしていたのか伺い知れる気がする。
この墓地で先ずこの目に付くのがこの十三仏板碑
河内に近い地域では良く見かける蓮華座上月輪内十三仏の種子を刻んだ物で頂部には虚空蔵菩薩の種子み三十三回忌までの追善供養のために像立つされる。
種子仏下部には結縁者二十名と「永禄六年(1563)十月十三日」の銘が刻まれている。
ちなみに高さは約1.2m。
今ひとつ目立つのはこれ・・・、ちょっと珍しい定印の阿弥陀坐像を中肉彫りで刻み出した板碑石仏。
安土桃山時代の末期 、慶長15年(1610)記銘 があり、総高約1.3m、像高約40cm。
傍らには傘を持つ箱型の地蔵立像双仏石・・・・・。
六体地蔵と六字名号は石柱の屋根下にあってなかなか風情が感じられます。
地蔵は江戸時代のものですが・・・・。
撮影2011.3.4
まあ、いつものように山道ですけどね(笑)
ここ未だだったんですね、地図は正確です。
ペンさんのブログにUPされていなかったのが不思議なくらいです。
阿弥陀座像板碑良いですね~
墓地まで車入れるんでしょうか?