この地を訪れるのは二度目、一度目は2007年晩秋の紅葉がこの山寺を真っ赤に染める頃、当時此処は崩落で荒れ果て治山工事の真っ最中・・・・みるも無残な状態でした。
2回目はついこのあいだ2011年3月・・・、NETページを見てると僕が見た不動磨崖とはあまりの違いに驚き、確かめるためにおとずれた。
此処は我が山城とは遠くなく走り慣れた土地柄、人里はなれた山中に有っても1時間足らず、しかしこの辺りの地理に不案内の人にはちょっと行き辛いかも・・・幸いにして車が境内まで進入可能。
<山門付近の旧参道と奥の院付近の岩場>
昔流に言えばこの地は甲賀と伊賀の国さかい、あの最澄が開基だと伝えられる古刹、台密山岳修験の聖地として栄え、また後の世には忍術修練場と利用されたと云う。
<2007年当時は工事中でこの通り・・・、しかし自己責任でという許可のもと、奥の院まで行って来た>
境内脇の鐘楼付近から奥の院へ登る石段参道の左手大岩に小さな覆屋が掛けられ磨崖石仏が祀られている。
舟形後背を彫りくぼめた中に像高32cmの地蔵菩薩坐像を中肉彫で刻みだしている。
蓮華座に結跏、法界定印の地蔵菩薩磨崖石仏で至徳二年(1385)南北朝時代の北朝年号が有って貴重だそうです。
見上げれば・・・・2011年、新しく手すりが設置されて居た。
3年前、奥の院への参道は崩落が激しくこんな状態。
殆同じ地点から現在の状況・・・・・眼下に鐘楼が見える。
奥の院不動明王磨崖仏真下付近から・・・・上は2007年下は現在。
岩の上の樹木が殆ど無くなっている。
2007当時の不動明王磨崖仏・・・・解るだろうか??苔むしているのか方向も悪いのか殆何がなにやら状態。
こちらが現在の状態。
崩落防止の網の目状のワイヤーで補強されていてすっかり囚われ者の不動さん、巨岩の一角の壁面に刻まれた不動明王磨崖仏は像高はおよそ5m。
<上は2007年、下は現在>
壁面はすっかり洗浄されたようで全く違うイメージ・・・2007年当時は全体が線彫りかと思っていたがご覧の様に頭部は薄肉彫りと成っている。
体躯はどうにも手抜きの様な??線彫り・・・・往時此処に不動堂があり尊顔だけが拝める様に成っていたのかも??
しかし尊顔は厳しい表情でかなりの迫力が感じられ、室町初期の造顕だとされています。
此処は2007年と全く変わらない。
この巨岩塊の脇に有る薬師堂から続く尾根道には八十八ヶ所巡礼の小石仏が2体づつ並び立てられていてそれなりの雰囲気が有る。
山頂付近から甲賀方面・・・・
2007年当時の掲示板
撮影2007.12.1~2011.3.12