愛しきものたち

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太安万侶墓

2006年02月20日 | 風物:陵墓
奈良公園の東側の山並みの向こう、田原の里に行って来ました。

その第一番の目的はこの太安万侶墓に行くことであった。

太安万侶(おおのやすまろ、? - 723年8月15日(養老7年7月6日))は、奈良時代の文官。太安麻呂、太安萬侶とも。『古事記』や墓誌銘には「安万侶」とある。父は多品治とする説がある。

704年に従五位下に叙せられ、711年に正五位上に叙せられる。この年、711年(和銅4年)、元明天皇に稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられる。翌712年正月、天皇に『古事記』として献上する。715年には従四位下に叙せられ、翌年、氏長(うじのかみ。氏上。)となる。子孫の多人長によれば、『日本書紀』の編纂にも加わったという(『弘仁私記序』)。養老7年7月7日(墓誌では7月6日)に歿する。歿時の官位官職は、従四位下勲五等民部卿。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

場所は↓

http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E135.54.35.393N34.39.43.185&MT=%C6%E0%CE%C9%B8%A9%C6%E0%CE%C9%BB%D4%BA%A1%C0%A5%C4%AE&ZM=8


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