愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

山形県天童市高擶(たかだま) 石佛寺石仏群

2012年10月09日 | 石仏:東北

東北や九州の磨崖や単立石仏を見ていると、幾内の石仏を見慣れて居る僕の目にはどうも違和感を感じる事が多い。

その第一の大きな違いは石質の違いなのだろうか??、畿内の磨崖や石仏はその殆どがきめの細かい花崗岩に刻まれているのに対し、東北や九州では地質の関係か??、その殆どがきめの粗い軟質な凝灰岩に刻まれ、風化摩耗の影響も有って繊細さに欠け粗野にも見える。

それが強いては素朴さとつながり一種独特な地方色を生み出して居るようにも見えるが・・・・・。

この天童市高擶の石仏寺にある大型の石仏も又凝灰岩製で風化摩耗が激しく詳細は不明ですが実に立派で堂々として、どこか京都の叡山系石仏に通ずるものを感じます。

その本堂の屋根の形も、畿内の僕には目あたらしく、ちょっと見慣れない形・・・。

石仏寺は鎌倉中期の弘安六年(1286)、疫病退散を祈念し一向俊聖上人が彫り刻んだ石仏を祀る草堂を建て、石仏寺と称したことに始まり、後江戸時代の文明年間には現在地に石仏共々移転した。

天童市高擶地区は高擶城の城下町、今も長い板塀や生垣、見越しの松などに旧家の面影がよく残り、城下町の落ち着いた佇まいを見せて居る。

石仏は簡素な山門を潜た左脇、寺墓入口あたりに覆屋を懸け、祀られて居る。

中央にはロウソク台を前に置かれた中尊だと思われる阿弥陀如来。

その向かって右手には、ぽっちゃりふっくら、まるで達磨さんの様な地蔵菩薩??。

向かって左端の像は最早頭部が突起しただけの石塊の様、二番目は錫杖を持たない古式地蔵のようです。

右端には宝冠(高髷かも?)を戴く菩薩像・・・・、覆い屋の下には全部で5体・・・・、どの石仏も台座は持たず「生け込み式」になって居る。

中尊阿弥陀は膝上で定印を組み、舟形光背を背負う像高約150cm、力強く堂々としていますが殆どつんつるてん。

向かって左側の地蔵菩薩、舟形光背を持ち丸掘りに近いほど厚く刻みだし、おぼろげながら落ち着いた顔容が窺われる。

立像だろうか腰から下は詳らかでない。

向かって右手、ボリューム豊かですが胸元で断裂、左手は宝珠を持って居る様に見えますが、右手は胸元に有り、錫杖らしきものは有りません。 

大きな舟形光背を負い、この中では一番の大物。

ボリュームの有る光背背後下部には龕を穿ち、小石仏を挿入している。

正面から見るとこんな塩梅・・・・、さっぱり判りません。

向かって右端の菩薩型立像…群中一番小型で均整のとれた体躯、両手は胸元で合掌印を組む。

いずれもきめの粗い凝灰岩、如何とも仕難い程に荒れている。

これが花崗岩だったらと悔やまれる鎌倉期の石仏群です。

撮影2012.9.17



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