愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

木津川市山城町綺田(かばた)  高倉山阿弥陀寺阿弥陀如来石仏他

2011年03月19日 | 石仏:京都

南山城の幹線道路国道24号線は井手町に入ると長閑な景色のもと木津川沿堤防を走る事になるがその国道の東側、なだらかな山裾を旧奈良街道が各集落を縫うように走っている。

この辺りは僕の住まいから直ぐに近くなので何処を通ってもあっと言う間に目的地まで着いてしまうが・・・・、京都方面から24号線を南下すると井手町の庁舎を左手に見てそのまま道なりに少し進むと天井川をくぐる。

<府道70号線から北方向に向けて撮った阿弥陀寺付近>

<こちら北から南向きに撮った阿弥陀寺>

天井川を潜るとそこはもう木津川市山城町、直ぐに信号が有ってその交差点で左折、道なりに暫く行くとやがて旧奈良街道の府道70号線と交差することになるが高倉山阿弥陀寺はこの交差点と目と鼻の先、左手前方の府道沿いに面して建っている、しかしこの辺り駐車スペースがないので車での訪問には注意を要する。

阿弥陀寺の山門には低い柵扉がいつも閉じられて居て訪問者を拒絶している様にも見えるがその由頼めば快諾いただける。

<高倉神社正面>

ここ高倉山阿弥陀寺は平家追討のため源頼政と挙兵した高倉宮以仁親王(たかくらのみやもちひとしんのう)が宇治川の合戦に敗れ奈良への敗走途中このふきに有った光明山寺門前近くで流矢に辺り落命、その菩提を弔った寺院として知られている。

<往時、寺と塚は一体化していただろうに、現在JR奈良線が引き裂いている>

塚は寺より東に直ぐ、JR奈良線の踏切渡って道路左手に面した以仁親王を祀る高倉神社境内に有って今も宮内庁管理に成っている。

陵墓と云えども小さな土盛りに過ぎないけれど・・・・・・。

<以前は田圃の中にあったのに最近整備されたようです>

<説明板には以仁親王稜の陪冢(ばいちょう)だと説明されています>

またこの塚から南方に直ぐのJR 線路近くには浄妙塚と呼ばれる塚が有って、宇治川の合戦一緒に戦った筒井浄妙の墓だと言われています。

此処から見た高倉神社の杜。

話が大幅に横道にそれましたが・・・・・、許しを得て阿弥陀寺の境内に入ると狭いながらも美しく掃き清められしっとり落ち着いた空気が流れている。

山門を入って直ぐ左側脇の白壁土塀を背にして古式豊かな石仏と共に小石仏や宝篋印塔(ほうきょういんとう)が横一列に並んでいる。

一段と高く立派な石仏は花崗岩で舟形光背を造り蓮華座の上に結跏趺坐する定印の阿弥陀如来を厚肉で刻み出している。

豊かな表情やみなぎる生気が感じられ鎌倉時代の造立だと考えられていて・・・・

この地で命を落とした以仁親王の供養のために造立したものだと考えられている。

撮影2011.3.4



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