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今から40年ほど前、この名張川の下流を堰き止めて造られた高山ダムが出来るまではこの石仏前の河原に出て真近まで近づくことが出来たようです。
それ以来上流の名張川は現在のように岸辺一杯まで水を湛えて見上げるべき河原は何処にも無い。
この地は名張川を挟んで奈良県山添村と三重県伊賀市が接していて治田地蔵と呼ばれるように磨崖自身は伊賀市治田に有るにも係わらず対岸奈良県側からでないと全容を望む事は難しい。
対岸側の山添村中峰山にある大川(おおこ)縄文遺跡を利用したカントリーパーク大川からでないと望むことは出来ない・・・・、なんとも奇妙な状況になっている。
当然のことながら山添村ではこの石仏に関して何の案内も無く、勿論説明板など有るわけもない。
治田地蔵と呼ばれるこの磨崖石仏は川岸の大岩壁に像高4mにも達する地蔵菩薩立像をを中尊に左右には閻魔大王と太山王を等身大の坐像で刻み込んでいる。
遠くから望むだけでは線彫りのようにも見えるが、像の外周部は深く刻み全体をレリーフ調の浮き彫りで刻み出しているように見える・・・・・、中尊、地蔵の頭部と錫杖は円光背を彫りくぼめた中に肉付き良く顕して立体的にしている。
向かって左下方に二王の尊像は確認できるが他は何処に刻まれているやら???、もしかして水の底に沈んでいるのかも??
磨崖の前は水没するまで広い川原が広がっていて賽の河原の様相を呈していたようで・・・・、造立の室町初期より延々と信仰され続けて来たのであろう・・・
稚児淵と呼ばれたその川原から仰ぎ見て見たかったなあ・・・・。
撮影2006.3.11~2007.4.8
場所を間違えたのかと思いました。
石仏の大和路(朝日新聞社刊)には胸の辺りまで水没した地蔵の岩の上に
カップルが上っている写真が載っていますが
これ以外に水没している写真は見たことがありません。
今でも大雨のときなどは水没するんでしょうかねぇ。
胸まで水没じゃ気の毒過ぎますね・・・。