京都の石仏として余り紹介された事のない将軍塚大日堂の石仏です。
大きく古式豊かに見えるのですが・・、管理の人に頼んでみても近づく事は許されず、堂外に少し開いたガラス戸の隙間からのワンポイント撮影に成り、全容はイマイチ分かりません。
将軍塚は東山ドライブウエーの最奥に在り、往古桓武天皇が永くこ平安京を護るようにと祈りをこめ、将軍の土像に鎧甲を着せ鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、塚に埋めるよう命じられ、この塚を「将軍塚」という。
この塚の前に建つ大日堂は明治期に付近の土中より掘り起こされたこの石仏を本尊として、明治38年付近一帯を整備、青蓮院門跡の別院として建てられた。
この将軍塚の有る山頂を華(花)頂山とも云い、この掘り出された石仏は、往古付近に存在したと伝えられる古代寺院「花頂院」の遺仏だとも考えられている。
金襴に囲まれた須弥壇奥の石仏は舟形光背を背負う、見た目、像高約1mばかり、厚肉彫りの結跏趺坐する如来坐像です。
足許には小石仏が何体も置かれ、おまけに新しい御前立ち阿弥陀坐像石仏が置かれ、手印も台座も良く確認は出来ない。
胎蔵界大日如来の法界定印の様でもあり、上品の弥陀定印の様でも有り・・・。
体躯も尊顔も風化磨耗が激しく殆どのっぺらぼう・・・、おまけに金襴に隠れた頭上がどうなっているのやら??
撮影位置から石仏まではほぼ10m近くも有り、これが目一杯のズーミング・・・、確かに威風堂々とした古式な像容なのですがイマイチ決め手に欠いてます。
NETをいくら検索しても何のデーターも見つからない。
唯一、寺の案内には平安時代作の胎蔵界大日如来の文字。
京都では如来石仏を何でも大日如来と呼ぶ習わしが有るようなので信頼性に欠けますが・・・・。
しかし古式で素晴らしい如来坐像石仏で有ることには疑う余地が有りません。
せめて内陣に上がらせて呉れたらなあ・・・・あ~あっ。
撮影2012.6.30
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