前回紹介の大門坊から前の県道を北進して直ぐ、最初の信号、田染郵便局の交差点先、元宮八幡の境内北側の岩壁にある五体の磨崖仏です
ちょうど道路わきにあって対面にはそれなりの駐車場も用意されているので問題なしにゆっくり参拝できるのですが・・。
つい最近新築されたばかりの覆屋が余りにも立派、、地元の磨崖石仏さんを守ろうとする気持ちは痛いほど解るのですが、なんとなく期待を削がれる気分は否めない。
真新しい覆屋内は採光も悪く、その上この地独特の粗く脆い凝灰岩に刻まれた石仏は岩壁一面を覆う地衣類の繁殖激しく、風化も進み像容を危うくさせ、撮影にも一苦労するが,まともな画像にはならない(ちょっと言訳)
六郷満山文化は山岳信仰を根底に持つ宇佐神宮を母体として天台密教と神仏習合した華麗な仏教文化へと発展し独特な文化圏を形成したと言われています。
大日如来の化身だと言われる不動明王を本尊とし、護摩修法を盛んに行う天台密教の影響が色濃く残された国東の磨崖石仏の多くは、不動明王を主尊とすることが多いのも納得できる。
ここ元宮磨崖石仏も例に漏れず主尊に不動明王右脇に矜羯羅(こんがら)童子と毘沙門天(びしゃもんてん)左脇に制咤迦(せいたか)童子と持国天(じこくてん)更にその左脇に追刻されたであろう地蔵(声聞形尊像?)と一列に並ぶ。
主尊の不動明王は像高約2m、毘沙門天、持国天、共に同高、矜羯羅童子、制咤迦童子は約二分の一高、しかし左脇の制咤迦童子は写真でも見る通り欠落現存していません。
毘沙門天
持国天
国東の磨崖石仏は臼杵や豊後大川流域の磨崖石仏の様の深い窟も無ければ厚肉彫りでも無いので風化、欠落の多いのも致し方ない。
それがあるがままの野の仏、磨崖石仏の姿なのだろうと納得する。
因みに、室町初期の造立、国指定史跡となっている。
撮影2009.12.27
制吒迦童子はないんだなぁ
と思ったら
欠損していたのですね
しかしちょっと傷みが気になる
磨崖仏ですね…
変な屋根以前に
崩落や欠落防止みたいな措置は
なされているのか疑問ですね
制吒迦童子は全く欠落、岩の表皮ごとはがれ落ちてしまったようで痕跡すらありません。
しょうがないですよね、基本的には野の仏、雨曝ですもんね。