散歩途中でたまたま寄った上井出の玉津岡神社で目にした十三重石塔の残欠・・・・その参道脇にある桜の名所の地蔵禅院にも笠石の残欠。
<地蔵禅院の石塔残欠>
玉津岡神社は昨日紹介の上井手集落の東端、山腹斜面上に在り、風情ある長い参道が地蔵禅院脇を越えて続いて居る。
< 地蔵禅院脇から登り参道を見る>
境内へはここから急な石段を更に上へ・・・。
玉津岡神社は、上井手の西春日社、井堤寺南の田中社、東天神社など、近在五社を明治11年、かつて椋本天神、玉岡社、玉岡春日社などと呼ばれて居た現在地に合祀された。
数多く並ぶ摂社の一つにこの地に縁深い橘諸兄(たちばなのもろえ)を祀った橘神社がある。
境内右手斜面上には稲荷社が在り、その脇参道右手に、このひと目で古式な鎌倉期の建立と解る石塔の残欠がある。
かつてここには観音堂があり、千手観世音が安置され、この石塔残欠も観音堂の遺構の一部だとされて居ます。
花崗岩製、基壇は幅約80cm高さ約40cm足らず、四方ともに素面・・・、これだけの物にこの基壇ではちょっと寂しい
上に置かれた軸部は高さ幅共に約50cm、線彫り月輪の中に金剛界四仏の種子を、深く鋭い薬研彫りで刻み込む。
その上には反りの浅い笠石が四段、初層部は少し欠損・・・・、明治以前は十三重あったと伝えられて居ます。
東から、阿閦如来のウーン
南には、宝生如来のタラーク
西側、阿弥陀如来のキリーク
北には、不空成就如来のアクを刻み、方角も有って居ます。
傍らには多分観音堂遺構だと思われる礎石が一台置かれて居た。
参道を下って地蔵禅院の境内に目をやれば、ギョギョギョ・・・・・
ええっ・・・これって二つで九段の笠石、相輪部は少しおかしいけれど・・・
笠石の大きさや様式形状も見た目、僕には等しく見えます。
これが5段目から8段目まで・・・
こちら9段目から13段目と相輪部・・・、相輪部と笠石上部のバランスが悪く別物だろうか??
おまけにこの基礎石は玉津岡神社にある台石の下に置けばピッタリのような??元々二重基壇では無かったのか。
昭和48年、歴史考古学研究会による調査に依り、玉津岡神社に残る石塔の残欠と地蔵禅院に残る石塔上部が元々一つの十三重の塔だった可能性が浮上したと言う。
この調査により鎌倉時代中期の建立と判明し、京田辺市草内 法泉寺の十三重石塔(1278年建立・重要文化財)に匹敵することが明らかになったそうです。
僕もそう思うのだが・・・、これは何??
撮影2013.3.20