
奈良県山添村と三重県名張市に県境を挟んで同じ葛尾(くずお)と云う集落があり、その昔は同じ集落だったで有ろう事を窺わせる。
仔細は知らないで居ることの方が良い場合も多いので深くは考えないが・・・・。
<三重県側葛尾バス停付近・・・奥に見える木立の向こうは奈良県側です。>
元は三重県側に有ったものか奈良県側に在った物かは知らないけれど・・・現在石仏の置かれた場所は三重県名張市葛尾に成っている。
いずれ道路拡張の邪魔になり磨崖仏だったものが切り出され、現在の料理旅館脇に移動されて祀られています。
まるで残欠のように三個のサイコロ状に切り出され、磨崖としてあった頃の姿は全く想像するしか有りませんが・・。
三個の石塊に分けられた向かって左端から、如来石仏、三体地蔵、次も同じく三体地蔵。
多分阿弥陀如来だと思われる立像は像高70cm足らずか?劣化が激しく像容もままなりません。
おまけに切り出し時の失敗か?光背上部が飛んでしまっています。
この岩は後の三体地蔵とは別の場所にあったのでしょうか?地衣類の付き方が全く違います。
中央岩の三体地蔵、方形に彫り込んだ中にぞ凡そ像高40cmぐらいの地蔵立像を三体。
右側の三体地蔵も中央にほぼ等しく・・・・、何故に六体じゃなく三体と三体なのだろう???
全く別々に刻まれたものだろうか??今となっては知る由も無い。
撮影2011.4.10
此れなんかはまだ良い方で、破壊されてしまったり行方不明になったものも有るそうです。
時代の流れと言えばそれまでですが・・・
蛇行が激しい暴れ川なので犠牲者の冥福のために刻まれたものだろうかとも思ったり・・・。