愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

平重衡卿之墓

2006年02月10日 | 風物:陵墓
1184年の一ノ谷の戦いで源範頼・義経軍に惨敗。
自害しようとしたところを取り押さえられて捕虜となる。
鎌倉に送られた後は源頼朝の厚遇を受けるが、大仏焼き討ちを深く恨む南都勢力による再三の引渡し要求によって、翌1185年6月23日に南都に送られ、程なく木津河畔にて斬首処刑され、奈良坂に梟首された。

この安福寺は、平重衡の菩提を弔うために建立されたと伝えられ、この本堂を哀堂(あわれどう、)と言われている。

又本尊の阿弥陀仏は、重衡の引導仏だと言われている。

平重衡卿之墓と称されているのは鎌倉時代の十三重石塔で墓石ではない。

墓と言うものではなく供養塔として造立されたか、もしくはどこかにあった塔を供養塔として利用したのかもしれない。







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