木津川西岸、木津川市に北接する精華町はその西部丘陵地に京阪奈学研都市の誕生により大きくその姿を変貌した地域です。
現在も都市化進行の中、町の中心地からは目と鼻の先、その波からぽつんと取り残されたような北稲八間の集落が在る。
ゲートボール広場と集会場が対峙する集落中心より、集落内を西へ約200m、丘陵裾高台にこの辺りでは聴きなれない武内神社が鎮座しています。
南山城には割り拝殿の神社が多いのですが、ここの割り拝殿は上の写真のように、少し変わった格好をしています。
武内神杜はその名の通り、南山城に強い関連性を持つ 「武内宿禰(たけうちのすくね)」を主祭神とする古社です。
そんな本殿脇、山裾に見慣れない石仏を見かけました・・・・ちょっと失礼して注連縄を外します。
舟形光背を持つ総高約1mばかし、どう見ても見慣れてる地蔵や如来石仏ではありません、青面金剛や不動明王にも似てなくも無いですが違います。
如何も天部像のような気もしますが単立の天部石仏など見たことも無いしなあ??
右手に棒の様なもの左手には・・何だろう良く解らない(書物には宝塔とあるがどうも違うようです)、両足で邪気だと思われる頭部踏んでいる。
着衣は穏やかに見えるがやっぱり戦闘服、鎧のようにも???
気掛かりなので家に帰って、早速調べてみました・・・
祭神「武内宿禰」の本地仏が毘沙門天だということが確認出来、総合的にはどうも毘沙門天像のようです。
多分江戸期の造立、石仏的にはそれ程価値在るものとは思えませんが・・・・、ひょんな所でひょんな石仏さんに出遭いました。
しかし穏やかな顔の毘沙門天やなあ???
撮影2012.1.31