「京都六地蔵」の一つ、上鳥羽地蔵として知られる浄禅寺の東西両参道脇に立つ二体の石仏。
上鳥羽地蔵「浄禅寺」は、恵光山浄禅寺という浄土宗の寺院ですが、小野篁(おののたかむら)縁の六地蔵の一体を祀る地蔵堂が建ち・・・
今でも信仰篤く、八月の縁日には人波の耐えることはない。
また浄禅寺は「恋塚浄禅寺」とも呼ばれ、通りに面した木立は袈裟御前の首塚(恋塚)といわれ、平安時代の悲恋を今に伝えて居る。
参道は恋塚を挟む様に南北に有り、その両参道入口にそれぞれ古石仏が立って居る。
向かって右手、南側参道脇に安置された石仏は像高約1m・・・・
頂部は欠けて居ますが、丸みのある舟形光背を持ち、
大きい二重蓮台に結跏趺坐する定印阿弥陀坐像を厚肉彫りで刻み出して居る。
力強く彫り出された像容や蓮台形式から鎌倉期の造立。
しかしその頭部、肉髻には大きな穴が穿たれ痛々しい。
片や、向かって左手北側参道入口わきにも一躰の阿弥陀石仏。
こちら植え込みに半身隠れる様に有り殆ど目立ちませんが・・・・・南側の石仏に酷似するものの、光背は頭部上方で欠損。
上から覗くと蹲にでも転用していたかの様な大きな窪み・・・。
この二体の石仏達もまた、京都を揺るがした戦乱や災禍にに翻弄され続けたのだろうか??
撮影2012.9.6