2~3日前に紹介した「釘抜地蔵」の石像寺より少し下がった千本今出川東入る北側、般舟院陵脇に立ち並ぶ石仏。
般舟院陵は般舟院に隣接する御柏原天皇の母、「源朝子」陵以下三分骨所十墓からなる陵墓で、般舟院が伏見より寺の移転とともに移されたと言われて居ます。
その脇の小高い土壇の前に小石仏を10體程従え、中央に叡山系の阿弥陀石仏が有る。
この小高い土壇は百人一首「玉の緒よ 絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする」で馴染みの「式子内親王」の墓と伝えられ、頂部にが五輪塔も建って居る。
中央に立つ阿弥陀石仏は幅の狭い舟形光背を背に蓮華坐に結跏趺坐、定印を組み厚肉彫りで刻みだされて居る。
総高1.4m、像高88cm、尊顔体部の肉付けも良く、鎌倉期の特徴を良く現して居る。
両脇には小石仏ながら薬師と地蔵も並べられ墓守の石仏なのだろうか??
ここは宮内庁管轄の陵墓内、土日は扉が閉じられ拝観出来ず、注意を要する。
撮影2012.9.6