愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

大津市 寂光寺「藤尾の磨崖仏」 

2011年09月17日 | 石仏:滋賀

この磨崖石仏はずっと以前から知っていたが写真は撮れないものだとあきらめていた。

それがひょんなことから前もってアポイントさえ取れば撮影も許されると聴き石仏好きの友達と一緒に出かけた。

この地は小関越えと呼ばれる京都山科から大津三井寺に抜ける往時の街道沿い、ちょうど京都府境は小川を挟んで目と鼻の先、大津市とはいえまだまだ京都市内の一部のような気がする処です。

寂光寺は小高い丘の上に建つ立派な鉄筋コンクリートの寺ですが磨崖石仏は一段下、一見民家のようなお堂の中に有りました。

中に案内され、明かりを点けられると正面奥、白壁を背に見事な磨崖石仏が現れます。

磨崖石仏は高さ約3m、幅約6mほどの山形をした花崗岩に刻まれていて、往時は露仏で街道を行く人たちの休憩場所にもなっていたようで、後簡素なお堂が建ち、山田堂、とも観音堂とも呼ばれていたようです。

正面には見事な二重光背を持つ、座高約1.5mの定印阿弥陀坐像が厚肉彫りで刻み出され光背面には頂部に「キリーク」を刻み、左右に12の梵字を刻みだす。

顔容も張りがあり、よく引き締まって美しく、体躯の彫りも流れるように見事で大きな蓮弁は、なぜか下方に開いています。

向かって左側には同じく二重光背の古式な錫杖を持たない地蔵菩薩立像・・・・

右脇には観音・勢至の両菩薩像が刻み出されています・・、阿弥陀三尊がこういう配置で見れるのも珍しい。

この中心をなす四体は様式や彫法が同じで阿弥陀右脇に銘があり鎌倉中期、延応二年(1240)の造立。

 最右端にはやや大きく舟形光背を持つ釈迦如来??各尊像脇や上部には小さな何体もの石仏が追刻されています。

観音像より右側は織田信長の戦火に遭い少し焼けただれています。

それにしても目を見張るほど美しい磨崖石仏です。

撮影2011.6.12