前回紹介した磨崖と道を挟んで隣の斜面に突き出した大岩にも多くの石仏が刻まれています。
磨崖石仏のある斜面の上は畑地に成っていて、いかにも山岳集落(山岳と云うには物足りない標高ですが・・・)、老婆が畑作業をする長閑な景観が見られます。
ここでも磨崖石仏の傍らには個人墓の石塔、石仏は岩の表面を三段に分け横一列にびっしり彫り刻まれています。
この磨崖は南向きにも関わらずびっしり苔むし、風化の傷みも進んでいます。
石仏の真上にある木立の陰が苔には最適な環境を提供してるのかも・・・。
この辺境、渓谷沿い斜面の村にとって永禄年間の山津波は未曾有の天災だったに違いありません。
天を恐れ仏に救いを求めたものでしょう・・・・・。
素人彫の様な拙い造形に村人の切ない願いが滲んでいるような・・・
右側上部の月輪の中は胎蔵界大日の種字「アーンク」だという・・・。
斜面を少し上がった岩にも二対の双仏磨崖・・・・いかにも野の仏。
更にその傍らにもう一尊
ここまで村人を石仏造立に掻きたてた山津波は想像を絶するものだったに違いない・・・・・。
撮影2011.5.7