山城の母なる川、木津川がその流れを大きく東西から南北に変える曲がり角、東南岸域に位置する山城町は、古くより拓けた土地柄で今に往古の面影を数多く留めている。
中でも山城町北端に近い綺田には、丈六で国宝の白鳳金銅仏を有する蟹満寺が有り、すぐ傍らには綺原座健伊那太比賣(かにはらにいますたけいなだひめ)神社と言う古めかしい名前を持つ式内社がある。
詳しく触れると長くなるので端折りますが、養蚕技術をもたらした渡来系豪族・秦氏の創起(先祖)とも言われる「健伊那太比賣」を祭祀しています。
その脇参道入り口の一画に「大日如来」の扁額が掲げられたお堂があって、鉄の格子扉の奥に古びた石仏が三体祀られている。
鉄の格子戸には厳重に鍵がかけられ全体像を伺い知ることは不可能ですが・・・・・向かって右端の石仏が大日如来のようですが・・・。
それでも鉄格子の隙間からコンデジを入れ込み何とか撮影を試みました。
なかなかどうして立派な板碑石仏です。
総高約1.2m、幅約50cmの花崗岩板碑の頂部に舟形を彫りくぼめ、凡そ像高60cmの石仏を中肉彫りで刻み出している。
法界定印を結び、光背外部の線彫り蓮弁に座す胎蔵界大日如来座像の様にみえまが・・、もしかして阿弥陀如来なのかもしれません。
顔容は殆ど磨耗風化のためか伺い知ることは出来ませんが大きく張った肩や膝の像容はかなり古式な感を受けます。
後に地元図書館で郷土史の本を確認すると、安土桃山時代の慶長四年(1599)の記銘が有ってそう古いものでは無さそうですが・・・
ちょっとあまり見かけない板碑石仏の様な気がします。
後の二体については殆どさっぱり解らずじまいでした。
撮影2011.6.15