愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

上野市鍛冶屋 浅間(せんげん)さんの磨崖石仏<更新>

2011年06月28日 | 石仏:三重

何処で撮影したものか??はっきり憶えていないが取りあえずUPしておきます。

伊賀市の余野の花垣神社から同じく伊賀市市部の垂園森に向かう道中で撮影したものに間違いないのですが???

いつもの癖でアチコチ寄りながらの移動なので最短距離を走るわけでもなく・・・

小川に沿った田舎道、山手から川の流れが有って合流する付近に小さな堰が設けられ向こう岸のコンクリート擁壁を造るのに邪魔になったのか切り離された磨崖石仏が擁壁から突き出したコンクリートの土台に載せられ祀られている。

凡そ2m角ぐらいの岩肌に舟形光背を彫りくぼめ像高1m近い地蔵菩薩立像を半肉彫りで刻み出している。

連座の上に立ち、丸顔で優しそうな顔つき、スマートな体躯で右手には大きな錫杖、左手には宝珠をもっている。

案内板も無く近くに民家も無いが真新しい花が手向けられていたので近くの集落の信仰の対象で有ることには違いない。

再度確認しようと思っているが、ご存知の方が居られましたらお知らせください。

この辺だとは思いますが、地図のポイントに自信はありません。

撮影2008.4.20

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此処から下部は再度訪れ確認してきた時のものです。

場所はここでした・・・。

地域での呼び名は浅間さん・・・・、富士講の名残で大峯山や富士山に上る前に此処で水垢離して身を清めたと言う。

上流域に開発されたゴルフ場のおかげか水は濁り、とても水垢離場だったことが想像できるような状況では無い。

今回行ってみて向かって右側面にも地蔵の半身ほどの阿弥陀が刻まれているのを再確認してきました。

像容に共通点が見られ同時期に刻まれたもののように見受けます。

つい傍の道を挟ん反対側には簡素な地蔵堂があり・・

腰折れ地蔵と呼ばれる地蔵立像箱石仏が祀られています。

良く見ると顔の形が磨崖のものと良く似ていませんか??

撮影2011.4.17


大津市 長安寺牛塔

2011年06月28日 | 石塔:石造物

車ではこの寺に横付け出来る道は無い・・・・。

そのためか大津市街の中心地近くに在っても訪れる人も殆ど無く、小さな庫裏に人の気配も無かった。

市街地近くとは言え森閑とした中に建つ本堂にはセンサーがついてて、僕を感知すると不審者でも威嚇するような読経だけが虚しく流れる・・・・。

簡素な本堂の前には時代を経たような牛の置物。

京都から大津市街地に向い逢坂山を越へ、家並に出くわした辺りの左手、山の斜面に長安寺はあるが、この付近屋並みが建ち込み進入駐車共に不可能です。

寺は家並を越え「京阪京津線」の線路跨いで参道が続き、線路を越えるとすぐ左手空き地奥に巨大な宝塔が建つ。

窓を開ければ届きそうな位置には一昔前のアパートが建ち・・・、なんとも地元文化財行政のお粗末さを感じないわけには行かない。

往古、付近に有った大寺「関寺」が天延四年(976)の地震で大破、復興に際して使われた一頭の牛に霊牛であるという噂が立ち、その死後、その供養のために造立されたという。

後、関寺は焼失し衰退、江戸時代初めには長安寺へと名前を変え、石塔もこの寺へと引き継がれることになって現在に至る。

宝塔は信楽焼きの無骨で巨大な茶壷のような塔身上に六角笠を載せ、その頂に宝珠を置くと言う素朴さで野趣に富む。

宝塔の塔身は見事で実に堂々としたカーブを持つ花崗岩製、 基礎部は何故か八角形

 

剛健、素朴なこの牛塔は高さ約3.5m、鎌倉初期の造立、重要文化財に指定されている。

石造宝塔としては最大級とされている。

撮影2011.6.19