HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

COLD FINGER GIRL ~BLAND NEW CADILLAC

2011-05-31 21:34:35 | 日本のロック・ポップス

      

今年の1月に出た栗山千明のシングルは浅井健一作の『COLD FINGER GIRL』だった。
コーラスで浅井の声が聞こえ、ギターも紛れも無く浅井の音だと思いながらジャケットに印刷された
クレジットに目をやると・・・・。バックはポンティアックスじゃないか。これはいいや。だけどここまでの
トラックがあるなら、浅井のリード・ボーカル・バージョンもあるのじゃないか?。それが栗山の
レコーディングのガイド・ボーカルになったはずだし、なんて妄想をたくましくしていたら、何と本当に
ポンティアックスのバージョンがシングルで登場した。

いや、単純にポンティアックスのバージョンの存在のことを思ったのは他にも理由がある。
栗山のシングルの初回版にはプロモを収録したDVDが添付されていて、そこには何とダッジ・チャレンジャーが
登場する。一目見て見間違い様の無いフォルムに痺れて、更に栗山の美貌に痺れたついでに、もう一度
アルバムのライナーを見ると、プロモを撮影した監督が、ダッジを使用することがプロモの最初のイメージで、
ポンティアックでなかったのは御愛嬌、なんて書いてある。複線というのはあるものだ。

古くさい洋楽を中心に聴いている私だが、たまにこういう刺激があると、いい気分転換になる。

      

今回のポンティアックスのシングルのカップリングにはヴィンス・テイラーの『BRAND NEW CADILLAC』の
カバーが収録されていて、これは私には嬉しい驚きだった。ちょうど考えているカバー・ソング100選で
クラッシュが演奏する『BRAND NEW CADILLAC』を選出することを決めていたから。
何度も同じ写真をブログに登場させるのも気が引けるが、格好良いものには敵わないので再度掲載。

チリビーンズを買いにゆこう
傷だらけのポンティアックで・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BROWN EYED HANDSOME MAN~カバー・ソング100選への道・その17

2011-05-30 04:30:09 | ROCK

チャック・ベリーのカバーはごまんとある。単体でカバー集を編めそうな気もしたのだが、それよりも
今回の「カバーソング100選」に格好良いバージョンを選ぶことが先決だ。

掲載写真はザ・バンドが73年に発表した「MOONDOG MATINEE」。このアルバムが出された背景には
長い休息期間後にニュー・アルバムを出そうとしたが、過去作に匹敵する曲を生み出すまでに至らず、
それなら新曲を作る軋轢に耐えるより、昔から親しんだ曲を楽しく且つ新しい解釈を加えて演奏しようと
いう事情があった。ロビー・ロバートスンと他のメンバーの間の緊張を、なるべく当たり障りの少ないように
緩和するという意味でも最善の策だったと言える。

なんだか意地悪な物言いになったが、素直に自分達のルーツに立ち戻ったとか、カナダ人(レヴォンを除く)
として憧れたアメリカを再現したとか、そういうロマンティックな思い入れが入り込むのを、
邪魔するものではない。

それでは、このアルバムに収録されたカバーの数々がオリジナル超えたか?、という問いには
私は「そうでもない。」と答えてしまうだろう。『第三の男』のカバーは、オリジナルの美しさを超えている
とはとても言い難いし。それでもリチャードが歌う、アルバム収録曲中では最も有名であろう『THE GREAT
PRETENDER』やリックの歌う『A CHANGE IS GONNNA COME』は好きなカバーだ。

そしてチャック・ベリー・カバーが『PROMISED LAND』だ。ボーカルはレヴォン・ヘルム。ここで聴くことが
できるレヴォンのドラムスが最高で、正確なリズム・キープよりも生き生きした揺れこそ気持ちよさの根幹、
すべてのドラムにヒットする強さも一定でないのが、また生々しく気持ち良い。シンコペーションの妙という
やつだろうか、ロックというフィールドの中ではこんな歌心のあるドラムを叩く人は、他に思い浮かばない。
ベン・キースのスティール・ペダルもワウを踏んだギターのような効果を出していて面白い。

 

これ以外にチャック・ベリーのカバーで好きなのが、ジミ・ヘンドリックスの『JOHNNY B. GOODE』。この時の
録音は映像でも見ることが出来る。何を隠そう、私はウッドストックやモンタレーではなく、バークレーでの『JOHNNY
B. GOODE』を見て度肝を抜かれ、真剣にジミを聴くようになったのだ。強烈なギターにばかりスポットが
当たりがちだが適当に歌っているようで、味のある抑揚のある歌唱も聴き逃せない。

そして、MC5の『BACK IN THE U.S.A.』。この勢い溢れる痩せた狼の遠吠えのような演奏に何も感じなければ
まあ、それまでなのだが。当時のアメリカの反体制の象徴のようなMC5がアメリカ賛歌を歌ったのは、
これも自身のルーツに忠実で尚且つ、アメリカで生きるということを必然として受け入れていたということなのだろう。
歌詞中、オリジナルでは「我が家があるセント・ルイスに帰る」とあるところを「チャック・ベリーのホームである
セント・ルイスに帰るのさ」と歌うところに愛がある。

というわけで、チャック・ベリーのカバーは今回のカバー・ソング100選の中で3曲選ぶことにした。

そして、最後に大事な事を記しておかねば。

ザ・バンドの曲やアルバムには好きなものが多いが、バンドがキャリアを重ねるに連れてロビーの発言には、
個人的に相いれないものを感じることが多い。しかしながら、ザ・バンドの曲のカバーの中で、ザ・バンド特有の
グルーヴを超えるカバーには辿り着けなかった。
ザ・バンドは自らの楽曲で、他者の解釈では真似の出来ない、他者には掬いきれない魅力を十二分に
表現していた。これは間違いのない事実である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追悼 ギル・スコット・ヘロン

2011-05-29 08:10:12 | DAY BY DAY

         

ギル・スコット・ヘロンが5月27日亡くなった。死因は不明で享年62歳。
ギルを取り上げるのは当ブログで3度目となるが、これが追悼記事になってしまった。

掲載写真左は70年の1ST「SMALL TALK AT 125TH AND LENOX」。
ギルは「ラップの元祖」と言われる。これは初期のフライング・ダッチマンから出た一連のアルバム、特に
デビュー・アルバムは、パーカッションをバックに言葉を乗せたものをレコードにしていた
ことからもわかる。しかし、そう呼ばれる最大の要因は、ギルが黒人であったということだ。
ブルーズを根底に持ち、裕福でなく差別の対象であった黒人が紡ぐ言葉はジャズと結びついても、
年代がずれるとは言え、白人層からなる「ビート・ジェネレーション」達が行っていた「ポエトリー・リーディング」
の後に続いたとは言い難い。

掲載写真右はブライアン・ジャクスンとの連名で76年に出した「IT'S YOUR WORLD」。
ピアニストであるブライアン・ジャクスンとの出会いは、より音楽的な方向にギルを導き、2枚組の傑作に
その魅力は結実した。この頃のギルは「黒いボブ・ディラン」と呼ばれていた。
これはアリスタを作ったクライヴ・デイヴィスのギルを売る為の戦略で、このようなキャッチ・コピーが
黒人の側から出るわけが無いということは、理解すべきだろう。

       カバー・ソング100選にはポール・ウェラーが
ギルをカバーした『THE BOTTLE』を取り上げることは、構想を練り始めた早い段階で決まっていて、
いずれ記事にしようと思っていたが、思わぬ形でそれが早まってしまった。ウェラーの演奏するバージョンは
尺こそ短いが、アレンジは「IT'S YOUR WORD」にライヴ収録されたバージョンを参考にしているのだろう。
73年の「WINTER IN AMRICA」収録のオリジナル・スタジオ・バージョンは、ライブより幾分テンポは
遅いが、そちらも十分に格好良い。

THE REVOLUTION WILL NOT BE TELEVISED と、かつてギルは言った。
あの「9.11」の首謀者とされる男の殺害はテレビで大々的に報じられたのだが、まだまだ真実の
多くは闇の中なのだろう。革命は生だが、良きにつけ悪しきにつけ革命を阻止するための動きも
生だ。

現場感覚に溢れ現状の問題点を鋭く告発した、ギル・スコット・ヘロンの冥福を心から祈りたい。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

HEY BO DIDDLEY~カバー・ソング100選への道・その16

2011-05-28 07:29:40 | THIS SONG

       

HIP-Oから出たボ・ディドリーの「THE CHESS MASTERS」シリーズは、1種類も買わなかった。理由は簡単で
「VOL.1」を買い逃したら、あっというまに高額物件になってしまい、「VOL.1」が無いのに「VOL.2」と
「VOL.3」があっても収まりが悪いだろう、と言うわけである。だからといってチャック・ベリーは3種とも買ったかと
言うと、実は「VOL.3」は買っていない。とりあえず最初の2つで事足りそうだからなのだが、きっとそのうち
全部揃えてしまうのだろう。(笑)

掲載写真はボ・ディドリーのオリジナル・アルバムの中で、私が好きな男前ジャケット2種。左は60年発表の
「BO DIDDLEY IS A GUNSLINGER」。ギターを地べたに置くんじゃないの。(笑)早射ちが得意そうには見えないが
足元のギターに気を奪われているうちに、銃を抜くという算段か。(笑)この盤には後にキンクスがカバーする
『CADILLAC』が収録されている。

掲載写真右は74年発表の「BIG BAD BO」。ボ・ディドリーは59年の「HAVE GUITAR WILL TRAVEL」では
スクーターに跨っていたが、やはりこっちの方が格好良い。本当はリア・ジャケットの方がもっと格好良いのだけど。
正直な処、レーベル・メイトのチャック・ベリーのオリジナル・アルバムのジャケットが幾分、婦女子や白人の
若者受けを狙った感があるのに対し、ボは徹底して「イイ男」である自分を演出しているのがいい。
この盤は時代を反映して徹底的にファンキー。ボビー・チャールズやヴァン・モリスンのカバーも収録。
そういえば、ボ・ディドリーにはザ・バンドのカバーもあるのだが、今回は何れも100選には選ばなかった。

ところで私の中ではボ・ディドリーと言えば、何はなくとも?『MONA』である。

 『MONA』のカバーと言えば、即座に浮かぶのがこのアルバム。
ミック・ファレンが69年に出した1STアルバムは、タイトルもずばり「MONA : THE CANIVOROUS CIRCUS」。
デヴィアンツの流れを汲む混沌としたアルバムで、喋りや短い曲の断片のようなものと長尺のジャムを
組み合わせて組曲にしたかと思うと、出来の大して良くない『SUMMERTIME BLUES』があったり。
それでも、トゥインクやスティーヴ・クック(SHAGRAT THE VAGRANTという変名で参加)といった
ミック周辺の仲良しグループの参加は興味深く、未聴の方には二人のパーカッショニストの参加がもたらした
効果のほどを是非とも確認していただきたい。

『MONA』はアルバムの最初と最後に収められ、最初のは「断片」とサブ・タイトルが付いた3分ほどのバージョンで
最後のは7分を超える長尺バージョン。ボのオリジナルもそうだが、単純なコードの循環の繰り返しは
それ自体が「リズム」に成り得る。つまりメロディーを伴う「リズム」というわけで、これが強力で無いわけがない。
初期のストーンズが惹かれたのは、まさにこのリズムの力強さだと思う。
今回のカバー・ソング100選では3分強のバージョンを選出した。
 
 2004年にミック・ファレンが来日した時、某氏から「東京公演に招待で入れてやるから
来い」という有り難いメールをもらったのだが、残念ながら日程を都合出来なかった。
2004年の名古屋DAY TRIPでのライブは破格の580円という値段で販売され、当時のライブがどんなもので
あったかは、それで伺い知ることができる。あれから7年。東京公演を行ったハコは不測の事態で活動を停止し、
このビデオを撮影した名古屋のハコも今はもう無い・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YOU CAN DO A LOT WITH 100 WOMEN - 81

2011-05-26 04:37:59 | 日本のロック・ポップス

80年代後半から90年代末にかけて、森高千里の人気は絶大なものがあった。
とはいうものの、私は最初ほとんど興味が無かった。ブレイクしたのは89年のシングル
『17歳』で、南沙織のヒット曲のカバーということと、ミニスカートで露わにした脚線美を強調した
コスチュームで、若人だけじゃなくいい歳をした爺まで夢中になっていたのだが、私はというと
それほど好きなわけでは無かった。
周到に計算されていたであろう自身の見せ方が、そのコスプレ同様に本当に人形のようで、
美人なのだがそれが却って私にとっては、少々面倒くさく思えたのだ。

91年の『臭いものにはフタをしろ!!』の曲中で、ストーンズ公演を10回見に行ったヤツを
からかうような歌を歌ったから気に入らないのではない。アレはむしろ痛快だった。
確かにストーンズが初来日時に敢行した東京ドーム10回公演は一大イベントだった。2回しか
見ることができなかった私は、10回通える財力もなく、時間をコントロールできる地位にもいなかった
自分を恨めしく思った。しかしながら、そのうち10回見たことを自慢する回数自慢の輩の自慢話や文章を
幾つか見るようになり、なんだかそれがとても馬鹿げた事のように思えたのだ。
「回数自慢なんて、テクニックの無いヤツがすることで、俺なら濃厚な1回でキメられるぜ。」
と思ったものだ。

あれ、何の話だっけ?。(笑)

何れにしろ、件の曲は自称ストーンズ・ファン(イコール、俺こそが一番ロック好き)の痛いところを
突いた歌であった。相方はテレビに森高が映る度に「天敵!」と言ってた。確認のために
「天敵というからには、あっち(森高)の方が強いのか?」と聞いたら「そういうこと。」と素直に言うではないか。
つまり、自分に無い物を全て持っているということを認めたわけで、まあ、素直なこと。

そんな私が森高のアルバムを聴いてみようと思ったのが、98年のアルバム『今年の夏はモア・ベター』。
細野晴臣がプロデュースし、全ての楽器の演奏をしたというのがその理由で、これなら
「天敵」のアルバムを聴く口実にもなるし。(笑)細野が全ての楽器を演奏するということは、必然的に
打ちこみやキーボードを多用した音になると思っていた。実際その通りなのだが、不思議なことに巷に溢れる
この手の音と比べて、痩せた音で無くファットなのだ。流石は細野晴臣という感じで、この感覚は細野が
ベース・プレイヤーだったからかな、等と勝手な推測をしながら、このアルバムを楽しんだ。
森高の歌唱も可愛らしく感じたのだから、勝手なものだ。(笑)

このところ、森高の姿をテレビのCMで頻繁に見るようになった。再び相方に「天敵やな。」と問うと
「いや、違う。」と返すではないか。まさか、「もう勝った。」なんて思っていないだろうな。(笑)

今年の夏がモア・ベターになることを願って・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

買い物日記~記念撮影

2011-05-25 04:37:29 | DAY BY DAY

なんとなく、記念撮影。
今年のレコード・ストア・デイの7インチで、スムースに入手できた物が、とりあえず手元に揃ったので。
ストーンズとデレク&ザ・ドミノスは、以前に画像を掲載したので今回は端折ります。

    
    
    
    

結局まだニュー・ヨーク・ドールズ、ドアーズ、クラッシュ、サンディー・デニーといったところは入手できていない。
eBayで既にサンディー・デニーやクラッシュは、とても7インチとは思えない値段がついているし、
ドアーズも3枚揃えるのは金銭的に無理。どうしましょう。(笑)
因みに、ピーター・トッシュの盤は33回転盤である。『解禁せよ』と『平等の権利』というカップリングは
男前過ぎる。(笑)

 ロキシー・ミュージックの7インチ『VIRGINIA PLAIN』の裏面は
こんなふうになっていました。収録曲は『PYJAMARAMA』。次は『MOTHER OF PEARL』と『SENTIMENTAL
FOOL』の最強カップリングをお願いしたい。(笑)

今回は金も無いので、これで打ち止めとしますか・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I'LL BE HOME~カバー・ソング100選への道・その15

2011-05-24 09:43:02 | ROCK

昨日とりあげたティム・ハーディンのアルバム「PAINTED HEAD」にはランディ・ニューマンのカバー
『I'LL BE HOME』が取り上げられていた。実に好きな曲なのだが、ここで今回のカバー・ソングス100選の
更なる「縛り」を書いておく必要がある。

カバーするアーティストは1人(1組)1曲縛りを、今まで当ブログで編んできたカバー集同様適用する。
但し、カバーされる側はその限りではない。本当はチャック・ベリーやビーチ・ボーイズ、T.レックスのカバー集を
編んでみたいと思ったことがあるのだが、どうも満足いく曲がCD-R1枚分も無さそうなのであきらめた。
よって、今回のカバー・ソング100選ではカバーされる側は複数曲が選ばれることを許容した。

ティムの「PAINTED HEAD」は72年のアルバムだが、その1年前に『I'LL BE HOME』を取り上げた人がいる。
それがニルスンだ。掲載写真は70年のアルバム「NILSON SINGS NEWMAN(ランディ・ニューマンを歌う)」。
もう、ジャケットからして最高だ。車を運転するニルスンと後部座席にランディ・ニューマンが描かれた絵が
実に可愛らしく、アルバムの内容を端的に表現している。

ランディ・ニューマンの歌唱が上手いかどうかの判断は聴く人に任せるが、ニルスンの歌唱は素晴らしく
穏やかな中に説得力のある優しさと力強さの両方を携えている。ランディ自身ももピアノでアルバムに参加し、
アルバムに華を添えている。日本盤の『I'LL BE HOME』の対訳を読むと1番歌詞と2番歌詞をそれぞれ男女別の
立場で訳している。それを踏まえて聴くと歌い方の微妙な差異が、男女の立場をそれぞれ置き換えているような
気がしてくるのだが、そう思うとなんとも素敵な気持ちになれる。
ランディ・ニューマン自身のレコードとしては、70年9月(ニルスンのアルバムは2月発売)に録音され翌71年に
リリースされた「RANDY NEWMAN LIVE」が初出で、後に77年の「LITTLE CRIMINALS」にスタジオ録音として
収録された。つまり、レコード化されたのはニルスンの方が早いのだが、ランディ・ニューマンのカバー・ソングとして
100選に選出した。

 ニルスン自身も歌手としてだけでなく、ソングライターとして
優れた曲を書いている。そんなニルスンのカバーで印象的なのがBS&Tの1ST「CHILD IS FATHER
TO THE MAN(子供は人類の父である)」に収録された『WITHOUT HER』。幾分地味な感じのする
オリジナルに対し、この当時冴えに冴えていたアル・クーパーのセンスが炸裂する、お洒落なアレンジで
仕上げられたこの曲もカバー・ソング100選に選出した。
そうそう、プロデューサーのジョン・サイモンの貢献もあるだろう。

このアルバムにもランディ・ニューマンの曲が収録されているが、他にはティム・バックリーのカバーもある。
残りのほとんどはアル・クーパーの曲で、個人的にはこの路線が好きなのだが御存じの通り、アルは
バンド内での独善的態度故にこの1枚でバンドを追い出され、バンドは新ボーカリストを迎えて商業的に成功する。
1ST以降のアルバムもとりあえず何枚か聴いたが、どうやら私の嗜好は1STで終わっているようだ。

今はアーティストの多くが自身のHPを持ち、そこで自身のアルバムを販売している。私もそういったHPを
何度か利用したことがあるが、今年の地震の後に安否を気遣うメールを送ってきたのはアル・クーパーだけだった。
スタッフの教育が行き届いているといえば、その通りでそれだけの話なのだろうが、何となく嬉しかったので、
ここに記しておく。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

IF HE WAS ONLY A SONGWRITER~カバー・ソング100選への道・その14

2011-05-23 19:12:23 | THIS SONG

バッドフィンガー、いやピート・ハムの悲劇について想いを巡らすと、いつも到達するところは
同じだ。それはピートがバンドの一員でなく、職業作家だったら・・・ということである。
勿論、バッドフィンガーは素晴らしいバンドで、私もバッドフィンガー名義のアルバムは
「HEAD FIRST」は勿論、ピートのいない「AIR WAVES」や「SAY NO MORE」も所持している。
だが、バンドの一員であったことがピートの悲劇に大きく影を落としていると思うのだ。

バッドフィンガーの悲劇はアップル在籍中に、新しいマネージャーであるスタン・ポリーと契約したことから始まる。
財政困難なアップルを見捨て、新たな会社との契約を模索したスタンについていかざるを得ないバンドは
アルバムを作っても、あのアラン・クラインの妨害で新契約先のワーナーからは出せず、結局アップルから出した
ものの適当な扱いをうける。スタンはバンドに不利な支払条件ををメンバーの承諾なしに契約事項に織り込み
(こういうことには、当時のバンドマンは疎かったのだろう)、尚且つ勝手にワーナーの金を使い込む。
メンバー間の摩擦が大きくなる中で、それでも他のメンバーの誰よりもスタンを信じていたのはピートであったが
ワーナーとスタンの関係が破綻し、レコードは出せなくなりバンドへの支払いも履行されなくなる中、
悲劇が起ったというわけだ。

バンドというものは、自作の曲を採用されるかどうかでメンバー間で問題が起こり、マネージメント会社とは
バンド単位で契約している関係で、個人の身動きはとりにくい。そういう意味で、先に書いたようなことを
想ってしまうのだ。もし、ピート・ハムがバンドの一員でなくソングライターなら、もう少し身軽に動けたのでは
ないだろうか、と。

掲載写真は70年のアルバム「NO DICE」。ここに収録された『WITHOUT YOU』はニルスンにカバーされ
一躍有名な曲になった。
 その後も様々な歌手にカバーされ、最早スタンダードと言っても
いいだろう。しかし、そんな『WITHOUT YOU』も永遠の印税をもたらすであろう曲であるからこそ、後に
トム・エヴァンスとジョーイ・モーランドの間で揉め事が起こる。この曲の作者はピートとトムだが、曲が完成する
までの何らかの過程での貢献を理由にクレジットを要求すれば、バンドの人間関係が上手くいくはずもない。

 バッドフィンガーのアルバム「NO DICE」収録曲『MIDNIGHT
CALLER』はティム・ハーディンによって取り上げられ、72年のアルバム「PAINTED HEAD」に収録された。
ティムのこのアルバムは、自身がソングライターであるにも関わらず歌手としての自分を前面に出し、他人の曲ばかり
取り上げた盤である。バッドフィンガー・カバーはもう1曲『PERFECTION』をとりあげていることから、ティムは
ピートのことを高く評価していたことが伺える。他にもジェシ・ウィンチェスターの『YANKEE LADY』のカバーや、自身の
ルーツであるブルーズのカバーも聴きごたえがある。

ニルスンにしてもティム・ハーディンにしても、自身が作家として優れた曲を書くことが出来るにも関わらず
ピート・ハムの曲を取り上げた、ということが更に私の中でこの記事の冒頭で書いた想いを強くさせる。

『MIDNIGHT CALLER』の最後のバースでは「NOBODY THERE , NOBODY」と歌われる。
思えばティム・ハーディンの人生も悲劇の連続だった。
それでも、心あるロック者にとってピート・ハムのこともティム・ハーディンのことも「誰も知らない、誰も知らない」
なんてことは無いのだから。
カバー・ロック100選にはティム・ハーディンの歌う『MIDNIGHT CALLER』を選ぶことにしよう。

さあ、そろそろ私も家に帰る時間だ。

I'LL BE HOME・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GROUPIE~カバー・ソング100選への道・その13

2011-05-22 10:37:07 | THIS SONG

掲載したのは、アバの「GOLD」のジャケットによく似たジャケットのカーペンターズの「GOLD」。
アバの「GOLD」が最初にリリースされたのは92年でカーペンターズの「GOLD」は00年の発売。
どちらも最初は1枚物のCDだったが、後にDVDが添付されたりして何度も再発されるヒット商品となった。

私が所持するカーペンターズの「GOLD」は2005年に出た日本盤で、ユニバーサル・ミュージックが
年末商戦を見越して、オリジナルの「GOLD」に同名のDVD、更に季節柄か「CHRISTMAS PORTRAIT」を
抱き合わせた都合3枚組仕様。豪華なのか便利なのか私には判り兼ねたが、値段が安かったのは確かだ。

カーペンターズもアバと同じく、一本気なロック者の私には遠い存在だったが、カーペンターズの場合は
カーティス・メイフィールドのライブ盤に収録された「WE'VE ONLY JUST BEGUN」、更には作者の
ロジャー・ニコルス&ポール・ウイリアムスのデモを収録したCDを聴いて、そのうち聴いてみようかなとなったわけだ。
 
カーペンターズの曲で一番好きなのは『SUPERSTAR』だ。レオン・ラッセルとボニー・ブラムレットの二人によって
書かれた曲でオリジナルはデラニー&ボニーの69年のシングル『COMIN' HOME』のB面に収録され、その時のタイトルは『GROUPIE(SUPERSTAR)』だった。曲のタイトルが正式に『SUPERSTAR』になったのは翌70年で、
ジョー・コッカーのライブ盤「MAD DOGS & ENDLISH MEN』に、リタ・クーリッジの歌唱で収録された。

カーペンターズがこの曲をヒットさせたのは71年。このヒットがあったから、というのは穿った見方かも知れないが
翌72年にデラニー&ボニーは二人の共同名義では最後のアルバムになる「D&B TOGETHER」にこの曲を収録した。
つまり、カーペンターズの『SUPERSTAR』は厳密にはデラニー&ボニーのカバー・ソングということになる。
しかし。『SUPERSTAR』というタイトルになってレコード化されたのはリタの歌唱のバージョンで、しかもそれは
ジョー・コッカー一座のライブでのワン・コーナーで歌ったもので、やはり私にはカーペンターズの印象が強い。

 とどめが、コレだ。94年に出たトリビュート・アルバム「IF I WERE A
CARPENTER」の中で、ソニック・ユースがカバーした『SUPERSTAR』を聴いてそれをとても気に入ってしまったのだ。
ソニック・ユースのプロモ・ヴィデオはカーペンターズのプロモを意識したもので、メンバー全員が正装して演奏し、
紗がかかった映像処理やマイクに反射する光の一つ一つに至るまで雰囲気を似せ、尚且つそれがジョークでなく
尊敬の念に溢れているように見る者に思わせるところが素晴らしい出来であった。

そんなこんなを合わせて、ソニック・ユースの『SUPERSTAR』をカバー・ソング100選に、カーペンターズの
カバー・ソングとして選出することにした。
掲載写真は7インチで、ソニック・ユースはB面の収録であった。赤いカラー・ヴィニールというのが嬉しい1枚。

因みに日本最強のロックンロール・バンド、ザ・グルーヴァーズは09年のアルバム「ROUTE 09」で
『YESTERDAY ONCE MORE』をカバーした。もう、カーペンターズを聴かない理由は無いね。(笑)


IF I WERE A CARPENTER・・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ABBA - ZABA ~カバ・ソング100選への道・その12

2011-05-21 11:15:59 | THIS SONG

私が京都で大学生活をしていた頃は、頻繁に中古レコード屋に通った。大阪遠征も当たり前だったが
今は、たった三駅先のレコ屋に行くのも億劫になってしまった。足で稼ぐという基本を怠っているから
最近は心ときめく出会い(笑)もなかなか無い。

品揃えの悪い店には、当然足を運ばなくなる。今もあるのかどうか知らないが、京都の宝盤堂という
レコ屋は不気味だった。照明がなんだか薄暗かったような気がするし、レジではバイトの女が、その彼氏か友達か
わからない黒人といちゃついていたし。まあ、大概は愛想のない親爺がいたような気もする。(笑)
何度か行ったものの、買い物が全く無い日が続き、「これで外れなら二度と行かない。」という決意の下(笑)、
出掛けたある日のこと。

以前から私の嗜好からすれば大した品揃えで無いと思っていたが、レコードの「A」のコーナーを探すと、
出て来るのはアバばかり。「A」で始まるアーティストはアバしかいないのか、というくらいアバだらけ。
ミック・ジャガーが主演の映画「RUNNING OUT OF LUCK」の中で、迷い込んだ土地のレコード屋で自身が
ストーンズのミックであることを証明するためにレコードを探すのだが、出て来るのはフリオ・イグレシアスばかりと
いうシーンがある。それを見た時、薄暗い宝盤堂でレコードを繰った数年前の自分を思い出して笑ってしまった。
勿論、それから宝盤堂に行くことは二度と無かった。

中学生の頃から好むと好まざるとに関わらず、アバのヒット曲は知っていた。それだけラジオでのオン・エア回数が
多かったということだが、その後続々と登場するディスコを意識したキャンディー・ポップの連中を
どれ一つも好きになることなく、ストーンズ者となってしまったのでアバのレコードなんて買ったこともなかった。

それから30年近く経ち、なんとアバのCDを買ってしまった。(笑)掲載写真の「ABBA GOLD」は19曲の
ヒット曲を集めたベスト盤で、添付されたDVDには、その19曲全てのプロモビデオが(幾分、後付けの映像も
あるが)収録されている。なんで今更こんなものを買ったかというと、『DANCING QUEEN』が聴きたくなったから。

 ダン・ベアード率いる、ヤイフーズの01年のアルバム
「FEAR NOT THE OBVIOUS」にはアバの『DANCING QUEEN』のカバーが収録されている。
それが、なんだか場違いの選曲のようでありながら格好良くて、それは2011年の今聴いても、やはり格好良い。
女性ボーカルの曲を男が歌うのもいいなあと思ったのは初めてではないが、ジョージア・サテライツとアバの
どこにも共通項が見当たらないという、新鮮さがよかった。
あと正直に言えば、いつぞや見たテレビ番組「弾丸トラベラー」で菅野美穂がスウェーデンに行った際に宿泊先の
アイスホテルで『DANCING QUEEN』が流れてくると、バーで飲んでいた客が皆踊りだしたというシーンが
印象深かったというのもある。(笑)

10代の頃は「絵的にキツいなあ」と思っていたアバのお姉様達も、今の私からすれば、そんなことはない。
それだけ私が歳をとったというだけの話だが、CDやDVDから流れて来るアバのヒット曲は懐かしさを誘うと
同時に曲本来の良さを改めて気付かせてくれる。やっぱりこれも私が歳をとったからか?。(笑)

というわけで、カバー・ソング100選にはヤイフーズの『DANCING QUEEN』を選ぶことにした。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BACK TO THE SOUL~カバー・ソング100選への道・その11

2011-05-20 22:36:03 | THIS SONG

トッド・ラングレンの新作はロバート・ジョンスンのカバー集である。近年のトッドのアルバムは
購入するものの、一度聴いたらそのまま押入れ行きみたいな感じで、なかなか愛着のある盤に
出会えない。ギター弾きまくりなんだろうけど、今回のカバー集もなんだか買うのに腰が引けてしまう。
2010年にUSBスティックで発売されたライブは、「魔法使いは真実のスター」の再現と
ロバート・ジョンスンのカバー大会で構成されていたので、大体どんな感じかは想像がつくが、
正直な処、そのライブを聴く限りでは私自身はあまり良い印象を持たなかった。
というよりも、「魔法使いは真実のスター」全曲演奏の快挙に持っていかれてしまったという感が
強かったもので。まあ、今回のカバー集もそのうち買うのだろうけど。(笑)

おっと、ここで『カバー・ソング100選』を選出するにあたっての、「縛り」の一つについて
触れておかねばなるまい。それは、所謂ブルーズのカバーは選出しないということだ。
『200選』くらいなら問題ないのだが、100曲しか選べないとなるとブルーズのカバーは居所が無い
というか、配置に困るというか、キリが無いというか・・・。今更感も強いので今回は「縛り」の一つに
したというわけである。

掲載写真は10年に出たトッド・ラングレンの2枚組ベスト盤「HELLO IT'S ME」。往年のトッド・ファンには
たまらないジャケットであろう、この写真は74年に出た日本編集のアルバム「HELLO IT'S ME」の
ジャケット写真で、それを10年にそのまま流用したというわけだ。髪を七色に染め、バッチリとメイクした
トッドのこの写真は強烈で、まさに全盛期のトッドが出した一連のアルバムで感じることが出来る
おもちゃ箱のような楽しさを写真化したようなものだ。
この2枚組はトッドのソロだけでなく、ユートピアの曲も収録していて70年代から80年代前半にかけての
トッドの歴史を簡単に辿れるところが便利だ。時系列に並べられているわけではないが、どの曲も
ファンにはお馴染みの曲ばかりで、気楽に楽しむのが正しい接し方だろう。

正直なところ、ユートピアは(特に初期)得意ではない。「2ND WIND」を出した後のトッドの来日公演を
長岡京市で見たのだが小雨が降る中、開場を待って並んでいると京都の某レコ屋の店長が私に話しかけてきた。
「なんだ、来てたんや。久しぶりのトッドやけどユートピアだったらもっと良かったのになあ。」と。
「いやいや、ユートピアでなくて良かったですよ。」とは言えず、笑って「御無沙汰してます。」なんて
お茶を濁したことを思い出した。昔は話を振っても大して興味無さげだったのに、今はラ○ーズのブートを
大量に販売しているのが不思議な、この店長にはブードゥー・ラウンジ・ツアーのストーンズの東京ドーム公演
でも顔を合わせた。何万人もいる中で唯一知った顔に遭ったのが、この店長だったというのも
今思えば笑える。あの時も小雨が降っていたなぁ。

話が大きく逸れた。(笑)

トッド・ラングレンがカバーした曲と言えば、すぐさま思い浮かぶのが「A WIZARD A TRUE STAR」収録の
ソウル・メドレーだ。

      
      

I'M SO PROUD (THE IMPRESSIONS)~OOH BABY BABY (SMOKEY ROBINSON & THE
MIRACLES)~LA LA MEANS I LOVE YOU (THE DELFONICS)~COOL JERK (THE CAPITOLS)
という4曲のメドレーがそれだ。このメドレーについては、以前キャピトルズのアルバムを取り上げた際に
書いたことがあるが、今でもこの並びは素晴らしいと思っているし、最後に「COOL JERK」を配したことは
それこそ、トッドの頭の中で飛び交う無限の遊び心を具現化したものだとすら思っている。

ライブで見たトッドは、素晴らしいマーヴィン・ゲイ・メドレーを聞かせてくれた。ブルーズ・カバーもいいけど
次はソウルの名曲をとりあげたカバー集を創っていただきたいと、切に願うのであった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I LOVE ROCK AND ROLL~カバー・ソング100選への道・その10

2011-05-18 22:24:40 | THIS SONG

ジョーン・ジェット&ザ・ブラック・ハーツの『I LOVE ROCK AND ROLL』がラジオから流れてきた
時のことは今でも覚えている。深夜のAMラジオだったのだが、まんまのタイトルといい、判り易いギター・リフといい
一聴して好きな曲になった。その後何度もFMでも聴き、テレビでプロモ・ビデオも見た。その際、
曲の前後で「ジョーン・ジェットは元ランナウェイズで・・・」という紹介は何度も聞いた。この曲がカバーで
あるという説明もあったかもしれないが、オリジナルはアロウズで、作者がアラン・メリルなんていう
話には一度も出くわさなかったのは何でだろう?。

私は譜面が読めない。小節や音符のこともわからないのだが、この曲が単純なようで歪んだ構造を持つ
ことには、すぐ気付いた。ロック初心者の頃から何故か聴いていたT.レックスっぽい感じもしたし、
とにもかくにも、巷に溢れる所謂洋楽ヒット曲の構造と微妙に違う処に惹かれたのだ。

今思えば、ランナウェイズの中でジョーン・ジェットは比較的地味なポジションだったのではないだろうか。
下着姿でステージをやったなんて言っても、そのイメージはボーカルのシェリー・カーリーのものだし、
ギタリストとしても、派手なリードを担当したリタ・フォードの方が印象が強かっただろう。シェリー以外にも
他のメンバーがそれなりに肌を露出したりセクシーな衣装をつけてライブをしたり写真に収まっても、
ジョーン・ジェットは革の上下とかを着て割と硬派?な感じだったのが、逆に浮いているようにも見える。

プロダクションやマネージメント・サイドの意向が、どれくらいあったかは知らないが、10代の女の子が
大人の入れ知恵で翻弄される中、自分の中で譲れない部分を貫き通したということが、今の時代も
ジョーンが生き残っている最大の要因なのは間違いないだろう。

 で、私がアロウズに到達するのはそれから約10年後くらい(笑)
であった。その前にウォッカ・コリンズを好きになり、そこでアラン・メリルの存在を知り、アランこそが
『I LOVE ROCK AND ROLL』の作者で在ることを知る。オリジナルはアランが在籍したアロウズの曲という
ことも程なく判ったのだが、アロウズのアルバム「FIRST HIT」には収録されていなかった。
アロウズに到達したものの、この曲のアロウズ・バージョンを初めて聴いたのは00年で、「FIRST HIT」が
CD化された際にボーナス・トラックとして収録されたおかげであった。

アロウズというバンドもプロダクションや契約のしがらみに翻弄されたバンドで、シングルのA面はメンバー
以外の第三者が書いた曲をレコーディングさせられ、B面に自身のオリジナルを録音するという
なんともフラストレーションの溜まるレコーディングを余儀なくされていた。『I LOVE ROCK AND ROLL』も
元々はシングルのB面曲だったのだから。

オリジナルのバージョンはテンポが遅く、曲の最後はフェイドアウトする。曲の大筋はオリジナルに
忠実であるものの、テンポ・アップしエンディングもフェイドアウトせずビシっと終わるジョーン達のアレンジは
曲に新たな生命を吹き込んだようなもので、事実、ジョーン・ジェットのバージョンがヒットして以降、
アランがライブで演奏したり再吹き込みしたバージョンは、テンポ・アップした演奏を聞かせる。

アロウズはビル・ワイマンとの関係が深く、後年リリースされたレア・トラック集にはビルがプロデュースした
数曲が収録されていた。ストーンズ者は探して聴く価値あり。

 ウォッカ・コリンズが演奏する『I LOVE ROCK AND ROLL』は
ベスト盤「BOYS IN THE BAND」で、ライブ録音されたバージョンで聴くことができる。
まあ、これが格好良いの何のって(笑)こういうのは、聴いた者勝ちなのだ。

そして、俺は”ジューク・ボックスにコインを入れ”、もう1曲楽しむ。
アランが意図したかどうかは知らぬが、このフレーズをダブル・ミーニングで楽しむ俺。
コインはスムースに入り、ジューク・ボックスはよく鳴るのさ。
もう1曲お願いと言われれば、意のままに。

I LOVE ROCK AND ROLL.

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

YOU CAN DO A LOT WITH 100 WOMEN - 79&80

2011-05-17 22:43:03 | ROCK

バングルズの名前を知ったのは86年のシングル『MANIC MONDAY』を聴いてから。それ以前にも
アルバムを出していたのだが、全く知らなかった。そもそも『MANIC MONDAY』に興味を持ったのは
曲を提供したのがプリンスだったからというのが正直なところで、思えば当時のプリンスは絶賛快進撃中で
出すアルバムのどれもに夢中になったものだ。そんなプリンスが曲を提供する女性ロック・バンドともなれば
聴かないわけにもいくまい、という感じであった。

MTVで流れるビデオには、当然メンバーが写っているわけで「GO GO'Sより絵的にまとまっているな。」と、
けしからん事も思ったはずだ。スザンナ・ホフスのエキゾチックな顔立ちと可愛らしい声に
惹かれたことも書いておかねばなるまい。(笑)

アルバム「DIFFERENT LIGHT(シルバースクリーンの妖精)」には、『MANIC MONDAY』の他に、大ヒット曲
『WALK LIKE ANEGYPTIAN』も収録されていたのだが、当時の私は重要なカバーを見逃していた。
単純にいいメロディーの曲だとは思っていたのだが、その時はまだクレジットにあったアレックス・チルトンと
いう名前に反応できなかったのだ。今となっては、どういう経緯でビッグ・スターを知ったのか思い出せないのだが
『SEPTEMBER GURLS』がカバーであることを知ったのは、多分その1年位後だったと思う。

『SEPTEMBER GURLS』の歌詞の意味を、私はいまひとつ理解できていないし、対比されるように歌詞中に
登場するDECEMBER BOYSに何か深い意味があるのかどうかもわからない。
それでも、この曲のイントロのギターが聞こえてきたら今でも何か胸がときめくような感じがする。
オリジナルもバングルズのバージョンもどちらも大好きなので、カバー・ソング100選には当然選出することにした。

 さて、プリンスといえば。

シンディー・ローパーの83年のアルバム「SHE'S SO UNUSUAL」を聴いた時に、プリンス・カバーがあるので
驚いた。アルバムからのシングル『GIRLS JUST WANT TO HAVE FUN』がヒットしたのは84年で
プリンスが一般的に名前をしられるようになった「PURPLE RAIN」も84年。私がプリンスを知ったのは
82年の「1999」だったので、「これからプリンスを遡って集めよう」と思っていた、まさにその時に
シンディーのアルバムから『WHEN YOU WERE MINE』が流れてきたのは、絶妙のタイミングというしかなかった。
曲のクレジットに「BY PRINCE」という文字を見つけた時は、「プリンスが新人に曲を書き下ろしたのか」と
思ったのだが、この曲はプリンスの80年のアルバム「DIRTY MIND」収録で、カバーだと知るわけである。

書き下ろしにしろカバーにしろ、私の80年代の洋楽生活(笑)において、プリンスが占める割合は
高かったのだなぁと、改めて思う次第である。
それにしても、今聴いても「SHE'S SO UNUSUAL」のA面の流れは素晴らしい。

バングルスのベーシストのマイケル・スティールは、ごく初期のランナウェイズのメンバーだったということで、
次の記事はこの流れで・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DEADICATED~カバー・ソング100選への道・その9

2011-05-16 22:19:17 | ROCK

ローリング・ストーンズは「スタジオ録音よりライブのほうが本領を発揮する。」なんて書かれた文を
昔はよく見たものだ。ストーンズ者の私は、それに賛同したことは一度もなかったけれど。
ストーンズのアルバムでベストの1枚を挙げる時、数あるライブ盤の中から1枚をを挙げる人を
ほとんど見たことがないし。ミックやキースの動きを含めて、絵的に格好良いというのは理解できるが、
レコードという形に残ったものだと果たしてどうか、という疑念の方が強いのだ。
例え、あの「NASTY MUSIC」が正規盤であったとしても、その想いは変わらない。

ことライブにおいて、WORLD GRATEST、もといWORLD GREATEST ROCK AND ROLL BANDの
称号が最も相応しいのはグレイトフル・デッドに他ならないと私は思う。
15歳の時から30年程ストーンズのファンをやっているが、そこは冷静である。(笑)
PICKSやROAD TRIPのシリーズを含めて、数多あるライブ盤のどれを聴いても、均等に多幸感で
満たしてくれるのだから。

デッドのライブ盤を聴くということは、時間の流れをゆっくりとしたものに変え、高揚とくつろぎを交互に
体験すると言う事だ。リラックスという言葉の本来の意図するところの『自分の最良の状態』を
例え短時間でも、もたらしてくれるデッドのライブ盤は手近なリセット装置といったところか。

91年に出た「DEDICATED」はグレイトフル・デッド・トリビュートの体裁をとりながら、熱帯雨林保護の
ベネフィット・アルバムでもある。チャリティー・ソングや復興支援ソング?とやらには、音楽的見地から
みると「なんだかなぁ。」という出来のものが多いのが常だが、原曲が最高のカバー・ソングを集めて
それがベネフィット・アルバムになるなら、実際に買って聴く価値があるというものだ。

「DEDICATED」は志もそうだが、参加した面子も素晴らしかった。オープニングが『BERTHA』というのが
気が利いていて演演奏するのはロス・ロボス。他にはコステロやバーニング・スピア(!)、カウボーイ・
ジャンキーズにウォーレン・ジヴォン&デヴィッド・リンドレー、そしてドクター・ジョン。
『U.S.BLUES』を渋くキメるのは、ダン・ベアードがトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのメンバーらと組んだ
ザ・ハーシェッド・メロウズ。
今となっては個人的に気に食わないヤツらも一組いるが、まあいいか。名前は挙げないけど。(笑)

 私がデッドのスタジオ録音盤で一番好きなのが「GRATEFUL
DEAD FROM MARSHOTEL」で、そこから3曲選ばれているのも、このトリビュート盤のポイントが高いところ。
その中でも最高のカバーが、スザンヌ・ヴェガが歌う「CHINA DOLL」。勿論「火星ホテルから来たグレイトフル・デッド」
からの曲。オリジナルはガルシアが感情を込めて切なく歌うのだが、ここでのスザンヌの歌唱も愛おしい。
デッドのカバー・ソングの中から、これを「カバー・ソング100選」に使うことにした。

「あなたを非難はしない。まして否定するなんて。同じ事を尋ね続け(期待し続け)るが、失望が終わることはない。」
死を目前に控えた男の悟りにしては、哀しい歌だ。解釈が間違っているかもしれないが、この歌には
そんな曲解も受け入れる度量があるのだ。

 デッドはカバー・ソングの解釈も素晴らしい。ライブでは
それこそ数多のカバー・ソングを披露しているが、スタジオ録音だと、78年に発表した「SHAKEDOWN
STREET」の冒頭に配されたラスカルズの『GOOD LOVIN'』が格好良い。
溌剌としたボブ・ウィアの歌唱と、それに絡むドナ・ゴドショウの声のバランス加減が絶妙で、鳴り物も曲を
楽しく盛り上げてくれ、これも「カバー・ソング100選」に選んだ。

現行CDにはボーナス・トラックが多く収録されていて、その中には『GOOD LOVIN'』のアウトテイクも
含まれている。そこでのボーカルはローウェル・ジョージ。アルバムのプロデューサーを務めた為に
「バンドの肩慣らしを兼ねて1曲歌ってみました」ってところだろうか。完成テイクには及ばないが、
デッドとフィートの双方のファンには嬉しいプレゼントであったのは間違いない。

ライブ・バージョンの『GOOD LOVIN'』は名盤「EUROPE 72」のボーナス・トラックでどうぞ。

早く9月にならないかなぁ・・・。(笑)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

I SAW THE LIGHT 再び~カバー・ソング100選への道・その8

2011-05-15 14:15:38 | THIS SONG

自分でも理由がわからないのだが、テリー・ホールのことが好きだ。
スペシャルズ以降のファン・ボーイ・スリーやカラーフィールド、そしてソロも追いかけているのだから
多分ファンなのかもしれない。(笑)

勝手な思いこみだが、キンクスのファンは90年代にオアシスは無視しても、ブラーやパルプは
受け入れる余地があったのではないだろうか。私の中ではテリー・ホールも、そんな感じで繋がっている。

掲載写真はテリーが97年に発表した2枚目のソロ・アルバム「LAUGH」。当時のテリーは父親の死や
自身の離婚といった問題を抱えていたのに、アルバムのタイトルは「LAUGH」である。
アルバムのトーンも、それほど明るい物ではないが、このジャケットである。
私はこういう人が大好きなのだ。
このアルバムの最後に収録されたのがトッド・ラングレンの『I SAW THE LIGHT』のカバー。
ぼんやりとMTVを見ていたら、この曲のプロモが流れて慌ててアルバムを買いに行ったのが懐かしい。

この曲のプロモ・ビデオは今でも大好きだ。
レストランのような場所でテーブルに座るテリー。周りは夫婦や若いカップルばかり。テリーの前にも誰か
いるのだろうが姿は一切映らない。テリーは目の前にいる、おそらくは女性に歌いかけるのだが
本当に目の前には人間がいるのだろうか。料理は平らげられているが、それは目の前の女性が
食べたのだろうか。愛の告白をしているにも関わらず、なんだか孤独な感じがする映像だ。
テリーは出されたスパゲッティーを残しているし。

ビデオの最後に突然ケーキが運ばれてきて、レストランの客たちから「ハッピー・バースデー、
テリー・ホール」と歌われ、テリーの前に座っている人が蝋燭を吹き消す。最後まで姿は見えないけれど
これでなんとなくテリーの前に座っているのは女性だなと思う事が出来る。
つまり、瞳に映る炎を消したのは女性なのだ。なんとなく、この恋愛がうまくいきそうにないのではと
不安を煽るのがテリーらしくて、私はこの映像が大好きなのだ。

オリジナルのトッド・ラングレンのバージョンは、自身が全てのパートをダビングして作製したせいもあろうが、
曲中でリズムが揺れるのを感じることが出来る。昔は何故それを手直ししなかったのが不思議だったのだが、
もし「XX周年記念盤」とかが出ても最新技術とやらで、修正はしてほしくないな。
私はその「揺れ」をテリーの「笑顔」と同じように、愛おしく思っているのだから。

そして・・・。たぶん私は、自身が絶体絶命の時にも「HELP!」と言えずに、くたばっていく「ヘタレ」に違いない。
笑っているかどうかは、わからないが・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする