遂にこれも再発されてしまった。
70年に渋谷「ステーション70」で
記録された、ライブ盤。
3月から4月ころの録音だというが
聴く者の部屋の空気を、暖房の無い
コンクリート剥き出しの部屋に
居るかのように変えてしまう。
この盤の存在を知ったのは92年に出版された
「日本フォーク紀」という本に書かれていた
三上寛のディスコグラフィーによってである。
91年にわずか100枚だけプレスされたという。
まだパソコンでの情報のやり取りなんて、ほとんどの人に
無縁の時代、よほどのファンでないとこのような盤が
リリースされるということは知ることが出来なかったはずである。
よほどの三上フリークでない限り、聴く必要がなかった、いや
聴かせられないということか。
ダビングを何度も経たカセット・テープで聴くことができた
その内容は、人生のダーク・サイドをこれでもかと見せつける
ものであった。遠い昭和の話なのか、セックスしか楽しみのない
田舎の話なのか・・・。いや、現代にもこの闇は続いている。
「わいせつ」は時に笑えることがある。余りに間抜けで、滑稽な
側面があるから。しかし、ここで歌われる事象の多くはもはや
「暴力」である。まゆをひそめるか、何かを読み取るかは
聞き手次第。
昔、親と車で2時間ほど走ったとき、車内にはタイマーズの
「不死身のタイマーズ」のカセットしかなく、それを聴きながらの
ドライブとなったことがある。聴いたことがある方ならご存知
だと思うが、とても放送で流せないような歌詞が満載である。
最初は「何だこれは?」という反応の親は次第に「清志郎は
しょうがないねえ」と笑い飛ばしていた。もちろんそうなると
思っていたからカセットを聴いたのだが、この三上寛のアルバムは
そうはいかない。仮にこの盤しか車内になかったら(もちろん
車内に持ち込むようなものではない)、迷わずラジオに代える。
今回の再発は限定777枚。わずか777人のためにしか門戸をいまだ
開けない言葉と音がある。ボールペンで手書きされたリミテッド・
ナンバー、ちなみに私のは304番。
おっと、手持ちが無くて未購入であるキャプテン・ビーフハートの
限定4000枚の2枚組ライブもボールペンでの手書きナンバー入り
だった。急がねば。
70年に渋谷「ステーション70」で
記録された、ライブ盤。
3月から4月ころの録音だというが
聴く者の部屋の空気を、暖房の無い
コンクリート剥き出しの部屋に
居るかのように変えてしまう。
この盤の存在を知ったのは92年に出版された
「日本フォーク紀」という本に書かれていた
三上寛のディスコグラフィーによってである。
91年にわずか100枚だけプレスされたという。
まだパソコンでの情報のやり取りなんて、ほとんどの人に
無縁の時代、よほどのファンでないとこのような盤が
リリースされるということは知ることが出来なかったはずである。
よほどの三上フリークでない限り、聴く必要がなかった、いや
聴かせられないということか。
ダビングを何度も経たカセット・テープで聴くことができた
その内容は、人生のダーク・サイドをこれでもかと見せつける
ものであった。遠い昭和の話なのか、セックスしか楽しみのない
田舎の話なのか・・・。いや、現代にもこの闇は続いている。
「わいせつ」は時に笑えることがある。余りに間抜けで、滑稽な
側面があるから。しかし、ここで歌われる事象の多くはもはや
「暴力」である。まゆをひそめるか、何かを読み取るかは
聞き手次第。
昔、親と車で2時間ほど走ったとき、車内にはタイマーズの
「不死身のタイマーズ」のカセットしかなく、それを聴きながらの
ドライブとなったことがある。聴いたことがある方ならご存知
だと思うが、とても放送で流せないような歌詞が満載である。
最初は「何だこれは?」という反応の親は次第に「清志郎は
しょうがないねえ」と笑い飛ばしていた。もちろんそうなると
思っていたからカセットを聴いたのだが、この三上寛のアルバムは
そうはいかない。仮にこの盤しか車内になかったら(もちろん
車内に持ち込むようなものではない)、迷わずラジオに代える。
今回の再発は限定777枚。わずか777人のためにしか門戸をいまだ
開けない言葉と音がある。ボールペンで手書きされたリミテッド・
ナンバー、ちなみに私のは304番。
おっと、手持ちが無くて未購入であるキャプテン・ビーフハートの
限定4000枚の2枚組ライブもボールペンでの手書きナンバー入り
だった。急がねば。