HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

MARK ELLINGTON / RAINS/REIGNS OF CHANGES

2005-01-31 21:58:28 | ROCK
マーク・エリントンが71年に
発表した2枚目。いきなりであるが、
非常に重要な盤で、ズバリ名盤。
「アメリカンロック集成」という
本に記事を書いた某氏も、この
アルバムが好きで、最初にCD化された際も
オリジナル・ジャケット仕様でCDになったら
買い直すとまで惚れこんでいた。
版権が怪しいのか、様々なレーベルから短期間に何度も
リリースされたが、現行日本盤は、アナログ完全再現の
封筒型特殊ジャケット。

アメリカ人のマークはイギリスに渡り都合5枚のアルバムを
残す。バックの面子を見て未聴の諸氏は想像力をたくましくして
欲しい。リチャード・トンプスン、サンディ・デニー、
デイブ・ペグ、デイブ・マタックスらのフェアポート組に、
スニーキー・ピート、クリス・ヒルマンら後のフライング・ブリトーズが
バックを受け持っているのだ。起伏のある曲、
大英帝国ロック風に?いうと光と影のある曲では、
いかにも「ブリティッシュ」なにおいを感じさせ、
ストレートにぐいぐい押す曲は、アメリカ人的な
資質が伺えるところがおもしろい。スニーキーの
ペダル・スティールが英国フォークに混ざるところが、
味なのだ。単なるフォークではなく
カントリーとスワンプ風味も加えたところが幅広い聞き手に
アピールするだろう。

この男がいつ渡英したのかは知らない。1STが69年だから
それ以前であろう。が、67年より前ではないのは確かだ。
何故か?。それはこの男がイギリスに「GWW」を持ち込んだことで
英フォーク勢がディランの「地下室」収録曲をこぞって
カバーするようになるからである。
GREAT WHITE WONDERと呼ばれたディランとザ・バンドの
ビッグ・ピンクにおけるセッションを記録したブートレグを
マークが持ちこんだおかげで、イギリス勢が残した優れたカバーを
聴けるのだから、マークのロック史における功績?は小さくない。

今ならこのアルバムは簡単に手に入る。
アナログをコピーしてもらって何度も聞いたのが
何だか、遠い昔のような気がしてならない。
そんな中でいまだCD化されず、いまだにアナログ落としのブツを
大事に聴いているのが「ブラウンズ・ホーム・ブリュー」の
1ST。これがCD化されたら、多分同好の諸氏は
ひっくりかえること間違いなし。
それまで、マークのこのアルバムを何度でも聴き返そう!。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

COMPLEX / THE WAY WE FEEL

2005-01-29 21:10:23 | ROCK
71年に99枚プレスされた
コンプレックスの2枚目。
70年発売の1STも99枚
しかプレスされていない。

こういった盤は誰が探しているのだろう。
ブリティッシュ・フォーク、ロックのマニアが
後世に伝えていって伝説になったのは間違いないが
プログレ・ファンよりはサイケやパブ・ロック(ブリンズレーや
ヘルプ・ユアセルフ、エース周辺を指す。)辺りの好き者
には、まず間違いなくストライクである。

中心人物はオルガン奏者で全ての曲の作曲を担当する
スティーブ・コーで彼の存在がバンドの音を決定付ける。
キーボード奏者の資質か、単独で作った曲は大仰な傾向が
あるが、歌ものはメロディーのしっかりしたポップスに
仕上がっている。作詞にバンド外部の人間を使い、ボーカルは
ドラマーが兼任するといったところが、なんともバンドの長続き
しなさそうな感じをあらわしている。

時代的に言うと、初期のステイタス・クォーやスキップ・ビファティ
らと比してもなんら見劣りしない。しかし、99枚だけプレスして
家族や友人や適当な関係者に売って終わりというのは
なんとももったいないと、今の耳で聞いてもそう思ってしまう。
「MOVING MOOR」はプロコル・ハルムのファンにアピールする
だろうし、「IF YOU ARE MY LOVE」のキーボードとギターの
フレーズや曲構成はディープ・パープルの
ファンなら身を乗り出すだろう。「AM I」は優れた
キーボード奏者を擁したスモール・フェイセスそのもの。
ただ、こうして書くとやはり、ボーカルに特徴がなかったのが痛い。
発掘録音として聴く今だと、これくらいでも味があると思えるが
当時デビューするバンドのボーカリストは皆、個性的であった。
コーはしばらくして脱退する。
残りのメンバーはしばらく活動を続けたものの
キーボーディストに全てをゆだねていたバンドに次は無かった。

レア盤ではあったが、CD化のおかげでこうして聴く事ができて
内容がいいと、いいようのない多幸感に満たされる。
さて、今回はこの2枚目にしたのは理由がある。
1枚目も内容は遜色なく内容ならどちらを選んでも良かった。
だが、1枚目のジャケットの余りに購買意欲を削ぐ
デザインのせいでこちらを選んだというわけである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE INTERNATIONAL SUBMARINE BAND / SAFE AT HOME

2005-01-28 23:08:07 | ROCK
実はバーズのアルバムは後期の盤を
愛聴している。「名前のないアルバム」や
「ロデオの恋人」である。
「ロデオの恋人」はバーズの歴史を振り返ってみると、
オリジナル・メンバーのロジャー・マッギンが健在にも
かかわらず、グラム・パースンズに「乗っ取られた」
アルバムであるといえる。フォーク・ロックの旗手と
いわれたバンドがカントリー・ロックへ変貌を
遂げた重要なアルバムで1968年に発表された。

グラム・パースンズはストーンズ、とりわけキース・リチャーズ
と親交があってその影響は「スティッキー・フィンガーズ」や
「メインストリートのならず者」に顕著である。
そんなグラムがバーズ参加直前の67年に制作した同バンド名義の
唯一のアルバムがこれである。

グラムのオリジナルは4曲。このアルバムは全く無視されたが
先のバーズのアルバムやグラムが後に結成する、フライング・ブリトー
ブラザーズのアルバムと比しても全くひけをとらない。
「僕の淋しさを知って」は後にブリトーズで再演したくらいだから
グラムの自信作であったのだろう。他にはジョニー・キャッシュや
マール・ハガードらのカバーが収録されている。
キャッシュの「FOLSOM PRISON BLUES」とプレスリーの歌唱で
有名な「THAT'S ALL RIGHT」のメドレーはいつ聞いても
身震いする出来である。
カントリーはブルーズと密接な関係にあり、
陽気な飲んだくれの歌ばかりではなく、孤独や死を感じさせる物も
多い。「FOLSOM PRISON BLUES」は勿論、後にブリトーズでカバーする
マール・ハガードの「SING ME BACK HOME」といった曲を
とりあげるところにグラムのセンスを感じる。
おもしろいのはバーズではそういったところが前面にでなかったことである。
そこが、新参者としての参加であるか、
自分が主役のバンドであるかの違いであったとしたら、何とも興味深い。
そうそう、キース・リチャーズの歌う「SING ME BACK HOME」が
その録音時の状況もあって、泣かせるくらいの出来なのだが
残念ながら裏モノでしか聞くことが出来ない。

グラムは73年にドラッグの過剰摂取で生涯を終えるが、
その地である「ジョシュア・トゥリー」を
アルバム・タイトルにしたのが今や超大物のU2。
ブルースや先達のアルバムを余り聞いたことが
なかったというメンバーに手ほどきしたのが、何度も登場するが
キース・リチャーズである。
ロックには立派な歴史があるのだ。
インターナショナル・サブマリン・バンドのアルバムは正式な
復刻にはかなりの時間がかかったが「ロデオの恋人」と同じように
広く聞かれる日がくることを願っている・・・。



コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FOTHERINGAY / SAME

2005-01-22 00:10:58 | ROCK
70年発表、フォザリンゲイ名義での
唯一のアルバム。

フェアポート・コンベンションを
脱退したサンディ・デニーが自分の
理想のバンドを作ろうとして、結成したのが
「フォザリンゲイ」である。そんな彼女をサポートしたのが
ギタリストでボーカリストのトレヴァー・ルーカス。
サンディの夫となる人物である。

卓越したミュージシャンが揃い、当時の流れでもあったであろう
よりロックよりで、インプロの比率も高くなっていくフェアポート
に対し、フォザリンゲイはより、歌を聞かせることに
重きがおかれている。フェアポート時代に全く劣ることなく
サンディは幾つもの素晴らしい歌をものにする。サンディ作の
「THE SEA」「THE POND AND THE STREAM」、
トレヴァーと共作でデュエットを聞かせる「PEACE
IN THE END」の美しさは忘れがたい。トレヴァー自身も
オーストラリアで伝説の人物、ネッド・ケリーを題材にした
「THE BALLAD OF NED KELLY」を披露している。
お約束?のディラン・カバーは「何もないことが多すぎる」。
またしても「地下室」収録ナンバー、出来はいわずもがな。
ここでの歌唱はトレヴァーのものだが、味のある歌唱である。
気のせいかもしれないが、ギター・プレイはそこはかとなく
リチャード・トンプスン風で、それがまた曲のアレンジに
マッチしている。

この年サンディはメロディ・メイカー誌で最優秀女性ヴォーカリストに
選ばれる。ちなみに男性はロバート・プラント。この二人は翌年
LED ZEPPELINのアルバムでデュエットを披露することになる。

しかしながらバンドの維持に経費がかかることから、
セカンド・アルバムを準備中にあっけなく解散、
サンディはソロ・アーティストとなる。
「フォザリンゲイ」のプロデュースはジョー・ボイドの手になるが
実際はトレヴァーが主導権を握っていたのだろう、彼はその後の
サンディのアルバムを見事にプロデュースしたし、
何より、フェアポート・ファミリーが集結したロックンロールの
カバー集「ROCK ON」(ザ・バンチ名義)が素晴らしかった。

サンディもトレヴァーも故人となってかなりの時間が経つが、
このたった1枚のアルバムを、忘れることはできない。
ジャケットに描かれた二人はこのアルバムの出来に
満足しているであろう、実に自身に満ちた表情で描かれている。
イギリスのロック・フォークの奥深さを知るには、その筋では
大メジャーなこの盤から入っていけばいい。その先を進めば
宝の山が眼前に広がるのは間違いない。

最後になったが「フォザリンゲイ」というのは実在の地名であり、
サンディ在籍時のフェアポートの曲名でもある。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

DVD見まくりの1日

2005-01-16 21:53:48 | DAY BY DAY
あしたから2週間の研修である。
寮棟は全面禁煙とのお達し。
酒は我慢できても、煙草は我慢できそうもない。
困った。

それ以上に、CDやDVDといったものと遮断される
のが、我慢ならない。もっと問題なのは、私が
留守のときに、荷物が届いてそれがアマゾンとかHMVからだと
大問題になることがある。相方より先にそれらを受け取らないと
「何枚買ったか、いくら使ったか」と厳しい突っ込みを
受けることになる。ずっと前にオーダーしたブツがあって
4点中、2点が入荷まちなのだ。「入荷しました」であれ
「入荷しませんでしたので在庫のあるものを送ります」であれ、
今月は送ってきてほしくないものだ。(笑)

で、「見貯め」ではないが、今日は一日中DVDを見ていた。
ストーンズの78年(裏)、パーラメント/ファンカデリック(表)、
ペンタングル(表)、サンハウス/風よ吹け(表)、ライブ・エイドの
DISC3(表)、ジョージ・ハリスンのダーク・ホース時代(裏)、
ホワイトスネイク(裏)、シン・リジー(裏)である。ふう~。

ライブ・エイドの3枚目にはトム・ペティが収録されている。
ロジャー・マッギン風のサングラスと、土星がたくさん描かれた
上着が印象的。実に格好いい。?。
ジョージのダーク・ホース・コレクションには「ボブ・フェスト」の
リハーサルが収録されている。このフェスの音楽監督はG.E.スミス。
ビデオは「マイ・バック・ペイジズ」のリハーサルを映し出す。
スタジオにギタリストが8人。
ボブ、クラプトン、ジョージ、ニール・ヤング、ロジャー・マッギン、
トム・ペティ、スティーブ・クロッパー、そしてG.E.自身。
誰がどこを歌うかとか、色々大変そうである。(笑)

リハの最初のシーンでは演奏中にクラプトンが途中で入ってきて
自身のギターをアンプに繋いで、ソロを弾き出すがちょっと最後が
まとまりきらなかった。神様でもこんなことがあるのだなあ。(笑)
このフェスはBSで放送されたときにちゃんと見ているのだが
その時には気が付かなかったことがあった。
ロジャーの歌いだしで始まり、トム、クラプトン、ボブ、
ニール、ジョージとボーカルが変わる。
クラプトンはボーカルをとる前にギター・ソロを
弾くのだが、これみよがしに前に出てきて弾くのではなく、
皆の後ろでソロをとってから前に歌いに出てくるのだ。
これがなんとも奥ゆかしくて、リハとは違った完璧なソロまで
披露したもんだからなんだか感動してしまったのであった。

G.E.スミスはライブ・エイドではホール&オーツのバックにいた。
ライブ・エイドの舞台裏の大変さを見ていただろうし、何より
このときのホール&オーツはテンプスの二人のボーカリストと
演奏するだけでなく、ミック・ジャガーのバックも務めている。
このときの経験が、ボブ・フェストの音楽監督として絶対に
役立っていると思う。
クラプトンは後にジョージ・ハリスンの追悼コンサートの
音楽監督をすることで、ボブ・フェストでの経験を活かしただろう。
で、私は何を思ったかというと・・・。

トム・ペティの仕切りで何か大きなイベントがあったらいいなと。
誰かの追悼コンサートでなければいいのだけど・・・。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

CRAZY HORSE / SAME

2005-01-15 21:17:10 | ROCK
ニール・ヤングがここぞという
作品を発表するとき、必ず
起用するバンド、それが
クレージー・ホース。

これは71年発表の1STでメンバーは
今もニールを支えるラルフ&ビリーのリズム隊、
多くの曲でボーカルをとるギタリストのダニー・ウィットン、
ピアノにジャック・ニッチェ、ゲスト・ギタリストに
ニルス・ロフグレンという錚々たるものである。
ライ・クーダーもスライド・ギターを数曲で聞かせる。

なんといってもダニーの手になる「もう話したくない」が
胸にしみる。渋い声で歌われるこの名バラッドは後に
ロッド・スチュワートにカバーされ、更に有名になる。
「ダウンタウン」は後にニール・ヤングの「今宵その夜」に
収録される、騒々しいナンバー。「今宵その夜」に収録された
バージョンはライブ録音で、ダニーの演奏もそこでは聴ける。
ご存知のように「今宵その夜」はオーバードーズで命を
落としたダニーとローディのブルース・ベリーに捧げられた
アルバムで、その内容は酔っ払ったニールのボーカルと
相まって痛々しいものである。
ダニーはドラッグ癖の悪化でこの1ST録音後グループを
離れ、翌年死亡するのだが、このアルバムを聞き終わると
どうしてもニールの「今宵その夜」をひっぱりださずには
いられない。

面白いのはダニー以外の二人、ニルスとジャックの曲が
明らかに他の誰とも違うことが容易にわかる点だ。
当時、自らのバンド、グリンでも活動していたニルスは
小粒ながら小気味いいロックを展開する。
ジャックはフィル・スペクターの片腕としてアレンジャーを
していたせいもあってか、他の曲に比べてポップスよりで
あり、彼ら二人のソングライターとしての貢献が
以降のクレイジー・ホースのどのアルバムにもない
バラエティさと質の高さに一役買っている。

ダニー、ニルス、ジャックの三役揃い踏みはこのアルバム
だけである。間の抜けたようなジャケットに二の足を
踏むことなく、ロック者は必携のアルバムのひとつであることを
強調しておきたい。

このアルバムの横に「今宵その夜」は並べてあるのさ・・。
そんなふうに言えれば格好いいのだけど、残念ながら
我が家では、アルバムは適当に並んでいるのであった・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

QUICKSILVER MESSEGER SERVICE / SAME

2005-01-15 19:33:45 | ROCK
一聴して明らかに当時(68年)の
西海岸のサイケデリック・ロックと
わかる音。バンドの結成は64年。
オリジナル・メンバーには後に
素晴らしいソロ作を発表する
ディノ・バレンテとアレキサンダー・スペンスがいた。
が、ディノはドラッグで逮捕され、スペンスは
ジェファーソン・エアプレインへ加入してしまう。
よってこのデビュー盤には参加していない。

エアプレインにしろ、グレイトフル・デッドにしろ、
勿論そこにはドアーズも含まれるのだが、長尺の曲を
ライブで演奏することが高い評価を得る一因になっていた。
このバンドもその例に漏れず、ライブ盤「HAPPY TRAILS」が
人気がある。が、断然私はこの1STを推す。

ゲイリー・ダンカンとジョン・チポリナの二人の
ギタリストの絡みが、コンパクトな曲でも、
長尺曲でも絶妙な混ざり具合である。私のフェイバリットは
「GOLD AND SILVER」。キメのところで繰り出される
チポリナのアーミングが強烈。6分40秒ほどの長めの曲だが
全くだれるところが無い。私が日本で好きな
サイケ・バンドの一つがWHITE HEAVEN(今は中心メンバーが
THE STARSを名乗って活動)なのだが、彼らの音が一番、
この伝説のサイケ・バンドの音に近い。

バンドはメンバー・チェンジを続け、ニッキー・ホプキンスや
出所後のディノも戻ってきて、音作りがどんどん変わっていく。
ファンの好き嫌いも、制作時のメンバーによって大きな違いが
でてくるのだが、全体的にそれほど悪い物は無い。
相変わらずドラッグ・トラブルはバンド内にあったようで
メンバーが固定することがなかったのが悔やまれる。

チポリナ、ニッキー、ディノが他界した今となっては
残された数少ないアルバムを楽しむしか、この数奇な歴史を
刻んだバンドの音に触れることができないのである。
再結成はありえないだろうから。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内田裕也 / ロックンロール放送局

2005-01-14 22:52:55 | 日本のロック・ポップス
シーナ&ザ・ロケッツの「ベイビー・
メイビー」のプロモの冒頭で
鮎川誠がこんな感じで喋る。
「チューニングの必要ないっちゃね。
チャンネルがパチパチパちって合うて。
チャンネル・グーやね。」

内田裕也1973年発表のこのアルバムはまさにチャンネル・グー。
ここではアナログではなくてCDを想起して欲しいのだが
頭から聴いても、ランダムに聴いてもパチパチっと
格好いいロックンロールしか選曲できないのである。
まさに、チャンネル・グー。

掲載写真は77年再発時のものでこのジャケットでCD化も
された。オリジナルは豪華な装丁で「このアルバムを
ジョー、ジュリー、レミに捧げる」と書かれてあった。
ジョーはFTBのジョー山中、ジュリーは内田裕也の
口利きで上京しプロになったタイガースの沢田研二、
レミはフラワーズの麻生レミである。何れ劣らぬボーカリスト達。
裕也さんは自分が見出したボーカリスト達に
「これしかできないけど、これがオレ」という姿を
このアルバムで見事に示した。

裕也さんの歌を下手だというのは簡単だ。たいして音域は
広くないし、表現力も一本調子かもしれない。
しかし。この軽快なというか、すっとこどっこいな歌唱
は紛れも無くロックの疾走感を表現しきっているし、何より
一度聴いて誰もが「内田裕也だ」とわかるではないか。

おなじみのロックのカバーがこれでもかと続く。
放送局ということで、ラジオの周波数をあわせるところから
このアルバムは始まる。
チャック・ベリーの「ジョニーBグッド」はおなじみだが
個人的にこのアルバムでやられた曲が2曲ある。
冒頭のプレスリー・カバーの「恋の大穴」は、プレスリーを
カバーしようとする誰もが考え付かないような裕也節が
炸裂し、このお手軽な感じが妙に気持ちいいのだ。
極めつけはリトル・リチャードの「ノックは無用」。
オリジナルのドラムで始まるイントロはZEPPELINの
「ROCK AND ROLL」やブランキー・ジェット・シティの
「DIJのピストル」で引用されるくらい有名であるが、
そんなことはハナから無視して、テンポを落とし、
裕也さんは掛け声一発で、ビシっとしめる。「RIDE ON!!」。

バックを受け持つ竹田和夫や近田春夫の演奏も熱が入っているが
まずは、裕也さんのボーカルを楽しんで欲しい。
オリジナルで固めた78年発売の「A DOG RUNS」と共に・・・。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

MIKE D'ABO / DOWN AT RACHEL'S PLACE

2005-01-13 21:55:01 | ROCK
マイク・ダボはポール・ジョーンズの
次にマンフレッド・マンのボーカリストを
務めた男である・・・と、説明すれば
通りがいい。このアルバムはソロ転向後
2作目、72年発表のアルバム。

先のマンフレッド・マンでの仕事のイメージからか
ボーカリストとしてのイメージが強いが、このアルバムを
聴くと印象は一変する。シンガーソングライターで、
ピアノマンといった趣である。彼の曲で最も有名なのは
ロッド・スチュワートにカバーされた「ハンドバッグと
外出着」だと思うが、本作にはロッドのための書き下ろした
ナンバーがある。「LITTLE MISS UNDERSTOOD」がそれだ。
ロッド自身が68年に吹き込んだ曲の自作自演を、4年後に
行うわけだが、ロッドほど歌い上げるタイプではないダボは
実に優しく歌い、メロディのよさを際立たせる。
ロッドのバージョンは、オリジナル・アルバムには収録されておらず
4枚組の「ストーリーテラー」でしか聴けないのであるのが
難儀だが、ロッド・バージョンのプロデュースをダボ自身が
行っているので、機会があれば聴き比べるのも一興。

アルバムの聞き物は冒頭のタイトル曲「RACHEL'S PLACE」。
アルバム・ジャケットはこの曲をモチーフにしている。
レイチェルは天使で恋人で、魔法も使うようだが、イラストの
感じのように、穏やかな曲調でなごませてくれる。歌詞の
トーンも全体的に前向きなものが多く、かといって声高に力む
わけではなく、曲は流れるように進行し、あっという間に
アルバムは聞き終えてしまう。
そして、そこには幾ばくかの充足感がゆっくりと漂うのだ。

レコーディング・メンバーの内、ドラムス、ベース、ギターは
アフェニティのメンバーである。アフェニティといえば7
0年に素晴らしいアルバムを1枚だけ発表したイメージしかなくて、
72年時点で本当に存続していたのか・・・?と思っていた。
が、近年アフェニティは未発表音源の発掘が目覚しく、
71年から72年に録音されたライブ盤が日の目を見た。
72年にアフェニティは存続していたんだ、という事実に
納得して、個人的なこのアルバムに対する謎が一つ解けた
思いがしたものだ。アフェニティもいつか取り上げたいと思う。

何だか外堀を埋めるような事ばかり書いたが、1枚のアルバムでも
多面的に楽しめる好例であり、イギリスの良質なソングライターの
名盤としておすすめなのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求むリマスター再発!

2005-01-13 00:17:54 | DAY BY DAY
日本のロック・フォークの中では大メジャーの部類に入るであろう、
泉谷しげる。何枚のアルバムをリリースしているのか
正確に把握していないのだが、確実なのは重要盤のほとんどが
廃盤であるということである。

90年代初めくらいまでしか把握していなく、その先の音は
聴いていないので何だが、これは大問題である。
エレック時代はCD化された際、ジャケットが大幅に変更され
アナログの面影すらなかったこともあってCDを買う気が
全くおこらなかった。その後のフォーライフ、アサイラム、
ポリドール時代はかつてはCDになったが、現状は先に
書いたとおりである。

ただ、簡単なというか、お手軽なベスト盤は常に入手可能な
状態にある。が、これではダメなのだ。
「地球はお祭り騒ぎ」に収録の「大通りを横切って」という曲や
「黄金狂時代」に収録された「火の鳥」といった名曲が
簡単に切り捨てられるのが納得いかないのだ。

ベスト盤収録曲でもオリジナル盤を聴くことで置かれた位置の
重要性を確認することもできる。「家族」の1曲目の「野良犬」は
寒々しく、このアルバムの性格をよく表しているし、
「光石の巨人」のラスト「土曜の夜君と帰る」は、この騒々しい
アルバムをクール・ダウンさせる珠玉のバラッドで、エンディングに
ふさわしいものだ。

歴史的に見た場合、興味深いのは「光と影」である。
73年発売のこのアルバム、泉谷は加藤和彦プロデュースのもと、
2曲のレゲエ・ナンバーを残す。日本人のアプローチとしては
最も早い部類に入るのだ。演奏はサディスティック・ミカ・バンド。
レゲエにいち早くアンテナを伸ばした加藤が、ミカ・バンドでは
できないアプローチを泉谷で試したのかもしれない。
素材としての泉谷は十分それに応え、高中のギターやユキヒロの
ドラムスも新しい音楽、レゲエをよく消化している。

泉谷自身、過去を振り返らない性格なのかどうかわからないが
それにしても現在、購入可能なカタログは無残なものだ。
昨年出た遠藤賢司のベストCDは過去の全てのレーベルをひっくるめて
セレクトされた凄盤であった。せっかくのベスト盤なら、泉谷のセレクションも
これくらいの度量と内容でないと意味が無い。

今年こそ、リマスターされたいい音でのCD化を切に望む。
「’80のバラッド」なんて、想像するだけでゾクゾクするのだが・・・。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

GIL SCOTT-HERON / PIECES OF A MAN

2005-01-11 21:52:06 | SOUL
相変わらず新譜というものを
買わない、後ろ向きなロック者
なのだが、ポール・ウェラーのカバー集
にはやられた。シングルカット第一弾が
ギル・スコット・ヘロンの「ザ・ボトル」
で、これが異常に格好よかった。
久しぶりにギルのCDを引っ張り出す
いいきっかけになったので、ここで取り上げることにする。

これは71年発表の2枚目。
元々は詩人、小説家であったが、音楽活動にも手を染め
70年に1ST「SMALL TALK AT 125TH AND LENOX」を
発表。これは同名の詩集と連動していて、パーカッションを
バックに詩を朗読するアルバム。ジャケットが滅茶苦茶
格好いいのだが、音楽として聴いた場合なかなかつらい物がある。
それでも、パーカッションに乗せて時に激しくアジるように
言葉をのせる様は、1STとは思えないほど堂に入っている。

一転、この2枚目はソウルフルな演奏をバックに詩にメロディを
つけて歌の形でメッセージを届ける。
なんといってもリズム・セクションが豪華である。
ベースがロン・カーター、ドラムスがバーナード・パーティ
なのだから、グルーヴするというものである。

ギルのカタログは93年に日本でもCD化された。
フリー・ソウルとやらのブームのおかげである。
フリー・ソウルという言葉自体、嫌いな言葉であるのだが、
CD化された時は喜んだのであった。
しかし。フリー・ソウル的音楽の聴き方というのは、
「アルバムの中にいいトラックが1曲あればOK、
もちろんフロア対応で」
「ごちゃごちゃ細かいこといわずに、気持ちよければそれで良し」
という側面が強かった。そのため折角の国内発売にもかかわらず
対訳はおろか、歌詞さえ掲載されていなかった。
気持ちいいに越したことはないが、これではギルの音楽に
深く切り込んだことにはならない、という思いが今もある。
幸い「大意」はわかるようになっていたが、少々残念であった。

話が脱線したが、黒人が都市生活(だけではないが)を
生き抜くことのハードさは間違いなく伝わってくる。
「アーリー・イン・ザ・モーニング」とこそ歌わないが、ジャズの
イディオムを借りた1971年における、ギルのブルースがここにある。
有色人種をとりまく状況なんて、大して変わってないかもしれないが
当時よりぬるい時代といえる2005年にこの歌詞は、
ヘヴィーである。が、残念なことに今だ、的外れでないのが
実情なのである・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SEX PISTOLS / MY WAY

2005-01-10 20:39:55 | THIS SONG
のっけから何だが、ピストルズが
単体でこのようなジャケットの
シングルをリリースしたことはない。
ピストルズがバンド存命時に発表した
シングルは4枚、バンドの実態がなくなってから
マネージメントとレーベルが
リリースしたのが7枚、以上が正式?な
シングルの枚数だが、そのどれでもない。

では、これは何かというとヴァージンが
6枚組のパックもので発売した中に組み込まれた
1枚である。映画のワン・シーンを使ったジャケットが
格好いいのと、この曲のインパクトが余りに強いので
とりあげた。

映画「THE GREAT ROCK'N'ROLL SWINDLE」でシドが
歌うシーンはこの「MY WAY」とエディ・コクランの曲が
2曲である。エディ・コクランはルックスも良く、プレスリー
よりも「スマート」なイメージがあり、シドが好んだのも
わかる。何の違和感もない。が、シナトラの歌唱で刷り込まれた
この曲を歌うことで、自分より上の世代に嫌悪感を抱かせる。
実にいいアイディアだった。

この歌うシーン自体がめちゃくちゃである。
階段を下りてきて歌うシドに、顔をしかめる年輩の紳士達や
それでも嬌声をあげてはしゃぐ御婦人達。
歌い終わった後に客席に拳銃を乱射し、意気揚揚と帰っていくシド。
ストーリーがあってないような映画の、単純に印象に残る
露悪的という意味で忘れられない、ワン・シーンである。

そのシーンはセルジュ・ゲンスブールのショーのセットを使って
撮影された物で、セルジュの「セルジュ・ゲンスブール・ショウ 」の
ビデオで同じセットを確認できる。

私が洋楽を聴くという行為を意識的に始めたのは
ローリング・ストーンズを聴くことからであった。ビートルズの
メロディの刷り込みは知らぬ間にあったが、ストーンズから
始まったことは、後の音楽的嗜好を広げるには
良かったと思っている。中高生時代を過ごした四国の
田舎においてはニュー・ウェーブもパンクも
東京ロッカーズも関係なかった、というかそんな情報は入ってこなかった。
宝島やポンプなどという雑誌も無効だったのだ。
それでも、パンク好きは少なからずいた。
「PANK命」と平気で書くレベルではあったが。
パンクからロックに入っていった者のほとんどは、音楽を
聴いていないか、あの時代のパンクしか聴いていない。
私の周りだけがそうかもしれないが、なんだか寂しいものだ。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

PEOPLE / CEREMONY~BUDDHA MEET ROCK

2005-01-10 10:46:45 | 日本のロック・ポップス
71年発表、立川直樹制作の
怪盤。ロック者は
水谷公生が全面参加している
その一点において、この盤を
聴いているのではなかろうか。

発売以来再発が遅れ、2000年にブルース・インターアクションが
CD化するも即刻廃盤。私が所持するアナログもCDも
レプリカである。が、アナログは当時のジャケットの紙質とかを
再現しているようで、なかなかのものではある。
参加しているミュージシャンがどこまでこのアルバムの
コンセプト(?)を理解しているかわからないが、
素直に水谷公生のギターやシタールを楽しめば、十分楽しめる。
J.A.シーザーのようなオドロオドロしさや、怨念はここにはない。
なにせ、ブッダは悟りをひらいているのである。

お参りに来る人々の足音でアルバムは始まり、ハードだったり
クールだったりする演奏に乗って「声明」が詠まれ、一般人の
祈りが続いた後、悟りを開いたのか、鳥の鳴き声の聞こえる中
アルバムはエンディングを向かえる。
エンディングのメロディはオープニングとおなじであるので、
これは繰り返される行為であるということか?。
私は偶像崇拝主義者ではない。闇雲に何かに対して祈ったり
拝んだりするよりも、日々の行動を反省するほうが、明日また
訪れるであろう苦悩を軽減できると、現実的に考えるからである。
まあそれでも、「祈る」という行為で、その人が心の平穏を
得られるというのであれば、それを否定するというものでもない。

サンタナやジョージ・ハリスン、ピート・タウンゼンドといった
人達は全面的に自分の信じる宗教的な部分を押し出した
作品をつくっているが、スーパースターといわれる人にも
心の悩みはあったのだなあ。YAHOWA13というカルト集団の
アルバムはサイケ者には必須科目のようなもので、製作者の
意図とは別に御気楽に聞いてしまえば、それでいいのかもしれない。

日本のニュー・ロック黎明期にこのような盤があったことを
気にとめておいてもいいだろう。
そういえばバーズの「WELL COME BACK HOME」でも
こんな歌詞がエンディングにあった。
南無妙法蓮華経・・・・・・。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THUNDERCLAP NEWMAN / HOLLYWOOD DREAM

2005-01-09 13:10:55 | ROCK
70年11月発表の唯一のアルバム。
ピート・タウンゼンドが
プロデュースしたことと、
後にウィングスで成功を収める
ジミー・マカラックがギタリスト
として参加していることで
よく知られている。

元々はピートの知人でザ・フーの「アルメニアの空」の
作者であった、スピーディー・キーンを中心に組まれた
3人組で、前述の関係からかピートがプロデュースにあたる。
最も有名なのはシングル・ヒットした「SOMETHING IN THE
AIR」。邦題が「革命ロック」という勇ましいものであったが
アメリカへの憧憬が前面にあふれた、穏やかな曲であり
この作風がアルバム全編に展開される。
1STシングルの「SOMETHING IN THE AIR」はヒットしたものの
2NDシングルの「ACCIDENTS」が当たらず、アルバム発売時には
バンドの実態はなかった。ディランのカバー「OPEN THE DOOR,
HOMER」のカバーもいい出来だ。「地下室(ザ・ベースメント・
テープス)」収録ナンバーで、公式発表は75年だが海賊盤で広く
聞かれていたことがよくわかる。「地下室」発売にあたっての
ディランや評論家のグリール・マーカスのライナーにも一切、
触れられない地味な曲だが、大好きなナンバーである。
フェアポートの「100万ドルさわぎ」やバーズの「なにもなされなかった」
のカバー等でわかるように、「地下室」の曲をカバーしたものには
いいものが多い。

スピーディー・キーンのドラムは、ピートが叩くドラムに
そのスタイルが非常に似ている。ザ・フーはピートのデモに色付け
して曲を完成させる(とんでもない色付けである)が、
デモ作製の際にピートは全パートを一人で録音する。
ドラムスのタムまわしやフィル・インの仕方が
ピートとキーンはそっくりなのだ。
ほとんどの曲はキーンの作なので、ピートがデモを作ることは
ありえないのだが、キーンはピートが作ったザ・フーの様々なデモは
きっと聞いていたんだろうなあ。ちなみにピートはこのアルバムには
ベーシストとして参加している。

このアルバムでマルチ・プレーヤーぶりを発揮したのが、
アンディ・ニューマン。彼のソロ「RAINBOW」はいずれ紹介したい。
キーンは同じ「トラック」レーベルからアルバムを出した
ジョニー・サンダース&ハートブレーカーズの「L.A.M.F」を
後にプロデュースすることになる。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

THE MOMENTS / ON TOP

2005-01-08 20:36:30 | SOUL
71年発表の2枚目。
「ON TOP」ということで
所属レーベル「STANG」社屋上?で
万歳するジャケットがいい。
左から、ハリー・レイ、アル・グッドマン、
ビリー・ブラウンの伊達男3人が
モーメンツである。

が、この3人はオリジナル・メンバーではない。
1STに収録された、シングル「NOT ON THE OUTSIDE」を
吹き込んだ際のメンバーにはこの3人は誰一人としていない。
オリジナル・メンバーからまず2人抜け(ドラッグ使用で解雇)、
ビリーとアルが加入。更にもう一度のメンバー・チェンジを
経て、ハリーが加入しゴールデン・トライアングルが完成する。

スイート・ソウルの第一人者、ジョージ・カーとシルビアの
援助により、コーラス・グループの文字通り頂点に立つ。
ファルセットはコーラス・グループには欠かせないのだが
主にリードをとるビリー、地声は実にいなたい。
「SWEETER AS THE DAYS GO BY」ではファルセットを使わない
歌唱を聞かせるが、これがかなりゴスペル風でこのアルバムからは
浮いている。もともとこの時代のソウルのアルバムは録音年代も
バラバラなものを寄せ集めてリリースしているものが多く、
バックの音もトラックによってかなり違ったりする。
で、件の曲はスイート・ソウルのファンからは
ほとんど無視されているが、私は好きだったりする。(笑)
フェイバリットは冒頭の「ALL I HAVE」。
カー&シルビアの手になる甘口のスロー・ナンバー。
ボーカルは勿論いいが、バックの乾いたスネアの音とタンバリンの
音が田舎くさくていい味をだしている。

後にボーカルの多くをハリーがとるようになり、グループは
13枚のアルバムを発表して「STANG」を離れる。
モーメンツの名前が使えなくなって彼らは各人の名前を
グループ名にした「レイ・グッドマン&ブラウン」として
その後も活動する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする