HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

追憶のブートレグ61・ACT47 / BRIAN ENO

2008-11-30 18:12:00 | ROCK
熱心なブライアン・イーノのファンではない。ロキシー・ミュージック時代や
ソロになってから最初の何枚かのアルバムは所持しているが、仙人になって
からのものはほとんど聴いていない。
ボウイ様やトーキング・ヘッズのアルバム・プロデューサーとして
認知しているというのも、なんだか過去の話過ぎて笑われそうだ。
先日、フリップ&イーノ名義の「NO PUSSYFOOTING」が2枚組仕様で
再発されたが、そこには従来のアルバムに加えて「REVERSED」バージョンや
「HALF SPEED」バージョンなるものが収録されている。
リミックスという行為が一般的に当たり前の今では、特に驚きべき事では
ないのかも知れないが、それでは元の音に対してあんまりなんじゃないかとの
思いが強く、私には理解できないのと共に、なんだか「どうでもいいや」
という気持ちが強くなった。
もっとも「NO PUSSYFOOTING」は73年のアルバムで、イーノが環境音楽の
ようなアルバムを出すのはもっとずっと後なんだけど。

今から3年位前にウィンキーズの記事を書いた。その時に「イーノが
ウィンキーズをバックに演奏したブートレグがあるようで、それを聴きたい」
と書いたのだが、先日入手したブートレグでその思いが叶った。
イーノの編集盤の中に、イーノ&ウィンキーズのBBC録音が収録されて
いるものがあるのだが、それも入手困難な今となっては重宝するブートレグだ。

2枚のディスクで構成され、各ディスクの後半に時間の穴埋めではないが
BBCでの録音が収録されている。放送をエア・チェックしたのであろうから
その部分の音質はそれなりに良い。ディスク1に74年2月のイーノ&
ウィンキーズの演奏が収録されている。ブートレグを聴きなれた方にも
少々厳しい音質の会場録音なのだが、内容の貴重さが音質を補って余りある。
これがストーンズやクラプトンの音源なら見向きもされないような
音質ではあるが。(笑)

イーノの「HERE COME THE WARM JETS」収録曲が次々と地味なのか派手なのか
わからないアレンジで淡々と演奏されるのだが、バックがウィンキーズだと
思うと熱心に聴いてしまう。なんとなくグラム・ロックの残り香を漂わせつつ
粘っこい演奏は後にパブ・ロック・フィールドで括られる活動をするバンドに
相応しい。面白いのはカバー曲の選び方だ。
V.U.の「WHAT'S GOES ON」は別に不思議ではない。ザ・フーのファンは
ここで演奏される風変わりな「I'M A BOY」に耳を奪われるだろう。
後のパンク・バンドがカバーしたら、こんな節回しで歌うんじゃないかという
メロディーと発声は、74年当時は奇異な目で見られたかもしれない。
いや待てよ、この年はテレヴィションとの録音があるんだった。
何にせよ初めて聴いた時はその崩したメロディーが頭から離れずに困った。(笑)
忘れてはならないのがリトル・ウィリー・ジョンの「FEVER」。
一般的なイメージで言うと、イーノからは遠い位置にあるような楽曲だが
こういった曲を取り上げるセンスの良さにも驚かされる。
ディスクの2枚目にはニコとジョン・ケイルと3人で行なった演奏が
収録されているが、同年の「悪魔の申し子たち」をケヴィン・エアーズ抜きで
収録したようなもので、イーノの存在もさほど重要に感じられない。

それにしても、やっと聴けたという思いが未だに強い。
「追憶のブートレグ」は過去のブートレグに対する思いを記してきたもので、
今回のものは趣が変わるわけだが、ずっと聴きたかった音源であったことで
私にはこの先も記憶に残る1枚という訳で「61選」に取り上げた次第である。

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THE WHO / AT KILBURN 1977

2008-11-29 13:54:34 | ROCK
国内発売の無いザ・フーの2枚組DVD「AT KILBURN 1977」。
私はamazonで購入したのだがamazonの商品紹介欄にはリージョン1とあって、
「またナニして見るか」と思いつつもとりあえずDVDデッキに入れてみると、
普通に再生できた。何となく得した気分。(笑)

まずはメイン・タイトルになった「KILBURN 1977」。
映画「THE KIDS ARE ALRIGHT」用に撮影されながらも、演奏の不調(主に
キース・ムーンによるもの)のためにお蔵入りになった映像である。
78年のシェパートン・フィルム・スタジオを除くと、実質キース・ムーン
最後のライブと言われている演奏なのだが、77年自体演奏はこの日しか
ない。収録時間が70分ほどであるが、この日のセット・リストは
全て収録されている。前回の最後の演奏は76年10月なので1年以上の
ブランクがあり、キースの不調と相俟って実のところ演奏の出来は良くない。
ピートの苛立ちも顕著で、たまたまハイワットのヘッドに手を伸ばしたら
ローディーの手と触れたのか、イラついてアンプのヘッドを押し倒し
飲み物を入れたカップやタオルを手で払ってしまうシーンがある。
表情も心なしか厳しいし、常にピートを見ているキースを見返すシーンも
少ないように感じる。それでも映像にはザ・フーの当時の真実が映されている
のは間違いないし、その迫力には心躍る。今となってはこのフィルムの
歴史的価値は大きい。

ちなみに映画「THE KIDS ARE ALRIGHT」では、ピートのMCの場面が
ほんの少し使われている。
最新版では「俺にギターをやめろというヤツがいる。」と訳されているが
昔のビデオで見た「俺からギターをとりあげる度胸のあるヤツはいるか。」と
いう訳には「格好いい!」と思ったものだ。
この日の撮影に不満だったバンドは翌78年5月にシェパートン・フィルム・
スタジオで再び撮影に望むのだが、この時の衣装が偶然だろうが
キース・ムーン以外の3人はキルバーンとほぼ同じである。
ジョンのシャツが違うくらいじゃないだろうか。これが最後の演奏になり
キースが世を去ると思うと何か因縁めいた物も感じる。

ボーナス・ディスクのような扱いだが2枚目の「LONDON COLISEUN 1969」も
素晴らしい。演奏の質がキルバーンと違うのは一目瞭然で、バンドの勢いが
全く違い、キース・ムーンの手数の多さとピートとのコンビネーションの
良さが目を惹く。曲が終わってピートとキースが紙コップで乾杯のような
しぐさをするシーンからもこの日の調子の良さがわかる。
キースがステージ前に出てきてジョンと「A QUICK ONE
WHILE HE'S AWAY」の最初のフレーズを歌うシーンでは、歌い終わった後に
ジョンにいきなりキスをするのが印象的だ。唐突なキースの行動にジョンは
苦笑いなのだが。

本編の中で「A QUICK ONE」が途中でカットされるのと、『トミー』の
前半がオミットされているのは、それぞれ映像が切れているのと音声に
不具合があるためであるがボーナス扱いでうまくフォローしてある。
「A QUICK ONE」は音声は完全なので映像の切れている箇所はうまく他の映像を
つなげてあるし、『トミー』のパートは音声の不具合がある箇所を
我慢すれば(ほんの些細な時間です)全て見る事が出来る。
もともとこの映像は作品として発表することを前提に撮影されていたが
照明の問題でフィルムの出来が今ひとつであったこともあり、
お蔵入りになったものだ。
「THIRTY YEARS OF MAXIMUM R&B LIVE」のビデオで「HAPPY JACK」1曲が
収録されたのがこの日の映像の初出となるが、今回のDVDとは
カメラ・アングルがほとんど違うのが面白い。

見所満載の2枚組DVD、字幕つきの国内盤が出るのが望ましいのだが
それまで待てない人は、この輸入版で十分楽しめるだろう。
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ALICIA MAY / SKINNYDIPPING IN THE FLOWERS

2008-11-27 21:26:31 | ROCK
いつ何の機会に、このアルバムのジャケットを目にしたのかは
全く覚えていないのだが、なんとなく写真の不思議な魅力が私の記憶に
残っていた。普通、顔写真をアルバムのジャケットにする時はもっと
光の加減とかに気を配るものだが、被った帽子で影になったにも
かかわらずニッコリと微笑む女性の写真が素敵だと思ったのだ。
なかなかのレア盤でアナログ盤なんか拝んだこともないのだが、
やっとCD化された。

最初CD化されると知った時は、韓国のレーベルからの再発でそれが
「BELLA TERRA」でもないのが不安を煽り、本当に正規盤なのか
正規盤だったとして入手できるのかと考えていたところ、なんと
日本の「VIVID」の英断のおかげで、綺麗な紙ジャケに解説付きという
これ以上はない再発が実現した。

果たして聴いてみると、ジャケットの印象を裏切らない良質の
シンガー・ソング・ライターのアルバムであった。ピアノやギターは
言うに及ばず、ダルシマーやカリンバといった楽器を自分で演奏し歌うのだが
比較対象はジョニ・ミッチェルといったところか。
ライナーを読むと、このアルバム自体がジョニ・ミッチェルと知り合った
ことがきっかけで自主制作の形で製作されたことが書かれてある。
ジョニほど情念のようなものは感じられず、もっと穏やかに感じられるのは
彼女の歌唱と曲のアレンジに彩りを添えたアコーディオンとかリコーダーと
いった楽器の音色によるものだろう。
洗練されてないところに、メジャー・カンパニーから出される同趣向の
作品群との違いを感じる部分もあるが、そんなところも魅力の一つ。
カリフォルニアの暖かい陽射しの下で、気心の知れた少人数のミュージシャン達と
セッションした感じがして、想像するだけで楽しくなる。
本当は、夜の地下室での録音かもしれないけど。(笑)

私にとって大切な1枚になるであろうアルバムの再発を、心から喜びたい。
キャシー・スミスをスルーした人(笑)もこれは是非に聴いていただきたい。

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CHEAP TRICK / AT BUDOKAN LEGACY EDITION

2008-11-26 18:37:42 | ROCK
掲載写真はチープ・トリックの「AT BUDOKAN LEGACY EDITION」と
題された1枚のDVDと3枚のCDがセットになったもの。
DVDには当時テレビ東京で放送されたコンサート映像15曲に
今年の武道館公演2曲を含むボーナス映像が3曲にメンバーや関係者の
インタビューが収録されている。CDのうち2枚は以前リリースされた
「コンプリート・コンサート」、残り1枚はDVDに収録された
78年4月28日の音源が19曲の完全版で収録されている。
至れり尽くせりとはこのことだ。

熱心なファンの中には苦々しい思いを持っている人もいるかもしれない。
オリジナル・フォーマットの1枚物のLPもしくはCDを購入するのは
抜きにすると、その後2枚組「コンプリート・コンサート」として
リリースされ、ちょっと前にその2枚に武道館コンサートでの映像2曲収録の
DVDにパンフレットのレプリカが付いた「ジャパニーズ・エディション」
なるものも出たばかりで、小出しにされる追加分が増えるごとに
購入した人が、最初から今回のような装丁で出してくれよと思っても
不思議ではない。
私は日本盤LPを買っただけであったので、今回の企画は素直に有難かった。
かつて、ブートレグのDVDで今回の映像を買おうと思ったことも
あったのだが、踏みとどまってよかった。

添付されたライナ・ノーツが読み応えがある。元チープ・トリック担当
ディレクターが明かす話が面白い。今年の「AT BUDOKAN」30周年企画の
春に行なわれた日本公演も今回のCD+DVDのセットもチープ・
トリック側からの企画であること、当時から今にいたるまでのバンドと
携わった人たちの熱い思いで実現にこぎつけたこと(DVDは採算度外視であり、
何と、来日公演は赤字であったことも明かされる。)等、輸入盤を
購入したのでは読むことができない内容が書かれてある。
英文ブックレットの内容も負けず劣らず面白いのだけど。

目玉は勿論、映像だ。当たり前だが皆若いし、女の子の歓声が凄い。
バーニー・カルロスと、リック・ニールセンが女の子達の歓声を独占している
のを実際に映像で見ると(笑)当時の熱狂ぶりがよくわかる。
それにしても絵的に魅力的な4人だ。
トム・ピータースンのベースの役割というのも興味深い。
リック・ニールセンはリード・ギターを弾きまくるタイプではない。
コードをうまく組み立てて曲をひっぱるタイプで、おまけにサービス精神が
旺盛なので、やたらとピックは投げるし客に手を振る。
そういう隙間を埋める意味でも、トムのベースはあるときはリードの役割を
担う必要があり、ライブバンドとしての在り方はザ・フーに近いとさえ
思ってしまう。ロビン・ザンダーが魅力的なボーカリストなのは言うまでも無い。
日本のファンのためにゆっくりと話しかける気配りも伺える。
男前は年をとるのが早いとか、老いると若い頃と比べられて辛いとか
いろいろあるだろう。今年の映像を見てロビンの老け方がファンには
どう写ったか気になるところだ。トムがうまく年をとっているだけに。
えっ、リックとバーニーはどうしたって?。
本当の男前はいつだって格好いいに決まっているでしょう。(笑)
実際、バーニーのことは大好きだ。なんで会社帰りみたいなシャツに
スラックスなのとか、くわえ煙草でスラックスに穴をあけたこと無いのかな
とか、いろいろ考えるのも楽しい。映像では例のすりこぎスティックも
登場する。

何はともあれ、今回の鮮明な映像と3枚のCDで再び「武道館」に
思いを馳せる世界中のファンがいるだろうし、きっと新しいファンを獲得
するだろう。何年か前に振り込みのためにATMの列に並んでいたら、
前に立っているお姉さまの振込み用紙が見えた。記載事項の確認をしていた
のだろう、後ろの私が不可抗力で見てしまったその用紙にはチープ・トリック
公演と書いてあった。「この人は武道館に行ったのかなぁ」と思ったものだが、
今回のDVDも見ているといいな・・・。
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ROD STEWART / TONIGHT I'M YOURS

2008-11-25 22:03:53 | THIS SONG
私は視力が悪く、中学の時には眼鏡をかけていた。入学時の学生手帳の
写真こそかけていないが、それ以降はずっと眼鏡をかけた写真だけだ。
その中学時代から今に至るまで、頻繁に「眼鏡をかけている時と
外した時は顔が別人だ」と言われ続けている。
本人はそれほど意識したことは無いが、あんまり言われ続けると
「そうなのかな。」と思ったりもする。
あんまり何度も言われるので、ある時「眼鏡外してみてよ。」と言われたので
「俺と○。○○すれば、その時は眼鏡を外すよ。」と言ったことがある。

ロッド・スチュワートのベスト盤が発売されたのだが、今回はそれまでとは
違いDVDが1枚添付されている。てっとり早くプロモ・ビデオでロッドの
足跡をビジュアルでも楽しめるというわけだ。
私がリアル・タイムで初めて購入したロッドのアルバムは81年発売の
「TONIGHT I'M YOURS」。曲としてラジオから流れる「DA YA THINK I'M SEXY」や「SAILING」は知っていたし、友人が「パンドラの匣」を持っていたのでアルバムを聴かせてもらったりしたが、自分で初めてアルバムを買うきっかけになったのは
シングル「YOUNG TURKS」がヒットしていたからだ。
アルバムを聴いてタイトル曲の躍動感は「YOUNG TURKS」より魅力的だと
思っていたら、ウィスキーのCMソングになりシングルカットされた。
82年3月の話である。

シングル盤のジャケット写真にあるように、テレビCMでのロッドは
サッカーボールを上手に操り、単純に格好いいと思ったものだ。
この歌には個人的に思い入れがある。

中学の時、サッカーを少しやったのだが、ある試合の前にキーパーが
怪我をしたために本来のポジションでない私がキーパーをしたことがあった。
1週間ほど練習したが付け焼刃にすらならず、それでも試合はPK戦までもつれ
私は1本もとめることができず、その試合は負けてしまった。
敗因の矛先は私に向けられ、それから私はサッカーをすることに興味を
失った。私より数倍上手な友人のFWがPKを外したのもショックだったし、
心のどこかで友人のフォローを期待した自分が情けなかった。

高校3年の1月、卒業前の最後のイベントは校内対抗のサッカー大会で
私は全く興味が無く「せいぜい怪我でもしないようにな。」と軽口を叩く
程度だったのだが、私のクラスを含めてどのクラスも異様に燃えているのが
理解できなかった。市内では一番の進学校ではあったが、それでもストレートに
進学できるのは半分くらいなので、特に理系の浪人覚悟のヤツらは、
「単純に暴れたい」程度のレベルで盛り上がっていたのが、また気に入らない。
私は文系クラスだったので、たたでさえ11人集めるのに苦労していたのだが
興味の無いものは仕方が無い。

ある日、高校3年間サッカー漬けで特に話をしたこともないヤツが
話しかけてきた。「ハリー、お前あいつと小・中・高と同じだよな。
あいつに聞いたんだよ。ハリーはサッカーやってくれるかなって。」
『あいつ』とは、先に書いた中学時代にPKを外したFWのことである。
そいつも3年間サッカーをやっていた。
「で、なんて言ってた?。」
「俺的にはやってくれない方が助かるな。クラス対抗レベルだろ、あいつが
バックに入ったサイドからは絶対センタリングなんか上がらないし、
真ん中に入ったらFWは機能しないかもな。マン・マークするタイプじゃない
けど、俺の横に張り付かれたらうんざりだ。ハリーが入るんならお前の
クラスとは当りたくないな。俺はFWだからな、って言っていたよ。」

『あいつ』とはサッカー以外でも仲が良かったが、当時の共通の友人や
女の子達は、二人をライバルのように思っていたと後で聞いた。
私は勉強も運動もヤツのセンスには勝てないのはわかっていたし
見てくれもヤツの方が少々(笑)男前だと思っていた。中学生になれば
イヤでも親の最終学歴や年収の差というのもわかってくるわけで、全てに
おいて負けていると思っていたので、比べてくれるなというのが本音だった。
『あいつ』とはロックの話はしたが、お互いの間でサッカーの話題は
一切出なかった。中学の時の一件がそうさせていたのかもしれない。
そんな『あいつ』がそう言ったのが、妙に嬉しくて高校生活最後の祭りに
参加することにした。
そう決めると何故か頭の中でロッドの「TONIGHT I'M YOURS」がフル・
ボリュームで流れはじめた。

試合は散々だった。私は左サイドバックだったので最初の10分で右の
ウィングを潰し、ボールがまわってこないような状況を作ったが、
右のバックはそいつもサッカー部だったにも関わらず、やたらと抜かれて
ボールがどんどん中央に集まり、失点する。
前半終了間際に相手はゴール前でフリーキックを得る。私は壁の中に入ったが
「どうせ入らないのだから、絶対に壁の上とか狙わずに俺を狙ってくる」と
踏んだ。高校3年間サッカーに興味の無いはずの私が、調子に乗っているのが
気に障ったのだろう、予想通り明らかに私を狙ってボールは飛んできた。
ここまでは予想通りだったが、事もあろうか私の右横で壁を作っていたヤツが
私の前に飛び出し目の前にまさにもう一つの壁が出来、急にボールが目の前から
消えた。消えたと思ったら鈍い痛みが下腹部に走る。(笑)
そう、そいつのせいで一瞬球筋を見失ったと思ったらそいつはクリアする
どころか空振りしてボールは私の下腹部を直撃したのだ。
幸いその直後に笛が吹かれて、みっともない姿を長時間晒さずに済んだけど。

後半開始後には体調も回復。回復したのはいいのだがいきなりのピンチ。
キーパーが前に出すぎたためにロング・ボールが蹴りこまれ、無人の
ゴールへ、の筈だったが位置取りの良かった私のヘディングでクリア。
この時、激怒した相手チームの応援団から「殺すぞ」とか散々やじられたのだが
私はそれよりも自分のチームを応援するクラスの女の子達の反応に
耳がいった。確かに黄色い声もあったのだが「あんな人、クラスに
いたっけ。」という声が幾つか聞こえたのだ。
「え~、何いってんだよ。またかよ。」と思ったのはいうまでもない。
勿論、眼鏡は外しているのだけど。(笑)

「TONIGHT I'M YOURS」のメロディはとっくに鳴り止み、3対0で完敗。
それでも終わったあとに試合を見ていた『あいつ』が笑いながら手を
振ってくれたのだけが嬉しかった。
ぼんやりしていたら女の子が何人か来て「眼鏡外してると全然違うね」
なんて話しかけてくるのだが、どうでもよかった。
帰り道、もう一度頭の中で「TONIGHT I'M YOURS」を鳴らしてみる。
「ああ、卒業か。俺でも行ける大学あるかな。」と現実が圧し掛かってきた。

もう、冒頭の「○。○○」にはどんな言葉が入ったかお解かりですね。
今ではきっと別の言葉が入ると思うのだけど、それは次回のもとい
自戒の講釈で・・・。(笑)

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タケカワ・ユキヒデ / 走り去るロマン

2008-11-24 20:54:27 | 日本のロック・ポップス
中学生の時はゴダイゴと甲斐バンドに熱中していたことは何度か書いた。
1978年というのは、ちょうどテレビ・ドラマ「西遊記」が流行っていて
その主題歌である「ガンダーラ」がヒットしたことでゴダイゴを知る。
月に1枚のLPを買うのもなかなか難しい小遣い事情であったために、私を含めて
友人達もシングル盤を買い集めていたのだが、たまにLPを買うと
お互いに貸し借りをしてカセットに録っては何度も聴いたものだ。

今回取り上げるのは、ゴダイゴのボーカリストであるタケカワ・ユキヒデの
デビュー・アルバムである。ゴダイゴは既に多くのキャリアを積んでいて
多くのシングルやLPを出していることを知るのだが、その中でも
タケカワのソロ・アルバムは特別に購買意欲をそそる1枚だった。
CMソングで「ハピネス」が使われ、シングルと同じような写真を使った
LPが店頭に並んだが、実はシングルはゴダイゴが当たったために再録された
曲で、アルバムのジャケットも元々は全然違うデザインだった事が
その理由である。甲斐バンドのアルバム「誘惑」も最初のデザインが変更
されたものしか店頭で見ることができなかったので、「いつか両方とも
入手してやる。」と思ったのだが、どうすればいいのか解らず悶々としていた
中学生時代であった。(笑)四国の田舎には中古盤屋なんてのは無かったのだ。

アルバムが発売されたのは75年1月。74年秋口からレコーディングが
始まるのだが、ここで日本のロック史を振り返ると、キャロルも
頭脳警察もまだ存在している事に気がつく。うまく説明できないが
私が後に熱中する頭脳警察と時代が被っているのが妙な感じだ。
ZKは後追いで聴いたが故に、遥か昔のバンド(失礼)のように感じたに
過ぎないのだけど。

中学の時にカセットで聴いたものの、高校に入るとすぐにストーンズである。
ゴダイゴとか言っている場合ではなかったので、過去のカセットは
消されてしまい記憶も遠かったのだが、今回オリジナル・ジャケットでの
再発を機に聴いてみると、意外と覚えている部分が多くそれらは
中学時代の思い出に繋がり、なんとなく嬉しい気分になった。
ゴダイゴはシングルは日本語で、アルバムは英語で歌詞を歌っていたのだが
アルバムを聴いて全然違和感がなかったのは、タケカワの発音のせい(笑)
かもしれないが、ここでの自然な馴染み方が洋楽へすんなり移行できる
下地になったのかもしれない。

「失われたビートルズ神話を求めて」という帯の叩き文句は、全く不要だ。
今見れば苦々しくも笑ってしまう文句も当時は有効だったのだろうか。
どういう人をターゲットにしようとしていたかが伺える売り出し方だが、
良質なポップスというものは、いつの時代も瑞々しい。勿論ビートルズが
下敷きになっている必要も無い。タケカワ・ユキヒデという一時代を築いた
メロディ・メーカーの最初の一歩が、ここまで完成度が高かったということを
改めて確認した次第である。

そういえば、甲斐バンドの「誘惑」は昨年末にオリジナル・ジャケットで
CD化された。中学の時の私の願いは、30年越しで二つとも叶った
ことになるのだなぁ。

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追憶のブートレグ61・ACT46 / BECK BOGERT & APPICE

2008-11-23 19:57:09 | ROCK
「クロスロード・ギター・フェスティバル2007」のDVDを見ていたら
台所から相方が話かけてきた。
「今、演っているのはベックやな。音に印が付いとる。そやけど
やっぱりライブ見たいとは思わんな。これはキツいやろ。」
なんだ、そういうことか。

私が知り合ったり、つきあった音楽好きの女性の中に唯の一人も
ジェフ・ベックのファンという人には出くわしたことが無い。
まあ、私もギター・フリークじゃないのでそういう輪の中に入ったことが
無いというのもあるのだが、それでも様々なバンドやミュージシャンのファン
であるという話を多く交わしたが、ジェフの名前はついぞ聞くことは無かった。
ECとかジミー・ペイジとなれば話は別なのだが。
いつか誰かが統計的な調査を学術的にやってくれれば面白いのだけど。

ギター・フリークではないが、私はジェフのファンである。
オフィシャル・アルバムは勿論全て揃えているし、各時代のいけないブツも
それなりに聴いてきた。好きなギタリストのベスト5にも入る。
それでも、私自身もジェフのコンサートを見に行くことは無いだろう。
ベック・ボガート&アピスが再編されるなら話は別だけど。

BB&Aは私にとって最高のトリオ・バンドである。(日本ならBJC)
後ノリとも言われるカーマイン・アピスの重量級のドラムスと
ヘビーなベースを弾きながら歌心に満ちた声を聞かせるティム・ボガートの
リズム・セクションは、ジョン・ボーナムでなくとも唸ってしまう。
そこに変幻自在のジェフが加わるのだ。トリオという人数上の限界を
逆手に取り、各人の自由度を優先させながらも風通しの良さはクリームの
比ではない。昔、渋谷陽一氏と山下達郎の対談で達郎は英国ロックに
贔屓目な渋谷氏に皮肉の意味もあったのだろうが「ジャック・ブルースと
ティム・ボガートの違いは、生まれ育った国の違いである」という
ニュアンスのことを言った。私は感覚的に捉えることしか出来ないのだが
言わんとする意味は何となくわかった気がして「なるほど。」と思ったものだ。

掲載写真は幻のBB&Aの2枚目のスタジオ・アルバムのセッション9曲が
収録されていると言うことで話題になった。ジミー・ペイジさんが
西新宿でお求めになったことも有名である。(笑)
91年に出たジェフの3枚組編集盤「BECKOLOGY」に「JIZZ WHIZZ」が
収録されていたが、それ以外の8曲はここでしか聴けない。
完成には遠い出来のトラックもあるが、たった1枚のスタジオ盤しか
残していないグループの未発表曲をなかなかの音質で大量に聴くことが
できるということでこのCDは人気があったし、私も楽しんでいる。
英国フォークやクラシックではなく、米国のソウルを意識した
ハード・ロックというのはメンバー構成にもよるのだろうが、当時としては
斬新だったと思うし、そのスタイルの格好良さは特筆すべきで
本当にスタジオ盤が1枚しか無いのが惜しまれる。
このブートレグが通過点であることを、願っているのだが
ファンの夢が幾分叶えられたという点で忘れられないブートレグでもある。
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沢田研二 / いくつかの場面

2008-11-22 18:21:14 | 日本のロック・ポップス
今週はBSで沢田研二関連の放送が2本あった。1つは78年のビッグ・ショー。
これはちょうど私が、テレビの歌番組で歌われる多くの曲の中から
「ジュリーのヒット曲」を意識し始めた時期でもあり、楽しく見た。

もう1本はNHKに残された「紅白歌合戦」や「レッツ・ゴー・ヤング」に
登場したシーンを中心に、時折ジュリーがナレーションを入れて歴史を
振り返る内容のもの。短い時間であるが、よく出来た番組だった。
何より「悪魔のようなあいつ」と「太陽を盗んだ男」に言及していたのが
嬉しかったし、数ヶ月おきにシングルをリリースする度に、ビジュアル・
イメージを変えていったのが手に取るようにわかるのが楽しい。

ジュリーは、ご存知のように大手プロダクションから独立した後も、
毎年のようにコンサートを行い、CDだけじゃなくDVDも続々と発表している。
ミュージシャンとして自分の作品をプロデュースし、テレビという旧態依然と
したメディアへの露出は少なくなったものの、ファンの期待にコンスタントに
応え続けているという意味で、充実した音楽活動を行なっているといえる。
膨大なジュリーの作品群に私が追いつくのはいつの日になるか。(笑)

掲載写真は75年に発表したアルバム「いくつかの場面」。
ジュリーのアルバムの中で1,2を争うくらい好きなアルバムだ。
冒頭の「時の過ぎゆくままに」はテレビ・ドラマ「悪魔のようなあいつ」の
主題歌だ。リアル・タイムであのドラマを見た人の衝撃とはどんな
ものだったのだろう。後追いで見た私にもかなり刺激的なドラマで
若きジュリーの格好良さ、取り上げた題材の刺激度、内容のハードさは
際立っていて、今でも思い出したように見返す。
先日亡くなったデイヴ平尾の好演も忘れられない。

聴きどころの多いアルバムである。
「U.F.O.」での及川恒平の歌詞の突飛で不思議な感じを、音で更に強烈に
表現したのはミッキー吉野グループ。この後ジュリーのツアーのバックを
務めるのだが、メンバーは既にプレ・ゴダイゴといっていい面子が揃っている。
どういういきさつで歌うようになったのかはしらないが、大瀧詠一の
「あの娘に御用心」も重要だ。演奏はティン・パン・アレイで、大瀧と
山下達郎はコーラスで参加。この時点で大瀧自身はこの曲をレコードとしては
まだ発表していない。ジュリーの歌唱は、大瀧の歌い方に似た感じが出ていて
(デモでのガイド・ボーカルを聞いたのでしょう)ジュリーの生真面目さが
よくわかる。
アルバム最後の曲はタイトル曲である「いくつかの場面」。
河島英伍の手になる曲で、私の勝手な思い込みは、不遇だったといわれる
PYG時代を想起させる。

シングル・ヒット曲は知っているけれど、アルバムを何か1枚というなら
日本のロックと大きくリンクするという意味でも、このアルバムを
推薦する。
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追憶のブートレグ61・ACT45 / ROD STEWART & THE FACES

2008-11-19 22:19:17 | ROCK
ザ・フーのさいたま公演の日は朝から天気が悪かった。
幸い私が家を出る時間には雨が止んでいたが、早い時間に出た方の中には
傘が必要だった人もいただろう。
曇天を睨みながら駅まで歩く私の脳裏には、何故か初来日のストーンズ公演を
見に行った日のことが次から次へと浮かんできた。

その日も天気は悪かった。朝から雨が降っていてストーンズを初めて
見る事ができる興奮よりも、「よりによって何で雨降りなんだ。」という
怒りから機嫌は悪かったのだが、京都で同行の2人と合流して3人で
新幹線に乗る。一人は私と学生バンドを組んでいたときのベーシストで
もう一人はその弟。弟のほうは今もバンドマンで、昨年は今や大物と
いっても過言で無い某氏のプロデュースでCDを出したようだが、
私の耳には届いていない。(笑)

3人とも実はドキドキしているのだが、興奮を押し殺そうと努めて
冷静さを装っているのがお互いにわかったようで、可笑しかった。
東京駅で腹ごしらえをするために店に入るとテレビのモニターには
森高千里のプロモ集が延々映っていた。
まさか、この後『10回の東京公演』がネタにされるとは思っても
みなかった。(笑)

ライブのことは余りよく覚えていない。アリーナBブロックでドーム公演に
しては、よく見える位置だったはずだが、前年のアトランティック・
シティでのブートビデオを見すぎたせいか、あまりにモダンなアレンジの
せいか演奏中にも「ああ、次はあれか。で、あれとあれを演るんだな。」と
行きの新幹線の中とはうってかわって冷めた自分がいた。
警備員が目の前にいるというのに、隣の酔客と殴り合いまでやらかすし。
開演前からウイスキーをあおっていた隣のヤツのヨレた踊りと奇声が
邪魔くさかったので、一睨みすると絡んできたので対処しただけなのだが
相手を押し倒したところで、同行の2人に割って入られ席を替わった。
多分曲は「IT'S ONLY ROCK AND ROLL」だったと思う。
ライブが終わって、終始直立不動だった警備員の胸元を軽く突いて外に向かった。
外はやっぱり雨が降っていた。さっき小競り合いをしたヤツが目の前を
歩いていたので、呼びかけたら足早に去っていった。
別に続きをしようと思ったわけではないのだが、何で声をかけたのだろう。

その日は新宿のカプセル・ホテルに泊まり、次の日に今は無き「サウンド・
ファイル」で購入したのが掲載写真のブートレグ。同時期に同じくTSPから
ストーンズの「WELCOME TO NEW YORK」も出ていてそれも欲しかったのだが
その時は当然ながらストーンズ来日騒動でなんでもかんでも売れていたわけで
そのCDは見当たらなかった。
決して代替品と言うわけではない。フェイセスも大好きなバンドだ。
しかしながら、ストーンズのライブに満足できなかったことと、目当ての
ストーンズのCDが無かったことが重なって、「仕方なく買った」と
愚かにも決め付けてしまって、なかなかこのCDを聴く気になれなかった。

ストーンズを見に行った時に着ていた革ジャンは、従兄弟にあげてしまった。
パンフレットをわざわざ引っ張り出すことなんてないだろう。
今では皮肉にもこのCDのジャケットが、私にとって当時の思い出を
蘇らせる最も有効なツールとなってしまった。
ロニーが付けている「BACK TO MONO」バッヂの意味を知るのは
もう少し後になってからである。



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PETE JUMPS AGAIN !

2008-11-18 21:21:57 | ROCK
昨日は昨日で どこかで浮かれて
過ごした筈だが 忘れてしまったよ

なんて言えれば格好いいのだが、どうもそうはいかない。
というわけで、昨日は日本武道館にザ・フーを見に行った。
今回は相方と一緒。席はアリーナ真ん中より左によったあたりで
まあまあというところ。またもや機材の位置関係でラビットさんが
よく見えないのだが、まあ仕方ない。
さいたまでは最前列だったので、余り後ろを振り返ることもしなかったが
今日は余裕を持って観客ウォッチング。
他のバンドのコンサートに比べて、出演アーティストのTシャツの着用率が
高いことに気付く。プログレのコンサートだと、一体誰のファンなのか
わからないくらい様々なTシャツを着た人を見るし、ストーンズでも
同じようなもんだ。それに比べるとアーティストTシャツを着ている人は
私が見た限りほぼ100%ザ・フーのTシャツである。素晴らしい。
2階席を見ると会社帰りの40代後半から50代のグループがいる。
手に持っている銀の缶は持ち込み禁止のスー○ー・ドラ○じゃなかろうか。
肝心なところで用足しに行かないように。(笑)

私の斜め後ろに芸能人が女性と座った。余りに出来すぎているのだが
座ってすぐ聴こえてきた会話が「終わったら何食べに行く?」であった。
別に普通の会話のはずなのだが、バンドや会場の話でなくいきなり
その会話が聞こえたことが、なんとなく可笑しくて相方と笑ってしまう。
彼のメインイベントはコンサートの後なのかな、とか何の根拠も無い
妄想を抱くが、それでは失礼だと思いすぐ打ち消す。(笑)

さすがに数公演見てきた人が多いためか、BGMがボウイ様の「ジーン・
ジニー」に変わったら立ち上がって拍手する人が多くなる。
勿論私も、この曲が終わったら「I CAN'T EXPLAIN」が鳴り響くことを
知っていたため立ち上がって拍手に加わる。

コンサートは非常にスムースにいい感じで進行した。客席もステージも
楽しそうだったし、何よりピート・タウンゼンドの表情が凄くよかった。
かつての失われたライフハウスのコンセプトの一つだったという
「聴衆と共に成長するバンド」の姿があったというのは大袈裟かも
しれないが、今のザ・フーがライブ・バンドとして何度目かのピークに
あるのは間違いないと確信した。
個人的にこの日の演奏では「ANYWAY ANYHOW ANYWHERE」の怒涛の迫力に
まず圧倒され、「無法の世界」でのロジャーの咆哮が完璧だったことに
感動。最前列ではそれほど感じなかったが多くの他の客に囲まれた状態で
「BABA O'RILEY」のあのフレーズを聴くとやっぱり涙ぐんでしまう。
「5:15」でロジャーとピートが近寄りすぎてぶつかった時には
「おいおい、昔この曲でマイクとシールドが絡まって二人とも身動き
出来なかったことがあったろうに。」と意味もなく嬉しくなってしまう。
本編最後に「NAKED EYES」を聴けたのも予想外だった。

もしかすると今回のツアーはアンコール・シリーズとしての発売は
ないかもしれない。できれば発売して欲しいがTHE MUSIC.COMでの
過去CDの投売り(2002年ツアーは最早取り扱ってすらいない)を
見ると、なんとなくそんな気がする。それなら今のザ・フーを記録して
「LIVE AT BUDOKAN」を作るっていうのも名案だと思うのだけど。

私は行けないのだが、明日もいいコンサートになることを願っている。
コメント (2)
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AMAZING JOURNEY

2008-11-17 09:54:03 | ROCK
個人的に素晴らしい体験であった。
演奏しているのはザ・フーである。素晴らしいに決まっていると言われれば
そうなのだが、今回は最前列で見る事が出来たのがその印象を強くする。
目の前数メートル先に、ロジャーやピートがいるのだ。
障害物はフェンスだけ、つまり視覚的に邪魔になるものは何一つ無い。
見上げる感じになるので、今になって首が痛いのと振り上げすぎた手が痛い。
私を含めて両隣もかなり盛り上がったいたので、フェンスを押さえる人は
大変だったかもしれない。

ミキサー卓付近だと音の感じはいいように聞こえるだろうが、アリーナなので
どうしてもステージから遠い席もある。過去にそういう席で何度もライブを
見たが、さすがに今回はそういう席ではもしかすると聞き取れなかった音や
CDではなかなか判別できない音が聞き取れたのが嬉しかった。
当たり前ながら実際の動きと音が合っているので、脳内で事前に
それを了解しているだけかもしれないけれど。
ザック・スターキーが左足で踏むハイハット、「エミネンス・フロント」での
ロジャーが弾くギター・パートは勿論、「無法の世界」でサイモンが弾く
ギターがしっかり聞こえるというのは、小さな感動の積み重ねである。
ピノのベースは曲が終盤に差し掛かると、思わぬ良いフレーズを多く
弾いていることも認識できた。ステージを見上げる形なのでラビットは
上半身しか見えなかったのが残念と言えば残念。

ピートとロジャーに関してはもうずっと目を奪われっぱなしなので
何を書いていいのかよくわからない。ピートが客席を指差して怒鳴った時は
何があったのかよくわからないが、緊張した。気に触ることがあったのか
ジョークなのか未だにわかりかねるが、ピートはそれについて具体的に
言及しなかったので、ステージ上も一瞬ピリとした感じがした。
ロジャーは余裕で流していたが、バンドをコントロールするピートの
動きをずっと見ているザックの目がその時は険しくなったように見えた。

2004年の横浜では「ババ・オライリー」に感動したが、今回は
普段は余り好みで無い曲である「ビハインド・ブルー・アイズ」とか
「愛の支配」にのめりこんでしまった。私より20歳も年上の人に
こういうことを言うのは失礼だが、ロジャー・ダルトリーというボーカリストを
チャーミングだとさえ思ってしまった。

いいコンサートだったので、普段は見ない2ちゃんねるやフーのファン・
サイトを覗いてみたが、あまり気分は良くない。
どちらにも最前列にいたであろう輩の書き込み(別人)があったが、
だいたいどいつらが書いたか顔が浮かんでくる。(笑)
若いヤツもいたが、私より見た目10歳は年上の人間があんなガキのような
文体で書き込んでいるのかと思うとゾっとする。

今日は日本武道館。明日出社したら仕事が溜まっている様が目に浮かぶが
今日もいいライブになることを願って出かけよう。
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THREE STEPS TO THE WHO / STEP 3

2008-11-16 09:09:32 | ROCK
予定通りならば、今週にもキース・ムーン在籍時最後のライブ(78年の
シェパートン・フィルム・スタジオを別とすれば)を撮影した「KILBURN
1977」が発売される。音だけであれば、まあまあのサウンドボード録音で
ブートレグが流通していた。それを聴く限りではキース・ムーンが
ドラムを叩きあぐねている感じがして、70年や71年の頃のような
演奏には程遠いと感じた。もっともそのブートレグはサウンドボードとはいえ
各楽器のバランスが悪くドラムスが目立ったからそう感じたのかもしれない。

日本の映画館でも上映され、評判は上々の「KILBURN 1977」。私は
「ベスト・ヒットU.S.A.」で放送された「I CAN'T EXPLAIN」1曲のみを
見ただけなのだが、この1曲のみで完全にノックアウトされた。
しっかりと音がミックスされ、しかも絵が付いているとなれば演奏の
説得力が全く違う。フルレングスで見るのが楽しみだ。

既に海外では「AMAZING JOURNEY / SIX QUICK ONES」という2枚組の
ドキュメンタリーDVDが出ている。これはさすがに字幕つきの国内盤を
待っているのだが、これが最新の決定版ドキュメンタリーとすれば
気になることが一つある。基本は映画「THE KIDS ARE ALRIGHT」であるのは
間違いない。これは2枚組の拡大された強力なバージョンが世に出ている。
しかしながら、94年の「THIRTY YEARS OF MAXIMUM R&B LIVE」は
放置されたままなのだ。ビデオとLDで発売されたものだが、一度も
DVD化されていない。150分に及ぶこの映像は画期的なものなのに。

何が画期的かというと、この手のインタビューをまじえて進行する
歴史物にも関わらず、使われる演奏シーンのほとんどが完奏するのだ。
ドキュメントものではカットされたり編集されたりするのが常であることを
思えば素晴らしいことである。権利の関係からか「ウッドストック」の
映像が収録されていないのが不思議だが、貴重な映像が多く含まれている。
この映像が世に出た後、「ワイト島」の完全版映像がリリースされたことから
この後もここで使われた映像の完全版が出ることを期待したが、まだ
そこまでには至っていない。
70年のタングルウッド、74年のチャールトン、79年のシカゴは
ブートレグでなかなかの映像が出回っていることを踏まえれば、当然
バンド側はそれらを上回る音質、画質で映像をコントロールできるだろうから
今でもそれらの映像が出てくることを期待している。

それとは別に「THIRTY YEARS OF MAXIMUM R&B LIVE」にはピートや
ロジャー、そしてジョンの当時の気分を知る意味で貴重な発言が含まれる
点でも見逃すことは出来ない。
同じバンドに在籍していて、これほどまでに互いをある意味ライバル視し、
競争をしていたことを語るところは、今見ても唸ってしまう。
そうそう、79年にケニー・ジョーンズをむかえてスタジオで行なわれた
リハーサル映像なんて他では見る事が出来ないのも貴重だ。
そんなこんなを考えれば、何とかDVDにならないかなと思う次第である。

さあ、FORTY FOUR YEARS OF MAXIMUM R&B LIVEだ。


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THREE STEPS TO THE WHO / STEP 2

2008-11-15 13:23:28 | ROCK
ロック史上数あるライブ盤の中でも、ザ・フーの「LIVE AT LEEDS」は群を抜いて
有名な1枚だがブートレグを模した装丁や、12点の「おまけ」が
収録されたオリジナル盤をリアル・タイムで体験した人は、そうは
多く無いだろう。大物と言われても日本ではそれほど人気がなかったと言うし
ましてこの装丁の輸入盤が数多く日本に入ってきたとは思えないからだ。
今では広く知れ渡った「アイティム」であり、おまけを含んだLPや
紙ジャケCDの再発で、後追いの私もありがたく疑似体験できたわけだが。
実はオリジナル盤を所持していたことがあったが、「おまけ」が2点
欠けていることに気がついた時に手放した。購入した20年前は
「おまけ」が何点でどんなものが含まれているかなんて、なかなか知ることが
できなかったものだ。

70年2月14日という、このライブが録音された日付は最早ファンには
刷り込まれた日付であるが、発売が同年5月3日という早業だったのには
驚かされる。昔から思っていることは、このアルバムが最初から
2枚組ライブで発売されれば物凄く画期的だったのに、ということだ。
2枚組のアルバムというのは、レコード会社からしてみれば単価が
高くなるので売りにくく、1枚物でリリースするのは営業戦略上は正しかった
であろう。1枚に収めるためにたった6曲しか収録されていないのだが
今思えば選りすぐりの6曲ではある。だが、私が初めてこのLPを
聴いた時はなんだか極端に物足りなさを感じたものだ。

2枚組のアルバムということ自体がスペシャルなことであるのは、
60年代に2枚組のアルバムが何枚あったかを思い出せば、その少なさに
気がつく。しかも2枚組ライブとなれば尚更である。
70年はトミーのプロモーションの為のライブでもあったので、
コンサートの中盤で丸々トミーが演奏される。今では「リーズ」の
DXエディションでその様子は簡単に聴くことが出来るし、ワイト島での
演奏をDVDで見ることも出来るが、ブートレグでリーズの全演奏を
聴いた時は衝撃だった。そしてこれは絶対当初から2枚組で出すべきだった
という思いを尚更強く持ったのだ。

2枚組のライブ盤というのはそれまでも幾つかあるが、アルバムを曲順通りに
演奏して収録したライブ盤というのは無かったからだ。
アルバム「トミー」が意外とアコースティック色が強いのは、ピートの
デモにバンドが個性を加えながらも忠実に演奏したからで、ライブでは
スタジオ録音ほど正確で無いにしろ、そこでは捉えきれない熱気と勢いがあり
これをレコードでリアル・タイムで発表していれば、レッド・ツェッペリンに
あれほど大きな顔をさせずに済んだし、ストーンズに「THE WORLD GREATEST
ROCK AND ROLL BAND」を名乗らせることは無かったかもしれない。

リーズ収録の「MY GENERATION」ではアルバム「トミー」を丸々演奏している
にも関わらず曲中にトミーのパートが登場する。もともとライブ盤
発売を前提としてのレコーディングで、「どうせ1枚もので、トミーを
収録することは出来ない。それならここで美味しいところを聞かせよう」
という考えが何となく透けて見えるのは気のせいか。
70年6月以降の演奏の未ブート化テープ(音質が劣悪なのでブート化は
無理なのでしょう)を幾つか聴いたが、そこではそういうアレンジでの
演奏はない。

アルバム1枚で約45分。2枚組で発表してレコードの2枚目を全て
「トミー」の楽曲で占めたらその衝撃は相当だったのにと思う。
ライブでの「トミー」のパートは50分を超えるので、何曲か省いての
収録になったとしても、当時ならその価値は高かったはずだ。

続いて。このライブ盤からは「サマータイム・ブルース」がシングル・
カットされた。実は私はこのバージョンがそれほど好きではない。
どちらかというと、いや積極的に「ヤングマン・ブルース」の方が好きだ。
ここでのピートとキース・ムーンの絡みは、他のどんなブートレグや
オフィシャル盤で聴くことが出来るバージョンよりも、バッチリきまっている。
この曲の決定的バージョンと言っても過言で無いとすら思っている。
歴史に「たら、れば」は無いが、もし70年の「リーズ」が2枚組で発売され
シングルが「ヤングマン・ブルース」だったら・・・なんて夢想するのも
楽しいことだ。




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THREE STEPS TO THE WHO / STEP 1

2008-11-15 12:18:46 | ROCK
ザ・フーの来日公演、盛り上がっているようで嬉しい限りである。
数日前の新聞広告で、エリック・クラプトソのほうが写真が大きく
しかもカラーだったのには苦笑いしたけど。
大阪はともかく、横浜も見たかったのだが多くの休みを取れるような
身分でも無いので、明日の埼玉が初参戦となる。
パンフレットと気に入ったデザインのTシャツはフーのオフィシャル・
ストアーで30ドルの値引きで購入したので、今回はグッズ売場を
見に行く必要はないので、のんびり出かけられるだろう。

ザ・フーをカバーした曲はあるにはあるものの、カバーされる曲は
大抵決まっている。そんな中でグレイトフル・デッドがフーのレパートリー
の中でも難曲の一つである「BABA O'RILEY」をカバーしているのを知ったのは
やはりブートレグであった。「PHILADELPHIA」と題されたそれは
ジャケット写真が貧弱で、購買意欲をそそるものでは無かったが
ジャケット裏の曲目を見て買ってしまった。
ほとんどの収録曲は93年9月13日公演のセット・リストの第二部からの
もので、第一部が丸々未収録であるので多くのデッドヘッズを
満足させる物ではない。おまけのように収録された93年ツアーで演奏された
カバー集が聴きものなのだが、音は大して良くない。

件の「BABA O'RILEY」は93年5月21日の演奏で、ビートルズの
「TOMORROW NEVER KNOWS」とのメドレーで演奏されている。
「BABA O'RILEY」を難曲と書いたのは、曲の終盤のヴァイオリンが
フューチャーされるところ(ライブではロジャーがハーモニカで吹くところ)
からエンディングをきっちりキメるのが難しいのでそう書いたのだが、
デッドの皆さんはそこの部分を端折って「TOMORROW NEVER KNOWS」に
突入する。(笑)最初は物足りなさを感じたが、自然に曲が繋がった演奏なので
これも有りだなと解釈した。

このパターンはその後オフィシャル・リリースされた掲載写真の「DICK'S
PICKS 27」で聴くことができるようになった。この盤には92年12月17日に
オークランド・コロシアムでの演奏が収録されている。これはアンコールで
演奏された2曲でこの日は92年最後のライブでもある。
「PICKS 27」のメインは前日の12月16日公演で、17日はまたしても
「おまけ」のような収録だが、子供の頃から今に至るまで「おまけ」には
弱いものだ。(笑)
必殺のカバー2曲は、5日間続いたオークランド・コロシアムでの公演に
熱心に通ったであろうファンへのサービスであり、この年の締めくくりと
してのサービスでもあったのだろう。

ザ・フーのファンで「何か1枚、PICKSシリーズを買おうかな」と
思っている人にはお勧めである。
ちなみに本編の16日はディラン・カバーも2曲あり。
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追憶のブートレグ61・ACT44 / JESSE ED DAVIS

2008-11-12 21:46:48 | ROCK
昔から今に至るまで、レコード会社はLPやCDを規格変更して売り出すことで
新たな宣伝の機会を設け、新しいファンの開拓に余念が無い。
例えばワーナー・ミュージックの「FOREVER YOUNG」シリーズは比較的
廉価で多くのアーティストのアルバムを発売するもので、かなり長く続いている。
味気ないプラケースでなく、紙ジャケが普通のフォーマットになって
安い値段だといいのだけれど、コストの問題からそうもいかず人気の商品の
足は早い。そういうことに拘らなければ、「今まで聴いたことが無いけれど
あのロックの名盤とかいうヤツを何か1枚買ってみよう」とかいう人には
気軽に買える感じで便利だし、リスナーの裾野を広げるという意味で
うまい戦略を持ったシリーズだと思う。近年は3枚買うと1枚タダとか
Tシャツが当たるとか、おまけ的な要素もあって売る側の努力も大変である。

ワーナー・ミュージック・ジャパンが98年から開始した「名盤探検隊」という
シリーズも印象に残っている。たまたまそこで取り上げるミュージシャンや
アルバムに、当時の私の針が振れていたというのもあったのだが、
このシリーズも値段が良心的だったし、世界初CD化も多かったのが
大きかった。贅沢な仕様の印刷物「名盤探検隊通信ULULU」も楽しいもので
購買意欲を煽った。今でも創刊号から特別号まで9枚全て保存してある。

その第一回発売分にいきなりエリック・カズやジョー・ママがあって
まとめて買ったのだが、なかでもジェシ・デイヴィスの「ウルル」の人気は
高かったように記憶する。これも当時の世界初CD化の1枚だった。
1枚目とエピックから出た3枚目「キープ・ミー・カミン」はCD化されて
いたのに、「ウルル」のCD化が遅れていただけに喜びも大きかったという
ファンは多かっただろう。

オリジナル・アルバムや数多くのセッション参加作を楽しんではいたものの
ライブ音源がブートレグとして現れるとは思っても見なかったのが掲載写真。
時間は短く曲数も少ないが3枚のアルバムから満遍なく選曲され、
演奏もしっかりしている上に音質も優れているとくれば、初めてこれを
聴いた時のファンの驚きというのは想像に難しくない。少しボーカルが
乱れるところも、当時のジェシの体調とかが生々しく感じられて、
優れたドキュメントとも言える。
私の知る限り、ブートレグの形で市場に出たのはこの音源だけだと思うのだが
こういうアーティストの音源に出会った時こそ、ブートレグの醍醐味を
感じてしまうのであった。
コメント (4)
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