HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

シーナ&ザ・ロケッツ / #1

2005-07-31 11:54:23 | 日本のロック・ポップス
昨日は恒例の?「日本のロックを語る会」の第4回をいつもの
安居酒屋で行った。いつものようにお互いの趣味の音源を
交換し合い、雑談に興じるのだが昨日はなんだか大して
酔っ払ってもないのに、何故か女優談義になってしまった。
気になっているのに名前がわからないため、出演しているCMなり
ドラマを検索して名前を探り当てたことのある女優名が同じだったのと
「竹田かほり」「森下愛子」の2000年代版が誰かとかが
(そんなことばかり普段かんがえているのではない)一致して
大笑いしてしまった。

そんな話に終始したわけではもちろんない。
シーナ&ザ・ロケッツのデビュー・アルバム「#1」は何度も聴いた
大好きなアルバムだが私は再発されたCDしか所持していない。
LPは「エルボン・レコード」からリリースされ、「涙の
ハイウェイ」がシングルになっている。更に付け加えれば
そのシングル盤も所持していなければ、聴いたことが無い。
ないないつくしで、恥ずかしい限りだが話は続く。

CD化の際に曲順が変わった。LP時代は3番目に収録されていた
「涙のハイウェイ」がCDでは1曲めである。この曲はシングルとCDは
バージョンが違うのか?。もともとのLPにはシングル・バージョンが
収められていてCD化の際に違うテイクが収録されたのか?。
シナロケ25周年記念BOXに収録された「涙のハイウェイ」は
アルバム「#1」からというクレジットの下、CDと同じバージョンが
収録されている。LPが手元にあれば話は早いのだがないのが
もどかしい。酒の席の話はこんなに込み入ってはなかったが、
こういった内容の話をしばらくしたのである。
CDの「レモン・ティー」のイントロのフェイド・インの仕方が
LPとは少し違うようだし、「カモン」のギターのミックスも
違うような気がする。発売元の関係で意外とエルボン盤は
入手が難しいのである。

サンハウスの時代の曲がいくつか収録されている。
菊の歌が格好いいのはもちろんだが、シーナや鮎川の歌も
それらの曲の魅力を引き出していて、比べるなんてできないが
どちらも好きである。曲のタイトルは「ぶんぶん」が
「ブーン・ブーン」となりジョン・リー・フッカーをより
想起しやすくなったし、「夢みるボロ人形」は「夢みるラグドール」に
かわった。女性が歌うんだから「ボロ人形」より「ラグドール」の
ほうがいいだろう。ただし歌詞は「ボロ人形」のままだが、ボロ人形は
男の立場から女の立場にいれかわっている。
「僕にもBluesが・・・」は「ブルースの気分」と改題されたが
これは前者のほうが思わせぶりですきだなあ。
ストーンズのデビュー曲にしてチャック・ベリー・ナンバーの
「カモン」を収録するセンスにも脱帽。
ジャケットも素敵だ。これぞロックンロール!。




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FESTIVAL EXPRESS

2005-07-29 23:08:40 | ROCK
映画上映からDVDになるまでの期間が短いのが最近の
常だが、これは待ちに待っていた作品である。
かいつまんでこのDVDを説明すると、1970年に
トロントからカルガリーまでの8日間、ザ・バンド、
グレイトフル・デッド、バディ・ガイ、ジャニス・ジョプリンらが
列車で移動しながら各地で行うコンサートや移動中の出来事を
フィルムに収めたもので公開目的で録られていたが、トラブルに
見舞われ映画化が不可能な状況であったが、散在したフィルムを
丹念に編集し、公開されたものだ。映画「ウッドストック」を
意識した演出が70年に作られたものを見ているような気分に
させてくれる。
余りに見所が多いので、是非見ていただきたいのだが、ここでは
個人的な思い入れのみで綴らせていただく。映画の詳しい内容は
そこかしこで紹介されているので割愛する。

まずは何と言っても「GREAT SPECKLED BIRD」だ!!!!。
なんといってもカナダなんだから。(笑)
イアン&シルヴィアはそれまでも多くの録音を残してきたが
69年に遂にバック・バンドも含めて「グレイト・スペックルド・バード」
というバンドを名乗った。そのバンドの映像を私は初めて見ることが
出来たのがこの映画だ。若々しく短いスカートで健康的な
シルヴィアの声と姿は魅力的だが、この映像にはフェスならではの
お楽しみがある。ジェリー・ガルシアがギターで、ミッキー・ハートが
タンバリンで楽しそうにステージに参加しているし、アンプの後ろ
ではリック・ダンコらが踊っている。最大の見所はなんといっても
若きエイモス・ギャレットがパキパキとギターを弾いているところだ。
格好いいったらありゃしない。
昔、相方に「エイモス・ギャレットが磔磔にくるから見に行こう」と
誘われたのだが、断ったため相方は一人で見に行き、今でも私の愚行を
笑いものにするのだが、今もこの件に関しては、ぐうの音も
出ない。ボーナスDVDではディランの「怒りの涙」を演奏する場面が
収録されている。それにしても。69年にはもうバンド名義のLPを
出していたのに、「売り」としてはイアン&シルヴィアを前面に
出したほうが一般受けがよかったのかなあ。

ザ・バンド・・・・。血気盛んな16,7歳の時に初めて聴いたときは
何のことやらさっぱりわからなかったが、今ではよく聴く。
で、狭量と笑っていただいて結構なのだが私はロビー・ロバートスンを
それほど評価していない。ザ・バンドの有名曲のほとんどのソング・
ライティングを担当しているが、「お前一人で作ったのか?」という
思いは今もあるし、このグループの演奏の肝はドラムスの
リボン・ヘルムにあるといつも思っているので。あんなドラムスは
そうそうないよね。ハイハットもスネアもタム廻しも、憧れちゃう。
左手のニュアンスはちょっと真似できないものだ。
もちろんリック・ダンコもご機嫌だ。昔、相方と相方の友人と
有山淳司を見た後、3人で飯を食っていたら友人が唐突に
私のことを「リック・ダンコに似ている」といったので吹き出し
そうになった。私の顔を知っている方は当然、似ても似つかぬことを
了解するだろうが、おそらくは20代半ばのやんちゃな私の立居振舞が
ザ・バンドのメンバーの中でも、やんちゃなリックを彼女は想起した
のだと解釈するしかないのであった。(笑)
ここではリボンの歌う「ザ・ウェイト」、そして何よりリチャード・
マニュエルの歌う「アイ・シャル・ビー・リリースド」が見れるのが
嬉しい。ガース・ハドスンが時に大仰なプレイをするのに対し、
リチャードのプレイは鍵盤もドラムスも渋く大好きなのだ。
人生の幕を自ら下ろしたリチャードが歌う「アイ・シャル・ビー・・」
はなんとも複雑な気持ちにさせる。

グレイトフル・デッドはいくら語っても話はつきない。
映画ではフリー・コンサートを求める間抜けなヒッピー然とした
バカ共に対し、ガルシアが英断を下すシーンが収められている。
デッド・ヘッズと呼ばれる聴衆がつき、ファンのために録音セクションを
設けるバンドならではのファン思いの英断ではあった。
「ウッドストック」も「ワイト島フェスティバル」にしろ、
フリー・コンサートを求める暴徒によって主催者は赤字を抱える
ことになるわけだが、このツアーも全く同じだったようだ。
今のように全てがビジネス・ライクに進行し、冠スポンサーの
顔色を伺うのも考えさせられものがあるが、この時代は誰もが
音楽を楽しみたいのに、主催者と聴衆が敵対関係にあるのが
何とも悲しい。バンドも存続には金が必要なのだが、聴衆よりの
立ち位置をとらざるを得なかったのだろうな。
デッドに関してはピッグベンのハーモニカや歌が存分に楽しめる。
デッドの「ハード・トゥ・ハンドル」の素晴らしい演奏を体験したら
次はブラック・クロウズのバージョンも試して欲しい。

昔、今はなき、西新宿にあった「IKO IKO」の店頭で「遂にデッド来日か?
富士急ハイランドでライブ?」という告知があった。その告知を見て
すぐさまコニファー・フォレストで真昼間にビールを飲みながら
デッドを見ている錯覚が私を襲った。ふと、我に帰ると店頭では
ZEPPELINのブートレグが鳴り響いていたのだった・・・。
グレイトフル・デッドは来なかった・・・・。ザッパとガルシアの
死亡を知らせる新聞を見たときは、涙がでてきたものだ。

長くなってしまった。まだまだ見所はある。
ジャニス、フライング・ブリトーズ、デラニー&ボニーetc....。
全ての映像を見終わる頃にはこの映像を世に送り出すために
関わった全ての人々に(もちろんそこにはミュージシャンも
含まれる)感謝したい気持ちでいっぱいになった。
どうもありがとう。


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THE STOOGES / HEAVY LIQUID

2005-07-28 21:29:44 | ROCK
MC5やT.REXの貴重なライブやスタジオ・リハ音源を
BOXでリリースしてくれるレーベル、「EASY ACTION」入魂の
STOOGESのBOXが6枚組で遂に登場。
正確にはIGGY & THE STOOGESとクレジットされるべき
とは思うが、待望の音源であることは間違いない。

なにせあの「RAW POWER」絡みのスタジオ・リハ音源が
なかなかの音質でリリースされたのである。流石にライノが
リリースした「コンプリート・ファンハウス・セッション」ほど
音は良くないが、この時代のスタジオ音源を熱望するファンは
多かったはずだ。今までもいくつかはあったが、初登場の
リハ音源がいきなり最初の2枚に収録されている。

73年発表の「RAW POWER」のレコーディングは72年6月から
開始されるのだが、場所はロンドンだった。最初のSTOOGES
解散後、ボウイのプロダクションに入った関係なのかわからないが
なんとなく変な感じだ。このBOXでは72年7月のロンドンは
オリンピック・スタジオでのセッションが収録されてある。
何度も「I GOT A RIGHT」を繰り返して演奏する様が捉えられて
いるが、ご存知のようにこの曲は「RAW POWER」には収録されていない。

「RAW POWER」のレコーディング・クレジットはロンドンはCBS
スタジオとなっている。よってこの箱にはアルバムの直接の
アウトテイクは含まれていないことになる。う~む。
録音は72年のあいだに終わっていたのだろうが、ボウイと会社の都合で
発売が遅れ(ボウイ様はジギー・スターダストひっさげて全米ツアー中)
73年の5月に発売。この箱に収録されている73年3月のミシガン州
モーガン・スタジオでのリハや、同じくデトロイトでのリハは
地元に戻ってツアーのための肩鳴らしと言う感じだ。

というわけで「RAW POWER」の前後というべき録音集だが、
あの素晴らしいエネルギーの塊のようなアルバムの余熱と
言うにはあまりに熱い音の数々であるのは間違いない。
私は核心も好きだが、その周りってのも
結構時間をかけて楽しむタイプなので。(ん?)
同時にいくつかのライブも収録されているが、音のほうは
数多ある灰色盤とそれほど変わらないものである。
「BOMP」レーベルから出ている幾つかのライブ盤を楽しめる方なら
ここらも問題ないはず。

少し前に「RAW POWER」はミックスを直し、音圧もたっぷりの
盤に生まれ変わった。CD発売当初は「これが本来の姿か」と
盛り上がったが、今回のBOXを聴いていると、無性に
ボウイの下品なミックスが施されたアナログ盤が懐かしく
なってきた。

このあとSTOOGES関連のリリースとしては1STと2NDのデラックス盤が
予定されている。2NDはライノの大箱を持っているので見送るが
1STが楽しみである。オリジナル・ジョン・ケイル・ミックスって何?
「NO FUN」のフル・レングス・バージョンって一体・・・・。
楽しみがとまらないが、しばらくはこの箱を聴きまくろうと思う。
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IT'S BEEN A LONG TIME SINCE I ROCK AND ROLL

2005-07-27 23:43:31 | DAY BY DAY
久しぶりにLED ZEPPELINのライブCDRを聴いている。
75年2月16日のもので、素晴らしい音質のものだ。数年前に
2月12日のとんでもない音質のものがリリースされ、そのときも
度肝を抜かれたものだが、今回もそれに引けをとらない。

ZEPPELINを聴きながら酒を飲んでいるとすっかり
回想モードに入ってしまった。つまりは学生時代のバンドのことである。
何故かZEPPELINのコピーをよくやった。人前で演奏したのは
「ROCK AND ROLL」「ALL MY LOVE」「COMMUNICATION BREAKDOWN」
「THE LEMON SONG」だが、スタジオでは多分15,6曲はコピーしただろう。
「アキレス最後の戦い」は何回トライしても、ダメだった。
それはなぜかというと、私を含めてバンドのメンバーはどうも頭が
悪くて、誰一人構成をまともに覚えられなかったから。(笑)

カバーではなくてオリジナルをつくろうという事も考えた。
メンバー皆で曲を持ち寄ろうとしたことがあったのだが、
ろくなものはなかった。そこいらのストーンズ好きのあんちゃんが
作る曲なんてのは、誰でも想像がつくようなものである。(笑)

メンバーは私を除く全員が文学部であった。文学部・・・・・。
つまりは婦女子の数が多い学部である。
とある日突然聞かされたのだが、物好きな女が映研にいて、
私が参加していたバンドを使って、学祭に出品するための映画を
撮るというのだ。一人だけ学部が違うこともあって、物事の進行は
私抜きでもどんどん決まっていき、そういう話になっていて、
私は事後承諾だったが、どんな返事をするにしろ流されていくのは
わかっていたので、好きにしてくれと答えた。

何やら脚本もその女が書いたという。私は全く興味なかったが
練習スタジオ代を出してくれると言うので、参加した。
もちろん脚本は事前にもらっていたが、一瞥もくれずに捨てた。
hopperさんは知ってのことだが、私は200字用の原稿用紙何十枚か
忘れたが、映画のシナリオを書き、キネ旬絡みで長谷川和彦絡みの
シナリオ募集企画に応募したこともあるのだ。
もちろん(笑)落選したが、それはさておき、その女が書いた
脚本を読むほど当時の私は、度量がなかった。

スタジオには映研らしいのが何人か来ていて、照明やら
何やらセッティングしている。どうやら4時間ほどスタジオを
押さえているらしい。そして、出された要求は・・・。
4時間の間、ZEPPELINの「ROCK AND ROLL」1曲を延々、
演奏してくれというものだった。しかもスタジオでの
やりとりを収録するために、私のせりふまであった。
何を考えているのだ、この女は、他のバンドのヤツラは?。
こういう場合、オリジナルを演るものだろ、普通は。
だから、俺の曲を練習しとけばよかったんだよ。
レゲエだったけど・・。(笑)

脚本を見ていないことにあきれられ、何度も台詞を撮り直される
私。4時間の間、1曲だけを繰り返し演奏するなんて、
遊びにしては度を越えている。
気取りやがって、アフレコの日取りまできめてやがる。
もちろん、アフレコには行かなかった。

学祭で、本当にそれは上映されたようだ。ようだ、というのは
私は見てないから。見に行ったバンドのメンバーが言うには
一番面白かったのは、アフレコに行かなかった私の台詞の声が
全く別人が吹き込んだものであったこと・・・というくらいだから
映画の内容はたかが知れていると言うものだ。

ああ、本当にこれこそ戯言である。
長々のお目汚し、失礼つかまつる。
ZEPPELINは大好きだ。有名な音源は多分ほとんど持っている位だ。
69年から80年まで満遍なく好きなのだ。
だけど。たまに「ROCK AND ROLL」を聴くと20年もタイム・スリップ
して、私に悪夢が襲いかかる。

WELCOME TO MY NIGHTMARE ・・・・・・。
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奥田民生 / 恋のかけら

2005-07-27 00:07:47 | THIS SONG
奥田民生のことは、ユニコーンの時代から大好きだ。
ビートルズ好きのミュージシャンの中には、私から
見れば「秋葉系」紙一重の方が多いのだが(笑)、
民生の立ち位置と音作りは、それらとは一線を画し
気持ちよく私に響く。

「スロー・ライフ、スティル・ライフ」。
身の丈にあった生活をしろよ、格好良くはないけれど。
何かそんなことを言われたような気になる。
そこには、自分を見失うな、ただし過小評価するな、という
ようなニュアンスもあるとは思う。

ここにとりあげたのは「恋のかけら」というアナログ7インチ。
民生のアナログ7インチは値段を押さえてある。
それはA面に新曲を、B面に既発曲を収録することでコストを
さげることができているのだが、この曲のB面は
やはり既発曲の「イージュー・ライダー」だ。
このカップリングは最高だ。いや、個人的には「野ばら」でもいい。

「恋のかけら」のプロモを見た方はピンとくると思うのだが
映像は昔の、そう70年代の映像によくある赤みがかったような
ものである。ボウイ様の「ジギー・スターダスト」やウィングスの
「ロック・ショウ」のようなものだ。これが実にいい雰囲気で
私は大好きだ。「イージュー・ライダー」は30代のロック好きには
たまらない歌詞とタイトルだ。ジョージ・ハリスン風のスライドにも
当然反応してしまう。コレクターのはしくれとしては、歌詞に
あるような身軽な生活は考えられないが、実はあこがれである。
全ての曲が脳内にインプットされ、いつでも再生できればCDも
LPも不要なのかもしれないが、収集癖という悪癖は治らない。(笑)

ジャケットはCDシングルとは全く違う独自のものだ。
なんか70年代ロックの日本盤シングルみたいな感じがでていると
思いませんか?。

CSの番組を録画したビデオを見ていたら、「野ばら」を
まるで「ジョンとヨーコのバラード」のようなアレンジで演奏しているものが
あった。もちろんスタジオ盤のアレンジとは全く違うのだが
それも凄くいい演奏だった。才能とはこういうことか・・・。
民生の初期のソロ・アルバムや楽曲のいくつかはバックに
「エクスペンシブ・ワイノーズ」を起用しているものがある。
つまりは、キース・リチャーズのソロ・プロジェクトのメンバーだ。
この面子の録音は気持ちいいにもほどがある。(笑)
スティーブ・ジョーダンのドラムスを中心に、ワディ・ワクテルの
ギターもざっくり録られて個人的には理想的な音だ。
ドラムスの音の処理が、ミキサーの腕の見せ所だ思うが
民生はスタッフにも恵まれているなあとつくづく思う。

「恋のかけら」。
タイトルだけでイマジネーションをくすぐる。
それにしても民生のレスポールはよく鳴るのであった・・・。
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CHAR WITH GODIEGO

2005-07-25 21:48:49 | 日本のロック・ポップス
実はゴダイゴのファンだった。初めて聴いたアルバム「DEAD END」
は英語で歌われることもあってか、とても日本のロックとは
思えなかったこともあり、かなりのめりこんだのだ。
御多分に漏れず、初めてゴダイゴを知ったのは
TV番組「西遊記」の劇伴によってである。シングル「ガンダーラ」
は買ったもののアルバムはまだ聴いておらず、そんな時に
地元のAM放送の懸賞に当選してLPを2枚もらった。
そのうちの1枚が「DEAD END」で私が初めて手にしたLPレコードでも
ある。もちろん、メンバーのミッキー吉野が元ゴールデン・カップスで
浅野孝己が元Mだなんて知るのはずーっと後になってから。
今まで聴いてきた歌謡曲やニュー・ミュージック(笑)とは
明らかに違う何かがあった。

チャーはロック御三家といわれていたが、私のなかでの位置付けは
特に高いものではなかった。正直に言うとツイストが一番好きだった。(笑)
原田真二の曲も好きだったが、チャーは今ひとつわからなかった。
無理も無いですね。私のブログをずっと見ている方なら覚えている
かもしれませんが、ジミ・ヘンドリックスの理解に苦しんだことを
記事にしたくらいですから。

音楽を聴き始めてかなりの時間が経つと、いろいろな事を
知ることになる。そのなかでも興味深いことのひとつに
「チャーとゴダイゴが一緒にツアーしたことがある」という
ことであった。単純にどちらかがオープニング・アクトで
どちらかがメインというのではなく、チャーのバックをゴダイゴが
務めたというのは、どういうステージだったのだろう?。
チャーが歌うときはタケカワ・ユキヒデは何をしていたのだろう?

78年7月21日から8月29日まで「Char Super Concert with
Godiego in summer」というタイトルで両者はツアーをしている。
この時点でのゴダイゴの最新アルバムは件の「DEAD END」、
チャーは「スリル」が発売されたばかりだ。スリルの録音には
ゴダイゴのミッキー(KBD),トミー(DS),スティーブ(B)が参加した
関係からかツアーを共にまわることになったのだろう。

このツアーに興味を持ったのは先に書いた以外にもう一つある。
まあ、趣味の悪い下種な興味本位の話になりますが。
白夜書房から出版された「日本ロック体系・上巻」の中での
浅野孝己がインタビューで「チャーはゴダイゴに入りたかったんだけど
弾かせてみたらてんで弾けない」というような内容のことを
喋っていたからだ。まあ彼は外道の加納秀人(彼も短期間Mに在籍)に
対しても「格好つけてばっかりでてんで弾けない」と語っていたので
そういう人なのかもしれないが、私の興味は高まるばかり。(笑)

先日このツアーに先立って行われた78年のライブを聴くことが
できたのだが、果たしてその内容は・・・。
結論から言うとチャーは弾きまくり、ミッキー吉野との相性も
ばっちりであった。メインはあくまでチャーでゴダイゴの曲は
全演奏曲中1/4くらいの割合である。

ところがツアーも後半になると徐々にゴダイゴの歌の持ち時間が
増えるようになったと言う。当初のパワー・バランスが崩れては
この関係は長続きはしない。
チャーはミッキー、トミー、スティーブとグループを
結成してもいいと思っていたようだが、ミッキーの考えは
違っていたようだ。映画「キタキツネ物語」のサントラ、
「ガンダーラ」のヒットと上昇気運に乗ったグループの存続を
望むのは当然だろう。チャーとしてもあくまで自分がメインのはずが
徐々に相手の主張が大きくなっては面白くないだろう。

アルバム「西遊記」が発売されるのは78年10月25日。
チャーはほぼ同時にジョニー・ルイス&チャーを結成する。
もし、ミッキーがチャーとグループをつくっていたら
JL&Cはなかったか、あるいはもっと結成が遅れていただろう。
これだからロックの歴史はいつも面白い・・・。








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GRAND FUNK RAILROAD / TAKE ME

2005-07-24 22:42:41 | THIS SONG
ついでなので、「SALLY」の前のシングル曲、
「TAKE ME」のアメリカ盤ジャケットを掲載しておく。
ユーモアあるこのジャケットである。こうでなくちゃ。
でもこれが「SALLY」のシングルだったら、ぶち壊しなんだけどね。

ドゥービー・ブラザーズのように豪快なロック。
一直線の道ならどこまでもアクセルを踏み込んで、走り抜けるような
感じと言えば、わかっていただけよう。

そういえば再結成GFRは「マンズ・マンズ・ワールド」を
カバーしていたなぁ。探してみるか。
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GRAND FUNK RAILROAD / SALLY

2005-07-24 22:35:44 | THIS SONG
脅威の暴走列車、グランド・ファンク・レイルロード。
といっても、もはや「何のこっちゃ」というくらいの
反応しか返ってこないかもしれない。
実はキャピトル時代のアルバムは全て所持している。(笑)
大雑把にノり一発でレコーディングもライブもぶちかます
イメージがあるが、グループの歴史の中では、プロデュースを
トッド・ラングレンやフランク・ザッパに任せたこともある。
シングル「アメリカン・バンド」はグループにも、そして
プロデューサーのトッド・ラングレンにも初の全米NO.1を
もたらしたことは有名だ。

私の一番好きなGFRの曲は76年のアルバムに収録され
シングルにもなった「サリー」である。アルバム自体、往年の
GFRの豪快さは感じられないものであったが、その理由の
一つが「TALK TO THE PEOPLE」に収録された中途半端に
アダルトな雰囲気のサックスである。GFRはコーラスもいける
バンド(さすがはアメリカのバンドである)で、この曲はコーラスが
うまくいかされているだけにサックスが邪魔でしかたない。
もちろんアルバムには「TAKE ME」のような往年のGFRを
思わせる名曲もあったが。

対照的に「SALLY」は軽快なギターとハーモニカが印象的な
ポップな曲である。中年世代は白井貴子がオールナイト・ニッポンの
第二部のD.J.を担当していた時にジングルで使っていたのを
覚えている人もいるかもしれない。「アメリカン・バンド」、
「ロコモーション」といったオリジナルやカバーをうまく料理する
手法がきわまったキャッチーな曲。ドラムのロールもいい感じだ。
だが、ジャケットを見て欲しい。売る気があるのか?。
折角ジャケットがあるのに、メンバー写真でもなく気の利いた
イラストでもなく、まして金髪美女が写っているわけでもない、
味気も何も無いものでこれでは購買意欲は減退する。
それでもこの曲が一番好きなのは変わらないけど。

さて、お立会い。
「SALLY」で素晴らしいハーモニカを吹いた人物と「TALK TO
THE PEOPLE」で悲しくなるようなサックスを吹いた人物は同一人物
である。最高と最低の演奏を残すとは、にくい男だ。(笑)
その男とは・・・。「ウェット・ウィリー」でボーカルを担当する男、
もっと最近ではジェフ・ベックの2回の来日公演でボーカルを
担当した男、そう、ジミー・ホールである。

「ジミーさん。私の学生時代のバンドは貴方がメンバーで来たときの
ジェフ・ベックの公演をボーカルを除くメンバー全員で見に行って
ライブ終了後、酒を飲みながら解散を決めたのです。ライブでの
ボーカリストへの不満をメンバー全員が自分たちの状況へ置き換えて
しまうほどの印象をありがとう。」

酒が過ぎてしまったが、ロックに歴史あり、というわけである。


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ANTHONY NOORE / REED, WHISTLE AND STICKS / OUT

2005-07-24 12:11:02 | ROCK
名前も知らないアーティストのCDを聴いたとする。
それが、自然音や祭りの音をコラージュしたものだったり、
ギターのフィード・バック音のみのものだったり、延々と
ノイズが続くものだったら、そのCDを聴き続けまたは
所持し続けることができるか?。

「ロックを壊す」だの何だのと、お題目を唱えるのは中学生にでも
出来ることだし、ノイズのCDやカセットを聞かされても私の
耳や頭や体に何かが残ったことはただの一度も無い。だいたい、
そんな格好悪いものは、そもそも「ロック」でなく、演奏者が
「当たり前だ、ロックじゃないんだから」と能書きを垂れたりなんか
したら、それだけで私には用の無い代物だ。
ブライアン・ジョーンズがモロッコで録音してきた音を編集した
「ジュジュカ」にしろ、ルー・リードの「メタル・マシーン・ミュージック」
にしろ、単体でそれを愛せるかと問われれば、心許ない回答しか
できない。演者がそれまでに残してきた作品や、姿勢、歴史の中に
置いてみて意味を見出せるから、それらを愛し所持し聴き続けることが
できるというのが、私にとって本当のところ。

掲載写真上はスラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアが73年に録音
したものの、テスト・プレスのみで終わり、98年までリリースされなかった
アルバム。本来ならムーアの3枚目のアルバムとして世に出るはずだった。
内容は竹や金属の落下音とチャイムの音だけで構成された
もので、CDは冗談の如く36分26秒の収録時間内にチャプターが
99も打たれている。私は「竹の音」が好きなのだが、一般的にはこれは
「音楽」とはいえないだろう。
スラップ・ハッピーの1STは72年の発表だが、ムーアはそれ以前にも
ファウスト人脈の協力のもと実験的なアルバムを残している。

楽器が出すフリーキーな雑音と違い、竹の落下音は幾分、人懐こい(笑)
感じがして、単なるノイズ・レコードに比べて、私は単体でも十分に
好きになれるが、やはり「スラップ・ハッピーのアンソニー・ムーアが
録音した」ということが「聴く気持ちにさせる」大きな要因である。

スラップ・ハッピーのピーター・ブレグヴァドはインタビューで
こんなことを話している。
「実験的なことを常にやっているから素直にアピールするやり方を持った
音楽を作るということそのものが自然にできなくくて、どうしてもウソくさい
音楽になってしまう。それで素直にユーモアのある、ポップ・ミュージックを
バカにするのではなく、おもしろおかしくしてしまうという開き直りの姿勢で
やろうということになった。やり始めたら、僕たちはポップ・ソングも
心底好きなんだと認識できたし、だんだんオリジナリティのあるものが
できるようになった。」

これは98年のレコード・コレクター誌でのインタビューで、
スラップ・ハッピーを結成し録音するいきさつを振り返ったものだ。
以前私のブログでファウストを取り上げたときに書いたが、
ファウストもスラップ・ハッピーもまさに同じようなスタンスであった
ことがよくわかる。どちらも実験性を持っているが、ポップな
側面の重要性を認識し、音に反映させているという点が私の琴線に
触れる所以である。

掲載写真の下は76年に録音されるも、これまた発表されず
97年に日の目を見たアルバム。ポップスと実験性が見事に
融合した音で、なぜこれが当時発売O.K.にならなかったのか
不思議でならない。前述のピータや、アンディ・サマーズ、
ケヴィン・エアーズらが参加していることも大いに興味深い。
アンソニー・ムーアが残した録音の中で私が最も好きなアルバムである。

この2枚はお蔵入りしたという点を除けば、共通項のほとんど無いもの
だが、あるとすれば、両方とも当たり前だが、アンソニー・ムーアの
作品であると言うことだ。スラップ・ハッピーの諸作や、この「OUT」が
あることを前提に「REED,WHISTLE AND STICKS」を聴けば
この不思議なアルバムの楽しさも倍増する・・・・はずだ。


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TRAFFIC / JOHN BARLEYCORN MUST DIE

2005-07-23 19:36:54 | ROCK
70年発表、トラフィック4枚目のアルバム。
デビュー時から微妙なバランスの上に成り立っていた
バンドである。デイブ・メイスン、スティヴィー・ウィンウッド
という2人の優れたソング・ライターがいながらその方向性が
全く違っていたのだから。1STで自身の曲の採用が
少なかったデイヴはアルバム発表時には離脱、2枚目で復帰し
今度は5曲の収録に成功し、尚且つ名曲「FEELIN' ALRIGHT?」を
ものにするが、またまた離脱。その後も何度か復帰・離脱を
繰り返す。トラフィックという集合体に魅力はあったのだろうが、
デイブの目指すポップでフォーキーな方向性とスティーヴィーの
目指す、よりジャズに近い自由な演奏形態とが摩擦を
バンド内にもたらしたのは間違いない。

トラフィックは「最終出口」と名がついたアルバムをもって
解散し、スティーヴィーは「ブラインド・フェイス」「エア・フォース」と
活動の場を変える。そこでの活動の成果が「ジョン・バーレイコン・
マスト・ダイ」にはよく表れている。自由なソロ、インプロを
とりいれながらも、骨組みのしっかりした曲をつくることに
成功している。長尺の曲が増えたわけだが、徒に長いわけではない。
ここらのバランスは微妙で、これ以降のアルバムではちょっと
雑な展開もあることを思えば、絶妙の1枚といえる。

タイトル曲はイギリスのトラッド・ソング。トラッド・ソング収集家で
1921年に没するまでに、生涯で8000を超える歌を書きとめてきた
といわれるセシル・シャープのソング・ブックで広く知られることになる。
ジョン・バーリコーン(大麦)は一度刈り取られ、アルコールとなって
人々に幸福をもたらす・・・というものだ。

アルバムはスティーヴィーのソロとしてガイ・スティーブンスを
プロデューサーに迎え、レコーディングされていたが、レコーディングに
トラフィックのメンバーだったジム・キャパルディとクリス・ウッドが
参加したことで、再結成トラフィックのレコーディングへと姿を
変える。当初アルバムは「MAD SHADOWS」という仮題がついていたが、
プロデュースを降りたガイ・スティーブンスがその後、プロデュース
するモット・ザ・フープルのアルバム・タイトルとなる。こちらも
70年発表。ちなみに原盤番号がトラフィックが「Island ILPS9116」、
モットが「Island ILPS9119」。トラフィックが使用しなかったから
このタイトルをつけたのか、元々このタイトルのアイディアはガイの
ものだったかよくわからないが、面白い話である。

オープニングのインスト「GLAD」続く「FREEDOM RIDER」(アート・
ブレイキーとは関係なし)の流れが最高にクールで、グルーヴを
感じさせながらも落ち着いた演奏を聞かせる。
そしてこの流れがアルバムの印象を決定付けるのだ。
大体、3人のメンバーの主な担当楽器は、オルガン、サックス、そして
パーカッションなのだ。構造的にもロック・バンドとしては変わっていて
むしろジャズよりな編成なのだが、「ブラインド・フェイス」を通過した
スティーヴィーの理想的な編成がこれだったというのが興味深い。
もっともライブで再現するにはメンバーの補充は必至で、またまた
ギタリストとして、デイブ・メイスンがツアー・メンバーに名を
連ねるところが、自由なメンバーの出入りがあるトラフィックらしいところ。

オリジナル・アルバムでは最後の曲「EVERY MOTHERS SON」の出来も良い。
ゴールデン・カップスがカバーしたら絶対に似合う曲。
ミッキーのオルガン、エディのギター、デイブ平尾がこぶしまわしも
快調に歌う姿を想像したら・・・軽く眩暈がした。(笑)

現行CDは71年3月に発売される予定だったが日の目を見なかった
「LIVE NOVEMBER 1970」からのライブ・テイクが3曲(1曲は
イントロダクションだが)収録されている。

ちなみに収録予定されていた曲は下記になる。
A 01 IN THE DRESSING ROOM
02 WHO KNOWS WHAT WHAT TOMORROW MAY BRING
B 01 GLAD
02 PEARLY QUEEN
03 FORTY THOUSAND HEAD MAN
04 DEAR MR. FANTASY
05 CAN'T FIND MY WAY HOME

CDのボーナストラックとしてA-02,B-01が収録されているが、
B-01が終わると当然のように「FREEDOM RIDER」が演奏され、
イントロが聞こえたらすぐ フェイド・アウトしてしまう。
ああ、聴きたいよ~、と思うと同時に、当初発売が予定されていた
「LIVE NOVEMBER 1970」ではどんな編集がされていたのか
気になってしまう。実はこの盤はごく少数出回ったという話もあるのだが
内容に触れている記事を見たことが無いので、本当のところは
どうなんだろう?。


コメント (2)
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ALAN MERRILL / SANDS OF TIME & AUTOMATIC PILOT

2005-07-22 21:05:18 | THIS SONG
アラン・メリルの最新シングル!。
何度レコーディングすれば、気が済むのか知らないが、
2005年リリースの最新シングルはウォッカ・コリンズ名義で
1972年にリリースされたシングルの再録音である。

この2曲は全部で5回録音されたことになる。
72年リリースのシングル・バージョン、名盤「東京-
ニューヨーク」収録バージョン、96年の再結成アルバム「ケミカル・
リアクション」バージョン。ここまでがウォッカ・コリンズ。
続いて2002年のソロ・アルバム「CUPID DERANGED」収録バージョン。
ここで初めて英語バージョンが披露される。
そして今回のシングルである。ふぅ~。

今回のシングルは、2曲とも日本語バージョンと
英語バージョンの両方が収録された計4曲入り。
はっきりいって無敵のカップリング。
出来としては「ケミカル・リアクション」バージョンがいいので
アルバム・リリース時にシングルを切って欲しかった。
(プロモEPとして、BILLY MARS/SCRATCHIN'の
アナログ7インチがあるだけ)

最初のバージョンがT.レックス風だったのに対し、レコーディングを
重ねるにつれて、ドラムスの音やハンド・クラッピングが
強調され、どんどんゲイリー・グリッターみたいになっていくのが
面白い。「オートマティック・パイロット」に関しては、
レコーディング5度目にして初めてキーが変わったことで、
少し軽い感じになった気がするが、名曲であることに変わりは無い。

う~む。こうなったら毎年レコーディングしてシングル出して欲しいね。
毎年、クリスマスの時期にシングルが再発される例が過去にあったが
毎年、同じ曲を新録で出す例はなかったんじゃないかなあ。



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ALAN MERRILL / DOUBLE SHOT ROCKS

2005-07-21 21:29:17 | ROCK
その男の名は、アラン・メリル。
そう、「ウォッカ・コリンズ」「アロウズ」で洋の東西を
問わず多くのロック者を夢中にさせる、あの男だ。
いや、我ながら大袈裟だなあ。(笑)

というか。
先の2枚のアルバムのベーシック・トラックにはアラン・メリル
も参加しているのだ。クレジットがないに等しいのが残念ではあるが
事実である。そのベーシック・トラックにボーカルとギターを
加えてレコーディングしたのが、2003年発表のこのアルバム。
最近のアランのアルバムはCDRでのリリースなのが悲しいが
これは傑作である。ボーナス・トラックの「LET'S THINK
ABOUT IT 」ではアーサー・アレクサンダー御大とデュエットまで
披露している。誰にもこの盤に文句はつけられないぜ。

アランのロック・ギターとボーカルはいつものように聴く者を
魅了する。それだけでも十分買う価値がある。それに加えて・・・・。
先にこのアルバムは企画盤のベーシック・トラックを使用と書いた。
つまり、このアルバムでもクリス・スペディングやマーク・ノップラーの
ギターが聴けるのだ。アーサー・アレクサンダーのカバー曲の
ピアノは全てスプーナー・オールダムだしドニー・フリッツがピアノで参加。
アラン盤にはクレジットが抜け落ちているが、アコースティック・ギターは
ダン・ペン。アメリカの良心がここにあるのだ。

クリス・スペディングいわく。
”THIS SHOULD BE ALAN'S ALBUM,HE DONE A GREAT JOB
ON THESE TUNES".
偉大な二人のコンポーザーの足跡を駆け足でたどるには
うってつけのアルバム。先の2枚ほど話題性は無く、メディアでの
紹介は見受けられなかったように記憶するが、機会があれば
是非聴いていただきたいと思う。


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ADIOS AMIGO & BRACE YOURSELF

2005-07-21 20:46:38 | ROCK
唐突に、2枚のトリビュート盤を・・・。
まず写真の上の盤。94年にリリースされた、アーサー・
アレキサンダーへのトリビュート。
豪華なアーティストによる収録であるので主な曲目と
カバーしたアーティスト名を列記する。

01 I LOVE YOU SO / FELIX CAVALIERE & VERONICA
02 YOU BETTER MOVE ON / CHUCK JACKSON & MARK NOPFLER
03 JOHNY HEARTBREAK / COREY GLOVER
04 ANNA / ROGER McGUINN
05 IN THE MIDDLE OF IT ALL / NICK LOWE
06 OLD JOHN AMOS / FRANK BLACK
07 FROM NOW ON / ZUCCHERO
08 EVERY DAY I HAVE TO CRY SOME / GRAHAM PARKER
09 I'D DO IT OVER AGAIN / MARSHALL CRENSHAW
10 GENIE IN THE JUG / GARY U.S. BOND

他にはDAN PENN & DONNIE FRITS,ELVIS COSTELLO,
ROBERT PLANTらが参加している。
掲載曲目は全曲ではなく、またアルバム収録順ではない。

掲載写真下はオーティス・ブラックウェルのトリビュート
こちらも94年発売。この2枚はJON TIVENがプロデュースした
企画盤というわけで、後者の共同プロデュースにはトニー・
ヴィスコンティの名前も見られる。では曲目を。

11 FEVER / TOM VERLAINE
12 PARALYZED / GRAHAM PARKER
13 HOME IN YOUR HEART / PAUL RODGERS
14 HEY LITTLE GIRL / CHRISSIE HIND & CHRIS SPEDDING
15 DON'T BE CRUEL / DEBORAH HARRY
16 HANDYMAN / FRANK BLACK
17 GREAT BALLS OF FIRE / JOE ELY,SUE FOLEY
18 DADDY ROLLING STONE / WILLIE DEVILLE
19 ON THAT POWER LINE / JOE LOUIS WALKER
20 BRACE YOURSELF / RONNIE SPECTOR
21 BREATHLESS / FRANK BLACK & STAX PISTOLS

ちなみにスタックス・ピストルズはグレン・マトロックが参加している
ための命名だが、1STギター・ソロはスティーブ・クロッパーが、
2NDソロはクリス・スペディングが担当。グレンとクリスとスティーブで、
「スタックス・ピストルズ」とは洒落ている。
ちなみにクリス・スペディングはほぼ全編でギターを担当。
他にはDAVE EDMUNDS,JON SPENCERらが参加している。
掲載曲目は全曲ではなく、またアルバム収録順ではない。(笑)

2枚とも豪華なメンバーによる楽しいカバー集である。
ところで。
掲載した21曲を1枚のアルバムで一人でカバーした男がいる。
壮大な前振り・・・(笑)
コメント (8)
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JEFFERSON AIRPLANE / VOLUNTEERS

2005-07-19 22:45:14 | ROCK
純粋に私が一番好きなジェフェースン・エアプレインの
アルバム、それが69年発表、バンドとして6作目となる
「ヴォランティアーズ」。
黄金のラインナップでの最後の録音でもある。

ベトナム戦争への反戦の気運盛り上がる中、エアプレイン
諸作品の中で最も政治的といわれる作品。
ジャケットの星条旗は引き裂かれ、声高に団結だの
反戦だの、革命だのと歌われる。が、再発のライナーによると
バンドの在り方はもっとクールなものだったようだ。
今起きていることの現実を伝え、それに対して自覚的で
あるように歌ったにすぎないとのこと。制作から30年以上たっての
物言いだから幾分クールであるが、当時はもっと意識的に
政治的で反体制的であったのは間違いない。
アルバム・タイトルは「志願兵」を指すが、バンドは
反戦の「志願兵」たらんとしたのだ。

演奏は今までのアルバムのなかで一番充実していると思う。
地元サンフランシスコにスタジオをつくったことで、余裕を
持ってレコーディングができ、その地にいたジェリー・ガルシアや、
CSNのCとS、そして何よりニッキー・ホプキンスの参加が
音つくりに華をもたらす。エアプレイン自体の演奏も充実していて
ボーナス・トラックに収録された同時期のライブ演奏を聞いても
それが顕著にわかる。68年録音のライブ盤「フィルモアのJ.A.」にも
収録されている「あなただけを」を聞き比べるとその充実ぶりが
伺える。

このアルバムに先立って発表されたCSNのアルバムにも
収録された「WOODEN SHIP」はクロスビー、スティルスとともに
エアプレインのポール・カントナーも作者に名を連ねている。
コーラス・グループの側面の強い(後に演奏面はYことニール・ヤングの
参加で強化される)CSNバージョンに対し、エアプレインは力強い
ロックを聞かせる。

傑作をものにしたエアプレインだが、バンド内での軋轢は徐々に
表面化する。政治的立ち居地を良しとしない、マーティー・バリンと、
ポール・カントナーの対立、そしてなんといってもオルタモントの悲劇
だろう。牧歌的に連帯を訴えた(エアプレインは東海岸から見れば
ヒッピーと捉えられても不思議ではない)バンドであったが、
オルタモントの現場に立ち会うことになる。
黒人青年の刺殺事件も勿論だが何よりヘルス・エンジェルスの
警備のやりかたに異を唱えたバリン自身がエンジェルスに殴打される。
バンドはとんだ冷水を浴びせられるのだ。
この模様はわかりにくいが、映画「ギミー・シェルター」で見ることが
できる。愛と平和なんてのは絵空事に過ぎなかったことを、時代も
バンドも身を持って知ることになる。

アルバム自体は演奏の充実は勿論、激動の時代を見事に捉えた記録として
バンドの歴史の中で真っ先に聞かれるべきものだ。
ベーシストのジャック・キャサディの演奏はもっと評価されて
いいだろう。

ジャケットを開くと中ジャケには、ピーナツ・バターとジャムを
塗ったパンが大写しで映っている。「戦争に行ったら、こんなのは
食べられないんだぜ」という見事な反戦の主張だと私は解釈した。
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IDHA / A WOMAN IN A MAN'S WORLD

2005-07-18 23:32:11 | ROCK
MAN'S MAN'S MAN'S WORLDから連想するのは・・。
いや、私もくどい。(笑)

取り出したのはスウェーデン産まれのイーダのシングル。
シングルには「A WOMAN IN A MAN'S WORLD」と題されているが
タイトル名の曲が収録されているわけではない。
イギリス盤CDシングルは4曲入り、日本盤は6曲入り。
しかし、極めつけはこの7インチである。
先の4曲入りCDシングルから2曲を選りすぐっているのだが
A面が「OHH LA LA」B面が「WILLIN'」。素晴らしすぎる。(笑)
念のために書けば、フェイセズとリトル・フィートのカバーだ。
デビュー・アルバムではグラム・パースンズ作の名曲「HICKORY WIND」を
とりあげ、フェイセズのイアン・マクレガンをキーボーディストに配する
くらいだから、このカバーには驚かないが、私にしてみれば
センスがいいとしかいいようがない。

「OOH LA LA 」は特に大好きな曲だ。オリジナルのフェイセズでの
録音にはロッド・スチュワートはクレジットされていない。
作者のロン・ウッド、ロニー・レインは事あるごとに歌ってきた。
ロッドはずっと歌ったことがなかったのだが、98年のアルバム
「WHEN WE WERE THE NEW BOYS」で遂に歌った。解散したバンドの
メンバーにずっと歌い継がれるなんて素敵じゃないか。
実はこの曲を練習したことがある。(笑)
コードが2つだし。で、ギター1本で弾くにはどうするかいろいろ考え、
イアン・マクレガンの弾くピアノのフレーズも賄おうなんて欲張り
オープンGチューニングに7カポ(笑)でトライしたのだが、
例によってモノにならなかったのである。

戯言はこのくらいにして。
イーダはアルバムを2枚しかリリースしていない。
97年のリリースが最後。清清しいボーカルに音作りとカバーの
センスを考えると家庭に引っ込むのがもったいないと
思わずに入られない。
シングルの無音部分にはこう刻印されている。

JAG ALSKAR DIG ANDY

JAG ALSKARはスウェーデン語でI LOVE YOUの意味。
ANDYはライド~ハリケーン#1~オアシスと渡り歩いた夫の
ANDY BELL。私は才能ある妻のサポートをする夫を格好悪いとは
思わない。言い換えれば私は専業主夫を馬鹿にしたりはしない。
言い換えれば・・・・・・・。(笑)
コメント (4)
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