80年代後半から90年代末にかけて、森高千里の人気は絶大なものがあった。
とはいうものの、私は最初ほとんど興味が無かった。ブレイクしたのは89年のシングル
『17歳』で、南沙織のヒット曲のカバーということと、ミニスカートで露わにした脚線美を強調した
コスチュームで、若人だけじゃなくいい歳をした爺まで夢中になっていたのだが、私はというと
それほど好きなわけでは無かった。
周到に計算されていたであろう自身の見せ方が、そのコスプレ同様に本当に人形のようで、
美人なのだがそれが却って私にとっては、少々面倒くさく思えたのだ。
91年の『臭いものにはフタをしろ!!』の曲中で、ストーンズ公演を10回見に行ったヤツを
からかうような歌を歌ったから気に入らないのではない。アレはむしろ痛快だった。
確かにストーンズが初来日時に敢行した東京ドーム10回公演は一大イベントだった。2回しか
見ることができなかった私は、10回通える財力もなく、時間をコントロールできる地位にもいなかった
自分を恨めしく思った。しかしながら、そのうち10回見たことを自慢する回数自慢の輩の自慢話や文章を
幾つか見るようになり、なんだかそれがとても馬鹿げた事のように思えたのだ。
「回数自慢なんて、テクニックの無いヤツがすることで、俺なら濃厚な1回でキメられるぜ。」
と思ったものだ。
あれ、何の話だっけ?。(笑)
何れにしろ、件の曲は自称ストーンズ・ファン(イコール、俺こそが一番ロック好き)の痛いところを
突いた歌であった。相方はテレビに森高が映る度に「天敵!」と言ってた。確認のために
「天敵というからには、あっち(森高)の方が強いのか?」と聞いたら「そういうこと。」と素直に言うではないか。
つまり、自分に無い物を全て持っているということを認めたわけで、まあ、素直なこと。
そんな私が森高のアルバムを聴いてみようと思ったのが、98年のアルバム『今年の夏はモア・ベター』。
細野晴臣がプロデュースし、全ての楽器の演奏をしたというのがその理由で、これなら
「天敵」のアルバムを聴く口実にもなるし。(笑)細野が全ての楽器を演奏するということは、必然的に
打ちこみやキーボードを多用した音になると思っていた。実際その通りなのだが、不思議なことに巷に溢れる
この手の音と比べて、痩せた音で無くファットなのだ。流石は細野晴臣という感じで、この感覚は細野が
ベース・プレイヤーだったからかな、等と勝手な推測をしながら、このアルバムを楽しんだ。
森高の歌唱も可愛らしく感じたのだから、勝手なものだ。(笑)
このところ、森高の姿をテレビのCMで頻繁に見るようになった。再び相方に「天敵やな。」と問うと
「いや、違う。」と返すではないか。まさか、「もう勝った。」なんて思っていないだろうな。(笑)
今年の夏がモア・ベターになることを願って・・・。