HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

MARBLE SHEEP / BIG DEAL

2010-08-31 19:21:56 | 日本のロック・ポップス
掲載写真はマーブル・シープ&ザ・ラン・ダウン・サンズ・チルドレンが92年に発表した
「BID DEAL」。マーブル・シープのアルバムとしては2枚目にあたり、首謀者の松谷健が起こした
レーベル「キャプテン・トリップ・レコーズ」最初のアルバムで、CDの型番にある通り
「CTCD-001」の栄誉が与えられた。

バンド自体は87年頃から活動を開始し、その頃の演奏は「OLD FROM NEW HEADS」で聴くことが
できる。サイケ軸で捉えるにしても、ジャム・バンドとして捉えるにしても当時の我が国では
類を見ないバンドであったと思う。日本人の体質というか国民性かもしれないが
サイケだのアンダーグラウンドだのと言うと、何となく暗く沈みこんだり、湿ったイメージや
昼よりも夜、みたいな感じの音が好まれる傾向にある。
マーブル・シープの音は毛色が違った。一筋縄でいかない音というのは、数多のサイケ・バンドと
共通しているが、違っていたのは音が内へ向かうのではなく、どちらかというと明るく
開放的な気分すらしたという点だ。闇で鳴り響くジャーマン・プログレのような混沌とした音と、
官能的なギターに導かれるフレーズの同居が、地下室からは見ることが出いないはずの青空の
現出を可能にしたといえば、イメージが沸くだろうか。
グレイトフル・デッドのファンにもアピールする音でもある。

このアルバムがリリースされたのは92年であると書いた。遠まわしに書くが91年にリリース
された、あるバンドの3種のCDの影響というのは大きく、なんとなく当時のマーブルのような
音が軽んじられたような気がしてならないのは私の思い込みだろうか。

バンドは94年に活動を停止したものの98年に復活し、以降はより解かり易くより激しい音を
出すようになった。メンバー・チェンジを繰りかえしながらも、現在も精力的に活動を
しているのが嬉しいところだ。

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宮沢正一 /  キリストは馬小屋で生まれた

2010-08-29 10:39:25 | 日本のロック・ポップス
某誌が選んだ日本のロック・ベスト100には、重要な「縛り」があった。
意識しなければ当たり前のように捉えられる「縛り」。それは「日本のロック・フォーク・
アルバム・ベスト100/60~70年代篇」の前書きにあるのだが、「対象としたのは
1960~79年の間に日本でリリースされた日本のロック/フォークのアルバム」と
ある点だ。80年代も同じ。そうするとその時代に活動していながら、たまたま音を
レコードやCDの形で残していなかったアーティストは選考の対象外となる。

60~70年代の音源が正式に世に出たのが91年の「裸のラリーズ」や77年から
活動を開始し80年代後期の音源が95年にCD化された「ライカスパイダー」が
無視されるという事態になるのは、なんとなくフェアじゃないような気もする。
ライカスパイダーは66会のイケダさんに教えていただき、つまりリアルタイムはおろか
CD化されてから10年以上経って知ることになったのだが、一聴でぶっとんだ。
影響力のあるメディアがこういう音を取り上げる機会は余り無いだろうから、
それなりの考慮があって然るべきなんてことを漠然と思ったものだ。
まあ、考慮があっても取り上げられない可能性は高いのだけど。

掲載写真は宮沢正一のCD「キリストは馬小屋で生まれた」。スターリンの「TRASH」を
聴かせてくれた方に、教えていただいたミュージシャンだ。宮沢の音楽活動の最初期に
あたる音で、その後改造ギターで轟音を出したアルバム「人中間」(これも傑作)を出し、
ラビッツというバンドで活動する。このCDはもともとソノシートで出されたタイトル曲と
そのカップリング曲に、ライナーによると80年頃の自宅録音やライブ音源で構成されている。
昔からの熱心なファンの方は、アルバム「人中間」に収録されなかったタイトル曲の登場に
溜飲が下がったのではないだろうか。

何を基準に「持たざる者」あるいは「社会的弱者」を決めるのか、私にはわからない。
生まれながらなのか、アクシデントによるものか、物質的なものか、精神的なものか?。
ただ、世の中というヤツは世間で言う所の「一般人」にはある程度は便利であるように
出来ている。
一番にならなくてもいいが、最下位は嫌だ、自分より下の人を見つけてホッとする・・・。
恥ずかしながら、意識していないつもりの私にも、こんなことを思う瞬間がある。
このCDのタイトル曲を聴くと、日々の狂騒あるいは競争社会を生きている中で
自分は間抜けだなあと、つくづく思う。

オリジナルのソノシートは勿論、再発CDも探すのは難しいかもしれないが、
気にとめていただければ幸いである。
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灰野敬二 / わたしだけ?

2010-08-27 09:59:08 | 日本のロック・ポップス
灰野敬二の名前というかロスト・アラーフの名前を知ったのは、71年8月の三里塚での
ドキュメンタリー・レコード「幻野」を聴いてからである。目当ては単純に頭脳警察だったが
ZKはさておき、ここに収録された定型のロックに居心地の悪さを覚え、アルバムの最後に
収録されたロスト・アラーフの演奏に、混乱した収録現場に相応しい雰囲気というか、
強力な音の磁場のようなものを感じた。ただし、それは私が日常聴く音楽全てに当てはまる
のではなく、このアルバムを通して聴いて感じたことである。

しばらく、そんなことは忘れていたのだが裸のラリーズを熱心に聴きだした頃、改めて
灰野敬二を聴いてみようと思い、何枚かアルバムを集めライブを録音したテープも集めた。
自身のソロ、バンド「不失者」を始めとする様々な名義での演奏を聴き、へとへとに
疲れ果ててしまった。同じ演奏をしない故に(できないとは、決して言わない筈だ)
全ての音源は貴重なはずだが、それは共有する部分の少なさを意味することもあり、
聴き手は体力を試される。

結果、私は集めたほぼ全てのライブ・テープを破棄し、アルバムも何枚かを残し(それでも
10枚ほどは手元にある)処分した。悪しき取捨選択は古い物ほど有り難がる傾向を残し
また、ロックのフォーマットに近い演奏を収録した物を残す結果になった。

掲載写真は灰野敬二が81年に出した「わたしだけ?」。声もギターの音も神がかり的というか
これは音楽というより、シャーマニズムというべきかもしれない。
耳馴染みのいい音は一つも無い。アルバムを聴いている間、もう何回も聴いていると言うのに
便宜上タイトルがつけられ、トラック分けされた13の音の塊を「曲」と呼んでいいのか
考える瞬間というのが、フラッシュバックのように訪れる。
「うまくできない、自分のまねが」という歌詞に、とっくの昔に灰野は全てを悟っているのでは
と想うとゾッとする瞬間も必ずある。
そして、その「想い」は最後の「捧げる」で聴ける30分近いノイズに打ち砕かれる。

私は単純な古いロックを愛し、それはずっと変わらないだろう。
だが、このアルバムは自分を律する戒めとして所持し続け、これからも折につけ
聴いていくつもりだ。
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コクシネル / BOYS TREE

2010-08-26 17:57:50 | 日本のロック・ポップス
今日は休みだった。相変わらず暑いので久しぶりに「天国注射の昼」でも見るかと思い、
ビデオからダビングしたDVDーRをセットしたのだが、うんともすんとも云わない。
パソコンに入れても不具合が起こる。ああ、このDVD-Rも再生できなくなったのか。
フールズ、TACO、A-MUSIK、コクシネルの映像が残っているだけでも奇跡的なこの映像を見るには
高額物件となったビデオを探すしかない。DVDでの再発は難しいのだろうか?。

割礼のアルバム「ネイルフラン」のプロデューサーは池田洋一郎。「ネイルフラン」を
買った時は意識しなかったが、池田洋一郎は「めんたんぴん」のギタリストだった人だ。
「めんたんぴん」と「割礼」の繋がりというのは、なかなか解かり辛いが、間に「コクシネル」を
入れると薄っすらと解かるような気がしてくる。

コクシネルと言えば、すぐ頭に浮かぶのは三角形のジャケットに福助を使ったライブ盤だろうが
おいそれと手に入るものではない。(現在はCD化されている)
そのライブ盤よりは入手しやすかった86年のアルバム「BOYS TREE」のレコードは買った。
多いとは言えない音数と不安定なようで凛とした、聴く者の耳を惹きつける野方攝の歌唱の
組み合わせが印象的であったと同時に、「『めんたんぴん』のギタリストは何でこんな音に
なったのか」とずっと考えていた。
よくよく気が付けば、東京ロッカーズだ、パンクだテクノだと80年代を疾走した人の中には
かつてはグラムやハード・ロック、プログレをやっていた人も多くいたのだから、
「コクシネル」が突然変異というわけではないのだけど。

掲載写真は現在も入手が可能なコクシネルのCD「BOYS TREE」。アナログ盤とはジャケットが
違うしピクチャーディスクでもないが、このCDの再発は嬉しかった。単純なポップスでは無いが
難解すれすれで、こちらに寄り添ってくれそうな音と声を聴くと幾ばくかの安堵感を覚える。
収録曲「記憶」を聴いて思い起こすのは、公園の木々を突きぬけて照りつける太陽の光であり、
降り積もった雪に乱反射する光でもある。工藤冬里のピアノのきらめきに、その光を重ねるのだが
ベースやシンセが入ってきて一挙に暗いトーンになっても、その光は遮られることなく届く。

80年代の日本のロックの中で忘れることが出来ない1枚。
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TEENAGE LAMENT 1982年夏

2010-08-25 21:32:25 | DAY BY DAY
掲載写真は80年4月にリリースされた佐野元春のデビュー・アルバム「BACK TO THE
STREET」。このレコードを購入したのは約1年後の81年4月。つまり先日とりあげた
柳ジョージ&レイニーウッドの「HOT TUNE」とほぼ同じ時期であって、先日ブログに
書いた当時の私にとって「都会を体現する二人のアーティスト」の一人が佐野元春だったと
いう訳だ。

この頃は洋楽ロックにのめり込み始めた頃で、今よりも純粋に熱心に手当たり次第に音を
吸収しようとしていて、レコ屋で「BACK TO THE STREET」のジャケットを見て「ジョンの
『ROCK AND ROLL』みたいだ」と直感的に思ったのも購買の後押しとなった。
すぐ後にブルース・スプリングスティーンを知ってしまい、「うん?」と思ったものの
ガタガタ言うより、日本語で歌われる歌詞のリアリティを優先するほうが賢い選択だろうと
思ったものだ。

ラジオでたまに流れてくるシングル曲に夢中になり、次のアルバムも買ったが洋楽の
探求に比重が移った頃、聞こえてきたのがシングル曲「SOMEDAY」。それまでのレコードより
音作りは重厚に思えたが、甘ったるい歌詞が当時の私には辛かった。

1982年、クラス替えで全てリセット。高2からは文系と理系に別れ、文系を選択した
私のクラスの男子は16人。女子は倍近くいる。ここでまた何もない訳が無い。(笑)
一応、進学高(笑)だったので、今思えば笑えるが修学旅行は夏休み中に組みこまれていて、
そして、また面倒くさい話になる。

クラスの中では、まあまあロックに詳しい(今思えば大笑いのレベルなのだが)と思われていた
ため、男友達にはLPを貸したり、頼まれれば格好良いと思った曲を選んでテープを編集して
やったりしていたのだが、何人かの女の子達から「テープ編集」を頼まれる事態になる。
気に入ってもらえる自信が全くなかったので全て断ったのだが、そこにそれまで大して
ファンでも無かった風なのに佐野の新作アルバム「SOMEDAY」を所持するヤツが登場。
そいつの「音楽センス」は女子の間で高騰し、それはそれでいいのだが私が「SOMEDAY」の
特殊性について語るきっかけは全く失われてしまった。女の子達は私が「BACK TO THE
STREET」や「HEART BEAT」を聴いてきたことを知らないまま。

「編集テープ」をつくることは拒んだが、アルバム1枚を通して聴きたいというなら
話は別だ。ある女の子に先の2枚のアルバムを貸したことが何人かの女の子達の気に障った
ようで「何故私たちには貸してくれないのか」とか「あの娘にだけは優しい」とか。
すっかり困り果てたのだが、当時それなりにイキがっていた私の仲間たちは「そんなに
ハリーを責めるなよ。修学旅行で埋め合わせするから。」となんだか勝手に妙な展開に
させられてしまう。

旅行中、バスでの長時間の移動があったのだが、そこで私を含む仲間たちはバスの最後尾に
座りその前の席をさっきの女の子グループが固めた。で、移動時間中ラジカセを鳴らし
私が編集したテープや、選んだアルバムが流されたわけだ。ARBやRCサクセション、延々と
ローリング・ストーンズにC.C.R.にクラッシュ・・・。
「『SOMEDAY』はないの?。」「無いよ。」
「な~んだ、つまんない。東京に着いたらナビか荷物持ちでもしてもらおうかな。」
勿論御免である。

東京1日自由行動というのは、四国の田舎者にはある意味一大イベントである。
真面目な話、この先東京に行く機会が無い人だっていることだろう。
佐野の2枚のアルバムを貸してあげた女の子は、私と一緒に周りたいと言ってくれたが
私と周ると折角の旅行が台無しである。だってレコードを探しにいくのだから。
「俺と行動するとつまらない思い出しかできないから」と断り、レコードを探しに行った
私の手には「ヨーロッパのオーティス・レディング」とストーンズの「STILL LIFE」の
ピクチャー・レコードが抱えられていた。

旅行の帰り、私はその子の横に座った。「多分、とても格好良いレコードだと思うんだ。
今度貸してあげるから、聴いてみて。『SOMEDAY』、実は持っていないんだ。」
3泊4日の修学旅行の間、昼夜を問わずに騒ぎ、ほとんど寝ていなかった私は、それだけ
言った後すぐに寝こけてしまった。悪友たちが寝こけた私を起こしに来なかったのは
きっと彼女のおかげだろう。

佐野元春の全てのオリジナル・アルバムの中で、『SOMEDAY』だけは今でも所持していない。
そのうち、そっと棚に収めたいと思っている。
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割礼 / ネイルフラン

2010-08-23 22:09:07 | 日本のロック・ポップス
日本のロック・シーンにおいて80年代半ば以降の、雑誌が主導するインディーズにも、
イカ天にもバンドブームにも何の興味も持たなかったのは単純にそういうシーンから出た
バンドよりも、他のバンドに興味があったというだけの話なのだが、洋楽中心の生活だったからと
いうのが本当のところ。いや、もっと正直に言えば「イカ天」をテレビで見ることが出来る
環境になかったからか?。(笑)

割礼というグループ名を聴いて、素直に格好良いと思える人がどれくらいいるか解からない。
少なくとも私は「余り格好良くない」と感じた。と、同時に「俺は割礼の必要は無かったな。」
とか、「女性に対して悪しき風習が残っている国もあるな。」ということを思った程度だった。
彼らの活動の歴史は83年に遡る。87年にアルバムを出した頃は名前だけは忘れられないが
その名前故に、なかなか聴く気になれなかった。彼らの音を最初に聴いたのは90年に
リリースされた様々なアーティストの演奏を収録したアルバム「KISSxxxx 」。
目当てはdip the flagだったのだが、そこに収録された割礼の曲「ゲーペーウー」が
妙に印象に残り、興味を持ったというわけだ。ジャックスのような重さを感じたとでも
言おうか。後で聴いたオリジナルの同曲はもっとテンポが速くて、「おお、テレビジョン。」と
思ったことも付け加えるべきか。

当時、アルバムを探せば簡単に手に入ったのが、ビクターから出た掲載写真の「ネイルフラン」。
ギターの音が歪んでいようとクリアでいようと深く響き震え続ける、宍戸幸司の声の
魅力に圧倒された。「ネイルフラン」は88年にリリースされた割礼のメジャー1stで
ビクターから発売された。バンド・ブームの中でビクターはとんでも無い物を掴んだわけだ。
商業的には会社の期待するほどでは無かったという意味と、だがその実は素晴らしい音だった
という二つの意味合いにおいて。
それは研磨される前のダイヤモンドの原石のごとく鈍い光を放っていた。
放たれた光は闇を照らすでもなく、闇から逃れるわけでもなく今も光りつづけている。
アルバムを通してノリのいい曲は全くない。だが、軽薄なビートにのせたポーズと笑顔に
馴染めなかった私には、「音」と「言葉」について考えることを促す盤であった。

割礼のレパートリーの中で最も好きな曲は「電話の悪魔」。
あれがサイケデリックでないのなら、一体何がサイケデリックなのか・・・。
貴方が見るのは白昼夢では無い。

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関西 NO WAVE

2010-08-22 07:43:00 | 日本のロック・ポップス
暑い日が続くと、麺類を食べる日が多くなる。咀嚼することに使う体力さえままならず、
食べ物をあまり噛まずに喉に流し込んでいるとしたら、我ながら間が抜けている。
しかしながら、そんな中でも冷麺や冷やし中華を食べることはほとんどない。
キムチと豚肉と揚げ玉をのせた熱いうどんを、汗だくになりながら食べるのを好む。
なんとなく、健康的なイメージがあるので。ビールの量を減らせば、尚良し。(笑)
今日も暑さをぶっとばすヤツを聴くことにする。

掲載写真の2枚は78年から81年頃までの関西を代表するパンク・バンド、SSとINUだ。
どちらもリアル・タイムでは聴いていない。両者の名前とレコードの存在を意識したのは
85年。同年に立風書房から発行された「ロック名盤・レコード&ビデオ・ガイド」の
広告の中にアルケミー・レコードの広告が掲載されていて、そこにSSとイヌの名前があった。
「幻のバンドがLPで蘇る!」との文句に、パンクってついこの間のように思えたのに
もう伝説なのかと不思議な気分でその広告を眺めていたのだが、今なら当時の時間の流れが
今とは比べ物にならないくらい早かったことは理解できる。

右はSSの「LIVE!」。オリジナルのレコードは79年3月のライブを収録したもので
84年にリリースされプレス枚数は500枚。CD化に際し、79年京都での未発表ライブが
追加された。速い、あまりに速い演奏は曲ごとのインデックスさえ拒む。(笑)
ただの速いだけのハードコアと違うのは、楽曲に歌心があるということだ。それがそのまま
フィンガー5の曲をカバーをする度量に繋がる。ラモーンズの「電撃バップ」も冗談のような
スピードで耳を横切る。ディッキーズもSSを聴いたら、勝負したくなったに違いない。
SSの音を最初に知ったのはレコードではなく、ビデオ「東京ロッカーズ」。
関西のSSがこのビデオに収録されたことは意味のあることだったはずで、事実そこで
見ることが出来た映像は、おそろしく格好良かったのだ。

左はINUが81年に出した「メシ喰うな!」。東京ロッカーズ達とは明らかに違う印象は、
関西風というのもあるが突き放すようで、どこか人懐っこい感じがあるからだろうか。
今の耳で聴けば、音が痩せているようにも聞こえるが、それが攻撃的な印象と混沌の色合いを
強めるのに効果的だったと思う。収録曲の「夢の中へ」はいつ聴いても気が遠くなるような
錯覚を与える。

京都のSSに大阪のINU。どちらも黄色が目に痛いジャケットだ。
久しぶりに自由軒のカレーが食べたくなった。
「メシ喰うな!。」「メシ喰わせろ!。」
ああ、昨日の流れからうまく繋がりましたね。(笑)
それではもう一度。
「メシ喰うな!。」「メシ喰わせろ!。」

俺はおまえを正確にやる。
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THE STALIN / TRASH

2010-08-21 18:47:04 | 日本のロック・ポップス
仕事が無いよりはあったほうがいい。当たり前だ、それで飯を喰っているのだから。
それでも職場の中で私一人が6日連続出勤だと、何となく気分が悪い。
私の仕事はカレンダー通りなのだが、今日は私が講師になっての研修会。で、他の連中、つまり
講義を受ける連中は今日のために間で1~2日休みを入れているのに、私だけがたまたま
休みをとれなかっただけの話なんだけど。(笑)
ささくれた気分の日は、こんなアルバムを聴いてぶっ飛ばそう。

というわけで、掲載写真はスターリンの「TRASH」。81年のクリスマス・イヴに自主製作盤
として限定1000枚でリリースされたアルバムで、直後に追加プレスされたものの
その後は現在にいたるまで正規盤としての再発は無い。
83年の「虫」でスターリンを知ったので、このレコードがリリースされたことは
リアル・タイムでは知らなかった。
TEENAGE LAMENTのBGMにはならなかったというわけだ。(笑)
その後「仰げば尊し」ですっかり興味を失い、「TRASH」の存在も気にならなくなってかなりの
時間が過ぎる。

初めて聴いたのは今から8年くらい前だろうか。もういい歳になっていたのに、その衝撃は
今でも体内に微熱を残す。アルバムのB面は法政大学と磔磔でのライブ録音で
リア・ジャケットには法政でのライブに参加した人の名前が記されている。
ブートレグではなく原盤を所持する方に録音してもらったのだが、リア・ジャケットに記された
何人かの名前の中にその方の名前を見つけた時、なんだか嬉しくなって心は見たことも無い
ステージに飛んでしまった。(笑)

四国の田舎にいてもスターリンの伝説というのは、紙媒体で知ることはできた。
アルバムを聴いてすぐに了解できるほど、私の耳は鍛えられていなかったし、なんだか危険な
感じのライブの現場には行きたくないなと思ったのも事実。
今でもそのスタンスに変わりは無い。だって、私の目の前にダイブしたヤツが降ってきたら
受け止めるよりも前にきっと殴ってしまうかもしれないし。

短いセンテンスをスピード感溢れるサウンドに載せる、なんていうと私はすぐにフリクションを
想起するのだが、サウンドに載った言葉がより深い意味性を持つというなら、スターリンだろう。
「革命的日常」は実は退屈の連鎖で、「主義者」の理想を笑い、紀元2千6百云十年来の(笑)
有り難い制度にツバを吐くその姿勢は、刺激的だ。凶暴なサウンドと乱暴な歌詞であるが
その本質はインテリゲンチャとは言わないが馬鹿には書けない歌詞であることを了解した時、
肉体派を装いながらも、実態は計画的な犯行を寸分の狂いもなく実行する知的確信犯であることに
気付かざるを得ない。

結局、私にとってのスターリンは何の「痛み」を現場で感じることも無い、我が家での出来ごとに
終始するのだが、賛否あろうとも私はそれでいいと思っている。

トラッシュ「動詞」
反抗のシンボルとして意識的かつ無差別に破壊する・・・・。
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TEENAGE LAMENT  1981年秋

2010-08-19 20:07:42 | DAY BY DAY
昨日取りあげたレコードに馴染めなかったのは他にも理由があった。
四国の片田舎に住む少年には、楽曲の歌詞が全くリアリティが無かったのだ。
そして、そこには何の憧れも無かった。
「カナリアン・アイランド」と言われても、頭に画すら書けない。想像力が貧困なのだと言われれば
外れてはいないのだが、私の眼前には湾を埋め立てて煙を吐く工場、もしくは絵的に
何の魅力も無い小さな島が遠くに見える瀬戸内海が広がっていただけだ。
「さらばシベリア鉄道」と言われても、更にピンと来ない。「二色の灯」「最後の夜汽車」
「暁の終列車」(何れも同じバンドの曲名ですね)の方がリアリティがあったし。

田舎者だからかもしれないが、リゾート地よりは都会への憧れは、多くの勘違いを含めながら
持っていた。田舎の高校生であった私にとって、都会を体現するアーティストは2人いた。
その一人が柳ジョージだった。アルバム「YOKOHAMA」から想像する都会は大人のもので
自分がそこで生活するなんてことは考えられない世界。後に修学旅行で東京へ行ったが
人が多いだけで何の憧れも感じなかったが、数年後に訪れた横浜はなんとなく格好良い
感じがした。全ては肥大した想像力による刷り込みのせいなのだろうけど。

掲載写真は柳ジョージ&レイニー・ウッドが81年4月に発表したアルバム「HOT TUNE」。
「A LONG VACATION」の1カ月後に出たレコードである。このレコードはリアル・タイムで
買った。今思えばジャケットが「メインストリートのならず者」に似ているのがいい。
それはさておき、このレコードで教わったのがサム・クックだ。RCサクセションで
オーティス・レディングを知り、次がサム・クックだ。ずばり「TWISTIN' THE NIGHT AWAY」の
格好良さにヤられ、その曲の前に収録された「GOLDEN KEY」の歌詞中に登場する『LOS ANGELSの
MOTELで撃ち殺されたSINGER』こそサム・クックだと直感で了解したのは今思えば、
実に冴えていた。

秋になり、楽しそうにはしゃいでいたクラスのカップルの幾つかが崩壊し、友達の友達が
皆友達で無くなった頃、私は飽きずにこのレコードを聴いていた。
その夏リリースされたストーンズの「刺青の男」と、とっかえひっかえしながら。
私が友人達に「刺青の男」を聞かせまくったために、クラスの男友達の間では「ストーンズは
格好良い」という認識が広まったのだが、彼女達から「こんなの退屈でいや。」とか
言われたのが別れの原因だったら笑えるのだけど。

サム・クックがオリジナル・シンガーの曲なのだけど、オーティス・レディングのプロデュースで
その曲をカバーしたシンガーがいる。残念ながらアルバム未収録でシングルのB面のみに
収録された、その名曲の話は9月5日以降の講釈で・・・・。
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TEENAGE LAMENT  1981年夏

2010-08-18 22:02:52 | DAY BY DAY
高校時代の話だが、夏休みが楽しく思えたのはお盆前くらいまでで、後は惰性で日々が
流れて行くのを横目で見ていた感じだった。7月や8月初頭は、まだ何か楽しいことが
あるんじゃないかと何の根拠も無いのに期待し、それも叶わず8月半ば辺りに
海に行けば人は少ないし、心なしか波は高く空も水も澱んでいて、曇天と夕立の繰り返しだった
ような印象が今も残っている。

期待した楽しいことって何だったのだろう。
可愛らしい彼女でも欲しかったのだろうか。確かにそんなことをぼんやりと思っていたのは
事実であるし、そういう事が全く無かったわけではない。しかしながら一本気なロックン・
ローラーの(笑)心の隙間はなかなか埋まらなかったのだ。

1981年は冴えない1年だった。幾つもの中学から人間が集まった高校生活というのは
それまでと違って疲弊する人間関係と派閥争いというか、人気取り合戦みたいなものがあった。
男女共にそれぞれ勝手に『いけてるグループ』とか『いけてないグループ』とかに分けて
自分達本位の『いけてるグループ』同士でカップルをつくるのが当たり前のように行動していた。
私はといえば、多分『いけてないグループ』だったと思う。今の若い子はそうでもないだろうが
私の周りのロックに現を抜かし寝ても覚めてもストーンズだのドアーズだのと言っていた連中は
周囲の流行りやファッションにも大して興味が無かったから。
それでも勘違いした女たちがいて「○○君と友達でしょ、彼と友達なら『こっちグループ』
じゃん、○○君の彼女の友達が逢いたがっているんだけど。」と、訳の解からないことを
言われたり、『いけてるグループ』同士のカップル達の幾つかが上手くいかなくなると
「ハリー君、C子と付き合ってあげてよ。C子とハリー君が上手くいっているのを見たら
きっとA子やB子の彼氏との揉め事も収まって、また楽しくなるんだけど。」と言われたり。
全く疲れ果てる。

で、そんな『いけてるグループ』で人気があったのが掲載写真のレコードだった。
何人もの手を渡り、「お前も聴け」とばかりに私のところに廻ってきたレコードとジャケットは、
とても数か月前にリリースされた物とは思えないほど、ボロボロになっていた。
レコードのオーナーはといえば、人気取りアイティムの一つくらいにしか考えていなく
ボロボロになったそのレコードを「お役御免」程度にしか思っていなかったのがなんとなく
哀しかった。とりあえずカセットに録音して返したのだが、アルバムを通して聴くことは
できなかった。途中でなんだか虚しくなって。現在、私はこの盤をCDで所持するが
今でも通して聴くことは無い。

予想通り、某誌の80年代ロック・ベスト100の1位に選ばれた。
面白いのは選者の25選で、この盤を1位に挙げた人の他の選盤が面白く無いのに
上位では無いものの25選に選んでいる方の選盤はバラエティに富んだ楽しいものだという
ことだ。懐の深いアルバムなのだろう。いつか私も理解できればいいなと思っている。
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PRINCE / 20TEN

2010-08-15 20:40:00 | SOUL
いきなり「GET IT ON,RIDE ON」と殿下の御声が響き、80年代後半のつまりは最も
広く聴かれていた時期のサウンドが飛び出す。これって本当に近年の録音なの?という
疑問が湧き出るような音なのだが、これが実に気持ちいい。

掲載写真はプリンスの新譜「20TEN」。しばらくの間プリンスの新譜を追いかけてなかったが
昨年の3枚組「Lotusflow3r/ Mplsound / Elixer」が良かったので今度の新譜も期待していた。
ただ、今回の新譜は欧州では新聞や雑誌に添付された形で販売され、日米での販売形態は
未定という情報があったので「どうしたものか」と思っていたら普通にamazonで買えたので少々
拍子抜け。英国デイリー・ミラー紙には世界中から250万枚のオーダーがあったというから
中古市場でもプレミアはつかないと踏んでいたが、無事に入手できて一安心。

簡素なジャケットの裏に、バック・ボーカルとホーン以外は全てプリンスが担当していることが
書かれている。それにしても、本当に近年の録音なのか?。どの曲がどうと位置付けるのは
難しいが「1999」から「PARADE」辺りのどれかに紛れ込んでいても不思議ではない音だ。
ここで「SIGN OF THE TIMES」が突出した出来の作品であることを再認識するわけだが
それはまあいいだろう。
数多くの未発表トラックを残していると言われるプリンスだけに、それらの楽曲に幾らか
手を加えて発表したといっても十分納得できる。

数回聴いたのだが、もっと聴きたい気にさせる。80年代のプリンスの焼き直しというのは
簡単だが、その言葉を悪い意味では使いたくは無い。数多あるポップスやロックの名曲には
「黄金パターン」というのがあり、プリンスの場合は80年代に確立したのがそれだという
だけの話だから。9曲目が終わった後、10から76まで数秒間無音状態でチャプターが
うたれ、77曲目にもう1曲収録されているのだが、これは紛れもなく最近の音だなあと
思わせる。ギターのカッティングは格好良いのだが、このラップは私の好みでは無いが
ボーナス・トラックということで、まあいいでしょう。(笑)

これを書いている時点で、タワーやHMVでは取り扱いを終了している。
気になった方はamazonでどうぞ。
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77年6月23日~24日のロックパラスト その2

2010-08-14 15:36:53 | ROCK
77年6月23日から24日にかけて放送されたドイツの音楽番組ロックパラスト、先に
ロジャー・マッギンを取り上げたので順番は逆になったが、いや何れにしろ2番目に登場
したのがリトル・フィートだった。
リトル・フィートといえば、一般的にまずはローウェル・ジョージのスライド・プレイが
云々されるところだが、俺のとは違う。勿論ローウェルのスライドには惚れ惚れするのだが、
リッチー・ヘイワード(ds)とビル・ペイン(kbd)が作り出す、絶妙の横揺れが
このバンドの魅力の基本だと思っている。まあ、気にしないでほしい。
ザ・バンドについてもロビー・ロバートスンに冷たい男なんで。(笑)

ザ・バンドの名前を出したので、ついでに書けばフィートのメンバーは皆がコーラスが出来、
曲によってリード・ボーカルを変えることが出来るのも、バンドの魅力を大きなものに
している。ちなみにフィートの70年代の全作中、私が一番好きな曲のリード・ボーカルは
ビル・ペインだ。「OH ATLANTA」って言う曲だけど。

現行DVDは掲載写真のようなジャケットでは無いが、今でもこの映像は手に入れることが
できる。私が所持するDVDは改めて見るとそれほどシャープな画質ではないように思えるが
演奏は素晴らしい。何よりローウェル存命時のまとまったライブ映像は、今のところ、
これしか無いのだ。5曲目の「DAY AT THEDOG RACES」ではローウェルがステージから消える。
自分のスタイルに合わないから下がったのだろうが、この曲の副音声の解説ではビル・ペインが
「ぶつかりあうのがバンドの宿命さ。」とコメントしている。曲が終わると軽快なステップで
戻ってきたローウェルは何事も無かったかのようにギターを抱えて笑みを見せ、
「TRIPE FACE BOOGIE」では客席に向かってマラカスを放り投げる姿を見ることが出来る。

現行DVDを私は見ていないのだが、ロックパラストにおけるリハが6曲収録されている。
初版のDVDには無い映像なので、いつか購入したい。では初版のアドバンテージはと
言えば、ビル・ペインとポール・バレアの副音声解説があるのと、ボーナスで「COLD,COLD,
COLD」の映像がある点だ。ボーナス映像はロックパラストとは全く違う場所での野外ライブで
ビルは解説で「ロックパラストの1年くらい前かな」と言っている。ローウェルは
オーバーオールを着ていない。

副音声解説で興味深い事が語られているので、最後にそれを紹介して終わりにする。
「『HOY HOY』の1曲目を是非聴いてほしい。ローウェルがアコースティック・ギターを使って
『ROCKET IN MY POCKET』をプレイしている。あれこそがローウェル・ジョージの真の
姿だ。」(ビル・ペイン)

8月15日追記
なんてこったい、こんな記事を書いていながら重大なことに気が付かなかった。
3日前の8月12日にリッチー・ヘイワードが肝臓癌の合併症で死去したなんて。
享年64歳。R.I.P.
コメント (2)
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77年6月23日~24日のロックパラスト その1

2010-08-13 19:54:37 | ROCK
77年6月23日~24日にかけて放送されたドイツのテレビ番組「ROCKPALAST」。
この日はロリー・ギャラガー、リトル・フィート、ロジャー・マッギンズ・サンダーバードという
豪華3組が出演。この時の演奏で最初に商品化されたのはリトル・フィートで、私の所持する
DVDには2000年の表記がある。それから、しばらく経って2007年にロリー・ギャラガー
の演奏も商品化された。こうなってくるとロジャー・マッギンの映像も見たいと思っていたら
遂に今年になって正式に商品としてリリースされた。3者を順番に見ると、気分は77年の
ドイツへひとっ飛び(笑)できるようになったというわけだ。

ロリー・ギャラガーの弟でマネージャーだったドネル・ギャラガーが語ったロックパラストの
舞台裏の話をレコード・コレクター誌09年1月号で読むことが出来る。
マネージャー達が「誰がトリを務めるか」で揉めた話なのだが、個人的には大勢が出る
フェスのような場合、一番見たいバンドはトリではなく先の方で出て欲しいと思っている。
体力的に余裕がある時間帯で見たいとか、先のバンドがつまらなかったら退屈だし
目当てのバンドに満足すれば次のバンドがつまらなければ帰りたくなるとか、もしくはテレビなら
チャンネルを変えたり電源を落としたりしたくなるからだ。
今回は揉め事が嫌いなロリーが1番手で出て、どういう取り決めがあったか知らないが
フィート、ロジャーの順での登場となった。

ロジャー・マッギンズ・サンダーバードでの演奏は、キーボード無しのギター・バンドの
スタイルで、ロジャーのリッケンバッカーとリック・ヴィトのストラトの混ざり具合が
気持ちいい。ただカメラ・ワークがバンドというよりも、ロジャー主体で映像を捉えているのと
ギター・ソロになったらリック・ヴィトをひたすら抜くという感じで、バンドのダイナミズムを
今一つ伝えきれていないように感じる。演奏はオープニングの「LOVER OF THE BAYOU」、続く
トム・ペティ・カバー「AMERICAN GIRL」で快調にスタート。但しハウリングが耳障りな箇所も
ある。途中フィートのサム・クレイトンが参加することから、出演順は舞台裏の揉め事であって
バンド間にはわだかまりは無かったことも伺える。
ただ、やはりというべきかバーズ・ナンバーの比重が高いようにも思えるが、結局のところ
私もソレで盛り上がってしまうのだから重要と供給の関係は大事ということを考えさせられたり。

ロリーの映像を見た時も思ったが、2000年のリトル・フィートのDVDに比べたら
音質も映像もかなり良くなっている。ロジャーってアップで見たらブライアン・ウィルスンに
ちょっと似ているかも。リージョン・フリーのNTSC仕様なので安心して見てください。
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ドキュメンタリー頭脳警察

2010-08-09 19:48:41 | 日本のロック・ポップス
5時間を超える3部作として映画上映された時は、「全て独立しているのでどこから見てもいい」
ということが言われていたように記憶するが、順不同で3部を見て脳内で調整するよりも
やはりこれは1部から順番に見た方がいい。ドキュメンタリーとはそういうものだ。

タイトルに「頭脳警察」とあるが、今回のドキュメンタリーは「頭脳警察」以外の活動を
多く撮影している。2006年からの撮影はPANTAやTOSHIのプライベートや、それぞれの独立した
音楽活動を捉えている。それらが2008年の頭脳警察再結成に繋がるまでの紆余曲折を
見事に捉えていて、一度や二度見ただけで棚に仕舞い込むのは勿体ない数多くの「瞬間」を
鋭く切り取っている。

それにしても、PANTAはあそこまでカメラが入ってくるのをよく許したものだ。それは自身の
母親の葬儀の撮影に対してそう思ったのだが、第Ⅰ部でのあのシーンがあればこそ、第Ⅱ部での
氷川丸の乗員を訪ね歩くシーンのリアリティが胸を打つ。例えは間違っているかもしれないが
質感こそ違うが映画「ゆきゆきて○軍」が描いたリアリティと同じものを私は感じた。
第Ⅱ部を見た後、かつて2度ほど聴いて仕舞い込んでしまった「オリーブの樹の下で」を
もう一度聴きなおそうと思ったのは言うまでもない。

ただ、今回の頭脳警察再結成のいきさつは、複雑だ。PANTAが半ば恒久的なバンドとして
位置付けたかった「陽炎」の知名度をあげるためという理由はどうなのだろう。
「陽炎」としてツアーに出たのに、地方に行けば「頭脳警察」と書かれていたのを見た
メンバーのとまどいや、「これから頭脳警察として活動する」と言われた時の困惑した様が
映画を見た者に残す印象は一体どんなものなのだろう。

再結成の理由が理由だけに、今後の「頭脳警察」には簡単な落とし所は見つからない。
そう簡単に自爆はできないだろう。ただ、それが当たり前なのだ。
ハナから終焉を見据えてメンバーを集めて、バンドを組むなんて普通は考えられない。
ならば、老いさらばえようとも「頭脳警察」でしか出来ない歌があるのだから、もうずっと
存在して欲しいと思う。逆に言えば「頭脳警察」では出来ない歌もあるのだから。
バックが「陽炎」である必然の有無は時間と共に変わってくるだろうが、「頭脳警察」と
「陽炎」の存続は可能であることは了解しなければならないし、そうあって欲しい。

聞かせて新しい歌を 教えてつくり方を
飾らないで 自然なままで
間違いだらけの歌を

清濁合わせ飲む度量が試される映画である。
コメント (2)
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水谷公生 / A PATH THROUGH HAZE

2010-08-08 20:25:17 | 日本のロック・ポップス
小川糸の著書「ペンギンと暮らす」に、日本のロック史に残る名盤「A PATH THROUGH HAZE」の
ことが少し書いてある。レア盤で尚且つ世界的にも評価されていることは知っていたが、
CDで再発されても水谷には何の実入りも無い、というニュアンスのことが書いてあったと
記憶する。当時の日本のロック界には、今から思えば理不尽なあるいはミュージシャンに不利な
契約の問題があったのかもしれない。単発のセッションで幾らと割り切るか、実売に応じた
印税契約にするかの違いというのもあるだろうが。う~む。

「A PATH THROUGH HAZE」は71年6月録音。佐藤允彦と柳田ヒロの演奏を聴き分けられる程
達者な耳を持ち合わせていないが、水谷のギターとの絡みは聴いていて気持ちがいい。
ちょっと篭ったような音質と、柔かいエレピやオルガンの効果もあって、初期のキャラヴァンに
代表されるようなカンタベリー・サウンドと同様の質感を感じる。
メロディアスな曲と、アヴァンギャルド(それでも解かりやすいが)の程良い同居も
カンタベリー・サウンドと呼ばれる一群のそれに近しい。

ジュリアン・コープ著の「JAP ROCK SAMPLER」では無価値のようにかかれていたが、
そんなことは無い。日本人気質と英国の湿った感覚が余りにもマッチしすぎたために
英国人のジュリアンにはそれがどっちつかずのように思えたのだろう。
インストというのは言葉という問題がないから、世界へアピールする際の障害が少なくなる。
それ故に、このアルバムは日本人は勿論、普段英米ロックに現を抜かしているロック好きには
広く聞かれて欲しい1枚だ。

そして、我々はキャンディーズの「春一番」をもう一度聴くべきだろう。
これは多分、日本人ゆえの「特権」だろうから、「特権」を放棄する手はない。
え~と、今は・・・。夏なんです。(笑)
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