HARRY’S ROCK AND ROLL VILLAGE

お気に入り音楽の紹介と戯言

沢田研二 / JULIE Ⅱ

2005-05-31 22:57:47 | 日本のロック・ポップス
レコード・コレクター誌の連載に「ブリティッシュ・
ロックの肖像」というものがある。先月、今月と
ロンドンのオリンピック・スタジオのエンジニアだった
キース・グラントがとりあげられている。
オリンピック・スタジオで録音されたロックの名盤は
枚挙に暇がないのだが、日本のアーティストも素晴らしい
アルバムを残している。それがジュリーの2枚目。

71年10月にたったの4日で録られ、12月に発売という
早業はロックというより歌謡曲業界の仕事ぶりのように
見えるが、レコーディングが長ければいい作品が出来るという
ものでもない。(ツェッペリンの「プレゼンス」を想起されたし。)

このアルバムが発表された71年はジュリーにとっては3枚の
アルバムを発表した年である。71年8月、PYGの1ST発表、
同年8月16日のライブを録音したPYGのライブを11月に発表、
そしてこの「ジュリー2」である。PYGの隠密録音では
72年1月と思しきものが残されているので、ジュリーはPYG
在籍中ということになる。1STはタイガース在籍中の発表であり、
グループのメンバーでいながらも、レコード会社には経費のかかる
バンド形態よりも、ジュリーをピンで売ったほうが儲かるという
思惑が昔からあったのかもしれない。
しかも今回はPYGという、ほとんど綱渡りをするような危うい
バランスのグループ在籍中のものだ。ジュリー自身も今後を
模索する意味もあったろう、1STに比べて充実した内容の
歌唱、楽曲が聞ける。

実にコンセプト・アルバムである。テーマは「船乗り」。
目的もなく港にきた少年が、一人の船乗りにあこがれ、
船乗りが長く海に出ている間に、その妻と恋におちてしまう。
船乗りの帰港とともに恋が終わり、絶望感を味わうが
自身も船乗りになり、大海原に漕ぎ出す・・・・。
シングル・ヒットとして子供のころから「許されない愛」は
耳なじみのあるものだったが、ここでは見事に12曲からなる
コンセプト・アルバムの1つのパーツとして機能している。

作詞は山上路夫が全て書いているが、作曲陣が豪華である。
かまやつひろし、クニ河内、井上尭之、筒美京平、加瀬邦彦ら
GS~歌謡曲路線にいたるジュリーを後々まで支える
重要な人たちの楽曲はどれもメロディアスで耳に残る。
アレンジも1STにあったあまりにベタな歌謡曲的なものでなく、
もう少しロックよりである。レコ・コレによるとキース・グラントは
オーケストラの録音に長けていたそうだが、ここにはクレジットはない。
ただ、バックの「オリンピック・スタジオ・サウンド・オーケストラ」の
音は今の耳で聴いても、いい音で録られているように思う。

アイドルのアルバムにふさわしく、歌詞カードには多くの
印象的な写真が使われている。もっと派手なアルバムや、わかりやすい
ヒット曲集もあるが、1枚のアルバムとして楽しめるという
意味合いと、発表された時代背景に思いをめぐらせて欲しいという
意味で、今回はこのアルバムをとりあげた。
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遊びすぎました

2005-05-29 21:30:35 | DAY BY DAY
仕事を3日休んで、浜松~名古屋へと小旅行。
目的は「愛知万博」なのだが、浜松で途中下車。
3月にオープンしたライブ・ハウス兼ロック・バー「LUCREZIA」に
立ち寄るためである。1日ずれたらロック・バンド「UP-TIGHT」の
ライブも見ることができたのだが、それは仕方あるまい。
ライブのない日はバー営業をしていて、私が店に入った時は
「裸のラリーズ」が流れていた。5時間弱居座って、のんびりと
楽しい時間を過ごしたが、こういったバーが私の家の近くにも
あればなあと思いながらホテルまで歩く足取りは軽かった。

愛知万博会場には7時間ほどの滞在だったが、それなりに
楽しんだ。いわゆる企業パビリオンにはひとつも行っていない。
単純に魅力を感じないのと、80分も待ちたくないというのが
理由。事前にネットで希望パビリオンの観覧予約もできるのだが、
それをしなかったというのは、やはり企業パビリオンに
魅力を感じなかったのが本当のところだ。
各国パビリオンをなるべく多く見たいと思ったのだが、周りきれるもの
ではなく、何度も行く人がいるのもよくわかる。
アジア諸国の料理を食べ、キューバやオーストラリアの酒やビールを
飲み、伝統文化に造詣を深めるというのは、普段なかなか出来ないので
楽しい体験であった。アジア諸国で意識的にパビリオンを見なかった
国が二つある。国際社会において過去はともかく現代において、
積極的に友好な関係を築く努力と誠意の欠如する国に対して、
笑顔をつくることは、私にはできない。

そして、大学時代の友人の家に一晩泊めてもらう。8年ぶりの再会で
あったが、後輩も交え、やったことは学生時代と何らかわらぬ
酒を飲みながらのロック与太話。素晴らしいリスニング・ルームで
初めて5.1サラウンドを体験。再生システムは学生時代と大きく
違う。(笑)こちらが心配するほどの大音量でLED ZEPPELINのDVDを
楽しむ。お互い職場や近所でロックの話などする相手がいないので
たまにはこういう集まりもいいものだと改めて思った。お互いの
環境がなかなかそれを許さないだろうけど。

すっかり遊び呆けてしまった。明日から普通に仕事だが
おそらく私の休んだ分は、当たり前のように仕事が残っているだろう。
その前に・・・。家を空けておいた間に大量の
フェアポート・コンベンションのCDRが届いていたので
まずは、これを片付けよう・・・・。(笑)


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ELLIOTT MURPHY / LIVE IN TEXAS

2005-05-24 19:46:32 | ROCK
今ではアーティストが、自身のHPやネット上の
レーベルを使って作品を発売するのは珍しくないことだ。
気になるアーティストやページが沢山あるのだが、
その一つがエリオット・マーフィーを扱ったものである。
これはマーフィーの「アーカイブス・シリーズ」というべき
もので、過去の未発表デモやライブをCD化して
発表しているシリーズの第8弾。いままではCDで
あったが、今回はDVDだ!。

つまり動くのである。当たり前の事だが、マーフィーが
動くのである。(笑)しかも1977年のマーフィーだ!。
もちろんバンドをバックにつけている。「JUST A STORY FROM
AMERICA」発表後だけに曲も粒ぞろい。これを感動といわずに
なんと言おう?。画質は不満を言えばキリがない。
元のビデオの画像のゆがみもたまに入るが、気になりますか?。
ビデオのヒス・ノイズが耳につくところもあるのだが、
私はそんなこと、この映像の前では問題になりません。
見れるだけでありがたい「お宝」なのである。

1977年3月20日テキサスでのライブ。収録曲は6曲。
おそらくこれがこの日の全てだろう。マーフィーはE.L.O.の
オープニング・アクトとしてこの日、演奏した。
ちょっと話がそれるが、E.L.O.はこの時点では「オーロラの
救世主」が最新アルバム。このツアーが終わって「アウト・オブ・
ザ・ブルー」という大ヒット作(しかも2枚組)を作成する。
乗りに乗っていた時期といえよう。だが、マーフィーとの
ファン層がかぶるとは思えないのも事実である。

ライナーにはこんなことが書いてある・・・。
「20000人の人々に私の名前を覚えてもらい、アルバムを買うこと
 を納得させるために、E.L.O.は30分の時間をくれた。
 希望を持って、ほんのちょっとやってみたのさ。」
なんとも素敵な物言いである。

名曲「ROCK BALLAD」を演奏する前にマーフィーはこう言う。
「この曲をトロントにいるキース・リチャーズに捧げる・・。」
1977年3月、トロントで何があったかはご存知だろう。
今でも現役のロックン・ローラー、エリオット・マーフィーの
若き日の雄姿を是非、見ていただきたい。

ところでこのシリーズ、長い間VOL.2とVOL.3が品切れである。
私は不覚にも未購入で非常に悔しい思いをしているのだが、
興味をもたれた諸兄は急がれたし。
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佐野元春 / ナポレオンフィッシュと泳ぐ日

2005-05-22 20:19:57 | 日本のロック・ポップス
89年発表。当時の佐野元春には元来のファンは勿論、
そうでもない人も巻き込むようなアーティスト・パワーが
あった。オリコンの1位に幾ばくの意味合いがあるかと
言えば、個人的にはどうでもいいのだが、世間に対する
少々大仰な私の見解としては、このアルバムが1位に
ならなかったのは、日本のロック・ポップス史の恥である。

「SOMEDAY」の大ヒットの後、ベスト盤を置き土産に
ニューヨークに行き、戻ってくると同時に発表した
アルバム「ビジターズ」は新作を待ち望んだ「SOMEDAY」以降の
リスナーの後押しも大きく手伝って1位になった。当時の流れを
敏感に察知した最新型の佐野元春に、私は大拍手を送りたい
気分であったが、にわかファンの多くアルバムを棚に仕舞い込んだ。

このアルバムはロンドンでブリンズレー・シュウォーツや
ボブ・アンドリュース、ピート・トーマスらパブ・ロックを語る上で
避けて通れない面子をバックに録音された。ハートランドとは
違うビートとスタジオの質感、そのビートに乗る大量の歌詞。
詩の朗読にも積極的だった、元春の集大成とも言える出来の
アルバムである。50年代からのロックンロールを愛し、
洋楽が周りに当たり前のようにあれば、選択肢としてあった様々な
スタイルがあり、それが最初の完成をみたアルバムと
私は捉えている。

太陽の下、真に新しいもの、オリジナルなものなんて
そうざらにあるものでなく、しかも時代は90年代を迎えようと
していた。何者かのフォロワーであったかもしれない
かつての元春も、自分のようなスタイルを持つ後人の姿を
どのくらい見ただろう。事実、若手が自分の作品を世に送り出す
手助けをしてきたが、いずれも元春を超えるにはいたらなかった。
途中でやめたり、自ら進路を絶つのはそこにどのくらいかの
葛藤があったとしても継続することに比べれば簡単な事だと思う。

現在の元春は、メジャー契約のないアーティストである。
しかし、様々なメディアへの関わりや、レーベル設立といったことを
早くから行なってきただけに、メジャー契約故の
つまらない制約がない分、自由な作品がつくれる位置にいる。
今のメジャー・カンパニーのシステムなら契約する価値など
ないのだろう。最も元春はデビュー以来、様々なシステムと
対決してきたのだが。

このアルバムは曲はもちろん歌詞が素晴らしい。
もし聴く機会があれば、歌詞にじっくり接して欲しい。
佐野元春は、浅井健一の詩世界に理解を示し、グルーヴァーズは
「NEW AGE」をカバーした。ロックンロールの歴史は
こうして続いていく。素敵じゃないか・・・。

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JUDEE SILL / SAME

2005-05-21 23:32:33 | ROCK
71年発表の1ST。
生前は2枚のアルバムをリリースしたのみで、
35歳で夭折したその波乱万丈の生涯への思い入れと、
残されたアルバムの内容の良さから、好事家の間では大切に
聴き継がれてきたアーティスト、ジュディー・シル。
ニック・ドレイクとローラ・ニーロの魅力を併せ持つ
といえば、解っていただけようか?。
声や楽曲は私好みなのだが、歌唱に際しブレスがやたら
目立つところが気になる。これが気にならなければ、もっと
声高におすすめするのだが、些細な問題かもしれない。

彼女の家庭環境は複雑であった。父親がバーを経営していたため
子供の頃からそこにいることになり、様々な喧騒や違法な出来事、
両親の過度の飲酒といった場面に直面する。
8歳のときに父を失い、母親の再婚相手からは暴力を受ける日々。
学校を退学になり、盗みとドラッグ漬けの生活を送るようになり
刑務所に入ることにもなる。唯一の心の支えだった兄、そして
母親も次々に病死する。この時点でジュディはまだ19歳。

劣悪な環境の中で育った唯一の財産はバーにあったピアノを
弾く事を覚えた事であった。優れたソングライターであることを
認めたのはデヴィッド・ゲフィンで彼女はアサイラム・レーベルから
リリースされる第一弾のアーティストとなる。
ピアノ、ギターの弾き語りが主なスタイルだがとにかく曲が
絶品である。「THE LAMB RAN AWAY WITH THE CROWN」「LADY-O」
「JESUS WAS A CROSS MAKER」と続く流れは何度聴いても
胸が掻きむしられるほどの感動を私に与えてくれる。

過度のドラッグ使用、交通事故による脊髄損傷とその処置ミス等の
アクシデントが重なり、2枚のアルバムを出して表舞台から消え
79年にオーバードーズで亡くなるのだが、それは精神的不安と
怪我の痛みに耐えるための服用であったという。
ニック・ドレイクもそうだと思うが繊細ゆえに、彼女もまた
人より多くのものを短時間に見てしまったのかもしれない。

ライノ・ハンドメイドは限定5000枚で2枚のオリジナル・アルバムに
大量のデモやライブ・テイクをボーナスで収録した盤を発売している。
日本でもCD化されているが、購入するなら断然ライノ盤だ。
そして、驚くべき事に74年に録音していた幻のサード・アルバムまでが
CD化された。このサード・アルバムはエンハンスド使用で73年の
ジュディのライブ映像を見ることが出来る。グレイト!!!。
大量の文字からなるジュディ自身、関係者の発言も興味深いが
ジュディ自身の公式発言は72年までのものしかない。
今回紹介した1ST、そして2枚目、幻の3枚目の全てがお奨め。
まずはこの1枚目を聴いて欲しい。
ジョニ・ミッチェル、キャロル・キング、ローラ・ニーロらの
評価に対し、ジュディ・シルが如何に過小評価されているかを
あなたの耳で確認していただきたいのだ。


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DIRE STRAITS / SULTANS OF SWING

2005-05-20 21:19:40 | THIS SONG
最初に聴いたときから一撃でやられるバンドと
何回も聴いて、良さが理解できるバンドがあるのは
誰しも同じだろう。
私にとってダイアー・ストレイツはまさに「闇からの一撃」
だった。クラプトンのようなギター、J.J.ケイルのような
歌声。派手ではないがスマートなリズム・セクション。
全てが完璧だった。

これは78年に発表されたダイアー・ストレイツの
デビュー・シングル。邦題は「悲しきサルタン」。
ところがこのシングルが曲者だ。ここに掲載したのはプロモ盤で
一般発売はなかった。一般発売のシングルのB面は
「イーストバウンド・トレイン」のライブテイク(もちろんアルバム
未収録)を収録していたが、こちらは両面とも「悲しきサルタン」。
B面は通常テイクだが、A面はアメリカン・バージョンとある。
この曲は演奏時間が5分48秒のため、アメリカのラジオのON AIRには
不向きであるということで短く編集するよう米ワーナーが
バンドに依頼したところ、「歌詞に端折るところがない」との理由で、
代わりにアメリカ向けにギターや歌を録り直したものが
提出された。それがA面のアメリカン・バージョンである。

短くしてくれといわれて再提出したバージョンのタイムは
6分6秒。(笑)新人らしからぬ所作である。
はっきりいって出来は、通常耳にできる「英国バージョン」の
ほうが数段いい。70年代のアメリカ・ナイズされた音の
ように見えて、出自はいわゆるイギリスのパブ・バンド周辺だという
ことがよくわかる。

マーク・ノップラーのギターについては今更いうまでもないだろう。
この曲のプロモでは、ジャケットに描かれた赤いストラストキャスターを
フィンガー・ピッキングで演奏する姿を見ることが出来る。
1ST・シングルの時点で完璧なスタイルを持っていたことに
改めて驚かされる。

しびれるようなロックである。しかしバンドは「若い連中に興味を
持たれることもなく、がら空きの店でジャズを演奏するバンド」のことを
歌う。それはかつての自分たちであったのかもしれない。
ダイアー・ストレイツはすぐに大成功を収めるが、この曲の歌詞を
書いた時のマーク・ノップラーに思いを馳せると、未だに少々
もの悲しい気分になる・・・。

”ありがとう、今夜はもうおしまいです”
 そしてもう一言つけ加えるんだ
”サルタンズ・オブ・スイングでした”ってね。

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上田正樹と有山淳司 / 大阪へ出て来てから

2005-05-18 23:08:21 | THIS SONG
ついでなので、再発シングルも掲載しよう。
B面は「あこがれの北新地」。
関西に7年ほどいたが、いまだに新地は怖い
イメージがある。というか高級なイメージ。
大阪なら主戦場は難波だったので・・・。

「ここはあんたら若いもんの来るとこやおまへんで
 ホステスのねえちゃんが面と向かって言いよった
 あこがれの北新地」。
この歌詞でニュアンスはわかってもらえよう。

「COME ON おばはん」という歌がある。
「ちょっと有山、俺と一緒に ト○コ風呂にでも行かへんけ」
 行ったかどうか、わからないが、もしソー○・ランドから
キー坊と有山が出てくるところを想像しただけで笑える。

話は全然変わるが有山の愛車はミニである。
新型なのか、旧型なのか気になる。
私がモーリス・ミニにこだわっているので。
オースチン・ミニを未だに所持している方には
敬意を表する私である・・・・。

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上田正樹と有山淳司 / 俺の借金全部でなんぼや

2005-05-18 22:52:11 | THIS SONG
75年に上田正樹と有山淳司名義で発表されたシングル。
名義は二人のデュオのようだが、このシングルには
しっかり各パートのメンバーがクレジットされており
当然ながら、それはサウス・トゥ・サウスのメンバーである。

サウスのライブは2部構成で、1部が上田と有山を中心
としたアコースティック編成、2部がバカのり(笑)の
ソウル・レビュー風ライブだったという。
契約にあたり、ディレクターは2部で展開されるような
アルバムを想定したというが、それに対し、上田正樹は
ソウルではなく、アコースティックなブルーズやラグでの
録音を提示した。なんとも当時の上田の反骨心が伺える話だ。

作詞が三上寛というのが驚かされる。関西ブルーズ・シーンと
どういう繋がりがあったのだろうか?。歌詞にはサウスの
メンバーが次々と歌いこまれる。

例えばこんな風に・・・。
「お好み焼きやの ゆうちゃんから 5000円借りてきて
 全部パチンコで 負けてもうたから
 乾物屋の中西に 8000円借りた」

ゆうちゃんはベーシストで最近は忌野清志郎と活動をする藤井裕のことで
中西は、セッションにひっぱりだこのピアニスト、中西康晴。
もちろん歌詞には有山、ドラマーの正木五郎、くんちょうもでてくる。
おまけに関西弁である。
”青森県北津軽群東京村じゃ~”と歌った三上寛が関西弁を駆使して
歌詞を書いたこと自体、興味深いと思いませんか?。

ジャケットを見て欲しい。
食い倒れ人形の横の二人は勝手に写真をはめ込んだものである。
このお手軽感!!。
今日はレコーディングだと言われ、レパートリーを2テイクくらいで
ひょいひょいと吹き込むブルーズ・マンのイメージに
ぴったりじゃないか。
このシングルのB面は「大阪へ出て来てから」である。
83年に、アルバム再発にかこつけて再びシングルが切られるのだが
そのときはA面に昇格する。アーティストの意思は
介在していないシングル盤だろうが、B面が「俺の借金・・」
でないのがまた面白いのだ。

今のところ私に借金はない。裏返せばローンを組む勇気がないだけ
なんだけど、常に貧乏ではある。
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白石かずこ / DEDICATED TO THE LATE JOHN COLTRANE

2005-05-17 21:03:01 | 日本のロック・ポップス
(株)ブリッジが昨年復刻した幻のアルバムで、
「男たちよ!」シリーズの1枚。
詩人「白石かずこ」が77年にサム・リーバスらが
演奏するフリー・ジャズをバックに朗読を
くりひろげるアルバムである。

今回の再発で初めて聞いたのだが、恐るべき「怖盤」
とでも言おうか・・・。
題材はジョン・コルトレーンであるが、これぞ
ボイス・パフォーマンス!。

言葉で勝負するからには、リリックに意味性と芸術性が
欠けていては話にならない。その言葉を「音」で発するには
それなりの情感と抑揚がなければならない。
いまどきのレゲエやラップ、テレビ番組「詩のボクシング」で
展開されるそれらは、私にとってはほとんど忘れ去られるべきものだ。
文字であれ、音であれ、対峙するものにイマジネーションを喚起させる
ものでなければ、発表する価値はない。

難解なのは、当たり前。羅列される言葉や行間から100人が
100通りの意味のある受け止め方が出来ることこそが「価値」である。
このアルバムでの朗読はその声質もあって、恐怖すら感じる。
バックに流れるジャズも朗読にマッチしている。
私はフリー・ジャズがどういうものか理解できていない。
コルトレーンや、アーチー・シェップ、アルバート・アイラーなどは
いくつも好きなアルバムがあるが、コアなフリー・ジャズ・マニアから
すれば、そんなのはまだ入り口のドアに手をかけたにすぎないだろう。
この先、そういったジャンルに深く踏み込んでいくというもの
でもないのだが、抑制された、つまりフリー・ジャズに「朗読」が
かぶるという前提での録音でのここでの演奏は、ここで詠まれる
長編の詩と同じく、イマジネーションを喚起させるのは間違いない。

マスターがないのか、針音が所々聞こえるが、些細なことだ。
CDの帯には「詩のロック・スター、白石かずこ」とある。
私にとって格好いいものはすべて「ロック」である。
帯の叩き文句に偽りなし・・・・。
「男たちよ!」は第一弾の秋吉久美子はもはや製造中止である。
このアルバムもそれほど長くカタログに載っているとは思えない
ので、興味のある方は早めの購入をおすすめする。

「ここには雑音はない。すべては純粋に勃起する音楽である。」
          再び、聖なる淫者の季節 / 白石かずこ

コルトレーンで一番好きなアルバムは何か?これは難しい。
私は「フリー・ジャズ」の伝承儀式?のドキュメントという
意味でアーチー・シェップとの「NEW THING AT NEW PORT」が
好きなのだが、皆さんはいかがだろうか?。




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ロック・ファシズム PT.2

2005-05-15 21:06:27 | DAY BY DAY
まーだまーだ続くよ。

「WE WILL ROCK YOU」。もちろんスタジオ・バージョンの
あとは、ライブ・バージョンになだれ込むのだ。
「EVERYBODY SINGIN !!」。
脳内妄想は果てしなく・・・。

クイーンのアルバムはほぼ全て持っているのだが
正直なところ、名盤といわれる「オペラ座の夜」や「Ⅱ」の良さが
今ひとつわからない。「ジャズ」は好きなんですけどね。
「ホット・スペース」に肯定的な発言をして周りの
クイーン・ファンから白い目で見られたり・・・。
今度、集中して聴いてみるかな。
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ロック・ファシズム

2005-05-15 20:41:33 | DAY BY DAY
先の書き込みをした後、風呂に入って考えた。

我々は「ボヘミアン・ラプソディ」なんぞ歌うべきでは
なかった。
部屋を仕切っていた襖をあけて、右手は拳を握り
左手にビール瓶なり、焼酎なりウィスキーのボトルなりを
つかみ、店中に向かってこう叫ぶべきだったのだ。

「WE WILL , WE WILL ,ROCK YOU !」。
テーブルを二つたたき、手拍子を一つ。
そうすれば、そうすれば皆が幸せになれたのに・・・。(バカ)
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PETRA HARDEN / SINGS THE WHO SELL OUT

2005-05-15 17:48:55 | DAY BY DAY
学生の頃、居酒屋の一室を借り切って15人くらいで
飲んでいた時の話。その15人ほどの人間はどういう集まり
だったかというと、ロックのレコードを買い集めては
お互いの薀蓄をならべたてる、さして好まれざる類の人間の
集まりであった。
宴もたけなわと言うか、単に酒がすすんで酔っ払ってきた頃
先輩の一人がいきなり「ボヘミアン・ラプソディ」を歌い始めた。
残る14人は何をしたかというと、ただ聞いていたわけではなかった。
不思議なことに、何のとりきめがあったわけでもないのに
各人が様々なパートをアカペラで歌い始めたのだ。
ベース、ギターのパートは言うに及ばず、分厚いコーラスを数人で
つけて、7分ほど歌いきってしまったのだ。
部屋を仕切っていたとはいえ、隣室には迷惑だったに違いない。
そんなことまでは気が回らない浅はかな我々ではあったが、
歌い終わった先輩を中心に歓声があがりなんともいえない
大団円となって飲み会は終了した。

時は流れてその2年後。
京都の街中を車で走っていたときの事である。
11月にしては暑いその日は、窓を全開にしていたのだが信号待ちで
止まった我々の横に停まった車から耳なじみのある曲が聞こえてきた。
その曲とはレッド・ツェッペリンの「アキレス最後の戦い」であった。
幸か不幸か乗り合わせた4人は私も含めて、先の「ボヘミアン・
ラプソディ」の場面に居合わせた4人であった。
我々がとった行動は・・・・。
横に並んだ車に対抗すべくロックの名曲をまたもアカペラで
演奏?し始めたのであった。(笑)
演目は運転していたヤツが先陣を切ってイントロを口ずさんだ
シカゴの「長い夜」。運転手がテリー・キャスになったので、その次に
年上だった私は次においしいところを、と思いホーンを担当。(笑)
今回は密室の出来事だったので一般市民の迷惑にはならなかった
と思うが再び信号待ちで停車してもまだ窓全開で歌っていたので、
通りすがりの多くは車の中を覗き込むようにして我々を見ていた。
それは仕方あるまい。(笑)

ペトラ・ハーデンがアカペラでザ・フーの「セル・アウト」を全曲カバーした
アルバムがこれ。フィッシュのようにライブで「四重人格」や「狂気」を
全曲コピーしたり、プッシー・ガロアのようにスタジオでの録音で
「メイン・ストリートのならず者」を破壊しながらコピーした例はあったが
1枚のアルバムを「声」だけでコピーするというのは珍しい企画であると思う。
2005年の新譜であるが、録音は2000年から2003年までの
ものであるようだ。ご存知のようにこのアルバムは曲間にラジオの
ジングルを多数はさんでつくられたものである。
ハードな楽曲「恋のマジック・アイ」の
全パートを声で演奏することを想像するだけで楽しいでしょ?。
それに加えて「PREMIERE DRUMS」などのCMパートも抜かりなく、
アカペラで収録されているのだ。オリジナルの「セル・アウト」は
レコードの最後の溝にも「トラック・レコード、トラック・レコード」と
歌われる声が録音されていてループするのだが、ペトラのCDも最後は
「トラック・レコード・・・」というつぶやきが10数回収録されている。
単体でとりあげて楽しめるかというと疑問だが、元ネタの
「THE WHO SELL OUT」を聞き込んだ人なら、笑い転げる事必至だ。
ザ・フーのファンなら気にとめておいて損はない。

もし西大路通りを「ハイウェイ・スター」を歌いながら走り去る
車をみかけても・・・・それは僕ぢゃないよ。




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THE MOVING SIDEWALKS & AMERICAN BLUES

2005-05-12 20:52:23 | ROCK
テキサスのサイケデリック・ロックといえば
何はさておき「13TH FLOOR ELEVATORS」が
思い起こされよう。
今回は同じテキサスのバンドではあるが、
この2枚を同時に紹介したい。
写真の上が「THE MOVING SIDEWALKS / FLASH」下が
「AMERICAN BLUES / IS HERE」である。

まずは「ムーヴィング・サイドウォークス」。69年発表の
唯一のアルバム。「テキサス」という言葉が人にどんな
イメージを想起させるかは、当たり前だが様々だろう。
私はなんとなく「乾いた砂埃と荒くれ男」というイメージを
持っている。このアルバムはそんなイメージにぴったりである。
オルガンが入る分だけ、湿り度が増すがビリー・ギボンズの歌と
ギターは男気爆発である。明らかにジミ・ヘンドリックスの歌唱と
プレイ・スタイルの影響下にあるが、未整理な分だけ、粗野な
(この場合、誉め言葉です)ブルースが炸裂する。
そして、何より楽曲が多彩である。1曲の途中で、流れと全然違う曲調に
変化したり、ストリングスの使用、テープの逆回転などの小技も
効いている。現行CDはシングルのみの発売だった強烈な
ビートルズ・カバー「抱きしめたい」や、ローカル・ヒットとなった
13階ならぬ「99th FLOOR」などのボーナス・トラックが収録されている。
ジミ・ヘンドリックスのファンは間違いなく楽しめるアルバム。

そして「アメリカン・ブルース」。68年発表の1STアルバム。
中心人物はベースのダスティ・ヒルとドラムスのフランク・ベアード。
こちらもキーボードが入る。一聴した感じでは派手さと構成力では
「ムーヴィング・サイドウォークス」に一歩譲るが、通して聴くと渋い
味わいがある。リズム隊、特にベーシストのダスティのプレイは
ジャック・ブルースのように音数が多く、こちらはクリームを手本に
していたのだろうか?。アルバムは進むにつれて、どんどん違う表情を
見せる。前半の派手なサイケ風演奏から、後半はのどかなフォーク調に
かわる。2枚めのアルバムは未聴なのだが、これもいいアルバム
らしいのでいずれ聴いてみたいと思う。

テキサスで生まれた、ブリティッシュ・ロックの影響下でサイケデリックの
時代にブルーズを模索した二つのバンド。
その後、69年に合体し「ZZ TOP」となるのであった・・・。


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3/3 / SAME

2005-05-10 22:24:13 | 日本のロック・ポップス
フリクションの「ed '79LIVE」が
別マスター使用ではあるがCD化が実現
した。となると、次はこれを期待せずには
いられない。
75年に自主制作されたフリクション前夜の録音。
メンバーはレック、ヒゴ・ヒロシ、チコ-ヒゲ。
ここではレックはギターをプレイしている。
銀のスプレーを吹きつけ、手張りでジャケットをつくった
というが肝心のプレス枚数はレックは10枚ほどの
プレスだと記憶し、ヒゲは30から50枚くらいだと言う。
いずれにしろ日本のロックの中では「プレス枚数の少なさ」、
「内容の良さ」、「フリクションの前身バンド」という3拍子揃った(?)
最高の幻でもある。

フリクションは曲、演奏、立ち位置全てが、衝撃であったであろう
ことは後追いの私にも容易にわかる。レックの中で、その時点に
おいて筋が通った音を求めるという姿勢からか、フリクション自体の
音もどんどん変化していった。ではこの「3/3」の音はというと・・・。
ずばりハード・ロックである。
ライブではラリー・ウィリアムズの、というよりロック者には
ジョニー・ウィンターの演奏が記憶に残る「ボニー・モロニー」を
演奏していたりする。

ブリティッシュ・ハードの音を好む人なら、即座にOKを出すだろう。
ただ、そこらへんのハード・ロックとはやっぱり違う。
ジミヘンのような展開があるのは、まあ、それを普通に聴いてきて
好きな人だったら、そんなプレイもするだろうという程度かもしれない。
サイケとかカオスなんていう使い古された言葉で、説明するのも
なんだが、「ああ、このあとがフリクションなんだなあ。」と
思うと、普通のハード・ロック・バンドでないことは解ってもらえよう。
ブルー・チアーはハード・ロック軸、サイケ・ロック軸のどちらからも
捉えられるが、「3/3」も同様である。

長々とギター・ソロをとる場面は時に退屈かもしれないが
短い言葉を、シャープにメロディに載せるところが、ともすれば
「音はハードなのに、歌詞はフォークかよ」というものになりがちな
数多のバンドとは全く違うところだ。

残されたテープを聴くと75年のライブではこの自主制作盤の
曲を中心に演奏しているが、ルー・リードのカバーに混じり、
76年には「ピストル」が、77年には「CRAZY DREAM」「KAGAYAKI」等が
レパートリーとなっている。そして当然ながら演奏も少しずつ
フリクションのイメージに近づいてくる。
レックがニュー・ヨークに行き、その後のフリクション結成以降は
様々な活字や音で確認できるが、「3/3」の情報は余りに少ない。

この「幻」が解禁されるのはいつなのだろうか。



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FAUST / THE FAUST CONCERTS VOL.1&VOL.2

2005-05-09 20:14:28 | ROCK
ファウストが94年に発表した2枚の
ライブ・アルバム。VOL.1は90年ハンブルグでのもの、
VOL.2は92年のマーキークラブでのライブと
クレジットはあるが、例によって詳しいデータは
提示されていない。この2枚のライブ盤は70年代に
発表された数枚のアルバムをありがたがる人の
幻想を見事に砕いてしまう。

クールな立ち位置、ドイツならではの冷徹な構築美と破壊。
そういったものはスタジオでの演奏と、スタジオでの作業、
編集、効果に助けられて、盤に刻み込まれたと思うのだが、
ライブでは意外なほどの力技というか、肉体性を持って
それらが展開される。密室性がなくなり、狭い場所での演奏にも
かかわらず、音がひろがってしまう。
当たり前だがスタジオとライブは別物とわかっていても、
この2枚がスタジオ盤に勝てるとはおもわない。

しかし。別物と割り切ればこれが楽しめるのだ。
ミニマルなビートや、グラインダーという飛び道具を使うといった
ことは私にとってそれほど重要ではない。
ピンク・フロイドは同じフレーズを何度も繰り返した後で
一挙に開放してくれるような展開を見せるが、ファウストは
終わりのない恐怖を時として与える。この2枚のライブは
そんなファウストの魅力の一端がよくわかる盤だと思う。
人前で演奏しているのに、バンドはわかったような顔をした
聞き手を置き去りにして、どこかへ行ってしまう。
開いて見せてくれるに越した事はないが、閉じられたものほど
見たくなるのは、私だけではないはず・・・。

ファウストは適当に音を出すだけのバンドではない。
1枚目は発表された71年当時、英米音楽を中心とする、自分たち
をとりまくロックへの批判であり、アイディアを思いつくまま
録音したもので、2枚目は曲を形にする方法がわかってきて
出来たものだとメンバーは発言している。
単に即興で音を出したりノイズを出すだけでなく、曲を構築
あるいは破壊するという意識が根底にあるから、盤に刻まれたもの
をいつまでも聴くに堪える作品として送り出せるのではないか。
破壊するには、構築されたものがあることが前提である。
グラインダーの音は汽笛のように聞こえ、その後ろでは
クラシック音楽といっていい音楽が流れ続ける。(テープかもしれない)
その全く両極端な音が同時に流れるのは、ある種の快感である。

VOL.1とVOL.2の両方ともシリアル・ナンバーがうたれている。
ちなみに私のは305番と107番。前者にはジャン-エルヴェ・プロンの
サインが入っている。
数年前、なぜかカセット・テープでライブが10数種販売されたが、
あれは本当にオフィシャルなものだったのだろうか?。
カセットの片面が終わるまで曲が収録され、次の面にかえると
いきなり途中から始まるという、雑なものもあったからだ。
私は4本ほど入手して、そこで断念してしまった。(笑)

オフィシャルDVDが今年発売されたが、初回版はCDがついている
とのこと。急がねば・・。
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