Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

インタヴュー、時間の無駄一

2016-07-20 | 文化一般
先日ネットを探していると全く読んだことの無いインタヴュー記事が出てきた。どうも2007年にキリル・ペトレンコがベルリンのコーミッシュオパーの音楽監督を辞するときのお別れに残したインタヴューらしい。この様子ならミュンヘンを辞するときにも残すかもしれない。

内容を読んでなるほどと思う情報が満載で、これだけ飾らずに話しているならば繰り返して聞き直しても、まさに本人の言葉を借りれば「時間の無駄でしかない」となる。最後のコンサートに臨む前のインタヴューで。オペラ座の冊子に載っているのだろう。折角だから出来るだけ正確に訳してみる。

ペトレンコさん、ベルリンをコーミシェオパーのお別れも間近です。最後のコンサートではラフマニノフの合唱交響曲「鐘」を指揮します。故郷のオムスクでは鐘ってどんな感じで響くんですか?

ああ、僕の時代は鐘なんてなかったですよ。ソヴィエトではそれほど一般的ではなかったですから。

全ての鐘が共産党によって取り除かれてしまっていたということですか?


多かれ少なかれそういったことで、勿論モスクワのクレムリンには鐘はありましたが、オムストにはね。僕の子供時代には教会だったところはコンサートホールになってました。一度2001年にそこに行きましたが、そこが再び教会になっていて、鐘があって聖人が並んでました。僧が教会を奪回したのです。ラフマニノフはなによりも鐘が好きでね。嘗てのロシアは鐘の響きに包まれていて、ロシア人は洗礼から死に至るまで鐘に付き添われていたとラフマニノフは語ってます。

それでもそのような経験は一度も無かったということですね?

その通りで、僕の時代は、そうした経験は、絵とか映画とか音楽からだけのことで、ラフマニノフからもその一例ですが、実際の生活にはなかったのです。そうではなかった、そして、残念ながら今になって、再びということです。ロシアでは、全財産を教会につぎ込んでいます、貧しきも、老人も、生活にままならぬまま、教会はとてもきれいに復興しています。

オムスクにはちょいちょい行かれます?

極偶にです。12月に一度、五年ぶりでした。次は何時になるか分かりません。あそこには友達もいないし、親戚も家族もいませんから、縁が無くなってます。親戚は皆外国で、幾らかはドイツ、幾らかはイスラエル、母親はオーストリアで、幾らかはアメリカ、皆てんでバラバラといった塩梅で、ウクライナにも一夫婦がいました。その私たちがラフマニノフの「鐘」を聴くと、橇の鐘や婚礼の鐘、火事の半鐘、葬送の鐘で、失われた世界に逃避するということにもならないのです。それが再び行進中ということです。この曲を是非どうしてもやっておきたかったのは、僕にとってはラフマニノフへの親近感があるからです。昔ピアノを弾いていた時、彼の音楽が一番の関心ごとでした。そして、劇場の合唱団とやれるということでも、なかなか計画は容易ではなかった。合唱団は絶えず舞台に乗っていて、仕事が無いときは休暇ですから。本年のコンサートのテーマが幾らかは「望郷」や「ノスタルジー」であったので、ラフマニノフの作品を探しました。合唱を伴う「鐘」がラストコンサートに丁度良いとなったのです。この作品は1913年にまだロシアで作曲されていて、スェーデンを通って合衆国へ移民する四年前にあたります。彼はもう若くはなく、作曲家としても評価の頂点にいて、革命そして移民で人生の転機となって、とてもそれを乗り越えるのは容易ではなかった。それでもこの「鐘」は、まだまだ驚くべき人生肯定の迸りがあって、勿論死の鐘で終わったり、ラテンミサのディエスイレが頻繁に嵌め込まれいるにも拘らず、後年のアメリカでのパガニーニラプソディや交響的舞踊に比べれば明るい作品です。兎に角、二楽章の婚礼の鐘に葬送ミサの余韻があることで、不思議に思ってます。その理由が分からないのです。兎に角、二楽章は必ずしも重苦しいものではない、祝祭的なものであり、婚礼とは必ずしも喜びではなくて、厳粛な儀礼的なものだということです。(続く

ここまでで感じたのは、故郷に友達もいないと言うことから、音楽をやっていても幾らピアノを弾いても音楽仲間と呼べるものはなかったのだろうなと感じた。あれぐらいの才能となると最初から指導的な立場になってしまって仲間にはならないのだろう。天才の孤独というか、そういうことだろう。「鐘」に関しても一歩も二歩も先に行った話である。続きで更に詳しい状況やそのキャリアー感が赤裸々に語られていて、なるほど素直に語れば語るほど本人にとってはなにもインタヴューで得になるようなことはないなと納得させるが、我々にはああした天才がどのように音楽に接しているかに触れられるだけで頗る感嘆する。要するに、一流の音楽家が体裁を繕うようにして、自己宣伝として、如何にも自分は才能溢れるかを魅せるのとは正反対のインタヴュー態度なのである。



参照:
Der Dirigent Kirill Petrenko über Glocken, Antisemitismus, die russische Seele und seinen Abschied von Berlin
社会的情念の暴力と公共 2016-06-01 | 音
復活祭音楽祭ペトレンコ登場 2016-03-19 | 雑感

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