Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

外交官なんて不要か?

2010-12-21 | 文化一般
ウィキリークスについて、ウンベルト・エーコが書いている。この記号論の作家のこの事件への印象は、問題となった外交文章を一部なりとも読んだ我々のそれとかわらない。つまり、外交官が秘密文章と書いている内容は、公式には確認されていないが、興味ある者ならば皆知っていることばかりで、まさにこの一連の事件がただのスキャンダラスでしかなかったことを確認している。

要するに、その内容として、このイタリアの作家は、ベレスコーニやカダフィーに関するものを例として挙げているが、噂やその手の情報源から何ヶ月も前から流れていた情報であって、こうして外交文章として公式文章になっていること自体がスキャンダルであると言う意味である。

このラジオ局音楽プロデューサー出身の作家は、それをして、第二次世界大戦以降外交官の使命というのが全くそれ以前のものとは異なっていて、そもそも首班同士が直接電話で話して、直接会うようになったので、大使や外交官の仕事が書類整理でしかなくなっているというのである。これは、少しなりとも外交の現場を見たり聞いたりしている者ならば何も改めて繰り返す必要もない事実である。

もしくは、改めて国会内やその周辺の政治や行政の現場で見聞きすることを文章化しようとすれば、そうしたプロセスを経ることが必要なことはBLOGを綴っている者もしくは国際的な組織において情報の伝達を日夜執り行っている者ならば皆知っている。

そして作家は言う、少しはましな外交官ならば社会学的もしくは政治学的な切り方をするのだろうが、そもそもスパイ活動の基本はこうした下世話なところにあるのは歴史的に昔から変わりないと、それをしてファシズム政権下でのバーのカウンターでの戦略と呼ばれるものだとこうした外交文章の内容を切り捨てる。

私自身、リークされたとされる秘密情報として内務大臣デュ・メジエールに関するワシントンへの報告書を読んだが、誰でもが感じている従兄弟である東独の最後の総理大臣ローター・デュ・メジエールとのつながりや思想的な傾向を記しているもので、痴話話というか大衆週刊誌程度の内容でしかなかった。それでは、なぜ国のホストランドでの代表である大使館がそうしたありきたりな情報をワシントンなどに送らなければいけないかについてウムベルト・エーコは触れている。

それは、その内容自体が、出版業界における陰謀説論の内容と同じで、こうした噂話を伝えるときに、態々改めて取材したりその確認を取る必要が毛頭なく、既に知られている情報を繰り返すことこそが、効果的でこうした情報の本来の価値を発揮するということらしい。まさにオカルトの世界であると言及する。だから、そうした秘密文書には、もしあれば逆に陰謀が図られているかもしれないような、ワールドセンタービルへのテロ攻撃のような情報の察知は含まれていないと結論付けられる。

このように考えれば、まさにこの知識人が指摘するように「まるでダン・ブラウンの成功」の要領で外交官が日夜日当分だけの仕事をこなしているとして、経費削減のためにエンターティメントにならないこうした外交活動を削減してということにはならない。そもそも外交とは、情報とはそうしたものであって、今回最も傷ついたのは、こうした外交官を手足のように駆使している政治家であり、ありもしない国の外交の権威というものなのであろう。

要するに、市民の知る権利とか何とかは一切関係ない話であり、こうしたリークを売りとすることも三流ジャナーリズムの一つの権力志向の表れに他ならない。こうした非営利の下らない外交秘密文章が存在しなければ、三流ゴシップ誌に税金を注ぎ込むしかないからでもある。

蛇足ながら書き加えておけば、ハーバーマス氏でなくとも、我々の知る自由とか安全を保障する機関としての国なり行政が機能するために、そうした商業ジャーナリズムが営むマスメディアを含む権力構造によって左右されない情報が不可欠なことも再確認しておく必要がある。



参照:
Schafft die Botschaften ab!, Umberto Eco, FAZ vom 20.12.2010
引き出しに閉じる構造 2007-01-11 | 文学・思想
裸の付き合いの友愛社会 2009-12-06 | 女

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