Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

2015年の飛び石正月休み

2015-01-02 | 
テレコムに電話した。ルーターがネットに繋がらないからだ。色々とやってみて、結局IEでないと確実な判断が出来ないことが分かった。結論は出なかったのだが、その後自分で試してみると、やはり北鮮のアタックの可能性も否定出来なくなった。IPアドレス等が盗まれた可能性があるので、新たに設置されることになるだろう。勿論金正恩の映画を提供したロシアの犯行である可能性も否定できない。攻撃とすれば北朝鮮の独裁者か、ロシアンマフィアの仕業であろうか。

詳細をここに記録しておくべきだろう。偶々、新しい外付けのHDを設定するために要らぬ設定を弄ったのがいけなかったのだが、しょてっぱつからその反応がおかしく、明らかにネットのアクセスポイントに接続する際におかしなデーターが流れ込んだのだろう。それがいつの時点で流されたかは分からないが、そこに潜んでいたのにアクセスしたことになる。応答することがなくデーターが流れているうちは問題なかったのか?そこで応答をすることになるから感染したのかもしれない。

そこで何が起こったかというと、オンライン設定するときに書き込むJAVAのプログラムが正しく表示しなくなって、通常ならば文字や数字を隠してブラインドになっている部分も表示されるようになり、パスワードも二回繰り返さないでよいようになってしまったのだ。それでも設定を進めると、何故か固定回線での設定が出来ない様になり、UTSM経由の設定しかできないようになったのだ。これでは永遠に固定回線に繋がらないのである。

ここであり得るのは、ネットへのアクセス情報が全て盗まれることで、メールなどある程度の情報は盗まれることになるのだろうが、オンラインバンキングなどはたとえログインできたとしても指示を出すには更に違うパスワードをその都度入れないといけないので大丈夫であろう。精々ネットショッピングの暗号を盗むぐらいだが、解析にある程度の時間は掛かる筈だ。ネットアドレスを使って悪さをするのが最も現実的だろうが、これもそれを閉鎖してしまうまでに過ぎない。メールアドレスなどを使われるのは心外であるが、これもある意味公開しているものなので使おうと思えば幾らでも使える情報である。

さてこの先何が起こるのか?テロ疑いで重武装包囲されるのだけはかなわない、警察呼び出しも旧年中にあった訳だが、新年早々それも困る。そして先ずはネットに返り咲くことが先決である。

ネット環境がないお蔭で本来ならば落ち着いて読書が出来るのだが、状況がはっきりしないこれまではそれも叶わなかった。もしオフラインが長引くようなことになれば読書も出来るかもしれない。幸いなことに今年は二日が金曜日であったので多くは正月休みとなって、それほどメールで重要な連絡も入っていない筈だ。

同時に新外付けHDにデーターを移す作業も進める。当初予想していたよりもデーター量が増加したのは暮れにDVDブルーレイクラスの映画をDLしたからだ。最初から400GBほどになってしまいそうである。そこに昨年中の自分自身のデーターも加わる。やはりこの作業は結構大変な作業であるが、少なくとも昨年中もデーターを失うようなことにならなかっただけでも感謝すべきだろうか。

昨年最後に購入したワインについても書いておこう。12月に入ってから話題となっていたルッパーツブルクのオルツリースリングであるが、なるほど酸が活き活きとしていて、最初よりも明らかに際立ってきているのである。なにがどうなっているかわからないが、ほとんど木樽が使われていない筈なのに2013年の特徴である藁の香りの様な木のような味があって、後味がそのものガイスボェールの先落としの特徴である薬草の香味へと長く引くのである。13ユーロのオルツリースリングとして、この時期においては最高峰の出来に違いない。そもそもミネラル感が弱い土壌であるから、これ以上の出来はないという完ぺきなバランスのリースリングとなっている。上出来の年のレープホルツのビルクヴァイラーリースリングに近いだろうか。だから日本食などにもとても合わせやすいのはガイスボェールにも似ている。ここまで、ビュルクリン・ヴォルフ醸造所の新体制の出来を見ると完全に亡くなった前任者を超越して、神業としか思われない出来だ。30日に訪問した節も急いで蔵に降りていく親方のニコルに挨拶したが、遊びの話のために留め置くことが出来ないような雰囲気を醸し出していた。



参照:
オフラインの年末年始 2015-01-06 | 暦
偉大な2013年屑篭ワイン 2014-07-02 | 試飲百景
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オフラインの年末年始

2015-01-01 | 
予想通りの年末年始だった。注文していた外付けハードディスクが晦日に届いたのも予定通りだった。前日には話題の金正恩の映画をダウンロードして観終わった。北朝鮮のネット攻撃にやられたかルーターのソフトが壊れだした。もちろん新しいHDをインストールしようとしていた時に起こった。これでインターネットから遮断されることとなった。最近調子が悪かったので一度弄る必然性はあったのだ。

原因追及に色々と試みて、不貞腐れて、最小限の食事と用意をして床に就いた。花火は雪のおかげで賑やかだったが落ち着いた派手さがあった。その感じは元旦のノイヤースコンツェルトにもあって、前半のオーストリアのチロル民謡や鳥の声をちらばれた曲などにもあって、そして休憩の間の「ばらの騎士」などにもよく表れていた。こうした落ち着きこそが欧州の世界観でなければいけない。

ヴィーンからの中継放送の前のドレスデンからのミサ中継にもそれは格別に表れていたように思う。神父のお話しはご当地で盛んなPEGIDAなどの運動に対するおっ説教が重きを置かれていた。「イエスが我々を受け入れた如く、私たちも受け入れなければいけないのだ」と、「イスラム国に関しては様々な立場から争えばよいが、難民を歓迎することだけは議論の余地がない」ことの根拠づけとしていたのである。

こうした三省を元旦に繰り広げる新年を祝う姿勢も素晴らしいが、なるがままに無為自然に客観的に考える姿勢こそが近代の西洋文明の発展の基本であり、今後も思想的にも世界を先導する根拠となるのである。前の中継のドレスデンのミサではバッハのロ短調ミサが響いていた。バッハが書いたミサ曲である。その作曲事情はドレスデンでのポストへの魅惑であったが、その音楽に魅惑されそれがこうして活きていることをどうしても考えてしまうのである。

今年ほど落ち着いた感じがしたことはなかったのはなぜだろうかと思う。一つにはクリスマス前に旅行をしてしまったこともあるだろうか。兎に角、日本の正月を思い起こせば、そのリセットの時の不自然さとともにいやにはしゃいだ様な落ち着きのなさが感じられたのだった。そして今年は、つい先日走った、まだ休暇前で静かなインスブルックからブレンナーの谷に想いを寄せれば ― 今頃はスキー客で沸き返っているだろうが、これまた鄙びたアルプスの共和国の風物が味わい深い。

さて、金正恩の映画は流石に手慣れた手法で上手に出来上がっている感じであるがB級映画には違いないだろう。そのような映画に対してなぜあれほどまでに北朝鮮がテロ予告まで出したのか?そこがこの映画を見て終わっての思索であった。この映画の見所は、最初は毒殺を考えていたのに、金が愛する米キャスターは、暴力を使わなくとも生中継の「インタヴュー」でつまり「言論」で「殺せる」と考え直したのである。まさしくここがこの映画の核心で、そして世界の誰もが考えるように金の赤裸々な人間性を暴くことでの「その権力実態の危うさ」を示すことが「革命」であると信じる人々を描くことでもある。

これだけを考慮すれば、必ずしも北朝鮮がそこまで目くじらを立てる必要もなかったのであろうが、彼の政権にとってはそうした楽屋裏や落ちを見せること自体が危険であると感じたのだろう。北朝鮮の国民の多くがあの金をそれほど特別視していないのに違いないが、少なくともそこに何らかの光を当てて貰っては困るのに違いない。独裁政権が国民を騙すことは周知の事実である。その点、日本の今上天皇の存在自体はこの議論の落ちの無いところであるが、逆に安倍政権などに居座る権力者層の楽屋裏を見せることは日本社会にとってはとてもタブーであり続けるのだろう。合衆国と日本のエンターティメントやメディアの違いでもあろう。日本の国民が北朝鮮人よりも行間を読んでいると考えるのは間違いであろう。

指揮者メータが、「楽友協会ホールには良く通ったがいつも立見席の常連だった、そしてまた指揮台が立ち席だ」と会見で買ったようだ。そして今回五回目の登壇を見ると、楽団から引き出すその深々とした響きの悠久の流れのようなものを感じさせて素晴らしい。これが現在の中欧の文化の一つであることは間違いないのである。



参照:
余裕が全く無くても冷静な元旦 2013-01-01 | 料理
毒が体中に回った元旦 2012-01-02 | 暦
揉み上げの恐怖に克つ 2014-12-28 | 生活
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