Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

強靭で灰汁の強い宣教

2007-01-16 | 生活
昨日のマンハイム散歩は思いがけず実りが多かった。いつも見ていたあのレジデンスに付属しているような教会が三年前に復興していたことも知らなかった。このイエズス会の教会の歴史は、カール・テオドール選定候と共にあるので、現在復興作業中のマンハイム大学となっている官邸の歴史と違わない。つまり、作曲家モーツァルトがヴェーバー家に出入りしていた当時は、美しく輝いていたのである。

マンハイム市は、その円形碁盤の市街地整備の粋に係わらず米軍の空爆によって灰となり、戦後はドイツで最も醜い大都市の一つとなっている。そして、この教会もつい三年前にバロック様式をもって復興したのであった。

そのカソリック共同体は、ミサを営み、祝祭的ミサも晴れやかに執り行っている。イエズス修道会の創始者聖イグナチオ・デ・ロヨラ聖フランシスコ・ザビエルを教会のパトロンとしている。

そして丸天井を見上げるとそこにIHSと大きく書かれているのである。日本人にとっては教科書等で馴染みのあるイエズス会ので、ギリシャ文字でiota, eta, sigmaの三文字はラテン語でIesum Habemus Socium(我らイエスと共にあり)を意味する。この美しいバロック様式の教会は、その強固な信念にこそ相応しい。

そして両サイドには、其々のパトロンの木彫りの像が収まっている。片方は顔つきからしてイグナチオ・デ・ロヨラのようで片手に厚切りの黒パンをつき出し、哀れな子供たちに恵もうとしており、回廊でマリア像と相対している。片方はフランシスコ・ザビエルのようで、見慣れた面長の顔立ちは些か攻撃的な容姿である。

ニュルンベルクへと抜ける古城街道の出発地であるこのマンハイムを訪れる、特に日本のカトリック信者には、是非とも訪ねて欲しい教会である。大学の宮殿も何れ修復を終えるだろうから、そのときは、嘗ては青年作曲家が歩んだ土地に、駅からプロムナードを歩く感覚で訪れることが出来る新たな観光対象が登場する事になる。

イエズス会は、宗教改革に対して、反動的に活動したのであるが、音楽芸術で言えば数十年遅れてやはり反動派のオルランド・ディ・ラッソーが行った創作と平行している。その強靭さと灰汁の強い押し付けがましさが、想像出来るザビエルの雰囲気でもあるとしても良いだろうか。もしイエズス会の献身的な宣教活動以外によってキリスト教が極東に伝えられたとするならば、そこでの布教状況は違っていただろうことが、そのような文化芸術からも容易に演繹出来るかもしれない。当然ながら、それは歴史的カトリック精神に付け加えられた、これまた硬質の新教の信仰に対抗する、特質でもあったのだろう。歴史的必然性を無視しての、サイエンスフィクションとして「たら、れば」のお話である。


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春のような真冬の週末

2007-01-15 | 
昨晩はドイツ山岳協会の地元支部の年間計画発表会であった。百人以上は集まっていただろうか?それでも大分顔見知りの欠席者がいたので、流石に地元一の規模を誇る非営利団体である。

その夕方外を見ると千メートル程に低く立ち込めた雲の端に夕焼けに染まる遠く八十キロ以上彼方のシュヴァルツヴァルトがみえた。こうした光景も実に珍しいので急いでカメラに納めた。

とにかく気象が尋常ではなくて、本日もバルコニーの寒暖計は20度に至っていた。そして本日はマンハイムの新年会にお邪魔したのだが、閑散とした町中を散歩していても日差しが強く眩しくて困った。コートの胸元を開けながら町を暫らく探索すると、興味深かった。
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統廃合される地方文化

2007-01-14 | 文化一般
ラジオでいつもの夕方の討論番組を小耳に挟んだ。途中を少し聞いただけであるが、バーデン・ヴュルテンブルクの文化予算削減に関して、マンハイムを中心とする劇場・美術館関係者が論争していた。

マンハイムにおけるノイエ・ザッハッリッヒカイトの美術とナチスとの攻防などを通して、今やローカル文化都市の過去と現在と今後を訴えていたり、ハイデルベルクなどを統廃合した場合のマンハイムの劇場の価値を考察していた。また、マンハイム・ハイデルベルク音楽学校の取り組みなども交えて、市民層の相違をも強調していた。

詳細は、全てを聞いていないので分からないので触れないが、そこから重要な幾つかの定理が見出される。その幾つかを思い出すままに列記しておく。

• 大都市文化圏の擁立とその衛星都市のローカル性との文化的関係
• インターナショナルで高尚な大文化とコミュニティーに立脚した庶民文化
• 大小・高低や官僚主義・肌感覚を、文化社会面で対照させない主客の転換
• 学習劇場と実験劇場の公的意味と公的美術館の社会的価値

どれも大変難しいテーマであって、美学的にも社会学的にも論じ続けられている課題である。その中で、文化圏を考えるのは特に注目に値するように思われる。

例えば、ベルリンで受け入れられるものはマンハイムで受け入れられる可能性が無いとするとき、それは各々の市民の群を指すのか、文化的歴史的背景を指すのか、もしくは三つ目の市民の社会層を指すのか?反対に劇場職業アンサンブルの質の高さは、一義的に経済力によって左右されるのだが、三流都市の三流のアンサンブルが必要ないとすれば、それはそもそも共同体に必要な芸術は決してインターナショナルで高尚なものではないと言うことにもなる。

逆にベルリンのような中央集権的な都市において、社会を映すような文化の発展は実際は期待出来ない。そこにあるのは、官僚主義的でインターナショナルで直接社会に還元出来ない文化となる。そもそも市民の生活観と掛け離れた文化の存在意義は無いに等しい。

前者を進めると、東側に嘗て存在したプロレタリアートのための文化運動となり、中央をそのままに質を落として、「三流の市民のための、三流の芸術家による、三流の文化享受」が施されて、後者においては首都の芸術は国外へと国家を代表して売られていく事になったのである。こうして文化的発展は崩壊した。

それからまだ二十年も経っていないのである。
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質より量の柑橘類

2007-01-13 | 料理
柑橘類好きである。イスラエル産のポメロがその類では王様であるが、価格が高い。一個、2,5ユーロもすると病気の時ぐらいにしか口には入らないのである。パイナップルなどは三分の一もしない。
香港の業者が着色フィルムに赤い網をかけた中国産のポメロを売り出している。2ユーロしないので大分お得で、遥かに大きい。

九州名産の文旦に大きさも色も近いと思ったが、色は上のように偽装であった。味は、糖分が大分高いが、風味は今ひとつである。夏みかんやザボンどころか、文旦にも、イスラエル産にも、その意味では及ばない。価格相当である。

しかし大きさだけは、食後に一人では到底食べ切れない量であった。


風味と呼ばれるのは柑橘類では酸味の素材と等しいようである。同じようにワインにおいても、辛口のものにこそ風味があって、甘口のものには無い。夏蜜柑のように白ワインの王様がリースリングであって、陽の多い南国産は比較出来ないのである。また廃れたリースリングの原種がもっていたその酸味は、夏蜜柑のような酸が勝っていた事を想像させるのである。
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フランツと名乗る大嵐

2007-01-12 | 
フランツと名付けられた大型低気圧がヘッセン州を通過しているようである。風速175KMといえば台風並みであろうか。

今朝は、朝から季節外れの朝焼けと強い日差しが暖かく、異常気象振りを示していた。風の強さを見ていると、その時のどこかでの被害が予想出来る。

西側のフランス方面からの空気の流れは雲の動きで分かったのだが、朝八時四十分前の東側のハイデルベルク方面を望むその南欧のような趣の写真がその異常さを語っている。
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引き出しに閉じる構造

2007-01-11 | 文学・思想
TV生中継などを見ていてそこに劇やアリストテレスの詩学を見るとするのは、「薔薇の名前」の作者ウムベルト・エーコの無名ラジオプロデューサー時代の論文である。この論文が有名なのは、「開かれた芸術」が描かれているからである。

ネットで見つけた、割愛引用掲載されている箇所は、TVの生中継と映像について扱っている。それによると全ては「詩学」としてもしくは古典的ドラマとして理解されるので、観衆は何かを期待することになる。

つまり、シェークスピアが書こうが中学生が書こうが、そのシナリオ(シンタックス)は等しく、起こりうる情況が深みを帯びて、多彩となるだけでなんら変わらないと言うのである。その虚構の世界(セマンティック)では、ただ多彩な意味付けが可能で、寓意が存在したり、あるものが象徴されたり、精神分析的に拡大されるだけなのである。つまりそこに、実存の形を、変わらぬ運命と罪の意識の掟を、世界を取巻く情感をその底層に見出す(プラグマティック)のである。

それとは別に、そこで何が起こるか判らない偶然性は、こうした構築された形式を 補 う ものとして、ここでは位置付けられている。謂わば、構造化された世界認識の方法を、その「開かれた形式」でもって世界の外側から明らかにする。

同時に論文はサミュエル・ベケットなどの芝居を挙げているが、それらの議論はなにも記号論的な複雑な考察を必要とはしない。例えば、ここでその時の流れもしくは(言語の)運動性を考えると、東洋的な「零」もしくは「瞬間」が、我々が解析する「連続する時」を補うことになる。奇しくも「瞬間(記録)」は、メディア関係の従事者たち、もしくはTVに登場するコメディアンたちによって現在最も好んで使われ演じられる用語である。

つまりそうして切り取られる一瞬の残像が、時を刻む世界を映し出す構造となっているのである。これは、北斎の富士山を背景に波が崩れ落ちようとする有名な浮世絵『神奈川沖波裏』にも表れている。それは驚くべき事に、時制どころか、ユークリッド空間すら満足していない。それらの西洋への影響をジャポニスムと呼ぶが、特に印象主義という芸術カテゴリーにおいて、その時の流れが大変 構 造 的 に反照されることになる。

なにもいまさら教科書的なカテゴリーへの観想を述べる必要はないが、最近ダルムシュタットでボイスの芸術を如何に保存するかの議論があったと垣間見た。これなどは、まさに開かれた形態であるパフォーマンスを如何にアーカイヴの引き出しにレッテルを貼り付けて整理してしまいこむかの作業である。

あらゆる事象をその空気をもしくは観念連合的に、あるいは自然科学的に把握すると言うのは、あくまでもそれに意味を与え、見えぬ構造を与えると言うことであり、これもなにも構造主義者の言語学上の複雑な論議を待つまでも無い。当然の事、文化的に変調されたその構造と領域自体が、ここでは偏差している。

それは文学芸術部門においても、前世紀だけでも数多くの 補 足 す る 芸術作品が存在して、それらは言語が意味をなさない、視界が惚ける、音が響かないなどで、1962年のこの論文で示唆されているように、故に今でも教科書的に反面教師的な美意識をもって理解されることが多い。

カオスにしろランダムにせよ、無秩序もしくは枠の無い構造を 認 識 する事は、元来非常に困難で、それらの領域を馴染みある構造の外に追いやるかもしくは考えうる限りに枠構造を構築的に拡大して行くかして、綺麗に引き出しにしまいこむ方法しかないのである。さもなければ、把握出来ないと言う現象は、外界への条件反射が備わっている生物に大変な不安感を与えるからである。

生まれながらの破壊主義的非構造主義者にして、物心ついてからの自称構造主義者は、このように考えるのである。



今日の録音:
ドビュシー 三つの交響的スケッチ「海」 ロンバール指揮ストラスブール饗
参照:
漲るリビドー感覚 [ 数学・自然科学 ] / 2007-01-02
帰郷のエピローグ [ 暦 ] / 2006-12-10
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隠れ宿の谷の平和利用

2007-01-10 | アウトドーア・環境
中欧スイスからコモ湖を抜けて、ミラノへと走るにはゴッタルダの峠かトンネルを通らなければいけない。ヴィリアム・テルの湖のある北から向かうとトンネルの前が分かれ道となっていて、そこからフルカ峠を通ってヴァリスの谷へと抜けることが出来る。そのコースは、米国人やアジア人に人気のベルリナ氷河鉄道のルートに当たる。つまり、反対側のツェルマットからサンモリッツを目指す途上停車する町がアンデルマットである。

スイスのスキーヤーには大変人気がある1300人ほどの村で、フルカ峠ほどではないが雰囲気が残されているスキー場である。その町の開発が話題となっている。エジプトのサヴィリス・ファミリーホテルの兄弟の一人が、ここをダヴォースやサンモリッツに負けない国際リゾートにしようと投資の準備をしている。

貧しいウリ州の地元の直接選挙民も殆どが賛成していて、スイスとしては異例の速さで地域開発の青写真が完成している。あとは別荘地開発で連邦政府の特例を待つだけと言う。

現在までの1300ベット数に対して数個の大ホテルとモールつきの新市街が開発されて、スイス国防軍が使っていた広大な土地とシェルターの地所は、国際平和目的に変化して行くと言われる。隠れ宿のような趣があったのだが、こうして夏は18ホールのゴルフ場などが新設されて、略二千人の雇用を生み出すと言うのだ。ウリ州としても8%の実質経済成長を計算している。

スキー場としては、氷河は無いものの三千メートルに近い頂上は厳寒で、オフピステ滑降ルートは瘤になり滑り難い。現在は繋がっていない全てのピステを連結するのだろうが、四つ星がつくスキー場となるかどうかは疑問である。寧ろ温暖化に備えて、避暑地として、現在の牧草地を開発・観光資源化するのが狙いであろう。

こうした時代の変化を思うと、その将来を思うよりも、その思い出を掘り起こすような土地柄だったのである。
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2006年産は今年のワイン

2007-01-09 | ワイン
ホイリゲと云う言葉は、典型的なオーストリア方言である。当然ホウイヤーと云うやはり方言の「今年」を示す言葉から来ている。最近リッター瓶で調理用に使っている、グリューナー・フェルトリィナーは、2ユーロしないが、2005年産とホイリガーの二種類が混ぜて売られている。

2005年産はまだ飲んでいないと思うが、ホイリガーの方が当然香りが高く美味いはずである。スーパーの棚には、2005年産に混ざってまだ二三本あったが、流石にワインどころであるから他にも誰か狙っているかも知れない。売り切れていれば2005年産も買ってみよう。

先日から、それをとっておいた高級グラッパの空瓶に移して、小さなグラスで飲むとなかなか美味い。同じように日常消費用の高級リッター瓶をデキャンタ宜しくすると、あまり美味くない。どうも辛口で特に新鮮なものは、エアーリングする事で味が大きく変わるようだ。
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ほうれん草に虫の卵

2007-01-08 | 
本日は季節外れに陽が強く、暖かかった。

ほうれん草を陽に翳すと黒い虫の卵がついていた。よく洗わなければいけない。

期限切れのノルウェー産サーモンの薄切り燻製とほうれん草にポーランド産のマッシュルームをイタリア産スパゲティに入れて、オーストリア産の新酒白ワイン、ホイリガーを飲むと昼寝に良い午後となった。

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ニタニタ顔のシナの学者

2007-01-07 | 数学・自然科学
中華人民共和国の学術研究投資額は、五年で倍増されて、終に日本を抜いて米国に続いて第二位となった。EUが、米国と中国の真ん中に位置している。ドイツは日本の半分しかない。

月着陸などの予定を計画して、量から質への技術王国を目指している。しかし、自然科学の対象は全域に渡っている事は言うまでも無い。

シナ人研究者数は、其々の分野での論文の数を見れば解るが、十年前の77%増となっている。その多くは欧米からの帰国者であって、2004年現在で92万人の研究者数は米国の103万人に次ぐ。そしてその一部の時代遅れの施設を、グロテスクなマス大学などと共に、質へと転換して行くという。そして多くの80年代のシナ人研究者はお払い箱となって去って行く。その七万人の内ほぼ五万人は既に首となっている。そして今後ますます成果主義の体制を採り、国家プロジェクトは自然科学へとシフトして行く。

そこでは少なくとも「サイエンス」か「ネイチュァー」に採り上げられていない研究者は用無しで、可能性は殆ど無い。つまり世界からシナ人を中心に研究者を呼び寄せたのである。もちろん、報酬は一部の例外を除くと外国と比較が出来ないが、紐育市大から戻ったツオン氏などは、「パトリアズム否シナの遺伝子学的豊富さを信じると理想的な研究地です」と語る。

そこで思い出さなければいけないのは、2011年には世界の有数大学になるとする国家主席フウ・ジンタオの出身校、エリート工科大学清華大の副総長が言うような「マオは昔の事で、今はシリコンヴァレー」の標語ならず、シナ人がこぼす「シナはまだ貧しくしくとも既に先進国よりも豊かである」と言う心情を聞き逃してはいけない。これは、中南米のエリート層が言うモットーと変わらない。つまり、一見消費社会の欲望がシナを今後も牽引するかのようにも見えるが、少なくとも日本やもしくはドイツとはその事情は異なるに違いない。つまり最終的に一国中華共産主義が 未 完 成 する可能性もありえるかもしれない。

もちろん、そこでは大都市の大気汚染も地方の砂漠化も科学将軍にとっては、つまり近代シナにとっては、関係無いと言う無頓着なことを耳にする一方、ドイツ中国共同科学センターでは新型風力発電開発のプロジェクトが大掛かりに進んでいる。

同紙面にその推測に並行するかのように、シナ人の肥満化の話題に触れていて、シナ人研究者が英医学誌で発表した「メタボリック・シンドローム」に、人民の19%が病んでいると言うのである。

そのように考えると五年で五倍に膨れ上がったシナ人による有名科学誌での投稿数は、今後どのような経過で推移して行くかは解らない。技術開発部門における報酬と研究活動は間違いなく何れシナが中心となって世界が回っていく事は間違いない。

すると、ドイツのような古の科学先進国は、研究員と教授の増員を昨年度アピールした様に、精神科学部門を強化して、来る基礎科学と科学理論分野の継承に弾みを付ける必要がある。

さもなければ、先日三人の中国人とフランス人によってお披露目された二頭の中華竜の化石のようなシナの自然科学者の暴走を抑える事が出来なくなる。それは、一つの頭はニタニタ顔の、もう一つは真面目な顔つきのシナの学者の顔なのである。シナ人学者の一般教養を知るものはその怪物の正体が判るだろう。



参照:
FAZ, Joahim Müller-Jung vom 27.12.2006
現況証拠をつき付ける [ マスメディア批評 ] / 2006-12-17
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中世を飲食するレシピー

2007-01-06 | マスメディア批評
未読の新聞書評記事を扱おうかと机の上に置いておいた。偶々、mosel2002さんのBLOG「モーゼルだより」で書籍の紹介を読んでコメントしてから、再びその古新聞を覗くと、まさにその書籍であった。記事についている中世の食事風景の絵画を面白いと思ってゆっくり読もうと思っていたのだ。

評されている書籍は「中世の飲食」と云うタイトルでゲッティンゲンの中世学教授エルンスト・シューベルトの遺作だそうだ。書評は大変厳しい。数年前に出された、同様のものよりは大分読み甲斐があるとしながらも、その前書の歴史学的考察の潜在力自体が、あるものからは全く相手にせず、他のものを失望させただけであると扱下ろしている。

中世最期の二世紀にロマンや郷愁を感じる読者層に向けて書かれているものの、中世のレシピーなどを探すのはお門違いで、そこでの健康食としての期待をシューベルトは簡単に否定しているとそっけない。そしてこの権威者は、再三に渡って「食糧難」と繰り返して、その粗末さと生存競争の過酷さを強調しているという。

シューベルトの親近感は、その時代を「過酷な日常」にあると特徴付けるからこそ、その目は庶民へと向けられていて、そこで示される作者の同情を以って、現代から中世の食事事情へと思いを捧げる事になるのである。

「60年代のヴュルツブルクで、学生時代に食べた廉く屈辱の腎臓を思い出すな。今日でも何処でか、まだあんなものが出されることだろうか?」

そして、あの調理の難しい中世では決して粗末にされなかった豚の頭は、70年代から消えてしまった。だからシューベルトにとっては、食に困らない高僧がアラブ人から学んだ蒸留技術などはあまり重要ではなく、そこに日常生活を見つけることは困難なのである。

多分、この論拠は、教会や大学の権限や古代ローマ法の処方箋を、甚大な恩恵として、またその基礎としているのだろう。しかし、この書においては、公会議に表れるような学術的文化ではない中世の社会史が現在のEUの基礎として築かれているという。

そこで、欧州のユダヤ人やモスリムどころかビザンチンや東スラヴ人を無視した、偏った作者の姿勢は厳しく糾弾される。少なからず二十世紀冒頭の資料に頼って細部へと鼻を突っ込んだ研究は、結局専門分野とはならない物知り学と気質の歴史を融合していて、日常の歴史すなわち多数派の貧しい者たちの日常の歴史と云うことになる。

これは即ち、栄養学的歴史は共同体の歴史でありえるのかという大疑問を生じさせるのである。アリストテレスのいうように社会的な生き物が人間であるという前提からすれば、シューベルトの「共同体を厳密に定義してから、その食生活が共同体を近世へと導く」とするテーゼは、その共同体の定義からしてほとんど成立不能となる。

シューベルトは、自ら用いた「共同体史としての食の歴史研究」の公式から、一つ一つの食糧事情を調査する事になる。そして、中世後期になって食糧事情は改善されたとシューベルトは信じ、特に豆の成果とハンガリーの牛の売買を交通事情で決定付けたとする。その時の専門家の知識への恍惚と庶民の業績は、シューベルトのいうように欧州の歴史のなかで最も進歩した時代なのだろうかと訝る。

この中世後期の市史学の専門家であるシューベルトは、中世前期には修道所が施しをしていた事など全く知らなかったのだろうか?と徹底して責める。

残念ながら、この書評からシューベルト教授の些か頭の遅れた学術的な方法の問題点は知れても、それへの対処策は書評読者の方が思いを巡らすしかない。僭越ながらコメントすれば、料理の世界においてローマのレシピー(もちろん上流階級向き)も容易に入手出来て尚且つ様々なものが存在する中で、現在も受け継がれている内臓料理などを屈辱的に嫌悪するのは解らない。一体、そのような態度でこうした研究が出来るものか非常に不可思議に思う。本来は足を棒にしてフィールドワークしなければいけない研究を教授椅子に腰掛けてしていたのだろうか。足も些か鈍かったのかも知れない。

遺作に対して大変厳しい批評をするものだと思いながら、尚且つあまり高度な書籍批評ではないが、お弟子さんや関係者にとってはこうして新聞に紹介されるだけで喜ばなければいけないのだろう。しかし、これを読む一般の読者は、なかなかその腎臓の肉のように食指が湧かないであろう。
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発熱する冬のサラダ菜

2007-01-05 | 料理
フェルトサラタ(学名:Valerianella)である。最も愛されている野菜かもしれない。特に冬季でも新鮮な緑のものが食せるのは喜びである。好き好きにソースを作って合えればよい。元来生野菜の少ないドイツなどでは、今でも貴重な冬緑葉野菜である。

在外の駐在のドイツ人にとっては、無いと寂しいかも知れない。そうした海外在住経験のある者に訊ねると、何処そこにはあったとか無かったとかかなり情報はまちまちである。

このサラダを冷蔵庫から出して、水に触れさすと急に熱を出して、水の温度がみるみる上がる。測定した訳ではないが、こうした経験は他の緑葉野菜でもあるが、これほどはなはだしいものは少ないように思う。

温度を上げる要素は、体内に保持していた水蒸気成分が一挙に液体化するときの凝縮熱と思われるが違うのだろうか?
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エロ化した愛の衝動

2007-01-04 | マスメディア批評
問題のキルヒナーの「ベルリンの街頭」(34M$)よりも遥かに高額でピカソの絵が競り落とされているのを知って、その絵の厚かましいばかりのエロスに、その高額の理由を認めた。

そして何よりも、資本主義のエロスこそが話題である。それを伝えるのは嘗てのハイデルベルクのスター新約聖書学者クラウス・ベルガー博士の12月27日付けのFAZの記事である。そこでは、同紙で既に紹介された社会学者ミヒャエル・ツェラー博士の「シトー会における、自己消費を越えてしまった過剰生産作業が初期資本主義へと繋がった」とする説が検証される。

もちろんこれは有名なマックス・ヴェーバーの「新教カルバン派が資本主義を形成した」とする見解を批判的に扱っている。そうすると、ヴェーバーが再三に渡って繰り返している「宗教的禁欲」が、真っ向から否定されることになる。

シトー会をチャルタ・カリタティスから見て行くと、彼ら白装束の修道者には職人作業が義務付けられていて、ベネディクト会から分裂後、それが核細胞となっている。本来はその労働から、クルニー修道所で成し遂げられたような繁栄は不可能であったのだが、そこには、ただ単に「パラダイスから追いやられたアダムの末裔」としてではなく、世界を救済する道、すなわち「働くものは創造主を褒めたたえる」とする思想的背景があったものとする。

この修道会には二つの精神的支柱があったと云う。

その一つは、人の弱さを解析して行く瞑想と祈りに見られる、奈落や亡霊や自らへの口実や偽りへの厳しい目であった。「信ずるより審査しろ」と、計画はその結果と比べられて詳しく分析されるのであった。現在の能力開発運動の合理主義の様ではあるまいか。

つまり計画段階において鉱石や木材の資源に目を付けて、恵みと称される水力や風力を合理的に使う業を完璧に身に付けてかつ、森や山の資源を最大限に有効利用して行く。こうした資源の恵みを真剣に扱っていくのは深い宗教心でしかない事は理解できる。そしてそこで収穫されたものは、大都市の作業場を手始めに市場を形成して行く。もちろん修道会員や修道女には、特別価格で供給される。

二つ目に、その経済衝動を維持する事となる宗教のエロ化が挙がる。シトー会の「賛歌」へのコメントやマクデブルクのヘルフタの書きものからこれが知れるという。全身全霊による帰依は、宗教をエロ化して行き、現代で云う「愛」に至る。それは、シトー会をベネディクト会に対照させて、そこでは聖アウグスツヌスの神学の本質は経済性へと向かう。

しかし、シトー会の聖ベルナルドが「労働は貧しいものの額に汗するものではない」と云うように、精巧な日時計による時間の配分、下水道やワイン作りの技術、フェルトのスリッパの発明はただの合理的精神の賜物ではなくて、創造物への愛であり、また技術的経験への慈愛であり、そうした営みが「投資、資源、計画、利潤、会計」システムへの、つまり資本主義への源動力となっていったものとされる。

これは、おそらくヴェーバーが知らなかったであろうシトー会に関してではなく、そこでは仕事の虫とされるイエズス会への、またカルヴァン派への「禁欲」の見解を否定するものである。現に妻帯しないことは、「禁欲」でなくまさに「エロス」であるからとする。

その意味は全霊全身への神への愛と考えると直感的に解るであろうが、「コリントの手紙」のパウルスの言葉を根拠とする事が出来る。其処ではそれを、 神 の み に捧げるのは当然なのである。同様に絶食の合間にはベネディクト会においてもヘミナと呼ばれる酒が毎日振る舞われる。しかしカルヴァン派にとっては、断食や禁欲を強調するには、カトリックにおける仕事の精妙さは恐れ多いものとして映ったに違いないとする。

ヴェーバーが云うようなありとあらゆる専門的な知識や技術は、ここでは純粋で 分 散 し な い 愛の賜物であって、そうした熱狂がベネディクト会を越えたシトー会であったとする。またイエズス会へのヴェーバーの見解に戻れば、合理化された「消費の節約」は精神世界での禁欲であるのだが、ただそうしたイエズス会においてのみ俗世への反作用を重視するのがヴェーバーの説である。

つまり世俗を離れた修道会と云う精神世界における禁欲は、二項対立化されて、世俗における消費生活を映し出すことになるのであろう。こうした考え方は、微妙な形でその後のトーマス・マン作品などにも表れており、フランクフルト学派への影響は云うまでもない。

そして現在においても、その脱構造主義のポストモダニズムの見地からの扱うに値しないマックス・ヴァーバー批判などを聞くことがあるが、消費衝動のリビドーをこうした形で示されると、欧州に於ける脱大量消費・脱消費社会への重要な道標となる。

そして何よりも、ここのタイトルのルターの言葉の価値が再確認された事が喜ばしい。ラインガウのエーバーバッハ修道所も嘗てはシトー会が美味いワイン作りに勤しんでいた。

そしてベルガー教授の結論は、「こうした創造主への愛の進化は、キリスト教社会の意匠となっている。しかし、これを以って世俗化を語るつもりはない。十二世紀におけるシトー会の愛の勃興は、予期せぬ愛の創造的衝動への解放として、人類の過激性の発散として理解できる」となっている。



参照:
製品への拘りと愛着 [ 生活 ] / 2006-12-30
近代科学の限界に向合う [ アウトドーア・環境 ] / 2006-05-04
本当に一番大切なもの? [ 文学・思想 ] / 2006-02-04
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2007年の初仕事

2007-01-03 | 生活
初仕事。


「(煙突の)根元はと?」









「樋の高さが違うので、下り気味が要注意だ」









「頼みますよ!」









「瓦上げたよ」









「ちと、風が強いや」
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漲るリビドー感覚

2007-01-02 | 数学・自然科学
承前)明けぬのは、何か?それは、真剣な問題である。

主人公レーファークーンの家庭は、ザクセンの田舎者かシュマルカーディッシュの家系とされる。それが意味するものは、ルターの旗本と考えても良いかもしれない。その生き方は、ルターの記した1537年の文章が基本となっている。その内容は改めて扱うべきだろう。

さて、主人公の父親は、雪の夜など豚の革張りの聖書に挟まれたダヴィット・フォン・シュウァイニッツの格言を読み、自然科学の「研究」を趣味とする。そして、子供や妻を背に腰掛けて海洋動物などの図鑑の色刷りの絵に没頭しつつ、時折その不思議さを子供たちに説明するのである。

蝶などが保護色でもなく警告色をも強調していないのはなぜか?そして四角い大きな天眼鏡を子供たちに渡して、観察させるのである。そしてその自然の妙に父親は、創造主を感じて、貝殻の不思議から人間の骨格によって守られるものに考えが及ぶ。

そして子供たちに語りかける。「君達の肘とか肋とかを触ってみると、その 中 に 肉とか筋肉とかを支える骨格があるよね。それを君達は抱えているのだね。云うなれば、それが君達を抱き支えているのだ。」

そして「それがだね。この生き物はだ、その頑強さを外へと出して、それを骨格としてではなく住処としている。それは外身であって中身でないのだ。それが彼らの美しさなのだ。」と続ける。

子供たちは、この父親のミスティックなもしくは予感に満ちた半ミスティックな思索と洞察に笑いを堪える。実際に中世の媚薬や麻薬は貝殻に入れられて、舎利に纏わる神器はこうした貝殻で出来ている事を語り、錬金術や魔女の厨房も晩餐をも並列して、恩恵や美、毒や魔術、妖術や神技を二項化していく。

物理数学的なカオス・フラクタルの解析や 発 見 もただの構造化された自らの言葉による表現でしかないと悟っている。不思議な文字を発見して暗号を解読しようとして、土柱を研究して、水滴を弄るアドリアンの父親をみて、子供ながら語り手は、それが解った述懐する。

語り手は更に、「宗教改革と云うものは我々の自由な思索へと、スコラ哲学を橋渡ししたのとぐらい同じぐらいに、教会分裂までへと深く溯り、忌々しい教育への情熱をも橋渡ししたのである」と論ずる。

さて、それではややもするとミスティックな観想とそれを導く観察がなぜにまたこのようにエロスに満ち溢れているのか?

それは、あたかも焼き鳥の足に肉がついて、しゃぶりついてもそこがこそげない苛立ちなのである。幾ら求めても見えない創造主。飽くなき自然科学の探求への欲望。ユング流に云えば、リビドーなるもの全ては肉欲と変わらないのである。(終わり)
コメント (5)
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