Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

雪山をナメてませんか!?

2007-01-24 | SNS・BLOG研究
本日は初めて冷えた。乾燥しているからか、霜は下りていない。早朝の床屋でも、温暖化の話と米国の変化、アルプスの対応が話題となった。

そして新聞を見ると、アルペンスキー界で最も権威のあるハーネンカムの滑降レースが雪不足で中止となり、なんとか町のイメージを守るためにスラロームの試合をするべく、最高峰グロースグロックナーの雪をヘリ運搬してピステを作ったらしい。

シュラドミンゴのスキー場などはミリオンユーロをかけてトラックでも大輸送作戦を履行して、スキーリフトを動かしていると言う。一部には、そうした活動自体が温暖化を招くとの批判があるが、アルプスの小国の国民総生産の30%をツーリズムで賄う実状から止むを得ないだろう。因みにオーストリアでは、氷点以上での「バクテリアを使った人口降雪」は禁止されている。

しかし、誰もが本年だけの事と願っているが、こうした暖冬が100年という単位の中でなく、来年も繰り返されれば、その経済的被害は食い止めようがない。保険や国家補償も検討されるが、そうなれば原因を改めようとしない外国政府に民事賠償請求をしていく事も可能なのではないだろうか?

我が地方では初雪はこれからであるが、雪山の話題として、「(日本の)冬山登山は、他の季節よりも安全である」と言う逆転の発想をした主張がBLOGで話題となっていた。その正論は引用のみを知るのみで、因ってその吃驚内容は判らないが、それに対する反論は「登山の安全広報として、不適切で大変具合の悪い危険な意見である」との旨の批判であった。

しかし、この反論をされている方の登山経験や判断力はそのBLOG記事から承知しており、概ね次のような趣旨をコメントした。

「(吃驚正論の)筆者は、余程驚くべき滑落停止技術と類稀な天候判断力をお持ちのようだが、このように傲慢な 登 山 家 が珍しく存在するものだ」

そしてその後、その 正 論 を述べたジャーナリスト兼小説家兼登山家兼ランナーと称する論者が、自らに不都合な無断引用を理由に、『日本文藝家協会』の著作権保護を圧力としてその反論記事の削除を求めた。その該当記事は。コメント共に削除された。

未知の登山家の意見など本当はどうでも良いのだが、問題はジャーナリストと名乗る限りは論を尽すべきではなかったかと言う大疑問である。少なくとも引用に誤りがあれば自己の立場を明白にすべきであった。公開されている自らの記事への批判に対して、著作権を圧力に反撃を加えるのは物書きとして恥ずべき行為である。引用の無い文藝など記号論からすると存在しない様である。

その削除された記事が正当な反論であったからこそ、こうした議論抜きの削除依頼はネットにおける自由な言論を侵すものとしてここに強く警告したい。ナメてはいけない。

インターネットの商業的利用は、こうした一方的な情報発信行為を助長させる。卑しくもBLOGなりで何かを発信する者は、こうした圧力に敏感でなければいけない。同じ理由から、コメントやトラックバックを受け付けない一方的な情報発信BLOGは出来る限り相手にしない方が良い。これは、ネットの匿名性よりも問題とすべきかもしれない。

公にもの言うことは、それが匿名であろうが通称名であろうが、責任を伴う。だから、誤りを修正する事は、正しさらしきを主張するよりも大切である。そうした批判を受けつけない、もしくは責任をとらない、誤りを認めない、3四半世紀間マスメディアを牛耳、一方的に情報を発信し続けるジャーナリズムに、そもそも存在理由などあるのだろうか?

上の件は事情が充分に分かっている訳ではない、しかし一方的に情報を発信するメディアは情報の高位に立つ訳で、大いに批判されるべき権力である。


追伸:キャッシュで問題の反論とコメントを全文を再読して、未読の本論をも参照する。それを読むと、完璧な雪上技術指導を予定していたようだが、雪不足で富士山頂上を目指し突風のため断念とある。生憎、お得意の天気予報が外れたようだ。避けれると豪語する雪崩のルートも外れないでと願わずにはいられない。そして、我々の様に雪壁に少々覚えがある者には、これは、「冬の富士山などは優れたシュタイクアイゼン技術と信頼出来る滑落停止技術があれば突風など恐れるに足らない」と十分に思わせてくれる。いつか、そこでスキー滑降を楽しみたいと思っている。
コメント
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