Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

中世を飲食するレシピー

2007-01-06 | マスメディア批評
未読の新聞書評記事を扱おうかと机の上に置いておいた。偶々、mosel2002さんのBLOG「モーゼルだより」で書籍の紹介を読んでコメントしてから、再びその古新聞を覗くと、まさにその書籍であった。記事についている中世の食事風景の絵画を面白いと思ってゆっくり読もうと思っていたのだ。

評されている書籍は「中世の飲食」と云うタイトルでゲッティンゲンの中世学教授エルンスト・シューベルトの遺作だそうだ。書評は大変厳しい。数年前に出された、同様のものよりは大分読み甲斐があるとしながらも、その前書の歴史学的考察の潜在力自体が、あるものからは全く相手にせず、他のものを失望させただけであると扱下ろしている。

中世最期の二世紀にロマンや郷愁を感じる読者層に向けて書かれているものの、中世のレシピーなどを探すのはお門違いで、そこでの健康食としての期待をシューベルトは簡単に否定しているとそっけない。そしてこの権威者は、再三に渡って「食糧難」と繰り返して、その粗末さと生存競争の過酷さを強調しているという。

シューベルトの親近感は、その時代を「過酷な日常」にあると特徴付けるからこそ、その目は庶民へと向けられていて、そこで示される作者の同情を以って、現代から中世の食事事情へと思いを捧げる事になるのである。

「60年代のヴュルツブルクで、学生時代に食べた廉く屈辱の腎臓を思い出すな。今日でも何処でか、まだあんなものが出されることだろうか?」

そして、あの調理の難しい中世では決して粗末にされなかった豚の頭は、70年代から消えてしまった。だからシューベルトにとっては、食に困らない高僧がアラブ人から学んだ蒸留技術などはあまり重要ではなく、そこに日常生活を見つけることは困難なのである。

多分、この論拠は、教会や大学の権限や古代ローマ法の処方箋を、甚大な恩恵として、またその基礎としているのだろう。しかし、この書においては、公会議に表れるような学術的文化ではない中世の社会史が現在のEUの基礎として築かれているという。

そこで、欧州のユダヤ人やモスリムどころかビザンチンや東スラヴ人を無視した、偏った作者の姿勢は厳しく糾弾される。少なからず二十世紀冒頭の資料に頼って細部へと鼻を突っ込んだ研究は、結局専門分野とはならない物知り学と気質の歴史を融合していて、日常の歴史すなわち多数派の貧しい者たちの日常の歴史と云うことになる。

これは即ち、栄養学的歴史は共同体の歴史でありえるのかという大疑問を生じさせるのである。アリストテレスのいうように社会的な生き物が人間であるという前提からすれば、シューベルトの「共同体を厳密に定義してから、その食生活が共同体を近世へと導く」とするテーゼは、その共同体の定義からしてほとんど成立不能となる。

シューベルトは、自ら用いた「共同体史としての食の歴史研究」の公式から、一つ一つの食糧事情を調査する事になる。そして、中世後期になって食糧事情は改善されたとシューベルトは信じ、特に豆の成果とハンガリーの牛の売買を交通事情で決定付けたとする。その時の専門家の知識への恍惚と庶民の業績は、シューベルトのいうように欧州の歴史のなかで最も進歩した時代なのだろうかと訝る。

この中世後期の市史学の専門家であるシューベルトは、中世前期には修道所が施しをしていた事など全く知らなかったのだろうか?と徹底して責める。

残念ながら、この書評からシューベルト教授の些か頭の遅れた学術的な方法の問題点は知れても、それへの対処策は書評読者の方が思いを巡らすしかない。僭越ながらコメントすれば、料理の世界においてローマのレシピー(もちろん上流階級向き)も容易に入手出来て尚且つ様々なものが存在する中で、現在も受け継がれている内臓料理などを屈辱的に嫌悪するのは解らない。一体、そのような態度でこうした研究が出来るものか非常に不可思議に思う。本来は足を棒にしてフィールドワークしなければいけない研究を教授椅子に腰掛けてしていたのだろうか。足も些か鈍かったのかも知れない。

遺作に対して大変厳しい批評をするものだと思いながら、尚且つあまり高度な書籍批評ではないが、お弟子さんや関係者にとってはこうして新聞に紹介されるだけで喜ばなければいけないのだろう。しかし、これを読む一般の読者は、なかなかその腎臓の肉のように食指が湧かないであろう。

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6 コメント

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中世の飲食 (mosel2002)
2007-01-06 20:00:39
pfaelzerweinさん、こんにちは。
シューベルトの書評、FAZでしょうか?今度目を通してみたいと思います。お手数ですが、日付を教えて頂けると助かります。

個人的には、シューベルトのこの著作は秀逸な部類に入ると思います。中世史家として関心領域は限定され、問題設定の出発点もこれまでの中世史学会の成果に置かれていますし、それはとくに飢饉の歴史的意味を、食文化の章でまっさきにとりあげている点にも伺えます。

中世の食文化に関する代表的な研究は、主に20世紀初頭に発表されており、シューベルトがそれを指摘し利用するのは当然ですが、同時にDirlmeierやFoquetといった70年代後半以降の研究成果も利用しつつ、自らの体験と史料研究に照らして批判的に検証しており、従来の研究成果の紹介のみに終始していない点で、僕にとっては非常に面白い著作でした。

貧民救済に関しても、後半のTrinkenの章で死者の記念ミサにからめてとりあげていたと思いますし、彼は中世後期における喜捨をテーマにした論文も書いています(Gestalt und Gestaltwandel des Almosens im Mittelalter, in: FS Alfred Wendehorst Bd. 1)。

内蔵料理の件については、ともすると美化され興味本位でとりあげられる傾向への批判としてとりあげたのではと思います。大衆向けに美化され中世祭りで示される幻想と、史料から読みとる実像との落差を、一般読者も想定して書かれた本書では、ことさら明確に指摘する必要を感じていたのではと思います。また、現在の内蔵料理-伝統的と言いつつも、冷却施設と衛生管理の整った環境で、香辛料と化学調味料を利用して高度に洗練されたもの-と、中世の内蔵料理とを同一視することは出来ないと思われますが、如何でしょうか。
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方法論に興味 (pfaelzerwein)
2007-01-07 02:04:55
mosel2002さん、態々ご足労有難うございます。少々挑発勝ちの要約ですが、我々門外漢はその論評される方法論に興味があります。その興味から読み直して一部加筆訂正しました。細部は、本記事をご覧下さい。

Neue Sachbücher von Michael Borgolte vom 13.November 2006, FAZ.

「中世祭り」の意味が解らなかったのですが、大体解りました。その「落差」に言及すると、初めからこの箇所が気になりました。もちろん、ザウワーニーレンファンとして、故シューベルト教授の味覚にとやかく言うつもりもはありませんでしたが、良く考えるとここに、興味があり問題の本質があるように直感したからです。

ここ少々の年数をおいての料理の比較で、ご指摘の要因は寧ろ味を悪くしていると考えます。つまり現在でも出来れば野生を堵殺して、自らが化学調味料を使わずに料理した方が遥かに美味いのです。実際そういう試みは多くあります。豚においても今でも東欧の方が美味いと言います。それからすると中世の方が遥かに美味だったでしょう。それが庶民のもので無かったのは当然でしょうが。

そこで、本文を読んでいないので解りませんが、やはりこうした「体験の実例と現象」を挙げるのが全く理解出来ないのです。

食文化に全くの断絶が存在するならば、果たして食文化史などの存在理由があるのか?故意に共同体を定義して、民俗学的なフィールドワークを採らずに良いのだろうかという疑問です。

そして変化と断絶を暗示する前世紀の現象とを比べながら、五世紀前の現象を追えるのだろうかと。寧ろ、ますます冷凍食品と化学調味料付けで味の落ちた「中世祭り」やインビスの方が中世への貴重な学術資料ではないかと考えてしまいます。

中世の社会を当時の堅牢な上からの学術資料だけでは、片手落ちとなるのでしょうが、それは同様にこの書評の纏めです。

つまり、「日常の歴史などはただただ全体の歴史を覗きながら研究されるべきでそのように提示されるべきだと、この遺作は研究者に語っている」とあります。

まあ、何れにせよ、どんなに文献が揃っていても、今日の動く視点からまた動く今日を覗きこむ以外に方法はないのではないしょうが。
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食の歴史と共同体 (mosel2002)
2007-01-07 07:46:30
pfaelzerweinさん、こんばんは。
書評の出典をありがとうございました。来週早々に読んでみます。

共同体史として食の歴史を把握する試みは、元を辿るとヴェーバーのWirtschaft und Gesellschaftに至ります。彼はとりわけ中世のギルドやツンフト、兄弟団といった様々な共同体において、集いつつ食べ、そして飲むという行為が、その成立に決定的な重要性を持っていたとし、その背景に中世の不安定な危険に満ちた生活であることを指摘します。その中で、安定したよりどころが共同体であることを、参加者は食卓を共にすることで再確認しあっており、共食はいわば共同体のシンボルであり核とも言えるものであった、としています(Weber, WuW, 5.Aufl., S. 265)。シューベルトの著作の視点もまた、そこが起点になっているように思われますし、そこからいかなる共同体をとりあげるのかを明確化する必要が出てきます。

フィールドワークとして中世の料理書を読み解きながら実地に再現するのも面白そうですが、そこで検証されるのは現代を生きる我々から見た姿になります。それは、文献に記述された中世を生きた人々の視点ではもはやないと言う点を、ことさら意識する必要がありそうです。
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中世の生活を引き摺る (pfaelzerwein)
2007-01-07 16:51:20
早速DLしてざっと目を通しました。なるほど「晩餐」に触れていますね。この文章は先のシトー会の話題でベルガー教授が取り上げていましたが、読んでいませんでしたので、参考になりました。中国関連の記事にも使えそうで面白いです。

逆に持論を進めると、こうした風習は現在でもシュタムティッシュなどとして残っていたり、地方の名物もしくは食生活として残っているわけです。そして、その中で近世のものは根元が比較的掴めて、それ以外のものは中世に溯る事が出来ると考えます。

大都市と違って流入の限られる古い町は中世の生活を引き摺っています。

なぜならば、町・教会の歴史は千年を越える場所も多く、その町毎の食文化が違うと言うのは無視出来ないでしょう。どうでしょうか?

もう一つ個人的に興味を持ったのが一部信徒の役割です。
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中世の虚像と現実 (mosel2002)
2007-01-09 02:05:09
こんにちは。
FAZの書評を読みました。シューベルトの腎臓料理に対する見解ですが、むしろそれに郷愁を持っているように読めますが、いかがでしょうか?
「60年代初頭にヴュルツブルグでの学生時代、ビール居酒屋ゲーリングで食した安くておいしくて酸っぱい腎臓を思い出すことをお許しいただきたい。今日ではどこへ行ったら食べられるだろうか?」
彼が言いたいのは、中世祭りで食される“肉料理”-おそらくは豚を串刺しした丸焼きの類-よりも、学生時代に食べた腎臓料理のほうが、よほど中世の食卓に近い、という趣旨のようにも思われます。それが、食材流通の合理化で70年代以降すっかり姿を消してしまった。その状況の中で安易に「中世」風として供されつつも、実は虚像もしくはその一側面しか反映されていない祭りの肉料理を、それが中世だとまるのみにするのは危険だと指摘しようとしているようです。誤読でしたらご指摘いただければ幸いです。図書館に返却してしまったので、前後の文脈から確かな意図を把握できないのが残念です。
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「最高の調味料は空腹なり」 (pfaelzerwein)
2007-01-09 08:49:27
早速、改めて読み直してみました。本題はもちろん、「教授が美味いと思ったか不味いと思ったか」ではないので、要点をこの書評に読み取りたいと思います。

ご指摘のようにこの記事の前節にある、「塩が無ければ同様に強い調味料を使わなければいけなかった」という指摘が、この内臓肉にも係わってきます。

つまり、前提は「内臓肉や頭は貧しいものが食するもの」で、教授の豊富な経験 ― なぜだかは知りませんが ― に従えば、「腹が減れば何でも美味い」と言う大定理に導かれます。

最近二十年の食生活の環境変化(新聞にはその根拠は触れられていない)を、そうした主観的同情を軸に、「中世の貧しい者達」の食生活と共に展開して、本末転倒している迂闊さが批判されます。

他の「欧州の食生活」の資料を読むと、自然条件やその他の社会条件を除ければ、調味料も魚も豊富にあり、特に13世紀以降の変化は、多くの手書きの資料から良く知られており、流通に伴う質から量への流れの中で、16世紀には絵画等でも馴染みの「飽食」を迎えています。これを、庶民の「生活苦」よりも150日を越える絶食期間を含む「禁欲」に重ねる方が遥かに我々には解り易い。

また、正確なカロリー・ヴィタミン計算以外は、腐った肉や寄生虫やその処理その裏流通も良く知られており、映画等でも馴染みのあるもので、ことさら庶民の労苦が強調されているのが解り難いです。

つまり、封建制度の中で、それも町中の「多数派の庶民」に脚光を浴びせるのは、現代のハンバーガー肥満で死亡したり、腸詰を中心に毎日肉食をしている社会層に脚光を浴びせるのとどれほどの違いがあるのでしょう?

それが食生活変化からするとこの二十年でも断絶していると告白している訳ですから、これは歴史を見る場合、辻褄が合わない?

また、ことさら強調した中世後期の庶民の食生活変化から何かを導くことなど本当に可能なのか、さらに評されるように、庶民の食生活に歴史を無理やり合わせる事が許されるのか?となります。

こうして読み返しますと、当初は解らなかった、書評批判の矛先も大分見えて来るようです。しかし、私はどうも未だに中世祭りやらの実体が分かっていないようです。
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