Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

気障ですが普段着感覚で

2025-04-11 | 生活
散髪して、シャツも回収した。洗濯屋は5月20日迄休みで、エーゲ海の島暮らしらしい。床屋で隣で話していた完全地元っち方言のホゲホゲ爺さんも週末はトスカーナで休暇らしい。聞いてやろうかと思った、何語があそこで通じるのかと。トスカーナはドイツ系なので独逸語は結構通じると聞いている。然しあの言葉では流石に、この地方にワイン地所に出稼ぎに来ていたイタリア人にしか通じないであろう。流石に永く住んでいるので話すことが分からないことはなくなったが、あれだけ髪結いのやり手婆とこてこてに話されると、強調される発音以外のところが分からなくなる。要するに全体のフレージングが暈ける時がある。それぐらい酷かったからだが、流石に角が立つと思ったので自制した。標準語が出来ない人が外国語を堪能にという事はあまり知らない。そういう人の方言の強調は書き言葉話者の関西人が関西弁を強調するような使い方になるのでその差異がよく分かるのと同じだ。

散髪は何故か洗髪から入らなかったので尋ねてみた。ウェットと何が違うのだと。すると乾かさないといけないのでバリカンに挟まりやすいという事だった。だからやりやすさは変わらないのだと。それならコロナ以前は一度も洗髪しなかったので、最後にするという時にどうせシャワーを浴びるから要らないと断った。然し料金は同じだったので余りコインの通りチップを1ユーロ下げて21ユーロ払った。今後はまた考えればよい。小銭が全然なくなっていたから洗濯屋で釣銭を貰うと、4月1日から30セント上がって、2ユーロ50になっていた。出す量が少ないのでそれで構わない。それよりも止めずに長く続けて欲しいと思うのはパン屋と同じである。

これで再開までのその間に復活祭週間からアムステルダムまでお出かけが八回あって、洗濯を出しても6月まで戻って来ないので、全行程10回分ぐらいを二着で回せるかどうかの検討となる。上手に汚さなければなんとかなるだろうか。服装は復活祭以降は変わりそうなので、衣装の計画も考えておかないと都合がつかなくなる。

先日同時にアマゾンで購入したのは普段着に下しているシャツのカウス代わりに使うマンシェッテ留めで、中華製の絹で8ユーロとなっている。素材も悪くなさそうで、英国でしか購入したことがなかったので、この価格なら普段着にも使えると思って試してみた — この写真のすり減ったシャツの柄は安売りだったお馴染みチャールズ皇太子モデル。以前使っていたメタルのカウスは折れたりして、やはり普段には無理だと分かったからだ。出来るだけ身近で安く購入可能なものを探しておかないと都合が悪くなる。シャツも古い他所行きを下ろしていくのでシーズンごとに替えるようなことになる。それ以外の安物シャツやセーターも破れて来た。適当な時期に物色しておかないと次の冬を越せない。その破れを防止する作業白衣の肘も破れて来た。

車を出した序に醸造所のヴィノテークに顔を出した。久しぶりだが、丁度4月に瓶詰めされたもの2023年産が一通り揃っていた。お土産にも使える最もスタンダードなヴィラージュリスリングを試してみた。これはまだ2022年産が残っていて丁度飲み頃になっていた。所謂酸の薄い年度なので大したものにはならないのだが、砂岩の漂白された白い砂地の多い土壌はケイ素も多いのか丁度シャムパーニュのように楽しめる。ワインを嗜む人になら万人にも薦められるリースリングになっている。ヴィラージュとは言っても今や20ユーロを超えるので決して安くはないのだが、その価格でつまらないものが多い中で、食事にでも何にでも楽しめるだけお買い得だ。まずはお試しに三本ほど取ってきたが、これは最終的には買い集めそうな気がする。何本自分で開けてしまうことだろう。



参照:
パッションが試される 2025-04-10 | 雑感
非常事態警報の鳴らし方 2025-03-27 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パッションが試される

2025-04-10 | 雑感
床屋に出かけるために現金を下ろした。眼鏡店に車を停めて銀行まで歩けばいいのに気が付いた。6月で二年目を迎えるのでその前にどうしても調整しておきたかった。5月に旅行もあって、不都合が出るなら早めに出しておきたかった。水洗も機械でしてくれるので問題があれば分かりやすい。流石に耳掛けの部分は経年変化がみられる。レンズ自体は全く問題がない筈で、固いものを落とさない限り大丈夫である。前回のものもそれ一回だけで、落としたり擦ったりで傷つけることもなかった。あり得るのは前から何かを振り回されて当るとか、殴られて吹っ飛ぶかぐらいだが、幸いなことにそういうことはなかった。

当該の駐車場に停めるのに暫く待った。一台目の取られたが二台目が出るのを待って停めた。嬉しいことに左右もあって、柱の横に停めたのでドアなどを当てられる危険性皆無で、余分に10セント足して30セントで15分駐車できたので、100m程離れた郵便局の自動引き下ろし機でゆっくりと時間を掛けて現金を落とした。これでバーデンバーデンの祝祭大劇場の5回分の駐車料金と二種類のプログラム払えるだろう。

その前に眼鏡店に出かけたのだが、現在掛け心地に問題がなければ弄らないでおきましょうとなった。やはり枠がティタンなので修正もし難いのだろう。それは使っていてもあまりガタつかない良さにもなっている。なるほど鼻当ての感じなどで、「滑ることもあったけどね」とは話しておいた。然しこれで突然レンズが落下してとなっても、保証期間内でなんとかして貰えるだろう。高額な眼鏡だったのでとても気を使っていたが漸く慣れてきた感がある。壊すのもこれからだと思う。

同様なことは車にも当て嵌まって、現在走行距離が漸く2500kmを越えて、総合燃費も100km7.1リットルとリッター12.98kmと徐々に伸びて来た。平均6.1則ち16.3km迄は伸びる筈だ。現在考えているのはマイモードを設定することで、市街交通はハイブリッドに自動的に入れたりの細やかなプログラミングが可能かどうかである。手動で切り替えるのが面倒になった。

スーパーに駐車するのも徐々にコツを覚えるようになった。隣の車に当てられたくないならば車種だけでなくて、洗車の出来ている車の横に停めるべきだと分かった。そういう車は自分のドアでも当てたくないから注意するものだと認識した。自らが全く考えていなかったので同じように汚れた車の横に停めていたので、当てられ擦られることもあったのだ。

先日スーパーでパッションフルーツが特売になっていたので購入した。自分で食するのは初めてで切り方などはネットで調べた。結局その程度の熟し方ではまた甘さがなかったが、味も食し方も分かった。一番身近なのはダルマイヤーの水菓子である。次回ミュンヘンまで車を走らせる予定で決まっているのはドレスデンからの帰路に立ち寄る12月である。その前もありそうなのだが、よく分からない。

ミュンヘンの劇場も音楽監督の頂点を過ぎてしまったようで、支配人と共に後任人事が笹かれるようになると厳しい。つまない作品を紹介しようとしたのが信頼感を失う最大の要因だったのではないか。もう少し音楽劇場にも認識のある指揮者だと思っていたが、口ほどではない音楽家だという印象が強い。とても残念である。此の侭では前々任者のケントと変わらないことになる。



参照:
少ない摩擦のその素養 2023-06-15 | 雑感
体調優れないと駄目 2025-04-06 | テクニック
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中劇場での音響と視界

2025-04-09 | 文化一般
12月のゼムパーオパーの入場券を購入した。そこのネット予約をするのは初めてだったので、準備をして場所などの検討も付けておいた。よく知っているところは音響も視界も分かっているので、どこを狙えばよいか分かっている。然し、知らない所であると写真とか既存の売れ所の席などを注目しておく。今回は写真よりも先の360度写真に頼った。最後に通常の写真で確認した。音響に関してはそれ程外すことはない。劇場の大きさも1300席ぐらいの中劇場に近い、音響はそんなに変わらない。

今回はティテュス・エンゲルのゼムパーオパーデビューなのでなによりも名門シュターツカペレドレスデンとの仕事ぶりを注視したかった。勿論新制作なので舞台との調和の確認も欠かせない。先の新聞記事にあったように「制作を形作る指揮」である。目的に合わせた席選びでもあるのだが、小さな劇場では視界の点以外はそれほど変わらないだろう。ということで、舞台への視界関しては二の次にした。見切りがあると勿論安い。安いことを求めた訳ではないのだが、安いと文句を言う人は馬鹿である。個人的には宿の方が高めのアパートメントにしたので倍近く払うのが馬鹿らしいと思うだけだ。

さて初めてのネット買いは、10時始まりの一分前に待合室が開いていて、最初の導入の35秒と待合で100秒ほど並んだか。都合がいいのはその当該公演の夜の予約に直接入れるので、殆ど一番ぐらいで入れた ― 因みにシーズン目玉のシュターツカペレ・ドレスデンのシェフのガッティ指揮の「ファルスタッフ」は王のローゲも空いていたのだが、こちらは売り切れていた。州関連のご招待の対象者が違うのだろう。実はいい席がなければそこでもいいかとも思っていた。

先ずどこがどれだけ出るかは、初日定期とかもあるので気になっていた。「ファルスタッフ」と比較して定期つまり常連さんへの出方は決して悪くなく、いい席はやはり売れていた。その後の出方もそれほど変わらないので、旅行者で買う人よりも、地元の数限られて常連さんが安くていい席を選択しているのはよく分かった。先ず間違いないだろう。但し購入後に気になったのは360度写真の縮尺感がおかしいことで、通常の写真で再確認する必要があった。

ドレスデンの市場はミュンヘンの常連さんの十分の一もいない、フランクフルトの数分の一以下である。要するにそれ程のオペラの土壌がないのも分かる。いずれにしても、演出家のカラマンもエンゲルの先生クルティック指揮のグラーツのハースの作品で成功しているので、今回も支配人が二匹目の泥鰌を狙ったのは間違いない。ミュンヘンのマイスター指揮より立派な演奏をして貰えれば成功する可能性が強い。するとエンゲルが常連で登場することになるので、こちらもその心算でいる。

エンゲル指揮のハース作「ブルートハウス」第三演で一躍スターになったヴェラロッテベッカーがクリンゲンブルク演出初演でのハニンガムの歌唱との比較でも楽しみだが、ここを本拠地とするツェッペンフェルトの歌も楽しみである。小さな箱だから一流歌手にとっては楽々であろう。

早速調べると初演の映像と中継録音は残してあった。ブルーレイ化されているのだが、先ずこれで用足りると思う。楽譜もネットにあるので万全だ。編成も大変大きいので指揮者の腕の見せどころでもあろう。



参照:
ドレスデンでの出逢い 2025-03-22 | 文化一般
神聖な炎に焦がされる 2022-06-20 | 女
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シン植民地主義者の恥

2025-04-08 | 文学・思想
復活祭新制作「蝶々さん」制作に関して読む。ベルリナーフィルハーモニカーのサイトに既に出ていたことだった。一幕をざっと見て、気になることったことがそこにも特にペトレンコの言葉として触れられている。誰でも真面な人なら同じようなことを考えるからだろう。

あり得るべき思考としては、屡特に日本などで話題となる西欧から見た極東やアジアへのオリエンタリズムやこの場合はジャポニズムと呼ばれる東洋趣味としての見解に関するものではない。そうした至近で狭義の扱いの精々日本の人からの着物やその所作に関するような「月指す指を見るバカ」は論外としても、ジャポニズムの本質はどこにあったかということにもなる。それはそのものパリ万博に語られるようなグローバルな見識への広がりや所謂植民地政策とその後の世界戦争へとの歴史的展開の共通認識に終らない。そこの広義な意味がこのプッチーニの作品に読み取れるというものである。

既に記した様に「15歳の少女の人身売買」と語っていたペトレンコの真意がここで分かる。その状況をして作曲家プッチーニが1900年6月にロンドンで出合った原作のべラスコ作の芝居「日本の悲劇」が作曲の動機となり、1904年2月のスカラ座で二幕版初演となる。一幕に既に多くのことが語られていて、特にピンカートンの口から「合衆国に帰る前に、いつでも捨てられる日本の女」とそれに留意する領事のシャープレス。

そのシャープレスの受け身の態度こそに聴衆が曝されることを作曲家が意図したことで、ミラノでは折角のヤンキーの堂々とした男がケチつけられた様になって、成功とはならなかった為に、90分に及ぶ二幕の結末への大きな流れを三幕に別けることで誤魔化したことになる。ペトレンコは、この改訂をプッチーニはその死まで懐疑的に考えていたとしている。

そこで掻き鳴らされる「星条旗よ永遠なれ」への音楽的表現もまさにそれであり、上の場面が如何に重要かが分かる。音楽劇場における表現方法としては勿論どのような視線で聴衆がそれを受け取るかにその成功の可否が掛かっている。創作家プッチーニの表現意図も動機もそこにある。そのペンタゴナルの五音階の使い方やその終結などに関してはじっくりと観察して改めて味わうことになる。

近代芸術音楽の表現意図は啓蒙思想と切っても切り離せないが、そこにおいて劇場で少なくとも件の個所での決定的な視点は、そのもの植民地主義への支配者として歴史を顧みることで生じて、もしこのオペラを今日多大な費用と労力で新制作上演するときに我々が今そこに落とす視線こそが問われている — 「記憶の政治」という言葉に対して意味が重なるようでもあるが「記憶の芸術」と呼べるだろうか。

ピンカートンの口を借りて語られる男尊女卑の「三行半」の日本社会への視線は今でもまだまだ世界中にある「目覚めぬ民族」なるヘーゲル的世界観が根拠とはならない。然しペトレンコが自ら語る様に、「恥も外聞もない、ネオ植民地主義者のエゴイズムで攻撃する力を持つ者が為すことを、理性的な声で見識を示すところで、決して置き換えることが出来ないのが、上のシャープレスがその最後を分かりながら関わっているのと同様」としている。当然のことながらこれはプーティン独裁のロシア批判でもあるが、現在のワシントンとその仲間たちに考えを及ばさせない者はいまい。

先日の新制作「ランヴィジブル」フランクフルト公演の大好評で今年はと思ったのだが、ペトレンコ監督の復活祭はその芸術性でもとても手強い。



参照:
Puccinis »Madama Butterfly« - So klingt ein Aufschrei, Malte Krasting
おっぺけぺピンカートン 2025-04-07 | 文化一般
玄人を教育することから 2025-04-03 | マスメディア批評
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おっぺけぺピンカートン

2025-04-07 | 文化一般
新制作「蝶々さん」の舞台組み立ての映像が出ている。そこについている音合わせの序奏練習風景の写真も出ていた。

可也激しい演奏をしていて暴れている。今迄の初日でもその傾向があって、二回目は大人しく調整して、収録日に合わせるというのがいつものことだ。なるほど交響楽団の個性もあるのだが、若干その傾向はスカラ座での初日にもあった。ミュンヘンではそこは上手に収めて来ていた。

楽譜を初めて落とした。先にやっていたかどうか思い出せない程お勉強不足で、一週間しかない。音楽的には素材は絞られているようだが、途中で複雑になってもう一つ把握できない部分が出て来た。

抑々登場人物がSharpは分かってもButtが誰かと思ったらバタフライだった。Goroが誰かと思ったら女衒の様だ。独語では仲人となっているのでどういう人かと考えたが、15歳の娘がいるところが置屋なので、そう呼ばれるものだろう。叔父さんのヤクシデという名がよく分からない。どういう立場の人かは楽譜を見たぐらいではまだよく分からない。鈴木は女友達って書いてあるが、これも意味不明だ。匕首の下りも武家の父親が切腹を申し付けられての遺品のようなものとは知らなかった。

冗長な運びも感じられるのだが筋と細かな音楽の意味づけがもう一つ分からない。但し最期を暗示しているようなところは効果的になされている感じだ。

手元にはフレーニが歌ったシノポリ指揮の制作CD録音がある。上手なのだが上記の細かな意味が分からないというのはその演奏に表れていて、さてお勉強はどうしたものかと思う。何かとても小学生のようなところから始めているので間に合うだろうか。音楽的にはそれほど難しいとは思わないので、それが救いか。

プッチーニの創作過程において、イタリアの日本総領事の奥さんから川上貞奴やらに学んだとか書いてある。貞奴のことはボンの日本学の教授が専門的に論文を纏めているので、その節聞いたことがあるが、具体的にはあまり調べていなかった。旦那は彼の有名な桂文之助の弟子の川上音二郎である。おっぺけぺ節の音二郎だ。ミュンヘンのレジデンス劇場でも公演して大喝采を受けていた。

今回の演出家のダヴィッド・リヴァーモアは長く演出活動をしているようでザルツブルク音楽祭でもお馴染みらしい。オーストラリア生まれらしいがイタリア語で話しているのでそこから移住した家庭なのだろう。興味深いのはドイツで初めての仕事のようで、これまた不思議に感じる。それで「蝶々さん」も初めてだというから一体何をとなる。それでもいつも家庭で歌っていたという。

愛の夢を憧れを潰される、その慈しまなければいけない傷つきやすく壊れやすい愛。蝶々さんは誰からも守られない。その疑心は、愛が裏切られる時にも壊される時にも付き纏うと語る。



参照:
文化政策オッペケペー 2005-10-17 | 文化一般
蝶々さんから黄金へ 2025-04-05 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体調優れないと駄目

2025-04-06 | テクニック
ここ二三日鬱陶しかった。理由はPCのメーラーとして使っているサンダーバードがフリーズして仕舞っていたからだ。勿論送ることや受けることは出来てもメーラーが整わないとアーカイヴ化などの問題が起きる。電話で済むとかあっても最終的にはメールの方が重要なことが殆どだ。だからなによりも重要なことでもある。

開いて直ぐに反応しなくなるので何も調整することが叶わず、情報も殆どなかった。そこでPCを一月戻したりしたが埒が明かなかった。そうこうしているうちにクロームも開かなくなった。そこでIMAPメールを使っているので、愈々不便になった。マルウェア―も疑われたのでディフェンダーも使おうとしたがこれも何回もやって止まって仕舞った。2023年12月以降通せていなかった。先ずそこから修正するのにレジスター修正のその前まで弄った。そしてウイルスの可能性を払い除けて、クロームを再インストールで戻して、漸くサンダーバードに戻ったが情報が少な過ぎた。そこで最終的には直接のアイコンのメニューでWIN8ヴァージョンに戻したりで何とか開けた。どうもWIN10から11への準備のようなアップデートで状況が悪くなっているようだ。

3月は歯茎が腫れて来たことからそうした事には集中出来なかったので、不確かな気持ちが強かったのも久しぶりにPC問題まで何も出来なかったような気もする。それにしても一年以上もデフェンダーのフル回しも出来ていなかったのが、この間の調子の悪さを示しているようで、要するにそうした時間的な余裕もなかったという事だろう。

それに関連するのだが、走行距離2300kmを越えてピレリ―のタイヤを履き、初手動洗車の為に購入したアマゾン手袋を洗濯した。綺麗に仕上がったので、これで再び高圧水洗だけでこれで拭けるとなると容易に安く洗えることも分かった。コーティングには興味があるのだが、いつかワックスと同じように斑になると面倒だと思い、当分はこれで済ましたい。隣の車庫のおばさんが、「エレガントな色合いがとても似合っていいわ」と言ってくれた。おばさんも車を選ぶときに黒のSUVを購入するのに自分に合うのを探したというので、「そうそうその通り」と答え乍ら、あの黒色を蹴散らさないで本当に良かったと思う。近所付き合いで決定的になる所だった。

車を掃除することがなかったのはその昔に日本の人にBMWの新中古車を拭くと小さな傷がつくので止めた方がいいと言われたのもあって、先の新車でも放っておいたら大変な錆になった。ネットで読むと除雪剤や鳥の糞などでもこびりつくと塗装の傷みに通じるということで、傷めなければ錆にもならなとあった。それでそうした執拗な汚れだけは高圧水で落として、拭っておく方が、当てられにくいことも含めて安全だと納得した。五月にはアムステルダムまで行くのでいつまで大丈夫かとも思う。

それと並んで問題になりそうなのがやはり酒気帯び運転である。現在のところ車幅感も厳しく、それが一番辛く感じるのは自分の車庫入れである。先日支店で駐車した時には自動を試したのだが、やはり乗っていると動きが早いのでとても怖い。ついブレーキを踏みたくなる。

「蝶々さん」をこの週末にお勉強しないと時間が無い。気力はあっても体調が優れないと何も出来なくなることを歯の問題で改めて感じるようになった。眼に関しては車のヘッドライトのお陰かあまり感じないようになった。週明けには二年保証期間内に是非調整と点検をして貰いたい。少なくとも価格だけのこともあってとてもよい。



参照:
トリスタンを仮想遠隔操作 2021-09-29 | 文化一般
蝶々さんから黄金へ 2025-04-05 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

索引2025年3月

2025-04-05 | Weblog-Index



身体的運動で見出せる死 2025-03-30 | 文学・思想
罰金を避ける時計板 2025-03-29 | 生活
明らかになる現象「死」 2025-03-28 | 文学・思想
そこにいるのは「死」 2025-03-26 | 音
疼きが全身症状に 2025-03-25 | ワイン
13歳の兄への記念に 2025-03-24 | 音
スカンポにする時 2025-03-23 | 料理
ドレスデンでの出逢い 2025-03-22 | 文化一般
アーモンド開花祭り前夜 2025-03-21 | 女
35年前の記憶を辿る 2025-03-20 | 歴史・時事
贅沢なルツェルン音楽祭 2025-03-19 | 文化一般
見えざる手の人 2025-03-18 | 文学・思想
草臥れる巡行運転免許取得 2025-03-17 | 雑感
嬉しい行者大蒜ペスト 2025-03-16 | 料理
週末に及ぶところ 2025-03-15 | 雑感
慣らし運転を終えるとき 2025-03-12 | テクニック
明確になる不協和 2025-03-11 | 音
十字を切る夕べの祈り 2025-03-10 | 文化一般
実体感のある喜び 2025-03-09 | 歴史・時事
自分自身も慣らし運転 2025-03-08 | アウトドーア・環境
モンスターのパラダイス 2025-03-07 | 文化一般
10時間を超える日照時間 2025-03-06 | 暦
カーニヴァルの陽射し 2025-03-05 | 暦
残券希少127席状態 2025-03-04 | 文化一般
春本格的な春霞 2025-03-03 | 暦
別れる切れるはでありんす 2023-03-02 | 女
夕べの祈りに向けて 2025-03-01 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蝶々さんから黄金へ

2025-04-05 | 文化一般
今週末は「蝶々さん」のお勉強である。初日が一週間前になって、ベルリナーフィルハーモニカーの本体がバーデンバーデンで音合わせ。このプッチーニオペラは劇場でも生でも聴いたことがないので、端からお勉強するしかない。

抑々プッチーニのオペラで観たことがあるのは、「マノンレスコー」、「トスカ」、「三部作」しかない筈で、良く出来た作品だけで「蝶々さん」と「テュ―ランドット」には機会がなかった。「ラボエーム」も態々行くだけの必然性はなかった。クライバー指揮でも並んでいても敢えて買わなかった。その意味からも今回の復活祭でのペトレンコ指揮そして主役のエレノーラ・ブルラットにそれ程の価値があるのかどうかは分からない。そこに目星をつけたい。然し恐らくこの拐取が第一者で今後何かのプロジェクトがあるのだろう。スカラ座ぐらいで何かをやるのかもしれない。

さて、来年からのザルツブルク復活祭のプログラムが発表された。予定通り「指環」を毎年ひとつづつ上演していくが、演出家はセレブレニコフで、三年目の2028年にはお待ちかねの「モーゼとアロン」が挟まる。先ずは普通に発注しておいたが、2028年に状況ではパトロンになってもいいとも思っている。先ずは様子見である。

最初の「前夜祭」のキャスティングは先ほども日本で話題となったゲルハーハーがヴォータンでデビューするということが目玉になっていて、既に「タンホイザー」でのヴォルフラムに続て、アンフォルタスとペトレンコ指揮であるこそのデビューとなるのだろう。ここにおいて自らが手本とするフィッシャーディスカウを更に乗り越えることになる。その他の歌手は若い人を積極的に採用している。この辺りの制作費削減などバッハラー支配人の腕の見せ所だろう。総体的にプーティン批判の演出家の制作で容易にスター顔見世興行にはならないことは肯定的に受けとって良いだろう。演出家の選択としては大変疑問も大きく、此の侭なら2028年もシュタイヤーがやりそうな予感である。

ペトレンコ指揮はその他千人の交響曲二夜とバーデンバーデンでの五夜六夜の多彩さも量感もない。この点は若干性質が異なっていて、こちらも対処を考える。どちらにせよ春スキー絡みである。

歯の治療は抜糸もしたので、来週に小さな虫歯を治療してとお話しをした。全体の計画として、6月にもう一度レントゲンも撮って、ブリッジなりインプラント治療かを決定するとなった。現在のところフィステルもなくなったので、直ぐに楽になったのだが、10時間程は抜糸の傷が痛かったと訴えておいた。全てが消えて、そして前の方の歯が落ち着いて来るまで、そして新たに炎症を起こさないかどうかなのだろう。現時点での観測ではどちらでも行けるということで、状況が悪ければ誰にでもインブラントを奨めないという事だった。また来週ねということで嬉しそうな顔をしている歯医者の患者も珍しいだろう。マゾヒストかと自ら思うほどだ。

歯医者の為の路上の駐車もいい感じで停めれた。一つにはいつものルートが閉鎖されているために、初めてのルートを走らせるために早めに出かけられたのも大きい。その前に洗濯屋にも寄れて、来週までの仕上げを頼んでおいた。金曜日の12時30分から休みに入るのでギリギリだった。



参照:
蝶々の少女売春の悲惨 2025-01-28 | 文化一般
罰金を避ける時計板 2025-03-29 | 生活
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イタリアのゴムの感触

2025-04-04 | 雑感
ピレリ―のPZero PZ4を取って来た。装着前に確かめさせて貰った。そこにはスポーツもリムジンも、ハイブリッドの明記もなかった。然しそれほど重要ではないだろう。個人的にそれにしたかったのは後輪の275幅でも騒音が69dbしか出ない事であった。

それでもなによりもピレリ―のスポーティーな走行感に可能性を期待したのだった。何も言わなければ自動的にコンティネンタルのECOというのが配送されるところであった。だから確かめる必要があった。新車注文において通常の夏タイヤを指定できないという事だった。なぜならば新車の場合は納入の関係でリストに挙がっているピレリ―、ハンコック、コンティネンタル、ミシュランの最もメーカーにとって都合の良いどれかになるということだった。然し12月に引き取るので、国内向きは恐らくコンティのヴィンターでハンドルヒーターなどのオプション価格を支払わされた。それでも冬タイヤも新車割引価格で少しは安くなった。

試乗車ではもう一つ大きな夏タイヤが装着されていたのだがそれ程感動しなかった。固い感じではなかったのだが怠かった。さて装着された車に乗り込む前にもう一度検査していると、「間違いないですか」と尋ねられたので ― 作業員は一体何がしたいんだというような素振りだったのだが、そこは説明をした人には分かっていた ―、いい感じだと答えた。実際に車を動かすと夏タイヤ感覚は想定以上に違った。

タイヤ温度も摂氏20度を越えて来た。そしてマンハイムからライン河向こうのルートヴィッヒスハーフェンへと橋桁の下へ下がるところのラムぺのカーヴで突然滑ってABSが効いた。まさしくこれが乗り初めのタイヤの制動である。大型トラックが通る所で路面がつるつるになっているのだろう、もしコンティを履いていたならばこういう滑り方はしない、これがピレリ―の乗り心地である。俄然運転が楽しくなった。

嘗てBMWでも使ったことがあって、何か道路接触面が線になるような感じが嬉しい。これが安全なコンティならばどよっとしているのだ。安心感の反面、全然走行感が面白くない。厳冬期はそれでいいが最高速領域を目指す夏タイヤでは物足りないのである。こういうスポーツ感は何年ぶりだろうか。そして冬タイヤ比較では当然かもしれないが静かで、なによりもキビキビした動きとイタリア車のような弾み感が嬉しい ― その後気が付いたが、ある一定速度ではタイヤの空気が共振して鳴る。同時に標準径を変えていないので当りは舗装道路である限りは変わらない。車を無駄にアウトバーンを走らせたくなったのだが自制した。

晴天であった。思い切って日没前に走る前に高圧洗浄を使いに広々した場所のあるような街の洗車場に車を走らせた。先日購入したアマゾン洗車グローヴやバケツを持参した。セルフの場所のノズルは四種類で、高圧洗浄、シャムプー、ブラシ、ワックスで自動の場所のサーヴィス内容と変わらない。異なるのは自分の手でやることだ。一ノズル一ユーロで、小銭がなかったので2ユーロでざっと流した。お陰で右側のホイールハウスの泥は落とせなかった。

そこに水を買う小銭がなかったので、持ちかえって、水を積んでから走った。乾くとざらざらするところが多かったので、水に手袋を浸して拭きとった。その後に乾いたもう一方で拭いた。どれぐらいの高圧洗浄量で綺麗になるのか。



参照:
草臥れる巡行運転免許取得 2025-03-17 | 雑感
週末に及ぶところ 2025-03-15 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

玄人を教育することから

2025-04-03 | マスメディア批評
承前)演出に関しては軒並み好評である。地面が上がってマングローブ状の見えない世界を使うところがやはり効果をあげているのだろう。地上地下天空の次元をそのコンセプトと語っていて、なるほどそれは音楽的にも上下感にそれらを繋ぐ地平線などがイメージ可能となる。

殆どの主要な批評は出揃った。重要な地元のフランクフルターアルゲマイネ紙を除いては明らかに指揮者への注目度は増していて、通常の批評で済ましているものはなくなった。それは、知名度が増して、特にフランクフルトではブルーレイ化された「マスケラーダ」の成功のみならず、やはり辞める支配人の一推しがあるように感じる。プレス向けの情報もそれ程量は変わらない筈であるが、エンゲル本人が出しているヴィデオなど音楽的な言及もそこにある。そこでは一部ではポンティチェロやコルレニョ等、コントラバスを弓で叩きつけるところは弓を保護する為にも他の物を代用して音量を確保したりと試してみたと語っていて、二部では20世紀に存在する木管楽器の組み合わせ、三部で金管を加えた調音されたゴングとティムパニーの一人の奏者での叩き分けと詳しく語っている。

こうしたレクチューアこそが玄人の書き手に、その多くは新しい音楽に詳しくない音楽ジャーナリストでもあるのだが、材料を分かりやすく提供する事で音楽劇場指揮者の仕事の質を教えることになっている。先ずはなによりも素人の聴衆よりも玄人の書き手を教育しなければいけないということでもある。

それによって今回はエンゲルのした仕事を形作ったとかの表現が見られて、SWRでは「私たちにそのまま関すること、それが大音楽劇場だ。」と結んでいる。放送局が三部の音響も使用して紹介しているので、少なくともマイクは入れていたという事だろう。これが意外に上手に録られていて、その重なりの深みは多層的に取られ、私の席からでは十分なミキシングがなされていなかった。その辺りも個人的な批判点だったのだが、そうした批判は一つも見つからない。

新しい音楽を特に初演などを印象深く鳴らすことに長けた指揮者が幾らでもいる。然しギネスになるほどの数を熟しているエンゲルの指揮では、特にこうした音楽劇場作品に期待するものはそれだけでは終わらない。今回も第三演なので、ここでこの制作が成功するかどうかでこの作品の生命が殆ど定まる。それどころかこの作曲家の歴史的な評価に大きく関わる。だからこそエンゲルはこの作曲家を称してモダーンの古典の作曲家としていて、その殿にいるような芸術家だと思っているのだろう。

それゆえに、一部での低弦の響きが決して甘く流れないことを、正しく初演の録音と比較していて、二部の木管合奏の組み合わせの妙が書き込まれているものだという信頼感をバランスを取りながらニュアンス豊かにと評しているのだ。三部の編成が膨らんでいく部分においてもその明瞭さと透明感を失わないとしているので、私の厳しい視線からすれば大分甘い批評である。

当然のことながらこちらは比較するものがペトレンコ指揮のそれであるので、決して二三流の尺度では一切考えない。同時に、これからまだ六夜上演されるその中での進化に大きな期待を寄せるのである。さもなければ前回賞を別け合ったペトレンコを蹴落としての単独授賞とはならないからである。(続く)



参照:
Glühend wie ein schwarzer Diamant: „L'invisible“ von Aribert Reimann, Bernd Künzig, SWR2 vom 31.3.2025
昔の若者たちの日曜日 2025-04-02 | 生活
そこにいるのは「死」 2025-03-26 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の若者たちの日曜日

2025-04-02 | 生活
フランクフルト初日へのドライヴ、先に用事があったので14時半には出たのだが、劇場への入庫は17時7分だった。ナヴィが途中で、アウトバーンを下りろ引き返せばかりなので、何か誤りがあるものと思って無視した。然し案の定ダルムシュタット前に完全閉鎖になっていた。そうなると日曜日午後でも渋滞である。

結局ナヴィに従うしかなかったのだが、予め知らせて欲しいと思った。先に行先を入れて車に飛ばしておくので、出発前には調べなかったのだ。この辺りの判断をいちいち説明して貰うようなシステムでないと駄目である。こちらの命令で反応する前に話しかけて欲しい。そうすれば秘書と話すように決済はこちらがする。これから不思議な時はその判断根拠を質問してみようと思うが恐らくそこ迄賢くないだろう。

お陰で蓄電80%で出発したが、フランクフルト市内はハイブリッド走行にしているので、帰宅して車庫入れしたら34%に下がっていた。月曜日に給油がてら走りに行って、25%まで下がって累計20回目の充電だった。

アウトバーンでの走りはいいのだが、やはり街の中はまだ慣れない。特に知っている中でも細い進入路の劇場車庫では二度もタイヤを擦った。出る時はゴリゴリいったのだが縁石コンクリートに右前のタイヤが強く触れたようだった。早速調べたがホイールには当っていなかったようだ。

先にも書いたがボンネットに星が付いていないので、右タイヤの位置がまだ呑み込めていない。幅が広くなったうえに更に右足からタイヤまでの距離が前の車よりも10㎝程遠くなっている感じがする。それはアウトバーンでも感じるので、自動運転が左に寄せすぎな感じがするのは仕方がないのかもしれない。

以前の車でも抜いた後にパッシングを受けることがあったので、どちらかというと右寄りで高速で走っていた。今後は留意しないと駄目だろう。左の追い越し車線は高速になると側壁に近くなるので怖い時がある。高速カーヴなどまだこれから夏タイヤになってからの慣れにかかっている。もう一つは自動ブレーキと自分の踏み方の違いなどを十分に把握していないので、後ろから突っ込むのがまだ怖い。そして車が重いのは間違いないので、ブレーキを増強すべきだったかとも考えている。まだ本格的に踏んでいないのでそれもよく分からない。

進入路が狭いのは良くないが、フランクフルトのど真ん中で夜間料金6ユーロはやはりとても嬉しい。この夏は6月まで通うのでその公共交通無料券と共に有効利用させて貰う。

開演30分前からのレクチューアも大盛況だった。然し高齢の男女が多いのはオペラ劇場の常としても古典的モダーンとはい乍らこれだけ新しい音楽に若い層が少ないのは残念である。作曲家のライマンにしてもフィッシャーディースカウ主演のリア王など丁度その世代の若い層が熱心だったのかもしれない。

帰路はマイン河を渡ってザクセンハウゼン側からフランクフルト南へと抜ける経路で、これはアルテオパーとも異なりこれは空いているとそれなりに走りやすい。それでも冬タイヤでは思い通りの走りは出来ない。どうしても重々しく鈍い。冬の安全運転にはなるのだが。



参照:
死の足音が聞こえたか? 2025-04-01 | マスメディア批評
明らかになる現象「死」 2025-03-28 | 文学・思想
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死の足音が聞こえたか?

2025-04-01 | マスメディア批評
初日の評が数時間後に出ている。当然ながら総稽古を観てからの評であろう。書いてあることは、ドレスデンの州立劇場に所属している演出家の舞台美術的な展開と三部での配役の分け方など事前資料で分かることを手短にまとめて、それらがどのような印象を与えたかについて言及している。つまり根の張った地下を見せて、それを上下させることで、その気持ちの悪い雰囲気など、死を扱った三部作として明白に初日の聴衆から肯定的な反応を受けたとしている。

つまり、殆どの行を既に用意してあったところで、初日の反響から数行を書き加えたものだとしてよいだろう。それも複数の著者によって書かれている。マガジンムジークホイテはある意味業界の情報誌として長くあって、同時に広報にもなっている。日本の音楽の友社の雑誌の様であり、玄人の業界に向けられているものである。

然しそれでも音楽的な特徴を五音階のペンタゴンに半音を一つ加えた六音階組織の拡大と分析解説してあって、これはまさしく先日からここでも述べておいた上行・下行において変化をもたらすものであることで間違いがない。

そこで今回ライマンを初めて指揮するとするエンゲルの音楽を称して、エレガントにそれを処理する一方、これまたここでも強く短い密な動機のダイナミックスの正確さが初演指揮には欠けていたとしたスタッカートが死への恐怖として印象を与えるように釈然としていたと評価してある。そしてこれまた想定されたように三人の流暢なカウンターテノールがものにしていたと特筆評価している。

この点に関しては公演前のレクチューアでエンゲルについて特に言及されていたのだが、遠く喧しくて聴き洩らしたが、作曲家が死の前に頻繁に接触していたとあったので、次回にこの点も確認しておきたいと思っている。

なぜならば、今回の演奏では実は不明確な点が幾つも生じていたからだ。アンサムブルが充分に練れていなかったことも事実で、先ずは無事に初日を修了したという感じもしないではない。個人的にはそこで不満も少なくなかったが、後ろの列にいつも陣取っているおばさんに最後に尋ねると「よくやっていた。」と満足げだったのだが、私がエンゲルの友人だと知っているのでまあ悪く言う理由もなかっただろう。そのおばさんには前回はニールセン作曲「マスケラーデ」初日の時に隣に座ってお話しをしたのだった。

それは前述の上下行やその展開が、聴いていて納得させるだけの表現が出来ていなかったことで、明らかに古典的なドイツェオパーベルリンではより和声的な派生としての調性感が基調になっているからこそ表現が不足していて、今回はよりそこの色付けによっての表現が演奏技術的により難しい演奏を求められていたことも分かる。抑々コントラバスまで分奏させるので、並大抵でないことは分かる。

更にプログラムにテキストが載っていなかったことで、字幕をどうしても一通り見ておきたかった理由もある。独逸語と英語だけだったので、そこから仏蘭西語を想像して聴くしかなかった。後ろのおばさんに声かけたように何回か来ないと駄目だというのは正直なところで、勿論楽員が慣れることで意味づけの確りした演奏をして欲しいと思っている。さて、録音はされるだろうが、これだけ評判がいい演出となると映像でないと駄目だろう。(続く



参照:
L’Invisible" begeistert in Frankfurt, Musikheute vom 30. März 2025 - 22:58 Uhr
身体的運動で見出せる死 2025-03-30 | 文学・思想
そこにいるのは「死」 2025-03-26 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身体的運動で見出せる死

2025-03-30 | 文学・思想
日曜日の初日までにもう一度楽譜に目を通せるか。もう少しフランス語が出来れば定着したと思う。先ずは初日に行ってプログラムと字幕で前後関係を認識しないといけないかもしれない。とても容易なテキスト乍その真意は色々と迷う。

先日の指揮者エンゲルの解説を参考に先ず三部の完全な寓話のところから見た。一部の抽象性をより認識する為だ。音楽的には死の動機のような下降動機など非常に節約されているのだが、重ねられて、特に二部での混合音色は同じメーテルリンクの「青髭公」などを想起させる。

コントラバスまでも分奏となる一部ではより音列が扱われて、組み合わせて、力点をずらすなどの中世のホケテュス的な扱いで、素材の制限がなされている。同時に拍子も5、3が4に入れ込まれるなど、如何にもヴェテラン作曲家の書法であろう。速度も統一されて扱いで、演奏技術的な破綻を起こさない配慮がなされているように思われる。

メシアンやベルクなども研究している。勿論フランス語の使い方はドビュシーもなのだろうが、その言葉の音節という事では当然そうなるのかもしれない。因みにフランクフルトではこの新制作に続いて同じエンゲル指揮でオネゲル作曲「ジャンヌダルク」とドビュシー作曲「選ばれし乙女」のオリエ演出の制作が再演される。偶然にこの二つの制作を組み合わせたものではないだろう。序乍そのジャンヌダルクを演じるのは映画「ノルトヴァント」でヒロインを務めた女優さんである。その映画の監督が昨年復活祭で「エレクトラ」を演出した人で、またもやペトレンコやエンゲルが同じような世界の面子と仕事をしるのが分かる。件の女優さんは、素手便器のナチの若い兵士を支える役だが、映画のアップでは決して魅力的ではないのだが、舞台では悪くなさそうだ。
Trailer zu »La Damoiselle élue / Jeanne d’Arc au bûcher« von Claude Debussy / Arthur Honegger

Nordwand (Philipp Stölzl, 2008) (Eng. The North face, SK - Severná stena) incl. ENG, SK Subs



抜歯のあとは薬も出されなかった。女医さんもこちらに慣れたのであまり心配していなかったのか、夕方にスポーツしてよいかと尋ねるぐらいの人間に考えも及ばなかったのか。寒気がして、今迄の抜歯よりも厳しかった。理由は化膿が活きているからだろう。それでも夕食もしてシャワーも浴びたが、痛みもあったので痛み止めを服用して、就寝前にも飲んだ。朝もあまり気分はよくなかったのだが、肉屋に行けた。それでも部屋に戻る階段は結構苦しかった。やはりまだ健康体でないことが分かった。それでも午後給油する燃料代が安くなったところで、走りに出かける準備で車を走らせた。

決して安くないスーパーで1.69ユーロで、15リットルだけ入れた。それでもタンク容量の48%となったので、十二分走れる。そこで帰りに走りに出かけた。ゆっくり走っていたので後ろから近づく音を聞いた。男女のペアーで、女性はアフリカ系の軽快な足取りのお姉さんで、追い抜かれてから後を着いてきたのは30代の独逸人男性だった。足取りが重かった。あのお姉さんについていくのがトレーニングになっているのが分かった。若い女性と走るといいトレーニングになるのは間違いない。

こちらは弱っていたのだが、この抜かれる経過がよくて、折り返しは20分台で全然悪くはなかった。そういうものである。やはり無理とは思っていても身体を動かすとすっきりする。其の儘であったなら日曜日のフランクフルト行にも元気が出るということはなかったであろう。



参照:
罰金を避ける時計板 2025-03-29 | 生活
明らかになる現象「死」 2025-03-28 | 文学・思想
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罰金を避ける時計板

2025-03-29 | 生活
先日歯医者のところで初めて路上駐車した。そこで初めて気が付いた、駐車するときの時計板がなかったのを。今迄は新車に付いて来るものだったが、今のは付いていない。前のものは車に付けたままにしておいた。同じようになくなったのは蓄電機の接続ケーブルである。もう一つトランクの網もおいてきたが、あれは使えた。

前回は自動支払い表示の紙の後ろに8時30分と書き込んだが、幸い何もなかった。制限時間の時刻は少し過ぎていた。既に違反警告の取り締まりの車は来ていた。自宅には少なくとも一つは余分があることは知っていた。然し探しても見つからないので、序に棚を掃除したら思っていたのとは異なる時計版が見つかった。さもなければ買わなければいけないことを知った。表示板がなくては罰金まで行くことがあるようだった。いつも貰っているものも購入すると3ユーロとか書いてある。自分で作れそうなものだが、何が許されて許されないかもよく分からなかった。

アマゾンで発注するものがあったからだが、それ以前に車用品もあった。オリジナルので手洗い用のモップである。一度洗車をしてみたいのだが、どうも先ず予洗するのが重要で、さもないと傷がつく可能性があるという。一度もやったことがなかったので知らないことが多い。それならば高圧洗浄機で洗ってバケツで自分のモップで拭ってしまうのが一番手っ取り早いと分かった。そのモップである。二つセットなので一つで拭ってもう一つで乾拭きできる。手袋ペアーで9ユーロなら良いだろう。先ずはそれでやってみて試してみる。

やはり前の車の色よりも汚れが目立ちやすい。気のせいかどうかわからないが、やはり色が明るいのかもしれない。車中も大分汚れて来た。僅か2000kmでもそうなるのは専ら走りに行くときのトレイルランニングシューズの汚れで、乗り降りにも跡をつける。掃除すれば綺麗になるものは気にしないのだが、外装を汚しているとやはり他の人が注意して呉れなくなる。

歯医者の道端は斜めに停めれるアパート前で、左右の幅は標準であるが、斜めに入るので、運転席側しか普通は当てない。少し運転席を隣に車に近づけて停めるようにしておくと、隣の車がドアをこちらに当てる可能性が下がる。

今回は若干時間も余っていたので、ナヴィに従って走った。遠回りに思える経路だが、街の交差点を通らずに走れるので、蓄電をあまり使わずに走れるかと思って、試してみた。シュパイヤーから再び来た方面に走る経由だった。遠く感じたが、走行時間は工事現場などがなければ計算できるのかもしれない。

予定通り着いた。そして打ち合わせをして、レントゲン撮り直し、麻酔を打った。そしてボーリングをした。歯が割れた。喉に欠片が入った。これで完全に炎症のそして歯痛のそして再び大きくなっていたフィステルの原因が分かった。歯にレントゲンに写らない罅が入っていたのだ。少なくとも三年間に亘る痛みの原因だった。前の医師もそれは見つけられなかった。女医さんも一週間での状況変化に驚いていた。兎に角抜歯しかなかった。正直ほっとしている。ここ暫くのしんどさと全身症状の悪さの原因が分かった。これで、事後処置に暫く時間が掛かる。それでも化膿が取れて、体調が戻る期待が大きく膨らんだ。先ずは周りの歯が健康を回復するのを観察しなければいけない。不安は解消された。



参照:
疼きが全身症状に 2025-03-25 | ワイン
嬉しい行者大蒜ペスト 2025-03-16 | 料理
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明らかになる現象「死」

2025-03-28 | 文学・思想
承前)興味深いのは二部への一部のアンテルーデが既に二部の楽器編成つまり木管合奏になっている事だ。歌詞からすれば一部の娘の魂が三人のカウンターテナーによって三次元的空間把握を以って放たれる。

これに関しては演出家は、地下、平野、天空の様な事を語っていたと思うが、舞台美術的にどのように再現されるのだろうか。ベルリンの初演の録音を聴いても空間タップリに録音されている。フランクフルトの三人のカウンターテノールは既に聴いたが、初演に比較して決して悪くはないと思う。ベルリンの限られた予算の中でどれぐらい力感をおいたのだろうとなる。初演の演出にもよるのだろう。音楽的には木管合奏の絡み合いの面白さが、その音列で空間に広がっていく。
Unterwegs zu einer neuen Oper: L'Invisible (Teaser 1)


今し方インタヴューを短く纏めたYouTubeが出た。未だ20クリックぐらいでお気に入り三人目である。マガジンに載っていた内容とは異なる。映像も舞台練習のものが入っている。総稽古は前日ぐらいに済んだろうか。

因みに復活祭のバーデンバーデンでもまず先に指揮者ペトレンコがやってきてピアノで舞台稽古が行われたと報じられている。つまり来週からベルリンで管弦楽の練習となり、最終的に歌手陣と合わせて一週間前から劇場へ前乗りで総稽古となる。

つまりエンゲルの話しは、その舞台稽古を通して、より音楽的な意味合いを語る。そこでは一部における最も抽象的な表現である。低弦を軸にした弦楽合奏での舞台である。先日の話しのように、一部における家庭の居間が自然の中に移されている。これで話が通じるのかどうか。恐らく居間は地上で、死の床は地下かもしれない、そしてカウンターテノールで上に抜けるように想像できる。

然しそこで重要なのは人によって語られることでの死の表徴かもしれない。これは輪廻となっていたヤナーチェック「利口な女狐」における最初の森の中で狐を狙う猟師、そして最後に一人ぼっちの猟師が再び森で見かけるのは女狐の子供とそれを囃す同じ蛙の孫だった。

死はそうした関係で存在している。三部を繋ぐのは高みのカウンターテノールなのだが、ライマンはこれの多くをアカペラで歌わせ、または二つのハープの伴奏で歌わせて、リヒャルト・シュトラウスやヴァ―クナーとは全く異なり、練習においても歌を除いては始まらないように書いている。
Interview mit Daniela Löffner und Titus Engel zu »L'invisible« | Oper Frankfurt


既に言及したようにこれらが拙いと作品を正しく劇化することは出来ないであろう。ライマンの作風はエンゲルに言わせるとそれ以前の作風とは大きく異なり、つまり大編成でそれと歌手が競い合わないといけないようなものではなく、繊細にそして明晰な精神の表現となっているとする。恐らくそれはよく言われるように作曲家の最晩年の様式に通じるものであり、一般に白鳥の歌と呼ばれるものに近いのだろう。奇しくも劇作品としては創作家の思いがけなく最後の作品となったのではある。

確かにざっと楽譜を観るだけでも無駄がないような気がするが、それは何も情景を音化したものではなく、時の流れのようなものなのだろうか。(続く)



参照:
十字を切る夕べの祈り 2025-03-10 | 文化一般
四旬節に香る春の響き 2009-03-15 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする