Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

イタリアのゴムの感触

2025-04-04 | 雑感
ピレリ―のPZero PZ4を取って来た。装着前に確かめさせて貰った。そこにはスポーツもリムジンも、ハイブリッドの明記もなかった。然しそれほど重要ではないだろう。個人的にそれにしたかったのは後輪の275幅でも騒音が69dbしか出ない事であった。

それでもなによりもピレリ―のスポーティーな走行感に可能性を期待したのだった。何も言わなければ自動的にコンティネンタルのECOというのが配送されるところであった。だから確かめる必要があった。新車注文において通常の夏タイヤを指定できないという事だった。なぜならば新車の場合は納入の関係でリストに挙がっているピレリ―、ハンコック、コンティネンタル、ミシュランの最もメーカーにとって都合の良いどれかになるということだった。然し12月に引き取るので、国内向きは恐らくコンティのヴィンターでハンドルヒーターなどのオプション価格を支払わされた。それでも冬タイヤも新車割引価格で少しは安くなった。

試乗車ではもう一つ大きな夏タイヤが装着されていたのだがそれ程感動しなかった。固い感じではなかったのだが怠かった。さて装着された車に乗り込む前にもう一度検査していると、「間違いないですか」と尋ねられたので ― 作業員は一体何がしたいんだというような素振りだったのだが、そこは説明をした人には分かっていた ―、いい感じだと答えた。実際に車を動かすと夏タイヤ感覚は想定以上に違った。

タイヤ温度も摂氏20度を越えて来た。そしてマンハイムからライン河向こうのルートヴィッヒスハーフェンへと橋桁の下へ下がるところのラムぺのカーヴで突然滑ってABSが効いた。まさしくこれが乗り初めのタイヤの制動である。大型トラックが通る所で路面がつるつるになっているのだろう、もしコンティを履いていたならばこういう滑り方はしない、これがピレリ―の乗り心地である。俄然運転が楽しくなった。

嘗てBMWでも使ったことがあって、何か道路接触面が線になるような感じが嬉しい。これが安全なコンティならばどよっとしているのだ。安心感の反面、全然走行感が面白くない。厳冬期はそれでいいが最高速領域を目指す夏タイヤでは物足りないのである。こういうスポーツ感は何年ぶりだろうか。そして冬タイヤ比較では当然かもしれないが静かで、なによりもキビキビした動きが嬉しい ― その後気が付いたが、ある一定速度ではタイヤの空気が共振して鳴る。同時に標準径を変えていないので当りは舗装道路である限りは変わらない。車を無駄にアウトバーンを走らせたくなったのだが自制した。

晴天であった。思い切って日没前に走る前に高圧洗浄を使いに広々した場所のあるような街の洗車場に車を走らせた。先日購入したアマゾン洗車グローヴやバケツを持参した。セルフの場所のノズルは四種類で、高圧洗浄、シャムプー、ブラシ、ワックスで自動の場所のサーヴィス内容と変わらない。異なるのは自分の手でやることだ。一ノズル一ユーロで、小銭がなかったので2ユーロでざっと流した。お陰で右側のホイールハウスの泥は落とせなかった。

そこに水を買う小銭がなかったので、持ちかえって、水を積んでから走った。乾くとざらざらするところが多かったので、水に手袋を浸して拭きとった。その後に乾いたもう一方で拭いた。どれぐらいの高圧洗浄量で綺麗になるのか。



参照:
草臥れる巡行運転免許取得 2025-03-17 | 雑感
週末に及ぶところ 2025-03-15 | 雑感
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玄人を教育することから

2025-04-03 | マスメディア批評
承前)演出に関しては軒並み好評である。地面が上がってマングローブ状の見えない世界を使うところがやはり効果をあげているのだろう。地上地下天空の次元をそのコンセプトと語っていて、なるほどそれは音楽的にも上下感にそれらを繋ぐ地平線などがイメージ可能となる。

殆どの主要な批評は出揃った。重要な地元のフランクフルターアルゲマイネ紙を除いては明らかに指揮者への注目度は増していて、通常の批評で済ましているものはなくなった。それは、知名度が増して、特にフランクフルトではブルーレイ化された「マスケラーダ」の成功のみならず、やはり辞める支配人の一推しがあるように感じる。プレス向けの情報もそれ程量は変わらない筈であるが、エンゲル本人が出しているヴィデオなど音楽的な言及もそこにある。そこでは一部ではポンティチェロやコルレニョ等、コントラバスを弓で叩きつけるところは弓を保護する為にも他の物を代用して音量を確保したりと試してみたと語っていて、二部では20世紀に存在する木管楽器の組み合わせ、三部で金管を加えた調音されたゴングとティムパニーの一人の奏者での叩き分けと詳しく語っている。

こうしたレクチューアこそが玄人の書き手に、その多くは新しい音楽に詳しくない音楽ジャーナリストでもあるのだが、材料を分かりやすく提供する事で音楽劇場指揮者の仕事の質を教えることになっている。先ずはなによりも素人の聴衆よりも玄人の書き手を教育しなければいけないということでもある。

それによって今回はエンゲルのした仕事を形作ったとかの表現が見られて、SWRでは「私たちにそのまま関すること、それが大音楽劇場だ。」と結んでいる。放送局が三部の音響も使用して紹介しているので、少なくともマイクは入れていたという事だろう。これが意外に上手に録られていて、その重なりの深みは多層的に取られ、私の席からでは十分なミキシングがなされていなかった。その辺りも個人的な批判点だったのだが、そうした批判は一つも見つからない。

新しい音楽を特に初演などを印象深く鳴らすことに長けた指揮者が幾らでもいる。然しギネスになるほどの数を熟しているエンゲルの指揮では、特にこうした音楽劇場作品に期待するものはそれだけでは終わらない。今回も第三演なので、ここでこの制作が成功するかどうかでこの作品の生命が殆ど定まる。それどころかこの作曲家の歴史的な評価に大きく関わる。だからこそエンゲルはこの作曲家を称してモダーンの古典の作曲家としていて、その殿にいるような芸術家だと思っているのだろう。

それゆえに、一部での低弦の響きが決して甘く流れないことを、正しく初演の録音と比較していて、二部の木管合奏の組み合わせの妙が書き込まれているものだという信頼感をバランスを取りながらニュアンス豊かにと評しているのだ。三部の編成が膨らんでいく部分においてもその明瞭さと透明感を失わないとしているので、私の厳しい視線からすれば大分甘い批評である。

当然のことながらこちらは比較するものがペトレンコ指揮のそれであるので、決して二三流の尺度では一切考えない。同時に、これからまだ六夜上演されるその中での進化に大きな期待を寄せるのである。さもなければ前回賞を別け合ったペトレンコを蹴落としての単独授賞とはならないからである。(続く)



参照:
Glühend wie ein schwarzer Diamant: „L'invisible“ von Aribert Reimann, Bernd Künzig, SWR2 vom 31.3.2025
昔の若者たちの日曜日 2025-04-02 | 生活
そこにいるのは「死」 2025-03-26 | 音
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昔の若者たちの日曜日

2025-04-02 | 生活
フランクフルト初日へのドライヴ、先に用事があったので14時半には出たのだが、劇場への入庫は17時7分だった。ナヴィが途中で、アウトバーンを下りろ引き返せばかりなので、何か誤りがあるものと思って無視した。然し案の定ダルムシュタット前に完全閉鎖になっていた。そうなると日曜日午後でも渋滞である。

結局ナヴィに従うしかなかったのだが、予め知らせて欲しいと思った。先に行先を入れて車に飛ばしておくので、出発前には調べなかったのだ。この辺りの判断をいちいち説明して貰うようなシステムでないと駄目である。こちらの命令で反応する前に話しかけて欲しい。そうすれば秘書と話すように決済はこちらがする。これから不思議な時はその判断根拠を質問してみようと思うが恐らくそこ迄賢くないだろう。

お陰で蓄電80%で出発したが、フランクフルト市内はハイブリッド走行にしているので、帰宅して車庫入れしたら34%に下がっていた。月曜日に給油がてら走りに行って、25%まで下がって累計20回目の充電だった。

アウトバーンでの走りはいいのだが、やはり街の中はまだ慣れない。特に知っている中でも細い進入路の劇場車庫では二度もタイヤを擦った。出る時はゴリゴリいったのだが縁石コンクリートに右前のタイヤが強く触れたようだった。早速調べたがホイールには当っていなかったようだ。

先にも書いたがボンネットに星が付いていないので、右タイヤの位置がまだ呑み込めていない。幅が広くなったうえに更に右足からタイヤまでの距離が前の車よりも10㎝程遠くなっている感じがする。それはアウトバーンでも感じるので、自動運転が左に寄せすぎな感じがするのは仕方がないのかもしれない。

以前の車でも抜いた後にパッシングを受けることがあったので、どちらかというと右寄りで高速で走っていた。今後は留意しないと駄目だろう。左の追い越し車線は高速になると側壁に近くなるので怖い時がある。高速カーヴなどまだこれから夏タイヤになってからの慣れにかかっている。もう一つは自動ブレーキと自分の踏み方の違いなどを十分に把握していないので、後ろから突っ込むのがまだ怖い。そして車が重いのは間違いないので、ブレーキを増強すべきだったかとも考えている。まだ本格的に踏んでいないのでそれもよく分からない。

進入路が狭いのは良くないが、フランクフルトのど真ん中で夜間料金6ユーロはやはりとても嬉しい。この夏は6月まで通うのでその公共交通無料券と共に有効利用させて貰う。

開演30分前からのレクチューアも大盛況だった。然し高齢の男女が多いのはオペラ劇場の常としても古典的モダーンとはい乍らこれだけ新しい音楽に若い層が少ないのは残念である。作曲家のライマンにしてもフィッシャーディースカウ主演のリア王など丁度その世代の若い層が熱心だったのかもしれない。

帰路はマイン河を渡ってザクセンハウゼン側からフランクフルト南へと抜ける経路で、これはアルテオパーとも異なりこれは空いているとそれなりに走りやすい。それでも冬タイヤでは思い通りの走りは出来ない。どうしても重々しく鈍い。冬の安全運転にはなるのだが。



参照:
死の足音が聞こえたか? 2025-04-01 | マスメディア批評
明らかになる現象「死」 2025-03-28 | 文学・思想
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死の足音が聞こえたか?

2025-04-01 | マスメディア批評
初日の評が数時間後に出ている。当然ながら総稽古を観てからの評であろう。書いてあることは、ドレスデンの州立劇場に所属している演出家の舞台美術的な展開と三部での配役の分け方など事前資料で分かることを手短にまとめて、それらがどのような印象を与えたかについて言及している。つまり根の張った地下を見せて、それを上下させることで、その気持ちの悪い雰囲気など、死を扱った三部作として明白に初日の聴衆から肯定的な反応を受けたとしている。

つまり、殆どの行を既に用意してあったところで、初日の反響から数行を書き加えたものだとしてよいだろう。それも複数の著者によって書かれている。マガジンムジークホイテはある意味業界の情報誌として長くあって、同時に広報にもなっている。日本の音楽の友社の雑誌の様であり、玄人の業界に向けられているものである。

然しそれでも音楽的な特徴を五音階のペンタゴンに半音を一つ加えた六音階組織の拡大と分析解説してあって、これはまさしく先日からここでも述べておいた上行・下行において変化をもたらすものであることで間違いがない。

そこで今回ライマンを初めて指揮するとするエンゲルの音楽を称して、エレガントにそれを処理する一方、これまたここでも強く短い密な動機のダイナミックスの正確さが初演指揮には欠けていたとしたスタッカートが死への恐怖として印象を与えるように釈然としていたと評価してある。そしてこれまた想定されたように三人の流暢なカウンターテノールがものにしていたと特筆評価している。

この点に関しては公演前のレクチューアでエンゲルについて特に言及されていたのだが、遠く喧しくて聴き洩らしたが、作曲家が死の前に頻繁に接触していたとあったので、次回にこの点も確認しておきたいと思っている。

なぜならば、今回の演奏では実は不明確な点が幾つも生じていたからだ。アンサムブルが充分に練れていなかったことも事実で、先ずは無事に初日を修了したという感じもしないではない。個人的にはそこで不満も少なくなかったが、後ろの列にいつも陣取っているおばさんに最後に尋ねると「よくやっていた。」と満足げだったのだが、私がエンゲルの友人だと知っているのでまあ悪く言う理由もなかっただろう。そのおばさんには前回はニールセン作曲「マスケラーデ」初日の時に隣に座ってお話しをしたのだった。

それは前述の上下行やその展開が、聴いていて納得させるだけの表現が出来ていなかったことで、明らかに古典的なドイツェオパーベルリンではより和声的な派生としての調性感が基調になっているからこそ表現が不足していて、今回はよりそこの色付けによっての表現が演奏技術的により難しい演奏を求められていたことも分かる。抑々コントラバスまで分奏させるので、並大抵でないことは分かる。

更にプログラムにテキストが載っていなかったことで、字幕をどうしても一通り見ておきたかった理由もある。独逸語と英語だけだったので、そこから仏蘭西語を想像して聴くしかなかった。後ろのおばさんに声かけたように何回か来ないと駄目だというのは正直なところで、勿論楽員が慣れることで意味づけの確りした演奏をして欲しいと思っている。さて、録音はされるだろうが、これだけ評判がいい演出となると映像でないと駄目だろう。(続く



参照:
L’Invisible" begeistert in Frankfurt, Musikheute vom 30. März 2025 - 22:58 Uhr
身体的運動で見出せる死 2025-03-30 | 文学・思想
そこにいるのは「死」 2025-03-26 | 音
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身体的運動で見出せる死

2025-03-30 | 文学・思想
日曜日の初日までにもう一度楽譜に目を通せるか。もう少しフランス語が出来れば定着したと思う。先ずは初日に行ってプログラムと字幕で前後関係を認識しないといけないかもしれない。とても容易なテキスト乍その真意は色々と迷う。

先日の指揮者エンゲルの解説を参考に先ず三部の完全な寓話のところから見た。一部の抽象性をより認識する為だ。音楽的には死の動機のような下降動機など非常に節約されているのだが、重ねられて、特に二部での混合音色は同じメーテルリンクの「青髭公」などを想起させる。

コントラバスまでも分奏となる一部ではより音列が扱われて、組み合わせて、力点をずらすなどの中世のホケテュス的な扱いで、素材の制限がなされている。同時に拍子も5、3が4に入れ込まれるなど、如何にもヴェテラン作曲家の書法であろう。速度も統一されて扱いで、演奏技術的な破綻を起こさない配慮がなされているように思われる。

メシアンやベルクなども研究している。勿論フランス語の使い方はドビュシーもなのだろうが、その言葉の音節という事では当然そうなるのかもしれない。因みにフランクフルトではこの新制作に続いて同じエンゲル指揮でオネゲル作曲「ジャンヌダルク」とドビュシー作曲「選ばれし乙女」のオリエ演出の制作が再演される。偶然にこの二つの制作を組み合わせたものではないだろう。序乍そのジャンヌダルクを演じるのは映画「ノルトヴァント」でヒロインを務めた女優さんである。その映画の監督が昨年復活祭で「エレクトラ」を演出した人で、またもやペトレンコやエンゲルが同じような世界の面子と仕事をしるのが分かる。件の女優さんは、素手便器のナチの若い兵士を支える役だが、映画のアップでは決して魅力的ではないのだが、舞台では悪くなさそうだ。
Trailer zu »La Damoiselle élue / Jeanne d’Arc au bûcher« von Claude Debussy / Arthur Honegger

Nordwand (Philipp Stölzl, 2008) (Eng. The North face, SK - Severná stena) incl. ENG, SK Subs



抜歯のあとは薬も出されなかった。女医さんもこちらに慣れたのであまり心配していなかったのか、夕方にスポーツしてよいかと尋ねるぐらいの人間に考えも及ばなかったのか。寒気がして、今迄の抜歯よりも厳しかった。理由は化膿が活きているからだろう。それでも夕食もしてシャワーも浴びたが、痛みもあったので痛み止めを服用して、就寝前にも飲んだ。朝もあまり気分はよくなかったのだが、肉屋に行けた。それでも部屋に戻る階段は結構苦しかった。やはりまだ健康体でないことが分かった。それでも午後給油する燃料代が安くなったところで、走りに出かける準備で車を走らせた。

決して安くないスーパーで1.69ユーロで、15リットルだけ入れた。それでもタンク容量の48%となったので、十二分走れる。そこで帰りに走りに出かけた。ゆっくり走っていたので後ろから近づく音を聞いた。男女のペアーで、女性はアフリカ系の軽快な足取りのお姉さんで、追い抜かれてから後を着いてきたのは30代の独逸人男性だった。足取りが重かった。あのお姉さんについていくのがトレーニングになっているのが分かった。若い女性と走るといいトレーニングになるのは間違いない。

こちらは弱っていたのだが、この抜かれる経過がよくて、折り返しは20分台で全然悪くはなかった。そういうものである。やはり無理とは思っていても身体を動かすとすっきりする。其の儘であったなら日曜日のフランクフルト行にも元気が出るということはなかったであろう。



参照:
罰金を避ける時計板 2025-03-29 | 生活
明らかになる現象「死」 2025-03-28 | 文学・思想
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罰金を避ける時計板

2025-03-29 | 生活
先日歯医者のところで初めて路上駐車した。そこで初めて気が付いた、駐車するときの時計板がなかったのを。今迄は新車に付いて来るものだったが、今のは付いていない。前のものは車に付けたままにしておいた。同じようになくなったのは蓄電機の接続ケーブルである。もう一つトランクの網もおいてきたが、あれは使えた。

前回は自動支払い表示の紙の後ろに8時30分と書き込んだが、幸い何もなかった。制限時間の時刻は少し過ぎていた。既に違反警告の取り締まりの車は来ていた。自宅には少なくとも一つは余分があることは知っていた。然し探しても見つからないので、序に棚を掃除したら思っていたのとは異なる時計版が見つかった。さもなければ買わなければいけないことを知った。表示板がなくては罰金まで行くことがあるようだった。いつも貰っているものも購入すると3ユーロとか書いてある。自分で作れそうなものだが、何が許されて許されないかもよく分からなかった。

アマゾンで発注するものがあったからだが、それ以前に車用品もあった。オリジナルので手洗い用のモップである。一度洗車をしてみたいのだが、どうも先ず予洗するのが重要で、さもないと傷がつく可能性があるという。一度もやったことがなかったので知らないことが多い。それならば高圧洗浄機で洗ってバケツで自分のモップで拭ってしまうのが一番手っ取り早いと分かった。そのモップである。二つセットなので一つで拭ってもう一つで乾拭きできる。手袋ペアーで9ユーロなら良いだろう。先ずはそれでやってみて試してみる。

やはり前の車の色よりも汚れが目立ちやすい。気のせいかどうかわからないが、やはり色が明るいのかもしれない。車中も大分汚れて来た。僅か2000kmでもそうなるのは専ら走りに行くときのトレイルランニングシューズの汚れで、乗り降りにも跡をつける。掃除すれば綺麗になるものは気にしないのだが、外装を汚しているとやはり他の人が注意して呉れなくなる。

歯医者の道端は斜めに停めれるアパート前で、左右の幅は標準であるが、斜めに入るので、運転席側しか普通は当てない。少し運転席を隣に車に近づけて停めるようにしておくと、隣の車がドアをこちらに当てる可能性が下がる。

今回は若干時間も余っていたので、ナヴィに従って走った。遠回りに思える経路だが、街の交差点を通らずに走れるので、蓄電をあまり使わずに走れるかと思って、試してみた。シュパイヤーから再び来た方面に走る経由だった。遠く感じたが、走行時間は工事現場などがなければ計算できるのかもしれない。

予定通り着いた。そして打ち合わせをして、レントゲン撮り直し、麻酔を打った。そしてボーリングをした。歯が割れた。喉に欠片が入った。これで完全に炎症のそして歯痛のそして再び大きくなっていたフィステルの原因が分かった。歯にレントゲンに写らない罅が入っていたのだ。少なくとも三年間に亘る痛みの原因だった。前の医師もそれは見つけられなかった。女医さんも一週間での状況変化に驚いていた。兎に角抜歯しかなかった。正直ほっとしている。ここ暫くのしんどさと全身症状の悪さの原因が分かった。これで、事後処置に暫く時間が掛かる。それでも化膿が取れて、体調が戻る期待が大きく膨らんだ。先ずは周りの歯が健康を回復するのを観察しなければいけない。不安は解消された。



参照:
疼きが全身症状に 2025-03-25 | ワイン
嬉しい行者大蒜ペスト 2025-03-16 | 料理
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明らかになる現象「死」

2025-03-28 | 文学・思想
承前)興味深いのは二部への一部のアンテルーデが既に二部の楽器編成つまり木管合奏になっている事だ。歌詞からすれば一部の娘の魂が三人のカウンターテナーによって三次元的空間把握を以って放たれる。

これに関しては演出家は、地下、平野、天空の様な事を語っていたと思うが、舞台美術的にどのように再現されるのだろうか。ベルリンの初演の録音を聴いても空間タップリに録音されている。フランクフルトの三人のカウンターテノールは既に聴いたが、初演に比較して決して悪くはないと思う。ベルリンの限られた予算の中でどれぐらい力感をおいたのだろうとなる。初演の演出にもよるのだろう。音楽的には木管合奏の絡み合いの面白さが、その音列で空間に広がっていく。
Unterwegs zu einer neuen Oper: L'Invisible (Teaser 1)


今し方インタヴューを短く纏めたYouTubeが出た。未だ20クリックぐらいでお気に入り三人目である。マガジンに載っていた内容とは異なる。映像も舞台練習のものが入っている。総稽古は前日ぐらいに済んだろうか。

因みに復活祭のバーデンバーデンでもまず先に指揮者ペトレンコがやってきてピアノで舞台稽古が行われたと報じられている。つまり来週からベルリンで管弦楽の練習となり、最終的に歌手陣と合わせて一週間前から劇場へ前乗りで総稽古となる。

つまりエンゲルの話しは、その舞台稽古を通して、より音楽的な意味合いを語る。そこでは一部における最も抽象的な表現である。低弦を軸にした弦楽合奏での舞台である。先日の話しのように、一部における家庭の居間が自然の中に移されている。これで話が通じるのかどうか。恐らく居間は地上で、死の床は地下かもしれない、そしてカウンターテノールで上に抜けるように想像できる。

然しそこで重要なのは人によって語られることでの死の表徴かもしれない。これは輪廻となっていたヤナーチェック「利口な女狐」における最初の森の中で狐を狙う猟師、そして最後に一人ぼっちの猟師が再び森で見かけるのは女狐の子供とそれを囃す同じ蛙の孫だった。

死はそうした関係で存在している。三部を繋ぐのは高みのカウンターテノールなのだが、ライマンはこれの多くをアカペラで歌わせ、または二つのハープの伴奏で歌わせて、リヒャルト・シュトラウスやヴァ―クナーとは全く異なり、練習においても歌を除いては始まらないように書いている。
Interview mit Daniela Löffner und Titus Engel zu »L'invisible« | Oper Frankfurt


既に言及したようにこれらが拙いと作品を正しく劇化することは出来ないであろう。ライマンの作風はエンゲルに言わせるとそれ以前の作風とは大きく異なり、つまり大編成でそれと歌手が競い合わないといけないようなものではなく、繊細にそして明晰な精神の表現となっているとする。恐らくそれはよく言われるように作曲家の最晩年の様式に通じるものであり、一般に白鳥の歌と呼ばれるものに近いのだろう。奇しくも劇作品としては創作家の思いがけなく最後の作品となったのではある。

確かにざっと楽譜を観るだけでも無駄がないような気がするが、それは何も情景を音化したものではなく、時の流れのようなものなのだろうか。(続く)



参照:
十字を切る夕べの祈り 2025-03-10 | 文化一般
四旬節に香る春の響き 2009-03-15 | アウトドーア・環境
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非常事態警報の鳴らし方

2025-03-27 | 
車中のラディオが伝えていた。一つは税金のあり方で、時のコール首相が作った全金に対する税額の東独連帯税だ。これは一般に広く取られていたのだ法人や高額所得層に限られるようになった。本来はあるべき税ではないという事だ。

もう一つ発泡酒税で、この背景はよく分からないが、独逸では抑々それ程競争力がなかったのとワインへの優遇ともなったのかもしれない。これも高級ワイン化が進み酒量も減ってきたことから状況が変わった今日、名目上の意味しかなくなったという。それでも徴収者は一度導入すると撤回しないのがものの常。

いいワインが出来ない地域などがその素材を提供することで生き残れるようになるのはシャムパーニュでも同じ付加価値をつけることでしかないだろう。高級ワインへの影響が皆無で、中途半端なワインがより淘汰されるので悪くはないだろう。もう少しシャムパーニュ風リースリングが安くなれば、食前には使いやすい。然し所詮ビールと勝負が出来る訳ではないので厳しい。

もう一つの興味ある話題は、この時期は例年の如く夏時間問題である。毎年夏時間を止める意見とその法制化が話題となるのだが、今年は流石に飽きられて、その先へと話は進んだ。つまり、止めるのは難しいが、時間変更の弊害を最も取り除きどちらの長所も満たす方法として、夏時間期間を短くするという事だった。

時期を後ろに前にずらすだけで朝の問題も少なくなり、健康的な弊害も縮小可能という研究結果に基づいているらしい。もう一つ朝のラッシュ時間を遅らせたりとか方法はあるらしい。

歯茎の嚢胞のお陰で、眼の疲れが感じにくくなった。繋がっているとは思わないのだが、少なくとも眼の下の隈は歯の調子と繋がっていた可能性が強いと思う。歯石でそのようになる筈はないのだが、現状では歯の調子が顔の表情に影響を強く与えていて、治療しない限りすっきりした顔付とはならない。陽射しが強くなってきたので視力は戻ってくるのだが、全身の疲れが溜まる。

夏時間はこの週末、復活祭まで四週間を切った。散髪や寝具、そして衣替えを考える。然しその前に虫歯を含めて歯科の治療を終えて、完璧にしたい。既にアスパラガスは店頭に並んでいたが、復活祭には膿なども完全に治っていてもりもりと食事が出来て身体も動かしたいだけ動かせれるようにしたいのである。

幸い今年は月陰暦によって、ワイン試飲会なども6月へと持ち込まれているので、その頃までに車の使い方や、仮眠などの方法も実践に移せると良いと思う。5月は可也の距離を走るので、その辺りの目星もつけれるようになるのではないか。

酒気帯び運転は自動運転が為されるほどその判断が大きな誤りに繋がるのでやはり制御する方法を検討しなければいけないと思っている。車中のラディオでは、その自動運転への自動車学校教師の意見が出されていて、初心者にはその運転支援への理論的な教育が欠かせないとしていた。なるほど、我々にとってもあれだけ複雑なので、初心者にとってもとんでもない乗り物になるのは分かる。



参照:
自分自身も慣らし運転 2025-03-08 | アウトドーア・環境
パッドする為に 2025-01-06 | アウトドーア・環境
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そこにいるのは「死」

2025-03-26 | 
承前)第一部では老人を囲む家庭の居間、隣の部屋にはその娘が横たわり、その新生児時は未だ声を上げない。

初演のベルリンでのトレイラー
Aribert Reimann: L'INVISIBLE (Trailer)


その真ん中にいるのは「死」。

再び居間で会食の老人と窓の向こうに余所者が、その男こそが長女を川に沈めた男である。居間の老人に、既に死体があげられてもそれを伝えることもならず、居間の団欒を打ち破られることはない。二人は問うてみる、不幸を伝えないことは決して非人間的な行いではないのではないかと。そして最後に伝えられる。

初演一部
L'invisible: I. L'intruse (Live) 余所者
352小節まで


L'invisible: Interlude I (Live)
353小節から416小節まで


L'invisible: II. Intérieur (Live) アンテリュー
417小節から794小節まで


同じく第二部
Aribert Reimann L’INVISIBLE "Vous l'avez dit, grand-père" (Highlight) 593小節から724小節まで

同じく二部 ― アンテルードII
795小節から859小節まで
L'invisible: Interlude II (Live)


「タンタジェの死」、怪しい城に住む若い王家の孫のタンタジェ、あらゆる王継承となりえる者を消そうとする老けた女王。タンタジェとその姉妹は、消されるために呼ばれたと気が付いた。彼らを補助するアグロヴァール。然しそれは誰も口外しない。怪しい使いが女王の僕として現れる。そして、眠る王若者を姉妹の腕から剝ぎ取る。タンタジェは女王の城に消える。

初演の「タンタジェの死」
一幕 1064小節まで
L'invisible: IIIa. La mort de Tintagiles, Act I (Live)


同じく「タンタジェの死」
二幕 1071小節から1225小節まで
L'invisible: IIIb. La mort de Tintagiles, Act II (Live)


「タンタジェの死」 —「アンテルードIII」
1226小節から1254小節まで
L'invisible: Interlude III (Live)


同じく.「タンタジェの死」
三幕 1255小節から1365小節まで
L'invisible: IIIc. La mort de Tintagiles, Act III (Live)


「タンタジェの死」
四幕 1365小節から1469小節まで
L'invisible: IIId. La mort de Tintagiles, Act IV (Live)


「タンタジェの死」
五幕 1477小節から1557小節fine
L'invisible: IIIe. La mort de Tintagiles, Act V (Live)


再演の「タンタジェの死」
Staatstheater Braunschweig: »L’Invisible«


再演の「タンタジェの死」
一幕864小節から1048小節練習番号105まで
Aribert Reimann: "L`Invisible" ( La mort de Tintagiles) - Jelena Bankovic, soprano


同じく「ティンタジェの死」
五幕 1477小節1540小節練習番号154まで
Reimann: "L`Invisible" (La mort de Tintagiles, FINALE)- Jelena Bankovic, soprano


(続く)



参照:
二重写しに見えないもの 2025-02-16 | 歴史・時事
待降節の漣のような忙備録 2010-12-18 | 暦
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疼きが全身症状に

2025-03-25 | ワイン
体調がよくない。嚢胞の違和感だけでなくて、それがあることでの全身症状が優れない。炎症は止まっているのだが、やはり違うというのが実感で、もう一つの頑張りが効かない。

抑々その歯は噛み合わせの角度が悪かったので酷くなっていく過程で根に細菌が入ったのだろう。よく書いてあるように虫歯からの感染ではないので経路が違うようなので、その点は扱いやすく、成功率も高いのかもしれない。

書いてあるように治療後二週間ほどで嚢胞も分解されてしまうならばそれでいい訳だが、余り後を引くようだと苦しい。

一体何時頃から全身症状に悪影響を及ぼしていたのか?右側が使えなくなってから三年、違和感が出てきて半年、激痛になってから二月。原因は同じなので、歯医者で歯石を取る意欲も与えなかったのは其処にも原因があった。今回はもうどうしようもなかったという事だ。

週末前の治療なので、その後の影響も考えて、日曜日の初日への準備はその前に済ましておかないといけない。頭に近いところが調子悪いと本当に何もしたくなくなる。内臓も心肺系も大変であろうが、何か日常生活では致命的なものを感じる。

週末にゲリュムペル2019年物を開けた。時期的には瓶詰後四年以上経っているので瓶熟成は一先ず出来上がっている筈なのだが、13%のアルコールがあまりにも強靭で、リースリングに欠かせない繊細さが味わえなかった。酸もあるのだが清涼感を与えることがなく、味筋もどちらかというと那智黒系の深みで、トロピカルまでもいかなかった。最近開けていなかった年度だけに要注意となった。現時点で更に開けて行くのは惜しいので、次の熟成期の八年ぐらいに期待したい。恐らくその頃になるとアルコールも弱って来て、蜂蜜感のようなものが生じてくる可能性がある。要するに強すぎる。

確かこのゲリュムペルの葡萄はその後に植え替えられたりしている筈で、植物の強さが無くて、収穫量を落としている分余計に濃くが強くなっていた感じがする。収穫量を落とすのと、収穫量が減っていくのでは植物としての元気さが違うので、必ずしも古木のワインが素晴らしいという事は言えない。

歯の治療をした夜、久しぶりに入浴した。2月初めの初風呂以来である。このペースで行くと二月に一度ぐらいだろうか。この冬は暖房を常時入れて、寒さでの温まるためにの入浴を避けたつもりだ。その方が合理的と考えたからで、結果はまだ分からない。それでも湯の消費量が上がり続けているのはシャワーの使い方と厨房でのお湯の使い方によるものと思われる。それでも入浴すると垢の落ち方も異なり特に足の裏などはシャワーでは綺麗にならない。そして何よりも緊張を解せる。歯石落としはやはり厳しい。今回は結局三年ぶりなので物理的にも堪えた。

右の歯を使うとそこの根元の炎症が疼いて結局じわじわと腫れに繋がっていく。神経がやられて痛くないからいいじゃないと医者に言われてもやはりとても気分が悪い。こういう歯の不調は今回が初めてである。とても気持ちが悪い。痛みが奔った時の方が急速空冷でその方が気が楽だった。



参照:
スカンポにする時 2025-03-23 | 料理
一派の枢軸となるだろうか 2021-12-28 | ワイン
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13歳の兄への記念に

2025-03-24 | 
承前)初日が一週間後に迫っている。アリベルト・ライマン作「見えざるもの」の第三演である。都合ベルリンでの2017年の初演の録音、2019年ブラウンシュヴァイクでの映像など調べる前に、ざっと見本の楽譜に目を通した。

Picc. · 2 · Altfl. · Bassfl. · 1 · Engl. Hr. · Heckelphon · Es-Klar. · 1 · Bassklar. · Kb.-Klar. · 2 · Kfg. - 4 · 3 · 3 · 1 - P. S. (6 Gongs [G-Gis-B-c-cis-d]) (1 Spieler) - 2 Hfn. - Str. (12 · 12 · 10 · 8 · 6)

なによりも気が付くのは想定以上の楽器編成で、それが先週の劇場でのレクチァーで聴いた通り、密な音程関係とそこからの広がりが、狙った楽器で演奏される。弦の分奏も大変で、まさしくカウンターテノールが語っていた様に指揮を頼るしかないのは当然である。

指揮者エンゲルがそのお勉強のやり方を語っていた様にざっと全体の構図が見えてくると細部が見えてくる。少なくとも流れは見えて来た。

そこで細部となるとやはり演奏実践の確かさが求められる。先ず第三部を聴いたのは第二演の歌手があげている映像で、なるほど細かな音程を歌い込んでいた。少なくともドラマ性はあった。その一方やはり地方劇場の管弦楽は真面に音を出せていない。言及した分奏などで最後のプルトまでが真面に弾けているのは独逸でも頂点の劇場の二つ三つしかないだろう。

その点、ベルリンのドイツェオパーでの初演は作曲依頼の責務上準備も出来ていた筈なのだが、歌も不味く、なによりも指揮者の実力があからさまになって、初演の難しさもあるが、ドナルド・ライニックルという指揮者はレパートリーが広いだけが取柄だったのではないかと思わせた。必要な譜読み力以前に正しい指揮を出来ていない。プロフィールを見るとあの当時にフライブルクの劇場で振っていたような程度の指揮者が首都のオペラ劇場の音楽監督に2009年に選ばれている背景は、その劇場の地盤沈下と共にあったことを改めて認識する。

なるほど歌唱の難しさは声や技術の限界に至るというよりも、その厳選された音の中での絶え間ない流れの表現でしかないと理解した。その分管弦楽も丁寧な歌い口で、特にこのような指揮者によって野蛮に処理されているダイナミックスなどを如何に処理するかにこの作品の真髄があるだろう。まさに歌曲などの作品でのその表現そのものである。

同時に書かれているト書きの舞台化と同時に歌詞の意味とその音楽がどのように演出されるかによって印象が大きく異なると分かった。先週の演出家の話しでは、ト書きの意図を汲みながら、本質的な創作の心境を示してくると思う。音楽との絡み合いはエンゲルの指導の下にどのように解決されるかである。

ある意味形而上的なそれも輪廻に近いような世界観がメーテルリンクにおける象徴によって描かれているのと同時に、ベルリンの病院で伏せていた空襲で僅か13歳で亡くなった四歳上の作曲家の兄ディートリッヒへの献辞に改めてその私たちの生きている世界を思い起こさせてくれるのである。その為の表現であり作曲家81歳の創作であったのだ。(続く



参照:
週末に及ぶところ 2025-03-15 | 雑感
ドレスデンでの出逢い 2025-03-22 | 文化一般
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スカンポにする時

2025-03-23 | 料理
歯茎の炎症、症状も心理的にも落ち着いているのが、全快したわけでなく、腫れに違和感が残る。とても健康を感じられない。確か三千年前の氷河ミイラのオッツィー君がそういう炎症を抱えていたようだ。なにか健康状態は冴えなかったろう。そんな人と同じ症状になっているのが嫌であるが、仕方がない。

歯根治療を行うと神経を取り除いてしまうので歯がもたないというが、先ずは炎症を起こさないようにして全身症状を食い止めるしかない。上顎が駄目になって仕舞うと施しようがなくなる。次回の施術前に若干話しをする必要はあるだろう。恐らく向こうも勉強はしてくるのだろう。まあ、僕の様な患者さんは経験を蓄積するにはいいに違いない。

施術後も傷が取れる迄には二週間ほどは掛かるとあるが、毒素がなくなれば回復は早いと思う。直後にフランクフルトの初日があるのでお勉強はこの週末しかない。「見本」が書いてある楽譜も見難いのであるが、269頁であり、なんとか目を通すしかない。同時にライマンの音楽書法も他の歌曲などでもう少し慣れておく必要もある。何はともあれ先週のレクチュア―の内容はお勉強の動機付けにはなる。

ドレスデンの宿を早速抑えておいた。理由はクリスマスマルクとの事情だったようなっ背景もある。それは後で気が付いたのだが、ザクセンの劇場が観光客相手に催されている面が大きく宿泊場所なども確保しておきたかったからだ。実際にミュンヘンと比較しても全然安くなかった。それでも30分ほど車で走らせればミュンヘンよりは安かったのだが、その田舎度も違い、なによりも宿泊場所までのワイン街道からの距離を考えると出来るだけ劇場に近い方が有利と考えた。

市の郊外の高台で、興味はある。家並みもヴィラが建っていて隣はプールがあったりする。評価も10点満点で9.7だから、高い金を払っても、当日発で17時迄に劇場に入れればその価値はある。そうでないともう一泊することになるからだ。駐車も大家の自宅のカーポートだと思う。そうでなくても前の道は行き止まりだ。

なるほど市内ならばホテルで車を乗り付けるところでもあるが、やはり食事とか駐車料金とかを加えていくとやはりその程度の額では終らない。

それと同じ額をアムステルダム行の宿泊数を減らして捻出していた。なるほどあまり頻繁には出かけける所ではないので、折角だから美術館にも出かけるのだが、余分にまで考えると駐車料だけでも馬鹿にならない。そして何よりも演奏会があっても5月であるからそこから独逸に向かっても明るい内に国境まで来れる。そしてなによりも車中で眠れる条件は整っているのだ。そして翌朝週明けから自宅で仕事が可能となる。

先日購入したスカンポのケーキは予想よりも美味かった。やはりオーナーは味の加減が上手だ。レシピ―通りの配合ではなくて味の出方をよく予想して作っている。冷えてからの味である。だからその食感も確り検討していているようで、独逸では珍しい自立型のケーキが多く、横からフォーク串刺しでバランスをとる必要もいない。なるほど雑誌に載るような店のスイス菓子風ではないのだが、その見た目や材料よりも可也質が高いことが通い出して三年以上経って分かるようになって来た。



参照:
別れる切れるはでありんす 2023-03-02 | 女
ドレスデンでの出逢い 2025-03-22 | 文化一般
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ドレスデンでの出逢い

2025-03-22 | 文化一般
起床にドレスデンの日程を知った。ゼムパーオパーの新シーズンのプログラムである。新カペルマイスターになって、漸く新支配人の本格的新シーズンである。支配人は、グラーツではペトレンコの下でアシスタントをしていたオクサーナ・リニヴを迎えて成功したノラ・シュミットである。そうした事情からティーレマンを引き継ぐのはその音楽の流れを汲むリニヴと思っていたのだが、MeTooで空いていたガッティ登用となった。それにはシュターツカペレドレスデンという座付き楽団が別の組織となっている事情があった。

そのことが独語圏の中でも名門のオペラ劇場で一流の上演を難しくして来ていた。その事情は変わらないのだが、支配人に期待されているのは芸術的に価値のある制作で上演でしかなかった。ヴィーンの名門のように観光客相手の公演となるとその音楽劇場的な上演の水準低下を招いていたからだった。

さて今回カペルマイスターの十八番のヴェルディ最晩年の作「ファルスタッフ」の10月の新制作に続いて、12月にエンゲル指揮でアブラハムセン作曲「ザスノークイーン」が上演されることになった。新シーズンはミュンヘンでは振らないと知ったので、シュツッツガルト以外ではなにを振るのかと考えていたので、若干の予感はあった。

それでそこのプロフィールに書いてあるように協調作業の事始めのデビューであり、今後のプロジェクトがあると予想している。一つには支配人のグラーツでの仕事ぶりやベルン生まれのとなるとそのスイスコネクションだけでなく、そしてエンゲルにとってはドレスデンは音楽的な故郷であり、私も彼と最初にあったのはそこのノイシュタットだったのだ。要するに我々の仲間内のプロジェクトのようなものでもある。

なるほど、ミュンヘンに出かけることに比較すれば遠く、ベルリンともそれ程変わらないのだが、やはり街が小さいので目的地まで570kmほどで当日に入れる。新シーズンは二月に新制作公演もある600km先のハムブルクよりは遠い感じもするのだが、690km先のベルリンよりは遥かに往復しやすい。9月の音楽祭のプログラムもまだ発表されていない。

9月にはベルリンでペトレンコの翌々日ぐらいにエンゲルが振ったが、今年も12月初日の日曜日にミュンヘンではペトレンコがアカデミーコンサートでトリフォノフと共演する。この4月もフランクフルトのエンゲルとバーデンバーデンのペトレンコが重なる。これはなにも偶然ではなく、興行的に顔見世するのは同じ日時になるということで、分野が全く異なるので競演するという形は今後とも続くように思われる。21世紀前半の音楽芸術のメインイヴェンツである。

そこで、ドレスデンから踝を返して、ミュンヘンに向かう心算だ。前回はベルリンからイザールフィルハーモニーへとエンゲル指揮クラッツァー演出「メデューサの筏」の為にベルリンに滞在してフィルハーモニーでの定期演奏会の翌日だった。

12月であり旅程的にはそれ程確実性はないのだが、例年ならば雪のある時期ではないので、なんとかなるだろうと予想している。前回は9月の日曜日の早朝にベルリンからミュンヘンに向かったのでとても楽だった。寧ろ気になるのはドレスデンに時間通りに辿り着けるかどうかであろうか。



参照:
大喝采のそのゆくへ 2022-06-06 | 女
モンスターのパラダイス 2025-03-07 | 文化一般
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アーモンド開花祭り前夜

2025-03-21 | 
歯医者に出かけた。残念ながら上顎の違和感からは解放されていない。然し、新しい機械でレントゲンを撮って、状況は確認できた。想定通り歯根の炎症で、痛みが無くなったのは神経がやられたからだろうという診断だった。

結論からすると、二時間二回の歯根治療で可也の確率で先ず歯は救えるという事だった。それでも冠の必要性があり、同じ炎症にある隣の歯を救えるかどうかというところだった。更に奥にカリエスが発見されたが、これは通常の治療になる。歯根治療は通常の保険が下りないのだが、プライヴェート保険なので関係ないといことだった。個人的には半分自己負担としている。

五年ぶりの女医さんであったが、ホームページのお写真はおばさんくさく見えたのだが、以前よりぐっと良くなっていて驚いた。お化粧している関係もあるのだが、五年前には歯科衛生士の娘かという感じの一寸安っぽい感じもあったのだが、落ち着いて凄くよくなっていた。恐らく旦那さんが可也いいのではないか。艶っぽいというよりもより娘っぽい感じになっていて、これは旦那の実力か。声の出し方や、五年前よりもお淑やかな感じで、ドイツ女性にはとても珍しい。

身体は決して小さくないのだが身のこなしもよりすっきりとこじんまりとした感じで、顔も小さくなったような感じなのである。色々な名家の娘さんなども見ているが、こういう感じの人は珍しい。旦那はここに来ていたエリートの患者さんだったか。

然し考えてみるとあの頃はマスクのみならずゴーグルまでしていたので、全体のバランスをあまり見ることがなかったのかもしれない。想定していたよりも美人だった。それにしてもその写真は全然よくないのはなぜか。

それで「次の予約を取ってね」となると、「それではまた」とにやにやとしてしまう。またまた新婚さん夫婦に刺激を与えることになっちゃったかな。いつもなんか刺激しちゃうんだよね、僕は。然し中年になったら余計に美人は特やな。

反面公衆衛生の歯科衛生士さんは、アシスタントのおばさんで、これは一寸料金の価値があるのかどうか。1時間程痛い目に遭わされて、更にレントゲン迄やって貰った。結構稼ぐのだろうが、医者よりも疲れるだろう。それでも体格は立派で堪えないのだろう。

前夜は、一っ走りする序に燃料を15リットル入れた。多過ぎたかもしれないが、スーパーでリットル165だったので、10リットルでまた直ぐに高いのを入れるよりはマシと思った。幸い、フランクフルト再訪までにもう一度歯医者にも出かけることになったので、上手く使えるだろう。フランクフルト往復も今回はハイオクでは無しにガソリンを継ぎ足せばよいかと思う。夏タイヤになればまたハイオクで徐々に最高速度領域に持って行きたい。

今週末からワイン街道でのアーモンド開花祭りらしい。二週間で終る。流石にその後に雪が積もった覚えはない。但し緑の葉が広がるまではまだまだ冷える時はある。タイヤに関して言えば、明け方凍りそうなところを走ることさえなければ問題がない。ワイン街道では6月までは霜は下りても、凍結するようなことは記憶にない。



参照:
夕方から初日生中継 2024-03-10 | 暦
アーモンド開花祭りは未定 2013-04-02 | 暦
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35年前の記憶を辿る

2025-03-20 | 歴史・時事
氷点下での起床。早めに起きた。翌日の歯医者の予約に合わせてだ。寒さも明るいのであまり感じなかった。前夜に4月初めのタイヤ交換が早過ぎたかどうかが疑問になった。独逸では所謂四月の天気と呼ばれる変わりやすさがある。それは毎年変わらないが今年は復活祭が4月20日と取り分け遅い。するとその期間に何が起きるかとなる。つまり3月一杯は此の侭早春らしい天気で進行して、花が咲き乱れとなるのだが、4月に雪と氷に閉ざされる恐れがとなる。

それが不安の理由だった。一般的にアルプスのスキー場の春スキーというのは、その復活祭で終わる。要するにシーズン最後の掻き入れ時なのである。その時にアルプスに車を走らせるので、その後にタイヤ交換を予約しておくというのがおおい。実際に復活祭にバーデンバーデンに出かけようとしたら裏山が積雪で入れなかったことがあった。

さて今年は3月終わりに夏時間となる。夏時間になって積雪は地元では経験がない。勿論シュヴァルツヴァルトの1000mのところでは雪が積もっても流石に街には積もることはない、そもそも現在のように明るいところでの雪がサングラス無しにサンクリーム無しには歩くことも不可能だろうと思う。車を運転していても夏の陽射しの有害線を熱をサイドのガラスが十分に遮っているのかどうかが心配になっている、二重窓の割には透明度が高いような気がしている。

歯茎の膿は小さくなったようで触って分かる所の場所が小さくなった。上手くやれば薬で散らせるのかもしれないが、原因がどこにあるかだけである。若干余計に浮いた感じが残る感じがする。何ごとにしても患部が小さくなることは悪くはない。そしてそれだけの免疫力を消耗している感が余計に強くなった。

慢性の病気の人はこうした違和感が残るのはさぞかし嫌だろうなと思う。痛くて堪らない程ではなくても違和感が無くならないと健康感には繋がりにくい。ここまで長引くと健康になりたい感が強くなってきた。

DCHでラフマニノフ作曲「フランシスカディリミーニ」をハイレゾで流した。やはり生放送の時とは印象が大分異なった。同じ題名曲のチャイコフスキーの管弦楽曲の場合コロナ期間の無観客公演で行われていたので、やはり演奏としては冴えなかった。実際にフィルハーモニカーがチャイコフスキーに慣れるのはバーデンバーデンでの「スぺ―ドの女王」公演以降のことであった。その前に先日ハムブルクで亡くなったグバイドリーナ作「神の怒り」が演奏されていた。

その演奏以前に亡くなった作曲家が西側に亡命したのがゴルバチョフ時代の外国旅行許可の後となっている。1989年5月のクレメルらの演奏会で後ろの席に座って初めて顔を見た。まだまだ緊張した感じであったが、結構な年齢である印象があったが、1931年10月チストポール生まれとあるから、57歳だったようだ。

一昨年のボッフムでの1970年の映画音楽がエンゲル指揮で演奏され放送されたが、1960年代にショスタコヴィーッチに学んで、その後反体制派ニコライボーコフと結婚、1969年にイスラムからキリスト教に改宗している。その時の勢いが手に取るように聴かれた名曲であった。



参照:
対象への認知の距離感 2023-10-08 | 音
ここらでなるか無重力 2025-01-19 | テクニック
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