Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ピアノ付きの演奏会アリア

2022-10-07 | 
承前)日曜日のクロンベルクの演奏会、なにも禿頭を観ていたばかりではなかった。プログラムとしての頂点は、アナ・プロハスカが歌った「イダマンテの歌」から編曲のコンサートアリア「あなたの事を忘れろというのか」K505であった。コンサートアリアとして注意していなかったのでお勉強をしていなかったのが残念だった。そもそも管弦楽が伴奏するコンサートアリアに平均率ピアノが入っていることが分からなかった。実際にはモーツァルトが伴奏したらしい。所謂弾きぶりだったのだろう、レチタティーヴ付きロンドピアノ協奏曲と考えると間違いか?

当夜の感想としては、おかしな伴奏から逃れて、ピアノのしっかりした伴奏で歌が聴けると嬉しかった。実際に伴奏のヘルベルト・シューヒュというルーマニアのピアニストは上手く、調べるとエコー賞もウルマンの協奏曲録音でとっているソロストだった。なぜこの人がここで出てくるのかは分からなかったのだが、プロハスカがそのピアノに合わせるのを聴いていると仲のいい人ではないかと感じた。少なくとも音楽は指揮者と違ってしっかりしていた。ただそれだけに余計に古楽奏法と現代のピアノの間に違和感もあって、管弦楽が適当にオブリガートであとをつけているような感じさえした。恐らく元々その様な曲なのだろう。

プロハスカを意識したのは、一昨年のザルツブルク音楽祭回顧番組のカラヤン指揮「バラの騎士」でのシュヴァルツコップを筆頭とした女性歌手陣の歌へコメントをする番組からで、実は2015年にも復活祭でラトル指揮で聴いていた。恐らくラトルがベルリンで指揮した中で指折りの名演だった「ファウストの劫罰 」で歌っていたのだが、おぼろげながらの印象しかない。そして今回批判的に聴くと、やはり声の質つまり発声への拘りやレパートリーの深め方はとても良いと思った。

まず最初にモーツァルトの「コシファンテュッテ」のフィオルデリージのアリアを歌ったのだが、この声はザルツブルクで聴いていないかと懐かしく思った。調べてみると同曲は二回中劇場で聴いているのだが、彼女の歌ではなかった。それほどモーツァルトのイタリア語の歌のスタイルを作っていた。それが顕著に分かるのは、ベルクの「抒情組曲」にドイツ語歌詞をつけたものを歌ったのだが、横からだと全く歌詞が聴き取れないのである。恐らく編曲者の亡くなったオランダ人作曲家の責任だろう。ベルカントってイタリア語の言葉を知らなくても聴き取れるのでそれ程なのかと改めて感心した。

そして、アンコールには久しく聴いていなかった「フィガロの結婚」から薔薇を抱えながらスザンナのアリア。もしかしたらルチア・ポップの歌声以来ではなかろうかと思った。勿論声質は違うのだが、決して容易な歌ではないと思うのだが直ぐにその劇に引き込むような技能と舞台態度は感心した。これだけ頂点の歌唱を聴いていても満足出来るのだから大したものなのだ。なぜ、もう少し舞台に出ていないのかは分からない。声は確かに大きめではないので大劇場では厳しいのだろうが、理由は他にもあるのだろう。

昨年ペトレンコが振ったマーラーの交響曲四番の編曲者が彼女の家庭教師で、玄人筋の出身であるから音楽に対する接し方がやはり違うというのが正直な感想であった。(続く)



参照:
銅鑼の余韻の領域限界点 2015-04-07 | 音
またまたTacetの芸術 2021-03-01 | 女

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