Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何一つ出来る事は無い

2006-09-07 | 雑感
ここ三年ほど親しくしている友人が六週間ほど前に交通事故に巻き込まれた。その知らせを受けたのは、事故後一週間ほど経っての五週間前のドロミテの山小屋であった。

今回のドロミテ滞在前にも気になっていたので、山小屋でその後の経過を訊ねてみると、少しながら様子が知れた。四週間ほど前には既にICUから普通病棟に移されていたので、様態は安定していると思っていた。その後の経過が知りたかった。

その事故当日、二つほど隣の町へと、日曜の朝早くもう一人の仲間と自転車で、我々との待ち合わせ場所へと向かっていた。そして乗用車に撥ねられた。激しく首を捩じられたという。詳細は、同行していて無事だった者に直接聞かなければ分からない。

本人は、家庭も無く一人者であると今回初めて知る。六十歳を越えている。彼は、病院への見舞いを一切断わっている。しかし、栄養の摂取を拒絶しているとは知らなかった。

我々には何一つ出来る事は無いと言うが、本当にそうだろうか。落ち着いて考えてみる。本人の性格を知らないでもない。彼なら吐き捨てるように言うだろう、「エーイ、役立たない体などどうでもしてくれ。」と。

身体の麻痺と回復の可能性もしくは容態の不調が、先行きの希望を奪っているのだろう。医学的見地は定かでない。しかし、オランダならいざ知らずドイツにおいて、尊厳死と認められるのは極限られている。

医師やカンセラーなどが様々に試みているのだろうが、本人の生への意欲が大切であると思うと心配である。花の冠を贈ってみよう。嘗て使った事のあるネットでの配送システムである。黄色の薔薇とアイリスの入った冠が緑の葉で囲まれているのが良さそうだ。

250文字のカードを添える事が出来る。近いうちに皆で囲める事を願っていると書く。なにか少しでも役に立てばと祈る気持ちである。

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8 コメント

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事故! (やいっち)
2006-09-07 07:56:36
友人が事故に遭われた。しかも自転車で。

仕事柄、事故と聞くと心が騒ぎます。朝礼でも毎日のように、自転車やバイクとの事故事例の話がある。

治療拒否…。

病気の場合、本人が直りたいという意欲がないと、治癒に時間が掛かるとか。

あるいはお医者さんの大丈夫という説得に納得しないと、やはり予後にかなりの違いが出てくる。

最後は、生きる意欲ですね。

さて、自分はどうだろう。

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何一つ出来る事が無い (pfaelzerwein)
2006-09-07 15:00:24
こうした交通事故が周りで起こるとは。それで、容態は安定したとしても、身体が不自由とすれば。



不慮の事故から、強要される急激な転換。



経済面を含む将来への不安。



容易に気持ちを切り替えるのは難しいです。それも自らで何一つ出来る事が無いとすると。機能回復訓練か何かへの希望が生まれてこないと。



責任云々の問題でなく、車を運転していた当事者もただならぬ事でしょう。
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御無沙汰してます (circle51)
2006-09-07 23:26:05
pfaelzerweinさん、こんにちは。

今回の更新、胸が痛みました。

人間の生きようとする気持ちは、一種の信仰のようなものなのかも知れない、と考えたからです。

肉体は栄養素を自律的に求めるのでしょうが、想念もまた肉体の一部だとして、そこにまだ幾つもの枝が伸びていて欲しい、と思います。

祈り、とでも言えば良いのでしょうか。その方と何ら面識の無い私の中にさえそのような感情が溢れるわけで、pfaelzerweinさんのお気持ちをただ察するばかりです。
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気がかり (pfaelzerwein)
2006-09-08 06:35:32
circle51さん、ようこそ、コメント有難うございます。



元気な者でも拒食症とかあるんですよね。こうして記事を書いて、カードの原稿も考えていても、本人の身になるとなかなか考えが纏まらない。



栄養摂取拒否の意思を表明する状況。肉体的・精神的どちらにも安定が得られていないと察せられます。



きっと、どちらとも言えないのでしょう。だからなんとも気がかりです。



ジョルジュ・リゲッティ関連の記事でいづれリンクしようと思っているのですが、それはまた改めまして。
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Unknown (magnoria)
2006-09-09 22:02:45
ご無沙汰しております。ブログはいつも拝見しております。お友達のこと、心配ですね(^^;。私はリストラを経験しているのでわかるのですが、人間は肉体の外傷でも精神的外傷でも、自信をなくし生きる気力をなくしてしまうのです。私の場合7年ほどの引きこもりの途中でうつ病になり、寝た切りになって2年ほどして、好きな高校野球を見ていた時に、感情が蘇り、起き上がることができるようになりました。だから、その方のお友達が声を掛けたり、その方のお好きな音楽を掛けたりしてみたらどうかと思ったのですが?
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出来ること (pfaelzerwein)
2006-09-10 22:02:58
寝た切りになって2年から高校野球、劇的な転回ですね。ある音楽大の学長が講演で、ある世界的ヒット曲を流すと、反応しなかった老人達が急に反応し出すと言うものがありました。何が切っ掛けになるか判らない。身体も精神も簡単に切り離せない。
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なにか少しでも (artshore)
2006-09-13 10:31:01
つい先日年若い友人の死を知らされました。

事故死、ときいていたのですが、

自ら死を選んだようです。

もはや項垂れるだけですが「なにか少しでも」

との悔いが残された者にはあります。

ご両親の傷みを思うとなおさらでした。



コメントありがとうございます。

>BLOGにも寿命

そうかもしれません。

まあ、こちらは蘇生転生自在ですが。
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何かが起こることを期待 (Pfaelzerwein)
2006-09-13 21:11:13
自ら死を選んだ友人、残された者は無力感しかないでしょう。



今日ぐらいに花冠がベット脇に届いていると想像しています。少なくとも何かが起こることを期待しています。



またその時を楽しみにしております。
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