Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

浮かぶ、あり得るべき姿

2008-06-08 | 歴史・時事
ドイツ社会は情報の権力構造で揺れている。ドイツェテレコム幹部による諜報活動指示は、情報の保護の面から、先日連立政権で可決した政府への情報の啓示と管理のための電話等の情報の記録保持の義務延長の法案のその廃案へとの論議を過熱させている。

会社幹部が従業員の会話等を盗聴したりスーパーの従業員更衣室をヴィデオで管理したりしていたスキャンダル以上に、旧東独シュタジ専門家の会社へと業務を指示していた旧公社であり現在も政府が大株主であるこの企業のあり方が問題となっている。

ジーメンスなどが海外で行なった使途不明金の裁量を持つ幹部やESDA社の元代表のインサイダー取引疑惑逮捕などをみても、こうした大企業の幹部の倫理問題が問われているのだが、それ以上に今回のスキャンダルは国の内務機能と一体化した金の動かない大疑獄として、情報が権力と直結する実際と今後の社会のあり方に警鐘を鳴らしている。

ベルリンの内務大臣であるショイブレ博士が進める管理体制は、角度を変えれば特定政治家や特定企業人への権力の集中と掌握を進めることであり、それは保護されるべき個人情報の政府管理に他ならない。社会秩序の安定のための寄与は、嘗て今までにない情報の管理者である大権力者を生み出そうとしている。

これほど複雑化した社会において、カオスとならない情報管理が超高速の電算機によって可能となっているが、同時にまだそうした電子情報化されない差異にこそ、各々の市民が価値を見出すことが権力の集中への最大の防御策であるように思われる。

社会によるできるだけ少ない情報の掌握を保障する憲法の必要性が緑の党などによってベルリンで訴えられている。情報の開示を進める事は同時に個人情報の保護を意味するとすれば、そうした憲法上の保護は必要と思われる。

現在、情報漏洩による罰則がただの30万ユーロでしかない事からそれを千倍ほどにする必要が囁かれる一方、企業幹部の倫理の確立が保守党から叫ばれる。しかし、この恵まれた時代においてああした組織エリートのキャリアー自体がそのもの権力欲に根ざしたもの以外ではないことを考慮すれば、大組織の頂点に立つ者に倫理を求める事そのものが誤りに違いない。

つまり、現在社会において最もエリートと称される輩が持つ価値観を真っ向から否定して、市場捜査によって消費と市場が動かされる消費社会を破棄し、従来型の市場や権力者には経済的恩恵が行き渡らないような社会作りが急務とされている。

それは現在の原油高騰の責任が追及されるOPEC等への国際的な制裁への動きにも共通していて、あり得るべき社会秩序は、資本主義社会の終焉へと向って、その像がぼんやりと見えてきているような様子である。



参照:ケーラー連邦大統領の目 [ マスメディア批評 ] / 2008-01-02

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9 コメント

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自由意思があまり顧みられない社会構造 (pfaelzerwein)
2008-06-15 15:28:50
全く異なった視角で以って考えると、「古来からの立身出世や滅私奉公の価値観とあいまって」があったからの経済成長だったのでしょう。それは各国に各々の歴史社会的な背景があると思うのですが、日本の大問題は自由意思があまり顧みられない社会構造でしょうか。

社会の活力が経済的にも活きるのは、そうした創造力からに違いなく、リンクでも話題となっていた米国のヴェンチャー事業を真似したような若者の事業を社会の刷新とする経団連のような質の悪い経済人を擁く経済が先行しているから、米国の資本に上手く利用されるのは当然ですね。米国の活力がそこにあることを知っていて利権を争そうような輩は、お馬鹿さんでしかないです。

先日フランスで同室であった遠藤周作を英文で愛読するシカゴでMAを修得した人物が稼いでレクサスを買った話に少し批判的なコメントをしたのですが、そうした対話こそが視点に客観性を与える機会になります。

自由な思考や想像こそが最上段位おかれるべきものです。学術経済文化のこうした基礎がダイナミックな社会の展開を導く訳で、自由への闘争はどんなに強調されても多すぎることはありません。

秋葉原の事件などは、社会でもあり自分自身での縛りの典型ですね。さらに上手く出来たもので、その社会は13階段まで無料で準備している。法秩序の基礎的な構造が理解運用出来ていないからこうしたおかしな社会が出来上がっているようです。経済的にのみならず心理的に悪い方へと進む効率の悪い社会機構が出来上がってしまっている。

国民心理と言うか、独特な情念的で非合理的な日本のような社会が、効率的なエネルギー消費などと表面的な事を言っているから、経済的にも将来への希望が皆無なのですね。

参照:http://iceburg.cocolog-nifty.com/iceblog/2008/06/post_a7ed.html
返信する
あ; (たる)
2008-06-15 12:31:27
すぐ上のコメントで、
原丈人さんは、そこまで見えているかどうかあやしい、
そういう文脈のつもりで書きました;

ごめんなさい;
返信する
少しおいて、数日考えてみて… (たる)
2008-06-15 12:26:24

世の中全体の縛りが、
強すぎるのですね…。

日本なら、古来からの立身出世や滅私奉公の価値観とあいまってか…
(イギリスもすごくそういう雰囲気ありそうでしたが)

日本は、お金を稼ぐ、出世する=モノ・カネの価値観で作られた社会です。
(いい学校はいって、いい会社行って~)
日本ははっきりいって、これ以外の価値観が非常に少ない状態です。
(多分近代という、働け~という価値観と、
古来からの立身出世的な価値観が、
合致して出来上がった排他的な価値体系、じゃないかな、と…。)


  このレールから外れれば、クズ。


で、レールから外れるのは一見自由といっておきながら、
レールから外れる=雇用柔軟層になることを示しています。
…結果、実際に壊れていく人が山のようにいて…


(ある先生が、学生に「わたしが壊れる時」というタイトルで、
作文を書かせてみたら、全然書いてこない。
ところが「壊れた私」というタイトルで書かせると、すごくリアルに書いてくる。

…こういったことを仰られていました。)


ここまで、この価値観から外れることを、
「死ね」といわんばかりのきつい縛りで縛っている。
ー考えることも許されないくらい余裕のない、
雇用柔軟型へ追いやられてしまう。

どのようにして、人間は個を作っていくのか…。

本来、この価値観以外にも、いっぱいいろいろな価値観があって…
茶道、お坊さん、釣り、登山、料理、星空の文化、謡曲、古典、文学、野球、サッカー…

ある程度食べて行けたら、
各々がそれぞれの価値観のエキスパートになればいい。
本来はそうなのです。
色んな価値観で、その人にあった価値観で、
自分を作っていけばいいし、新しい価値観も洗練しながら作られていけばいい。

(ウェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神の、
教育と生産性のくだりとか見たり…
まあ、デューイの民主主義と教育は読んでないけど…)



ところが…

バカなエリート気取りの大ばか者達が、
そういう社会を閉塞させる方向へばかり舵取りをしている、
…先ほど述べたような、食えないという形で追い込んで、文化を貧困にしながら、
経済数パーセント成長という目的を達成するために…(いつまでもそんなこと続けられりゃしないのに)。


さらなる大ばか者が、

毎年経済は数パーセントの経済成長をしていくー
経済成長には生産の拡大が必要ー
①生産の拡大には石油がいる…石油をとりにいって実際に爆弾を落とす連中がいる
②生産の拡大には石油を使う…京都議定書を離脱した連中がいる

こんなことまでやってしまう。
(そして国内では、数パーセントの経済成長を達成するために、
余裕のない生活を人々に強いている。)


ポイントは、考える余裕のない生活を人々に強いるという点が、
結構ある気がするのですね。
(原丈人さんは、この辺りまで見えているのかなーという気がすると同時に、
雨宮処凛さんなどのプレカリアートやっている人たちは恐らくこの辺のボンビー労働社会を見抜いているので、
両者を対置しながら見ていくと面白いかも…と思ったりも)


普段壊れそうなまでに圧搾感を受け、
しかも考えにくい状態に極限まで置かれた人が、
例えばぬけぬけと秋葉原で息抜きをしている人たちを見かけたら…

ホームレス狩りやメイド狩りのように、
何か得体の知れないものをぶつけたくなるだろう…とは思う。



ただもちろん、人々が自分自身で考えないということもまた、
大きな要因ではあると思うのです。

考えさせないーと、考えない。
で、気づかない間に考えさせない方に移行する社会。


この辺はバランスもあるのではないかと思います。

要は、楽しみながら、
社会を見通していかないとしょうがない…気もしますね。
可能なら、見えたとこから動いてもいいし。


(僕は、海外ではオーストラリアやロンドンなどを見てきましたが…
人が暮らしやすい土地かといえば、少なくともロンドンと東京は、
失格ですね…。僕が見る限りでは。)
返信する
情報の独占化と共有化 (pfaelzerwein)
2008-06-13 13:25:37
「情報を持たない&提供されても判断する能力を持たない」―

本質的なテーマですね。判断停止状態はいろいろな破局的局面見受けられると思うのですが、盲人が象の鼻を触るような状況は進んでいます。

可能な限り、端末と全体の構造を一瞥出来るような状態を作っておかなければ、情報の独占化は進んでも共有化は不可能となります。

しかしこれは一方においては歴史的な必然であって、未だ嘗て広く共有化出来た社会は稀だと思われます。

そのように考えると、一括される大衆が、各々端末を担って情報を着発信出来る技術的体制が整って来たので、嘗てない程に情報の処理と発信を学ばなければいけなくなりました。

「消費者の安全を保護」の過剰な行政への期待などは、そこで如何に大衆教育がなされていないかの表れとおもいますがどうでしょう。勿論、教育とは広義な意味で、文化と言い替えても良いものですね。
返信する
しかしあらゆる方面で (たる)
2008-06-12 23:31:40
地に足が着かないようになってきている感がありますね…。

世の中は知識だけじゃないところもあるから、
それぞれの人が色んな自分の楽しみを大事にしていく、
そんなところからもう一度はじめるしかないかもしれません。・・・地に足が立ちたいならば。
返信する
ですね・・・。 (たる)
2008-06-12 23:23:19

勉強になります。
リナックスについて友人に聞いてみたら、
ヨーロッパではそこそこ使われていて、
マイクロソフトのシェアもビミョウに落ちてきているらしいですね…。

日本は相変わらずかなあ…。


サブプライムローンはまさしく仰られるころが象徴された問題で…
情報の独占もそうだし…。

(わけのわからんことをして商品の数を増やして、
(例:一つの土地を32分割して32個の商品にする←そんな小さな土地使えるかい!)
その商品に格付け会社がAAAとつけることで、
投機資金が流入し、商品の値段が上がる…時価総額も上がる。

…崩壊したらやばすぎ。)

わけがわからないものにキレイなふたをすることで、
売り物に変える。


例えば一般消費者向けの商品などは、
情報を持たない&提供されても判断する能力を持たない消費者の安全を保護するために、
「このマークが張ってあれば、一般の消費者が通常の使い方をする限りでは、安全ですよ」
といった意味のマークを張ることで、
ある程度の安全性を確保できたりします。

ところがサブプライムなんかの問題では、その手法を逆手に取ったわけで…
格付け会社が投機目的の人とつるんでしまって。

原さんは、著書の中で、
社会に役立つ企業をリスクをとってでも育てていくのが、
本来のベンチャーキャピタルのあり方だといっているのですが、
そこは本人次第でシステムでは抑えきれない気がします。

もちろん、教育も大事なのだけれど…

結局は本人次第というか…仏教じゃないけど、気づいた上で後は本人次第、かな…。

そこを忘れると、ウェーバーの言う、末人になってしまいそうです。
「こうした文化発展の最後に現れる「末人たち」にとっては、
次の言葉が真理となるのではなかろうか。
「精神の無い専門人、心情の無い享楽人。
この無のものは、人間性のかつてない段階にまですでに上り詰めた、
とうぬぼれるだろう」と。
(マックス・ウェーバー著:大塚久雄訳「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」岩波文庫)


僕も、爆発的に広まれるだけの力があるかといわれると、わからないですね…。
まあ、winnyとかは数年前の日本ですごくはやってましたが;(爆)
返信する
本来の新自由主義 (pfaelzerwein)
2008-06-12 13:58:25
両記事ざっと読みました。

一つは、市場原理主義のグローバル社会におけるライフスタイルの問題でもあり、もう一つは、情報も商品化されることでその経済価値が情報格差を拡大する問題でもあるでしょうか。

端末機のあり方は、リノックスなどの流れもあって、必ずしも逃げ道がないようには思わないのですが、逆に技術的な背景が見通せるような努力と教育によって、ネットや人工知能への理解を高めていくことが必要と思われます。

PCにおいてもますます表面の対応が発達して、その背後と端末使用者の間にますます距離感が広がってきているのでしょう。明日、初めて評判のすこぶる悪いVISTAを余所で触らせてもらう予定です。

世界の実態はそれほど変わらないでも情報化によって更に複雑になっていて、各々の専門分野においても把握が困難になってきているのが21世紀の特徴ですね。

それを人為的な部分 ― グラフィカルユーザインタフェース ― にのみ注目すると、現在の新自由主義の弊害が現れてきます。しかし本来のそれは、インターフェースを単純化して見通しを利くように再セットアップしようとする考え方な筈です。

今や電話でもインターネット無しには考えられないことから、私も25年ほど前は期待していたピア・トゥ・ピア型のコミュニケーションは技術的に困難と思うのですがどうなのでしょう。
返信する
すみません; (たる)
2008-06-12 00:31:21
文章がところどころおかしいですね;

ねぼけてるなあ;

では、失礼しますっ。
返信する
こんばんはっ。 (たる)
2008-06-12 00:00:17

お久しぶりです。
関連あるかどうか分からないけど…
こんな記事を書いてみました。
http://blog.goo.ne.jp/taiju0/e/6fc5154ead8094a84f5591f6eb02e1d7

原丈人さんという人が、面白いことをいっていて…。
(彼の対談は、例えば。
http://www.1101.com/hara/)

例えば、パソコンを例に挙げると…

そして今ネットにつなげる手段の大部分を占めている、パソコン。
そしてパソコンは、ウィンドウズを介さないといけない構造から、
この10年まるで進化しない。

質はあまり上がらず、
独占だけで利益をたたきだしまくる企業。

そういうのじゃなく、
本当に情報化社会を実現するための技術と、
コーポレート・ガバナンス(僕はなじみの薄い言葉だけど)のあり方を述べています。

要は、パソコン「でしかつなげないから」独占が起こる。
(マイクロソフトはパソコン関連の会社を常に二番手買収した会社だから…)

そうじゃなくて、色々な機械で、コンピュータを使って、
情報網にアクセスしていこうと。

この人の考え方は、メディアが本当に人々のためになる形とはということを考えている、
一部のプレカリアートと対置しながら捉えると、
面白そうでした。


しかし、ドルの相場とあいまって、
値段を高く設定したい産油国と、
金儲けしか考えない投機資金の人たちは、困ったものです…。
日本でもガソリンが1lで170円くらいになりそうです;
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