Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

悪魔に取り憑かれるか

2022-06-23 | 文化一般
「ルードンの悪魔」のお勉強を始めた。現在のところ総稽古の写真等が出ていて、演出にもある程度の予想が付くようになった。

先ずはショットの見本楽譜を捲る。クラスターの使い方が目に付く。そして歌詞と台詞をぶっつけてくる書法である。微分音に関しては先月のハースの2010年代の作品と1968年の作品では四十数年の間隔が空いていて比較のしようがない。

前者もハースが語っていた長短音楽システムの中で解決され得なかったディアローグの瞬時の変化が大きな課題とされていたが、ここでは台詞として上手にそれを逃げている。その分バス音が残るだけの繋ぎとなっていて、些か粗っぽい解決法にしか思えない。

Krzysztof Penderecki: Die Teufel von Loudun / The Devils of Loudun (1968-9)

初演が委嘱作品としたハムブルクで1968年に初演されている。そして映画化されてヤノフスキー指揮の演奏で残っている。その映画化では歌手のトロイヤノスの大きな眼が主役になっている。Wikiによるとその歌謡の書法に関して非難していたとあるが、今回の歌手ステユンディーテには問題がないように思った。演出写真を見ると中々当たり役になりそうな気がする。それはザルツブルクでのエレクトラでも同じだったので、役作りをしてしまうと歌よりも独特の雰囲気で役よりも歌手が前に出てくるようなキャラクターがあるからだ。病的な感じが悪魔に憑りつかれたり、エクソシストの話しには似合う。

ポーランドのペンデルツキがドイツ語で書いているのだが、初演後にも改正されて出版されているようで、実際に初演されて様々な問題が見つかったのではなかろうか。その一部始終を想像させるような映像制作であって、今回はそれを流した。今でもそれが代表的な映像のようだ。その直後の再演はシュトッツガルトで成功していて、可也再演されている作品のようである。

しかしそのヤノフスキー指揮の音楽は、その指揮者の代表的な仕事であるのだろうが、その演奏を聴くとまるで今の一発芸の出所はここにあるような演奏をしている。やはりペンデレツキとの近親性があるのか、音楽表現がそのままの感じだ。

そして今回支配人のドルニーがどうしてこの作品のミュンヘン初演を行わないといけないとしたのか、まさしくそれが今回の公演の要旨であろう。なるほど五月のハース作品でオペラの歴史の現在までの頂点として最初と最後を囲んだことになる。今後はその間にモーツァルトとかの他の頂点と共に中継点を打っていきそれを繋いでいくようなコンセプトになるのだろう。その中で一体この作品がどのような位置づけになるのか皆目分からない。

オペラのメッカミュンヘンで上演する限りは、再演ものならば少なくとも音楽監督が指揮するとなるならば、その作品演奏の最高峰となるようなものが求められる。しかしどう考えても、ユロウスキー指揮でそこまで精妙な演奏が期待されるでもなく、そのような楽譜でもないだろう。ここが最大の疑問点。



参照:
バタバタしないように 2022-05-11 | 料理
「シーズン最高の初日」の意 2022-05-24 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする