goo blog サービス終了のお知らせ 

Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

平和、寛容への合同演奏

2018-09-11 | 歴史・時事
平和で寛容な共生のためのゲヴァントハウス管弦楽団とシュターツカペレドレスデンの合同演奏会

ゲヴァントハウス管弦楽団とシュターツカペレドレスデンは、名誉指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットのもと、平和で寛容な共生のためのシグナルとして合同で演奏会を開きます。

ザクセンの両大管弦楽団は、9月15日20時から、合同コンサートをヘルベルト・ブロムシュテット指揮で開きます。共有するこの音楽的なステーツメントに措いて、ゲヴァントハウスと州立オペラの演奏家やその組織として大きく危惧するところの社会的な動きが契機となっています:見た目が違ったり考えの違う他者への拡大する非寛容と攻撃という事であります。

ゲヴァントハウスとシュターツカペレドレスデンには、現在20か国以上の国からの互いに尊重されるべき団員が貢献しています。彼らの仕事は、国際性と相互交流から成り立っており、そのような基礎が無ければ、そもそも創造性が開くことも無く、芸術的質も存在しません。両歴史的管弦楽団は、ザクセンを代表する文化的組織であり、世界に輝く名声を以って、世界中に招かれ、そして世界中からのお客さんを迎えているのです。

両管弦楽団は、嘗てのカペルマイスター若しくは首席指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットを名誉指揮者としており、氏に特別な関係を感じております。氏の指揮者としての卓越した芸術的な貢献の他に、その隣人愛、扶助そして共に開かれた精神の社会的に価値のある人物としてあります。氏は、両管弦楽団並びに州の歴史をその変革の前と後の双方で経験しており、私たちは氏が身近においてとても大きな貢献をしたことにとても感謝しています。

私たちは、対話とお互いに尊重される身辺を取り戻すことでのみ、恐怖の無い、活き活きとした社会が可能だと確信して止みません。両機関は、限りなく、私たちの社会の基本権と民主的な秩序に組します。私たちは、人々の間の尊重、寛容、開かれた世界に強く寄与したい。私たち、ゲヴァントハウス管弦楽団とシュターツカペレドレスデン、そしてヘルベルト・ブロムシュテットは9月15日ゲヴァントハウスにて、更に11月12日ドレスデンにて開かれるコンサートにて、このアピールを致します。

管弦楽の編成をその対話と民主的で世界に開かれた例示として、音楽の情感的な強さで以って、その国籍や宗教や世界観に問わずあらゆる他者への人間的な価値観と尊厳を伝えるように尽力する所存です。

Statement zu den derzeitigen gesellschaftlichen Entwicklungen



Gemeinsames Konzert für ein friedvolles & tolerantes Miteinander in unserer Gesellschaft - Gewandhausorchester & Sächsische Staatskapelle Dresden

Das Gewandhausorchester und die Sächsische Staatskapelle Dresden geben ein gemeinsames Konzert unter der Leitung ihres Ehrendirigenten Herbert Blomstedt als Zeichen für ein friedvolles und tolerantes Miteinander in unserer Gesellschaft.

Die beiden größten sächsischen Sinfonieorchester geben am 15. September 2018, 20 Uhr, ein gemeinsames Konzert unter der Leitung von Herbert Blomstedt. Anlass für dieses gemeinsame musikalische Statement sind gesellschaftliche Entwicklungen, die die Mitglieder der Orchester und der Trägerinstitutionen Sächsische Staatsoper und Gewandhaus zu Leipzig mit großer Sorge beobachten: Die zunehmende Intoleranz und Aggression gegenüber anders aussehenden oder anders denkenden Menschen.

Im Gewandhausorchester und der Sächsischen Staatskapelle Dresden wirken heute Menschen aus mehr als 20 Nationen respekt- und achtungsvoll miteinander. Ihre Arbeit lebt von Internationalität und Austausch – nur auf einer solchen Basis kann sich Kreativität überhaupt erst entfalten und künstlerische Qualität entstehen. Die beiden traditionsreichen Klangkörper dürfen ihrerseits als führende Kultureinrichtungen Sachsens mit internationaler Strahlkraft auf der ganzen Welt zu Gast sein und Gäste aus aller Welt in ihren Häusern empfangen.

Beide Orchester haben ihren einstigen Kapellmeister bzw. Chef-dirigenten Herbert Blomstedt zum Ehrendirigenten ernannt und fühlen sich ihm auf besondere Weise verbunden. Neben seinen herausragenden künstlerischen Verdiensten als Dirigent steht Herbert Blomstedt als Persönlichkeit für gesellschaftliche Werte wie Nächstenliebe, Hilfs-bereitschaft und offenes Miteinander. Er hat die besondere Geschichte beider Orchester und des Bundeslandes vor und nach der Wende mit-erlebt und wir sind dankbar, dass er unser gemeinsames Anliegen mit großem Engagement unterstützt.

Wir sind der festen Überzeugung, dass nur durch das Wiedererlangen der Dialogfähigkeit und des respektvollen Umgangs miteinander eine angstfreie und lebenswerte Gesellschaft möglich ist. Die beiden Institutionen stehen uneingeschränkt für die Grundrechte und die demokratische Ordnung unserer Gesellschaft. Wir vertreten mit Nachdruck zwischenmenschliche Werte wie Achtung, Toleranz und Weltoffenheit. Gemeinsam wollen das Gewandhausorchester, die Sächsische Staatskapelle Dresden und Herbert Blomstedt im Konzert am 15. September 2018 im Gewandhaus und einem weiteren, das am 12. November 2018 in Dresden stattfindet, dafür ein Zeichen setzen.

Mit unserem Beispiel einer dialogorientierten, demokratischen und weltoffenen Gemeinschaft, wie sie ein Orchester darstellt und mit der emotionalen Kraft der Musik möchten wir dazu beitragen, humanistische Werte und Respekt gegenüber allen Menschen, unabhängig von Nationalität, Religion oder Weltanschauung, zu vermitteln.

15. September 2018
20 Uhr, Gewandhaus

Gewandhausorchester
Staatskapelle Dresden
Herbert Blomstedt

Ludwig van Beethoven
Ouvertüre aus der Schauspielmusik zu Goethes Trauerspiel "Egmont", op. 84

Ansprache Herbert Blomstedt

Hector Berlioz
Symphonie fantastique op. 14
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヘーゲル的対立と止揚

2018-09-11 | 文化一般
そろそろ月末のことと年末のことを考える。月末のミュンヘンはオクトバーフェストの影響で泊まりが大変だが、もう一ついい宿を見つけた。価格は割引されても一泊76ユーロを超えていて安くは無い。そして市内から40㎞ほど離れているために40分ほどは時間をみとかなければいけない。それでももう一つの候補のアウグスブルクよりは片道20㎞ほど短いので往復の燃料費だけで宿代の差額26ユーロは簡単に賄える。更にキッチンがついているので、ミュンヘンで夕食を購入して来てもいい。折角だからビールも飲みたいとか、ダルマイールでディナーとかも考えないではないが、オクトーバーフェストのごった返した時は出来るだけ遠ざかる方が安全かもしれない。キャンセル無料の時期はまだまだあるが、これもそろそろ決めて行く。

日曜日は15時から記念公演「マイスタージンガー」で、前日土曜日は特別劇場公開に申し込んでいる。二時間ほどの案内であるが、特別な歴史的なところを見せてくれるらしい。土曜日に早くから出かけるか、日曜日の午前中をどうするかはまだ決めかねている。いづれにしても日曜日は20時30分頃には引けるので、帰宅しても午前様とはならない。これはとても安全だ。

年末は、11月の都合がつかないので漸く「オテロ」に申し込んだ。三回のチャンスしかないから当たるかどうかは分からない。但し今回はヨナス・カウフマンの為か高価だ。あまり高価になるとオパルンフェストと変わらなくなるが、先ずは新制作を体験するのが目的だから舞台が観れて普通に聴ければよいのだ。新制作で立ち見は構わないが、全く舞台が観れないのは困る。「オテロ」に二回出向くことは無いと思うので余計に適当な席が欲しい。

先日のインタヴューであったように、キリル・ペトレンコは演出によって音楽を合わせていると明言している。これは一部の玄人筋で而もそれほど劇場に通っていない向きにも驚きを以って聞かれたと思う。なぜならば彼のメトロノームなどの原典尊重を知っているからだが、最早将来のペトレンコ芸術論の項目になると思うのだが、彼のマーキングを解析してその実演を凝視している者には分かる。そこにマーキングされている赤と黄色の意味は、やはり音楽的に厳守しなければいけないところと、舞台進行によって合わせれる部分があるという事で、そもそも経験豊かな作曲家ならばそうした経過句を上手く使っているはずだ。インタヴューでは、全体の印象からその劇構成の重要点、また詩の韻などの置き方への留意で、変わるという事だ。実際に、ペトレンコの古典などの演奏を聞くと、そうした柔軟性があることもその楽譜と時代考証などから傍証されているようだ。一番典型的な例はベートーヴェンに措けるソナタ主題間のヘーゲル的な対立と止揚の扱いとなる。勿論、そこに重点を置いたフルトヴェングラーにおける強調と解析とまではならない。全く以って本人の主要レパートリーではないからだ。
"OFFEN GESPROCHEN" – Nikolaus Bachler und Kirill Petrenko über die Spielzeit 2018/19 cf.11m58s


サイモン・ラトルがなぜベルリンを辞める必要があったか、アクセスが相次いだので、もう一度アップデートした形で纏めておこう。その一つは指揮者としての職人的な技量にあった。これは団員がインタヴューで述べたように、「指揮者の欠点」であった。同時にもう一つフィルハーモニカーの土壌ではラトルがやりたいような企画にも限界があり、それ以上にそれに合わせた楽団改革などは不可能だった。これは同じ団員が示唆した楽団の欠陥だったろう。その点に限ってはペトレンコ体制でも変わらないが、本来の伝統であるドイツ的なサウンドを構築することでの改革が可能になった。要するに作曲家アーノルト・シェーンベルクが指したような「ドイツ音楽の優位性」がべルリナーフィルハーモニカーで再獲得される可能性が出てきた。これが今回の一連のツアーで示された。それに類する言及がツアーでの各地からの上質の批評だった。

余談だが、日本のネットを見ているとフォン・カラヤンがドイツ音楽の継承者のようなことが書いてあって、椅子から転げ落ちそうになる。一体日本のドヤツがそのようなデマを流したのかは知らないが、恐らくティーレマンの販促にカラヤンを継いでドイツ正統派などと囃したのだろう。先年亡くなったドイツ最高の音楽評論家とされたヨアヒム・カイザーの1994年12月10日の南ドイツ新聞から引用しよう。先週我が家の斜向かいで演奏会を開いたユステュス・フランツと並べて、カラヤン、べルリナーフィルハーモニカーをエンターテイメントを超える妄想者として扱っている。自己実現から遂に、さもなくば特別に専門的なジャルゴンに寄り添うことも出来なければなにも分かりもしない人々に作品や思想を仲介して人生の質を向上させる人間性に溢れ、事に即した仲介者の良きエンターテーメントから、赤道のように見えない境を超えてしまって、軽薄なドサ周りの成功を繰り広げる連中としている。

なるほど南ドイツ新聞は、彼が昔いたエリート層向けのフランクフルターとは違って高学歴化のキャリアーを上がる読者層とする左翼新聞ではあるが、連邦共和国の大日刊紙には違いない。だからザルツブルクへ集う人のある部分は必ずこの新聞の読者である。これが今でも通用するドイツの最重要な視点であるが、カイザーの友人と称する故吉田秀和はこれに相当することなど一言も提携紙朝日新聞に書いていない。それはなぜか、全ては銭の為だからだったのだろう。

そしてカイザー教授は読者に向けて書く。「人気のあるよきエンターティナーと止まりの無いポピュリストたるセクト野郎をどのように見分けるのか?もしネットで簡単に分かるようだったら、評論家とか、専門家とか、編集者とか、美学教授とか、識者なんて要らんよ」。
Folge 11: Warum gilt Wilhelm Furtwängler als größter Dirigent aller Zeiten?


ジャーナリズムさえ未熟な日本に向けて、こんなことを言っても仕方が無いのかもしれない。



参照:
ホールの長短を聞き取る 2018-09-10 | マスメディア批評
初心に帰る爽快さ 2018-09-09 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする