Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ホールの長短を聞き取る

2018-09-10 | マスメディア批評
ヴィーンからの放送を聞いた。一番良かったのは一曲目「ドンファン」だった。如何にも旅行疲れのような眠ったままの感じで始まったが、それでも今回の一連の演奏の中で最も精緻で、前日に野外で演奏したことなどから可成り抑えて、丁寧さが要求されていたようだ。しかしクラリネットのフックスが前打音を噛ませた後、主題が戻るところのストリジェンドで完全に目が醒める ― なんとスリリングな、楽員も血圧急上昇だったのではなかろうか。この辺りの活の入れ方は素晴らしい ― ルツェルンではベートーヴェンでこれをやってのけた。しかし会場の雰囲気には意外にそれ程の反応を感じなかった。この辺りが聴衆の質で、ミュンヒェンからやって来ている人などがどれぐらい雰囲気を作れるかだと思う。曲後の拍手の仕方でも全体の比率からすると核になっているのは少数だったようだ。

二曲目「死と変容」も精緻さでは負けずに、会場の鳴りもフォンカラヤンが旧大阪フェスティヴァルホールを参考としたようにその影響も感じられて、シュトラウス向きの会場だと感じた。この辺りの曲ならば毎年三回目で一回目のフィルハーモニーよりも聞く価値があるのは間違いない。但し後半のベートーヴェン向きのホールではないことは明らかで、声部が潰れてしまって、折角のドイツ配置が活きていない。これならば遥かにフィルハーモニーが良い。

そして三日後のルツェルンと比較では、ベートーヴェンでは全く利点は無かった。但し一曲目の「ドンファン」だけでなくて、このザルツブルクの音響には太刀打ちできないと思う。精度も始まりがあまり良くなく、不安定だったホルンの妙技などでザルツブルクと同じようにぶり返したが、ルツェルンでは最初から喧し過ぎた。

ざっと聞いた印象では、「ドンファン」はザルツブルクでが最高の出来で、「死と変容」も精度でも棄て難く弦の響きも格別だ、だが演奏の精度は落ちても壮大さでロンドンも良かったかもしれない。ベートーヴェンはアゴーギクの入れ方や多層な響きでルツェルンで、その次にベルリナーシュロースの公演だと思う。その場の演奏の出来がその音響とか環境と深く係りあっているので容易に分離するのは難しいが、録音から聞いても明らかな各々のロケーションの音響の違いは聴衆の質よりもその差の影響が大きそうだ。

ザルツブルクが意外に明るく大編成が精妙さに聞こえ、箱型とワインヤードの中間の扇型で、横に広い箱型のバーデンバーデンはこのザルツブルクとルツェルンの間だろうか。ルツェルンは小さめの編成ではその古典派の和音の乗りがピカイチで、ザルツブルクは大編成の鳴り切る透明さで優れる。フィルハーモニーも透明度など優等生的だが、初回は毎年演奏上間違いなく不利に違いない。反対にロンドンのドームはやや大雑把になるのは致し方ない。価格や旅行費用などを考慮すると更に人其々の選択となるのだろう。二年に一度のブカレストも仕事を兼ねて早めに一度試してみたいと思っている。まあ、今回の経験から何処も一長一短だと思うが、全部を通して聞いた専門家の評も出て来ると思うが、大枠ではあまり変わらないだろう。

朝の森は11度だったので涼しかったが、太陽が射して寒くは無かった。今週は忙しく一日しか走ってなかったことから、どうしても体を動かしたかった。車中のラディオは、スェーデンの総選挙、北朝鮮のパレード、米国の南米介入控えなどに続いて日本女性初のテニスチャムピオンが紹介されていた。やはり世界的に注目されることなのだと知った。出来れば週初めにも走りたいと思うがどうなるか。少しでもサボっているとやはり体の切れも悪くなった感じで気分も良くない。運転している時間も長くて腰にも張りが残っていたぐらいだった。



参照:
ずぶ濡れの野良犬の様 2018-09-03 | 音
19世紀管弦楽の芸術 2018-09-04 | マスメディア批評

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