ニューオリンズの状況は凄まじい。9月11日から出来たナショナルガードは、役立たないのか。テロリストの戦略家は、今回の米国のカタストロフ対策から学ぶ事が多いだろう。
それにしても、誰も余り語りたがらなかったというこの地方の貧しいスラム化した黒人の高い人口割合と貧困が一挙に世界中に知らされることになった。それだけでなく、弱者を見棄てる、真っ当な社会の構築に無関心な行政どころか、富裕層の援助だけでは足りないで海外からまで援助を受けると云う無力振りを示した。
思い出すのは、阪神・淡路の大地震で、その翌年にマッターホルンのヘルンリ小屋で会った独TV局PRO7の日本取材クルーの一人が語っていた言葉である。「一年後には誰も話題にしないので、我々は取材をしてみて大変驚いた。日本は、全て自前で復興まで扱ぎ付けていた。」。当時は、災害時のCNNの優秀さと較べ馬鹿げていて役にも立たないNHKラジオ死亡名簿読み上げ報道への批判(NHKより丁寧な回答も頂いたが)もあり、また復興時に陸の孤島化を繰り返さない為の情報網などの重要なインフラストルクテュアーへの見解が読み取れていなかったので、彼の見解には賛成しかねた。
その時に仮想していた米軍のカタストルフ時の威力が今回は示されないどころか、イラクより戻ってきたばかりのガードの部隊を派遣するのさえ渋り、結局は失われた時間に多くの生命が失われた。これは、当然ながら大きな批判となり調査委員会が開かれる事になっている。地元メーヤーは、「麻薬中毒者などは、薬が欠けると病院でも襲い狂う連中で、銃を手に持って何を仕出かすか分からない。」とブッシュ・ジュニアを直接馬鹿呼ばわりする。数日も何もせずに放置したとCNN等で語る上院議員や関係者は、「これがアメリカそのものだ」と断言する。
我々の多くは、どれほどにアメリカ合衆国が伝統的に世界中で最も嫌われ者であろうが、その良心を信じており、その残された半数の意見をも尊重している。しかし、非常時に見せる米国の恥部は改めて新興国の文化的水準を考えさせられる。これは、米国学者が欧州を非難して使う「美意識」と云う概念であり、米国の良心を無闇に信じさせる意識かもしれない。
腹が減らないように食べさせて、好きなだけ買わせた薬を打たせ、黙っていれば良いのだが、こうして注目されるようになると、労働力にもならず、購買力もなく、税金の無駄使いになるような「嘗ての輸入超過で不良資産となった輩」には、本当はどこかに早く消えて貰いたいのかも知れない。彼らは、無条件に悪なのである。
貧困の黒人層を「顔の無い顧客」として生業するスーパーマーケット等は如何ほどの援助をしているのだろうか?少なくとも自主的な提供によれば、食料の略奪などが起こり得る筈がない。麻薬を販売するブラックマーケットの富豪は、決して薬を無料で提供する事は無い。病院も彼らに提供する薬は無く、アフリカの何処かよりも遥かに酸酷な無法地帯が現出する。
また多くの米国人にとっても、自らが移民として這い上って来たように、この連中が中産階級へと近づこうとしない限り、余計に軽蔑さえ浮かぶばかりで同情の一欠けらすらも感じさせないのであろう。悪は滅びて、善は光り輝くという二律背反の、短絡で未熟な米国文化そのものなのである。こうなるとこれは、決して人種問題などではなくて、文化・思想の問題である。
何処かの誰かのように、「人のことは放って置いて、自分のことを処せ」とホワイトハウスに向って世界中から声が聞こえるようだ。ネオコンサヴァティヴの論者は、これを究極の理想としているのである。だから大統領が嬉しそうに復興を誓うのを、米国民は満足そうに喜ぶ。
それにしても、誰も余り語りたがらなかったというこの地方の貧しいスラム化した黒人の高い人口割合と貧困が一挙に世界中に知らされることになった。それだけでなく、弱者を見棄てる、真っ当な社会の構築に無関心な行政どころか、富裕層の援助だけでは足りないで海外からまで援助を受けると云う無力振りを示した。
思い出すのは、阪神・淡路の大地震で、その翌年にマッターホルンのヘルンリ小屋で会った独TV局PRO7の日本取材クルーの一人が語っていた言葉である。「一年後には誰も話題にしないので、我々は取材をしてみて大変驚いた。日本は、全て自前で復興まで扱ぎ付けていた。」。当時は、災害時のCNNの優秀さと較べ馬鹿げていて役にも立たないNHKラジオ死亡名簿読み上げ報道への批判(NHKより丁寧な回答も頂いたが)もあり、また復興時に陸の孤島化を繰り返さない為の情報網などの重要なインフラストルクテュアーへの見解が読み取れていなかったので、彼の見解には賛成しかねた。
その時に仮想していた米軍のカタストルフ時の威力が今回は示されないどころか、イラクより戻ってきたばかりのガードの部隊を派遣するのさえ渋り、結局は失われた時間に多くの生命が失われた。これは、当然ながら大きな批判となり調査委員会が開かれる事になっている。地元メーヤーは、「麻薬中毒者などは、薬が欠けると病院でも襲い狂う連中で、銃を手に持って何を仕出かすか分からない。」とブッシュ・ジュニアを直接馬鹿呼ばわりする。数日も何もせずに放置したとCNN等で語る上院議員や関係者は、「これがアメリカそのものだ」と断言する。
我々の多くは、どれほどにアメリカ合衆国が伝統的に世界中で最も嫌われ者であろうが、その良心を信じており、その残された半数の意見をも尊重している。しかし、非常時に見せる米国の恥部は改めて新興国の文化的水準を考えさせられる。これは、米国学者が欧州を非難して使う「美意識」と云う概念であり、米国の良心を無闇に信じさせる意識かもしれない。
腹が減らないように食べさせて、好きなだけ買わせた薬を打たせ、黙っていれば良いのだが、こうして注目されるようになると、労働力にもならず、購買力もなく、税金の無駄使いになるような「嘗ての輸入超過で不良資産となった輩」には、本当はどこかに早く消えて貰いたいのかも知れない。彼らは、無条件に悪なのである。
貧困の黒人層を「顔の無い顧客」として生業するスーパーマーケット等は如何ほどの援助をしているのだろうか?少なくとも自主的な提供によれば、食料の略奪などが起こり得る筈がない。麻薬を販売するブラックマーケットの富豪は、決して薬を無料で提供する事は無い。病院も彼らに提供する薬は無く、アフリカの何処かよりも遥かに酸酷な無法地帯が現出する。
また多くの米国人にとっても、自らが移民として這い上って来たように、この連中が中産階級へと近づこうとしない限り、余計に軽蔑さえ浮かぶばかりで同情の一欠けらすらも感じさせないのであろう。悪は滅びて、善は光り輝くという二律背反の、短絡で未熟な米国文化そのものなのである。こうなるとこれは、決して人種問題などではなくて、文化・思想の問題である。
何処かの誰かのように、「人のことは放って置いて、自分のことを処せ」とホワイトハウスに向って世界中から声が聞こえるようだ。ネオコンサヴァティヴの論者は、これを究極の理想としているのである。だから大統領が嬉しそうに復興を誓うのを、米国民は満足そうに喜ぶ。