Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

今年の花火は去年より

2005-09-14 | 生活
本日は、世界最大のワインフェストで21時から花火大会がある予定だ。今夜の成果はまた改めて書こう。ライヴ映像

補筆:つまらなかった。演出は、乱れ撃ちにフィナーレを持ってきたようだった。色無しの連続撃ちの様子であったので、音だけを聞いていた。単色系の玉もそれ程多くはなかったようである。菊や薔薇ではなく道端に咲くケシの花と言うべきか。写真を見て、カンディンスキーの絵を思い浮かべる。来週月曜のフィナーレはどうだろう。


花火大会の演出
2004 09/21 編集

ヴルスト・マルクト最終日は、花火でクライマックスを迎えた。10分足らずの花火大会で、大晦日の数と比べると大した事は無いが、本格的な大玉が揚げられる。

滝状など趣向を凝らしても、やはり360度に飛び散る玉がメインである。比較的単純な色彩ながら、紫の化学混合は特に目に付いた。

薔薇型と菊型の文化的想像力をもたらす意匠に加え、時間差をつけて炸裂して尾を引いて向かってくるのも迫力がある。

乱れ撃ちでフィナーレを締めた。冷えて乱れた風にポタポタと来る中を、電気を消した暖房の入った部屋からグラス片手に花火を眺めるのも良いものだ。


菊日和の浮世床 
2004 09/30 編集

床屋の親仁の息子は、オクトーバーフェストに出かけ天気が悪いのを嘆いていたという。ヴルストマルクトの花火師は、第一週がイタリア人で、第二週が世界花火チャンピオンの日本人だったと聞き知る。

前者は、色彩が素晴らしかったと伝えられているが残念ながら見ていない。第二週は、先週報告した通り工夫と創意に富んだ花火であった。すると意匠となった菊も文化的、植物学的に調べてみると面白いのだろうが、それはそうとして薔薇の方は俄然西洋的である。

表裏一体の薔薇と菊。薔薇は、ロザリオの祈りと言わずとも教会の薔薇窓にもみられるように、その文化的記号は中世へとさかのぼる。其れは、処女マリアを、ヴィーナスを、アフロディーテを越えて女神イシュタールを表して、バビロン・シュメール・エジプト・メソポタミア文明を源とするという。

このイシュタールまたはイシスは、金星のそして豊穣の女神として、母胎をも象徴する。更に八弁の薔薇の図柄から八葉蓮華の胎蔵曼荼羅の仏教美術へと思いを馳せる事も出来よう。数の魔術も手伝ってアラブのモザイクの影響である薔薇窓といい、古代中近東の広範な文化的影響を認めないわけにはいかない。

花火を見て、先日のパルシファル新演出でバイロイト祝祭劇場に映し出された、「アジア大陸の大河のようにれんれんと輪廻転生して広がる薔薇の花弁を思い起こしたのも強ち的外れでもないな」などと考えながら、いつのまにか鋏の音も遠のいて、菊日和にうとうとしてしまうのだった。



参照:
デューラーの兎とボイスの兎 [ 文化一般 ] / 2004-12-03
伝統という古着と素材の肌触り [ 文化一般 ] / 2004-12-03
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする