60年前の赤軍による解放を祝う式典がUNOで執り行われたようである。一月に入ってから、フランスの放送局などはアウシュヴィッツ修学旅行の様子などを伝えていた。加害者のドイツにとって解放を祝うと云う事はありえない。外務大臣フィシャーの「ありとあらゆる反ユダヤ主義、人種主義、排他主義、非妥協の追放と駆逐」に願いが集約する。
少し遅れて4月にヴァイマールのブッヘンヴァルトの強制収容所が「解放」されている。1945年にアメリカ軍が侵攻、摂取してその後ソヴィエト軍が管轄した。この収容所も上の規模には劣るが、ガス室を除いて全てが完備していた。ここでプロトタイプとして考案され駆動した焼却炉が上でも使われた。今も残る焼却棟の一階は、検死ならびに金歯や皮革の採取場となっており現在も綺麗な形で保存されている。そこから地下へ落とされて死体は処理された。場然としたその地下では、婦人・子供を含めて1000人以上がそこのホックに吊るされて殺害されている。この収容所の特徴として、親衛隊基地設置に続き1938年以降ユダヤ人以外に自国のみならず欧州中の共産主義者を含む政治犯から活動家、宗教家、同性愛者、精神障害者までが、また軍属捕虜が収容されていた。後年は、ダッハウからここへ、もしくは東部戦線撤退準備に備えてアウシュヴィッツからここへとジプシーならびにユダヤ人が送り込まれた。フランス政府関係者やヒトラー暗殺計画の家族などもVIP用の邸宅が与えられ拘禁された。
ハリウッドの撮影班を従えたアメリカ軍は、町からそれほど離れていないこの収容所にヴァイマールの市民を掻き出した。男性には死体処理をさせ、老若の女性には全てを凝視させた。現実を直視させるためである。この欧州有数の文化都市と収容所の繋がりは改めて記すとするが、余りにも皮肉に満ちている。進駐軍は、ナチスからのドイツ国民の解放どころか祖国ドイツの占領とみなされ、各地でドイツ市民の抵抗や戦犯の逃亡が増える。そこでここにソビエトの管轄による第二次収容所が1950年まで再び設置される。
本日、独仏共同文化放送局から「ハリウッドとホロコースト」の特集番組が流された。ナチスとの関係を配慮したユニヴァーサルと、政治色を出して対抗したワーナーなどさらにMGMなど其々であったようだ。チャップリンの「独裁者」後も様々な映像化が試みられる。しかしハリウッド関係者による現場の目撃は、娯楽を作る事を困難にしていく。
組織立った殺戮と遺体処理の方法に今も根強く生きるドイツ合理精神をみて、その旨をヴァイマール出身の友人に語った事がある。しかし、戦況が悪化するにつれ、初めは骨壷まで準備していたのが灰となった骸を森の石切り場の穴に捨てに行くようになる。アウシュヴィッツの方では、チクロンB利用によるその特別処理数の急上昇から遺体の焼却が儘ならなくなる。帝国鉄道がユダヤ人輸送に格安料金を設置するなど全面的な協力体制が敷かれたが、工業化された大殺戮計画は破綻していく。好戦的で排他的なナチスが当初から崩壊への道を歩んでいたとしても、このような野蛮とグロテスクは、宣伝省ゲッベレスの演出に見る整然と計算された第三帝国などは所詮幻想である事を証明している。
参照:
ヴァイマールからの伝言 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-12-03
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
ヒロシマの生き残り [ 生活・暦 ] / 2005-08-06
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27
少し遅れて4月にヴァイマールのブッヘンヴァルトの強制収容所が「解放」されている。1945年にアメリカ軍が侵攻、摂取してその後ソヴィエト軍が管轄した。この収容所も上の規模には劣るが、ガス室を除いて全てが完備していた。ここでプロトタイプとして考案され駆動した焼却炉が上でも使われた。今も残る焼却棟の一階は、検死ならびに金歯や皮革の採取場となっており現在も綺麗な形で保存されている。そこから地下へ落とされて死体は処理された。場然としたその地下では、婦人・子供を含めて1000人以上がそこのホックに吊るされて殺害されている。この収容所の特徴として、親衛隊基地設置に続き1938年以降ユダヤ人以外に自国のみならず欧州中の共産主義者を含む政治犯から活動家、宗教家、同性愛者、精神障害者までが、また軍属捕虜が収容されていた。後年は、ダッハウからここへ、もしくは東部戦線撤退準備に備えてアウシュヴィッツからここへとジプシーならびにユダヤ人が送り込まれた。フランス政府関係者やヒトラー暗殺計画の家族などもVIP用の邸宅が与えられ拘禁された。
ハリウッドの撮影班を従えたアメリカ軍は、町からそれほど離れていないこの収容所にヴァイマールの市民を掻き出した。男性には死体処理をさせ、老若の女性には全てを凝視させた。現実を直視させるためである。この欧州有数の文化都市と収容所の繋がりは改めて記すとするが、余りにも皮肉に満ちている。進駐軍は、ナチスからのドイツ国民の解放どころか祖国ドイツの占領とみなされ、各地でドイツ市民の抵抗や戦犯の逃亡が増える。そこでここにソビエトの管轄による第二次収容所が1950年まで再び設置される。
本日、独仏共同文化放送局から「ハリウッドとホロコースト」の特集番組が流された。ナチスとの関係を配慮したユニヴァーサルと、政治色を出して対抗したワーナーなどさらにMGMなど其々であったようだ。チャップリンの「独裁者」後も様々な映像化が試みられる。しかしハリウッド関係者による現場の目撃は、娯楽を作る事を困難にしていく。
組織立った殺戮と遺体処理の方法に今も根強く生きるドイツ合理精神をみて、その旨をヴァイマール出身の友人に語った事がある。しかし、戦況が悪化するにつれ、初めは骨壷まで準備していたのが灰となった骸を森の石切り場の穴に捨てに行くようになる。アウシュヴィッツの方では、チクロンB利用によるその特別処理数の急上昇から遺体の焼却が儘ならなくなる。帝国鉄道がユダヤ人輸送に格安料金を設置するなど全面的な協力体制が敷かれたが、工業化された大殺戮計画は破綻していく。好戦的で排他的なナチスが当初から崩壊への道を歩んでいたとしても、このような野蛮とグロテスクは、宣伝省ゲッベレスの演出に見る整然と計算された第三帝国などは所詮幻想である事を証明している。
参照:
ヴァイマールからの伝言 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-12-03
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
ヒロシマの生き残り [ 生活・暦 ] / 2005-08-06
北の地で血を吸った大斧 [ 文化一般 ] / 2005-10-27